第289話 ルービックキューブです!

 緑のメイド服を着た金髪巨乳メイドロボは小汚い部屋の床に正座をしていた。その目の前には奇妙な模様の立方体が置かれている。神妙な顔つきでその立方体を見つめるメイドロボ。

 床に寝転がりその様子を見つめていた黒乃はその立方体を手にとった。


「お、懐かしいな。ルービックキューブじゃん」

「なにをしていますか!!」


 鬼の形相でご主人様に襲いかかり、立方体を奪い取るメイドロボ。


「うわうわ、なによもう」

「今はインスペクションタイム中なのですよ!」

「ちょっとなにを言っているのかわからんな」


 メル子は再び立方体を床に置いた。目を閉じ、呼吸を整える。そして目を見開き、立方体に手を伸ばす! スカッ。


「いや〜、久しぶりにルービックキューブ触ったわ」立方体をいじくり回す黒乃。


「なぜとってしまうのですか!!!」

「うるさっ。さっきからなによ、もう」

「それはこちらのセリフです!」


 黒乃はカラフルな立方体を不器用に回した。この立方体は古の遊具で『ルービックキューブ』と呼ばれている。


 ルービックキューブとは1974年にハンガリーの建築家ルビク・エルネーが考案した六色を揃えて遊ぶパズルゲームだ。

 一辺が56ミリメートルの立方体で、黄、白、青、赤、緑、橙に色分けされ、各面ごとに3x3のパーツに分かれている。

 販売開始から数年で二億個の売り上げを叩き出した。日本では1980年に発売され、大ブームを巻き起こした。


「へ〜、まだ売ってるんだなあ」

「当たり前ですよ。今はルービックキューブの第三次ブームで世界中に競技者キュービストがいます」

競技者キュービスト!?」


 ルービックキューブは元々玩具として発売されたのだが、そのあまりに複雑な仕組みと組み合わせ数により、競技として成立しているのだ。『スピードキューブ』という名前で世界中の競技者が日々揃えるタイムを競っているのである。


「ほえ〜、ご主人様なんて一面揃えるのがやっとだよ」

「自力で一面揃えられたなら立派ですよ。私は六面揃えられますけどね」


 メル子は得意満面な笑みを浮かべて黒乃を見下ろした。黒乃は口を開けてメル子を見上げた。


「うわっ! これすごい回しやすいな。指一本でクルックル回るじゃん。軽い力で回るのに、止まる時はピタッと止まる。不思議〜」

「当然です。これは競技用のキューブですから。遊戯用と一緒にしないでください」

「競技用とかあるんだ。いくらしたの?」

「一万円です」

「たかっ!」


 競技用のキューブは高速で回す必要があるため、極度に摩擦を減らすように設計されている。また磁石が内蔵されており、回転をアシストしてくれるのだ。この磁石のおかげで高速回転、正確さ、摩擦軽減を実現しているのだ。


「そんでメル子はどんくらいで揃えられるのよ。一分でいけるの?」

「ではソルブしてみましょう」


 ソルブとはキューブを揃えることである。反対に崩すことはスクランブルと呼ばれる。

 メル子はキューブを受け取った。キューブの上下左右をよく確認し、床に置いた。


「ではいきますよ!」

「タイム測っておくね」


 メル子はキューブを掴むと猛烈な速度で回転させた。指の動きが速すぎて見えない。そして床に置いた。


「え!? もう揃ってるの!?」

「タイムはいくつですか!」

「10.75! 嘘でしょ!?」

「ガッデム!」


 メル子は床に転がって悔しがった。


「もしかしてこれ遅かったの!?」

「当たり前ですよ! 私のAO5は8.39秒ですよ! 激おそです!」


 AO5とはAverage of 5の略で、五回ソルブして最高タイムと最低タイムを抜いた三回の平均値のことだ。


「いや、たまげたなあ。十秒でも速すぎるでしょ」

「なにを言っていますか、ご主人様。世界記録は3.13秒ですよ」

「3.13!? なにかの間違いでしょ!? こんなのが三秒で揃うわけないよ!」

「ご主人様、事実を受け入れてください」


 黒乃は再びキューブを手にとった。適当に回してみるが、やはり全く揃わない。これを数秒で揃えることなど不可能のように思える。


「いや、無理だよ」

「そう思うのはご主人様が揃え方を知らないからです」

「揃え方なんてあるんだ」

「もちろんです。現在主流になっているのは『CFOPメソッド』と呼ばれる方法です」

「なにそれ!?」


 CFOPメソッドはルービックキューブの解法の一つで、最も普及しているものだ。

 Cross、F2L、OLL、PLLの四つの手順を経て六面を完成させる。


「なんだか難しそう」

「CFOPメソッドを完全に習得するには、どんなに頑張っても一ヶ月以上かかります。しかし初心者向けに簡易CFOPメソッドというものがありますので、これならば数時間あれば習得できますよ」

「そうなんだ。なんか面白そう! ご主人様もやってみたい!」

「ふふふふふ」

「ワロてるなあ」


 メル子は和風メイド服の袖を漁った。中から出てきたのはもう一つのキューブであった。


「これで二人で練習をして、来週の大会に出場しましょう!」

「おう!」


 六月の降りしきる雨音にキューブを回す音が加わった。



 ——大会当日。

 隅田川沿いにある台頭リバーサイドスポーツセンターの体育館が戦いの舞台だ。雨にもかかわらず、大勢のキュービストが会場に詰めかけていた。


「うわうわ、すっごい人だ」

「盛り上がっています!」


 体育館の中には長テーブルがずらりと並べられていた。現在は予選の真っ最中で、それぞれのテーブルではキュービストが熱心にソルブを繰り広げていた。


「どうしよう、緊張する!」

「ご主人様! 落ち着いてください!」


 二人は受付でエントリーを済ませ、記録シートを貰った。しばらく待機すると、名前を呼ばれた。指定のテーブルに着き、自前のキューブをジャッジに渡す。


「お願いします!」

「頑張ってください」


 ジャッジは黒乃のキューブを機械にセットした。するとその機械が勝手にスクランブルしてくれる仕組みだ。公平のためにスクランブルのパターンはあらかじめコンピュータによって算出されている。

 スクランブルされたキューブは十五秒間手にとって見ることができる。インスペクションタイムだ。

 それが終わればいよいよソルブが始まる。


「いくぞ!」


 黒乃はキューブを手にとり回し始めた。たどたどしい手つきではあるが、着実に揃えていく。


「できた!」


 キューブをテーブルに置いた。電光掲示板には『53.28』と表示されている。


「よし!」


 再びキューブがスクランブルされた。これを五回繰り返すのだ。その平均タイム(AO5)が最終的な競技結果となる。


 黒乃は大量の汗をかきながら必死にソルブをした。途中手が滑りキューブを落とすも諦めない。黒乃のレベルでは回す速さよりも、落ち着いてミスなく揃えていくのが大事だ。


「やった! 五回とも揃えられた!」

「おめでとうございます。記録は『55.06秒』です」

「ご主人様! おめでとうございます!」


 黒乃とメル子は抱き合って喜んだ。


「必死こいて毎日練習した甲斐があった〜」

「次は私です! 絶対に予選突破してみせます!」


 

 予選が終わった。

 いよいよ競技の順位が発表される。上位四十二名が決勝に進むことができる。皆会場のモニタを固唾を呑んで見守った。

 もちろんど素人の黒乃が予選を突破できるはずもないが、メル子は上位に食い込めるはずだ。


「ご主人様! 見てください! やりました! 二位の8.17秒で予選通過です!」

「うおおお! すごい!」


 二人は再び抱き合った。メル子は興奮して黒乃の頭にかじりついた。


 その時、ピラミッドの大回廊から湧き出る、王の怨嗟の念が如き恐ろしい声が会場に響き渡った。

 オーホホホホ……オーホホホホ……。


「ぎゃあ! なんですかこの声は!?」

「またお嬢様!?」

「オーホホホホ! 予選二位突破おめでとうございますわー!」

「オーホホホホ! お嬢様は一位突破でっしゃりまんがなですわいなー!」


 金髪縦ロールの二人組がキューブを片手に登場した。


「どうしてお二人がここに!?」

「ルービックキューブ被せとはなあ」

「お嬢様はルービックキューブのジュニアチャンピオンですのよー!」

「今日の優勝はわたくしがいただきますわよー!」

「そうはいきませんよ!」


 メル子とマリーは決勝での決戦を誓った。


「黒ノ木シャチョー!」

「ん?」


 声をかけてきたのは見た目メカメカしいロボットのFORT蘭丸だ。


「あれ? FORT蘭丸も大会参加してたの?」

「シテまシタ! ボクは予選落ちデス!」

「蘭丸君、どんまいです!」

「はぁ〜い、黒乃〜、メル子〜」

 

 FORT蘭丸の後ろからムチムチの銀髪アメリカ人が現れた。そばかすが浮いた顔に死んだ魚のような目が乗っている。


「おお、ルビーも来てたんだ」

「ルビーさんも、出場していたのですか!?」


 ルビーは黒乃とメル子を順番に抱きしめて頬擦りした。ムチムチ美女のお肉の柔らかさと匂いに目が回った。


「わた〜しも〜、決勝にすすんだよ〜。最下位だったけど〜」

「え、すごい!」

「ルビーさんもキュービストだったのですね!」

「女将サン! ルビーは今朝初めてキューブを触りまシタ!」

「初心者なんですか!?」



 いよいよ決勝戦が始まった。

 決勝は四十二人が一斉にソルブを行う。全員同一のスクランブルで挑むので、個人による有利不利はない。予選と同じく五回のソルブの平均で競う。


「マリーちゃん! 容赦はしませんよ!」

「のぞむところですわー!」

「ルビー! ガンバってくだサイ!」

「だーりん、うぉっちみ〜」


 第一ソルブ。


「でええい! 7.80秒です!」

「7.72ですのー!」


 第二ソルブ。


「しくじりました! 8.01です!」

「余裕の7.75ですのー!」


 第三ソルブ。


「ぎゃあああ! 10.01です!」

「手が滑りましたのー! 9.93ですのー!」


 第四ソルブ。


「7.62です! 調子がでてきました!」

「7.99ですのー! 挽回しますわよー!」


「メル子! 優勝狙えるよ!」

「お嬢様ー! 落ち着くのですわー!」


 メル子とマリーは汗だくになっている。しかし双方集中力は切れてはいない。最高のコンディションで最後のソルブが始まった。


 第五ソルブ。


「7.61です! 本日最高記録です!」

「7.61ですのー!」


 全キュービストの競技が終わった。

 集計の結果がモニタに表示された。


「えーと、メル子が『7.81秒』、マリーが『7.82秒』!」

「やりました! 私の勝利です! 見ましたか! 優勝です! どんなものですか!」

「負けましたのー!」

「お嬢様ー!」


 メル子は黒乃に飛びつき、頭にかじりついた。


「ルビー! 優勝おめでとうございマス!」

「わぁ〜お、だーりん。おーばーざむ〜ん」

「ん?」


 ルビーはてくてくと体育館の壇上に登ると、優勝トロフィーを受け取った。それを高々と掲げると参加者達から大きな拍手が巻き起こった。


「あれ?」

「ですの?」


 黒乃達四人はその様子を棒立ちで眺めた。


「なんでルビーが優勝なの!?」

「初心者ではなかったのですか!」

「しかもタイムが『3.23秒』ですわー!」

「わ〜ぉ、決勝でようやくシード値が算出できたね〜」


 FORT蘭丸が進み出てきた。


「シャチョー! 解説しマス! ルビーは素で乱数が読めるノデ、次に出てくるスクランブルが前もってわかるんデス!」


 ルービックキューブのスクランブルは、コンピュータがランダム生成したものを用いる。

 コンピュータは乱数を出力する際、一定の法則に基づいて作成された巨大な数列を用いる。この数列の中から順番に数値を出すことで仮の乱数としているのだ。これを疑似乱数という。

 この数列は充分に大きいため、決まった数列といえど次に出てくる数値を予測することは困難である。しかしルビーは持ち前の天才的な数字勘によって乱数が読めるという特殊能力を持っているのだ。

 これにより、次に生成されるスクランブルを予知し、始まる前から最適解を導き出せるのだ。


「ソレにルビーは超速タイピング能力を持ってイルので、指の動きが速クテ、キューブを回すのも速いんデス!」


 四人はずっこけた。「チートやんけ!」


 結局競技は優勝ルビー『3.23秒』、二位メル子『7.81秒』、三位マリー『7.82秒』で終わった。

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