第288話 梅雨です……
春から夏にかけて起きる雨の多い期間のこと。日本だけでなく東アジアの広範囲に同様の気象現象がみられる。
白ティー丸メガネ、黒髪おさげの長身の女性は、小汚い部屋の窓から灰色の世界を眺めていた。
「今日もよく降るなあ。もう六月だもんなあ」
休日の昼に鳴り続ける微かな雨音が陰鬱さを部屋の中にまで運んできた。それは実体となって体にまとわりつく感触を黒乃に与えた。
「そしてなんだこの有様は」
黒乃は後ろを振り返った。床にはカビの生えた豚バラブロックのような重さとぬめりと湿度を備えた塊が、いくつも転がっていた。
金髪巨乳メイドロボ、金髪縦ロールメイドロボ、青いロングヘアの子供型ロボット、グレーの塊。
「みんなどうしたのさ。さあメル子、起きて」
黒乃は床に仰向けに寝転がるメル子の
「ねえ、アン子までなんでうちで寝てるのよ」
黒乃は床に寝転がるアンテロッテのHカップを指でつついて揺さぶった。しかしアンテロッテは「ですのー」と呟いたまま動きを停止した。
「フォト子ちゃんがうちに来るのは珍しいな。起きなよ」
フォトンはうつ伏せでぶつぶつとなにかを呟いている。その背中にはグレーの大きなロボット猫であるチャーリーが体を丸めて乗っていた。
「こらチャーリー。今日はサーモンないからな」
黒乃は床のロボット達を見渡した。まるでゾンボ(ゾンビロボット)のようによだれを垂らして寝転がる姿に、黒乃は背筋を凍らせた。
「これはどういうことですか? サージャ様!」
黒乃は敷かれた布団を一人で占拠するロボットに詰め寄った。巫女装束風メイド服の白い小袖と緋袴を大胆にはだけたそのだらしのない様子は、御神体ロボにあるまじき姿だ。
「黒ピッピ、
「どうしてサージャ様までうちに!?」
浅草神社、通称
「んーとね、梅雨の時期のロボットはみんなこんなもんっしょ。
「梅雨の影響なんですか!?」
人間とて梅雨の時期は気分が落ち込んだり、体がだるくなったりするものだ。しかしロボット達のこの様子はそれを凌駕している。
「ロボットは湿気に弱いんだわさ。身体中のパーツが結露してマジエグち」
ロボットは一般的な機械とは違い、ボディ内に大量の水分を含んでいるものなのだ。人工筋肉、人工骨格、人工皮膚、どれも乾燥は天敵だ。ロボットが動けば熱が発生するので、冷却水も必要だ。人間と同様、ロボットに水分は必要不可欠である。
当然浸水や結露の対策は充分に施されてはいる。体内の無駄な水分を排出する機構があるのだ。しかしその動作はロボットにとって大変『不快』なもので、しかも梅雨の時期、その不快感は最大級のだるさとなってロボット達に襲いかかるのだ。
「ひょっとして、このよだれが排出された水分なのかな」
ロボット達は床によだれを垂れ流している。このままでは下の階によだれの雨が降り注いでしまう。黒乃はタオルを床に敷いた。
「よく見たら、プチ達もぐったりしているな」
部屋の片隅に置かれたプチ小汚い部屋の床にはプチ黒、プチメル子、プッチャが横たわっていた。
その隣には巨大なミニチュア城が置かれている。中ではプチマリとプチアン子がベッドに埋もれて放心していた。
「まあ、梅雨でだるいのはわかったんだけどさ。なんでうちに集まってるのよ。狭いよ!」
その時、扉が開いて金髪縦ロール、シャルルペロードレスの少女が部屋に入ってきた。
「ただいまですの」
「マリーの部屋はこの下だからね」
マリーは勝手に部屋に入り込み、手にもった買い物袋を黒乃に手渡した。
「なにこれ、食料品じゃん」
「ご飯を作ってほしいですの」
「なんで私が!?」
黒乃は視線を感じて後ろを振り返った。床で潰れているロボット達が黒乃を睨みつけている。
「なになに? みんなどうしたのよ?」
「ご主人様……お腹が減りました」
「ランチを……作ってほしいですの」
「……クロ社長、はやく」
「ニャー」
黒乃はようやく合点がいった。みんなご飯を食べに集まってきていたのだ。
「フォト子ちゃんは陰子先生が作ってくれるでしょ!」
「……先生は山に修行にいった」
「サージャ様はどうして!?」
「雨で〜、みんな神社に参拝に来ないからさ〜、お供え物がないんだよね。マジうけるwww」
「神社のお供え物で生きてたんですか!?」
黒乃は大きくため息をついた。仕方がなくランチの準備をすることにした。
「マリーが買ってきた食材ならオムライス鍋かなあ」
「わたくしも手伝いますのー!」
黒乃とマリーは手分けをして調理を始めた。マリーは土鍋に切った野菜を並べる。そこに鶏でとった出汁を注いだ。
黒乃はオムライスを作る。フライパンで玉ねぎと鶏肉をバターで炒め、米を投入する。別のフライパンで溶いた卵を薄く伸ばし焼く。そこに炒めたチキンライスを乗せて卵で包む。
仕上げにオムライスを鍋の中に投入して煮込めば、オムライス鍋の完成だ。
「できたできた。黒ノ木家秘伝のオムライス鍋!」
「美味しそうですのー!」
鍋の匂いに誘われて、ようやくロボット達は動き出した。
「さあ! できたよみんな! 起きて!」
のそのそと体を起こすロボット達。湿気のせいか、動くたびになにかが軋む音が聞こえる。しかし立ち上がるまでには至らないようだ。テーブルまで来られなさそうなので、仕方なく料理を取り皿に移して配った。
「こぼさないように食べてよ!」
「ご主人様……ありがとうございます」
「助かりますの……」
「……クロ社長の手料理久しぶり」
「ニャー」
一同はレンゲを使ってオムライス鍋を口に運んだ。チキンライスに鶏出汁の旨みが加わり、滋味深い味わいを醸し出している。煮込まれているため柔らかく、胃にも優しい。
「どう? 美味しい?」
「美味しいです」
「さすがですの」
「……おかわり」
「ニャー」
いつの間にかサージャがテーブルに着いて一人で鍋をがっついていた。
「マジうまC。黒ピッピやるじゃん。
「あれ〜? サージャ様は湿気は平気なんですか?」
サージャは他のロボット達に比べて、元気に動き回っているように見える。
「
「さすが御神体ロボ」
食事を終えて不快感が多少は紛れたのか、ロボット達はうとうととし始めた。そのまま寝かすのは忍びないので、黒乃は布団をもう一枚床に敷いた。
二組ある布団のもう一枚はサージャが一人で占拠しているので、残りの一枚を三人と一匹で分け合うことになる。
「アン子さん」
「なんですの」
「狭いからもっと向こうへいってください」
「これ以上いったら足がはみ出ますの」
「私はもうはみ出ています」
真ん中にフォトン、その左右にメル子とアンテロッテ、その上にチャーリーという陣形だ。
「……お乳に挟まれてぽよぽよ」
フォトンは巨乳メイドロボに左右から圧迫されてお祭り状態だ。
「うらやましい!」黒乃はその光景に悶絶した。
「アン子さん」
「なんですの」
「狭いのでサージャ様の布団にいってください」
「メル子さんがいってくださいまし」
「怒られそうだからいやです」
「わたくしも天罰が下りそうだからいやですの」
「……じゃあボクがいく」
フォトンはナメクジのようにメル子の上を這って隣の布団に移動した。
「フォト子ちゃん、怖いもの知らずだ!」
「いいよいいよ。フォトピッピ、おいで〜」
布団に潜り込んできた少女型のロボットを、ギャル巫女メイドロボは優しく抱きしめた。
「うひょー!」その美しい光景に黒乃は悶絶した。
「……なんか先生っぽい。落ち着く」
サージャは女子高生ギャルっぽく見えるが、実際はかなりの長生きロボットである。フォトンが母性を感じてしまうのも無理からぬことだ。
ロボット達が寝入る様子を黒乃とマリーは椅子に座ってのんびりと眺めた。静けさが訪れ、雨音が再び小汚い部屋の中に溜まっていった。
「どれ、プチ達の世話もしてやるか」
ぐったりと横たわるプチ黒を手のひらの上に乗せ、綿棒で体の各所をつついて水分を吸収する。マリーもプチマリとプチアン子の手入れをした。
雨音がBGMとなり、それはいつの間にか子守唄に変わった。黒乃達もテーブルに伏せて眠った。
世界一のロボット密度を誇る小汚い部屋でロボット達は夢を見た。燦々と輝く太陽に照らされて浜辺を走り回る夢を。
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