第284話 稽古をします!

「メル子、今から稽古にいくよ」


 床に寝転がり、しれっと言い放つ白ティー丸メガネ黒髪おさげのご主人様に、メイドロボは呆気に取られた。


「稽古とは?」

「相撲の稽古に決まってるでしょ」


 メル子は昼食の食器を片付ける手を止めた。


「浅草場所はまだずっと先ですよね? なぜ今稽古が必要なのでしょうか?」

「いやね、最近大相撲パワーが切れてきちゃってさ。補充にいかないといけないんだよ」


 メル子は手をプルプルと震わせた。それに合わせて手に持った皿がカチャカチャと音を立てた。


「大相撲パワーに切れるとか補充とかいう概念があるのですか!?」

「メル子だって燃料とか電気を補充しないと動かないでしょうが。それと同じだよ」

「同じなわけがないでしょう!」


 一通り大騒ぎした後、二人はボロアパートを出た。



 ——大相撲浅草部屋。

 浅草寺の裏手にある相撲部屋。和風建築の質素な佇まいの家屋に、巨大な筆書きの看板がよく映える。

 黒乃とメル子はその門を叩いた。


「黒乃山、待っていたッス!」


 入り口で二人を出迎えたのは二メートルを超える巨躯を持つ大相撲ロボだ。髷を結い、浴衣を着ている。れっきとした大相撲幕内力士である。


「よう! 大相撲ロボ!」

「大相撲ロボ! 今日は稽古をよろしくお願いします!」

「メル子さん! よろしくッス!」


 稽古部屋の中からは弟子達がぶつかり合う勇ましい音が聞こえてくる。大相撲ロボの後に続いて三人は稽古部屋の中へ入った。


「みんな! 黒乃山が稽古にきてくれたッスよ!」


 大相撲ロボが声をかけたとたん、活気で溢れていた部屋が静まり返った。弟子達は動きを止め、黒乃に向き直った。


「黒乃山!」

「黒乃山だ!」

「本物だ!」

「いやぁー! ステキ!」


 弟子達が一斉に黒乃に群がってきた。


「ははは、みんな。よく稽古しているようだね」

「「はい!」」


 和気藹々と会話をする黒乃と弟子達。その様子を見てメル子は目を白黒させた。


「あれ? なんでしょう? なにか思っていたのと違いますね……」


 黒乃は一旦更衣室に引っ込んだ。弟子達は整列して、黒乃が出てくるのを今か今かと待ち侘びている。

 しばらくして白ティーに黒いスパッツ、腰にマワシを巻いた黒乃山が部屋に戻ってきた。その瞬間、弟子達から大歓声が沸き起こった。


「かっこいい!」

「決まってる!」

「いやぁー! ステキ!」


 両手をあげて歓声に応える黒乃。


「なにか……ご主人様がアイドル的な存在になっているのですが」

「メル子さん、黒乃山は大相撲界隈ではまさにアイドルなんッス」

「どうしてですか!?」


 浅草寺で毎年行われる浅草場所での準優勝をはじめとして(第90〜93話参照)、浅草ロボット野球大会での大暴れ(第260〜261話参照)、国技館での大相撲ロボ投げ飛ばし(第262話参照)など、黒乃は数々の伝説を残してきた。故に大相撲の世界では伝説の女力士として扱われているのだ。


「なるほど……まあ、男臭い大相撲の世界ですものね。その中に一応それなりに綺麗な女性力士が現れたら、チヤホヤされるのはわかります……」


 黒乃は土俵に入った。大きく足をあげて四股を踏んだ。その威容に弟子達は震えた。


「横綱の貫禄ッス……」

「そんなわけがないでしょう」


 体が温まった黒乃はずらりと並んだ弟子達を見渡して言い放った。


「ぷひゅー! ぷひゅー! さあ! くるっぴょ!」


 弟子の一人が壁際から躍り出て土俵に入った。


「お願いします!」

「どんとくるにょ!」


 モチモチの里光雄。西十両十三枚目。鳥取県倉吉市出身。181センチメートル、154キログラム。得意技左四つ。


 モチモチの里は腰を落としてぶちかました。真正面からしっかりと受け止める黒乃山。


「ぷふー! どうした!? その程度か!?」

「ふぬぬぬぬ!」


 全力で押したが、黒乃山の上手投げによりあっさり地面に転がるモチモチの里。


「あれ、これ……ご主人様が稽古をつける側なのですか」

「もきゅー! 次!」

「自分がやるッス!」


 パエリア龍哲夫。東幕下五枚目。大分県日田市出身。187センチメートル、136キログラム。得意技寄り。


 パエリア龍はがっぷり四つの状態から下手投げを仕掛けにいったが、逆に切り返しで倒された。


「キレが甘いっしゅ!」

「押忍!」

「どこでそんな技を身につけたのですか……」


 一際巨漢の力士が土俵に上がった。


「お願いするッス!」

「遠慮せずぶつかってくるっしゅ!」


 邪竜川さとる。西前頭五枚目。石川県河北郡出身。192センチメートル、183キログラム。得意技押し。


 二人は土俵の真ん中でぶつかった。次の瞬間、邪竜川は地面に転がっていた。


「ご主人様が幕内力士を転がした!?」

「さすがッス」


 その後も黒乃山による稽古は続いた。


「くるにょ! エンジェル錦!」

「はいッス!」

「ぷきゅー! いいぞ! 無駄無駄富士!」

「勉強になるッス!」

「ヘタレ若! もっと体重増やすにょき!」

「ラジャー!」


 挑みくる者を千切っては投げ千切っては投げする女力士。黒乃山は汗だくになり、弟子達は砂まみれになった。


「なにか、この部屋の力士はキラキラ四股名が多すぎませんか?」

「全員浅草親方の命名ッス!」



 稽古が終わった。弟子達は床にへたり込み、恍惚の表情を見せている。メル子は黒乃にタオルを差し出した。


「ふうふう、ありがとう。久しぶりにいい汗かいたよ」

「お疲れ様です。それでどうでしょう? 大相撲パワーは補充できましたか?」

「ふうふう、まあ八割ってところかな。今日はこの辺で……」


 その時、稽古部屋にざわめきが起きた。稽古後の生ぬるく緩んだ空気が、真冬の冷風にさらされたかのように張り詰めた。


「やあ、黒乃山」


 部屋に現れたのは黒髪ショートで褐色肌の美女であった。


「黒乃山、稽古に精がでますね」


 その後ろに控えているのは黒髪ショートで片目を隠した褐色肌のメイドロボだ。


「マヒナ! ノエ子!」

「どうしてお二人がここに!?」


 月の女王マヒナ。そのメイドロボであるノエノエ。二人の筋肉質な美しい体は、この相撲部屋の中で一際輝いて見えた。


「黒乃山が浅草部屋にいると聞いてね。私も一つ稽古をつけてもらいにきたのさ」

「マヒナが!?」


 黒乃はためらった。マヒナは人間ではあるが、己の肉体の一部を改造したサイボーグなのだ。戦闘能力はピカイチである。


「いや〜あはは。今日はもう疲れちゃったしやめておこうかな」

「そうですよ! ご主人様は苛烈な稽古の後ですから、またの機会にしましょう!」


 黒乃とメル子は背を向けて更衣室に戻ろうとした。マヒナはどうも黒乃をライバルだと思っているらしく、これまでも様々な形で勝負をしてきた。彼女達と初めて出会ったのもこの浅草部屋である。

 しかし今日のところは戦う理由はない。大人しく家に帰って寝るだけだ。


「私に勝てたらノエノエと相撲を取らせてやるよ」

「よし、やろう」

「ご主人様!?」


 稽古部屋が大歓声で満たされた。



 更衣室で着替えを終えたマヒナはスポブラにスパッツ、マワシという出で立ちで登場した。バキバキに割れた褐色の腹筋が灯りに照らされ、芸術的な陰影を描いた。


「それでは、黒乃山とマヒナ海の取組を行うッス」


 土俵に立った黒乃山とマヒナ海。行司はもちろん大相撲ロボだ。


「もきゅー! もきゅー! 容赦はしないっぽにょー!」

「当然だ。全力でこい!」


 二人は腰を落として見合った。そして土俵の中心で勢いよくぶつかった。


「ああ! ご主人様の大相撲パワーによるぶちかましを止めました! すごいです!」


 四つに組んだ状態で硬直する二人。お互いが最大級の力を込めて、お互いを押さえ込んでいるのだ。


「体重とリーチならご主人様の方が上です! しっかりと上手をとっています!」

「やるな、黒乃山!」

「ノエ子と愛の相撲を取らせてもらうもきょー!」


 上手をとられたマヒナ海の右腕が不自然な方向に曲がった。自在に回転方向を制御できる人工関節だ。右腕を軸に体をコマのように高速で回転させ、黒乃山の背後をとった。


「後ろをとられました! 絶体絶命です!」

「ぶぷー! そうはさせないのらー!」


 黒乃山はまっすぐ上に飛び上がった。両足から伝わる着地の衝撃をコントロールし、巨大なケツへと伝導する。ケツから発せられた衝撃インパクトをもろに食らったマヒナ海は後ろに吹っ飛んだ。


「ぐぅ!」

「マヒナ様!」


 マヒナ海はギリギリ土俵際で踏ん張った。足の親指一本でなんとか体を残す。


「惜しいです! ご主人様の大相撲パワーがフル充電なら土俵を割っていました!」

「トドメにょきー!」


 黒乃山は猛烈な勢いでぶちかましにいった。体勢を崩して土俵際で踏ん張るマヒナ海には、逃げ場はないと思われた。

 しかし、黒乃山は突然ぶちかましを止めて苦しみ始めた。


「ぐああああああああッ!」

「ご主人様、どうしました!? 毒でも盛られましたか!?」


 黒乃山は両手で顔を覆っている。


「指紋が!」

「指紋!?」

「丸メガネのレンズに指紋がついている!」

「だからどうしたのですか!」


 マヒナ海は悶絶する黒乃山のマワシをとり、土俵の外に放り投げた。眼鏡人においてレンズの指紋はこの世で最も忌避すべきものなのだ。特に他人の指紋は悪魔の刻印といっていいだろう。正気を保つのは無理というわけだ。


「ふふふ、吹っ飛ばされる直前にレンズに触っていたのさ」


 弟子達の中に突っ込んだ黒乃山はむくりと起き上がった。


「マヒナ海は!? マヒナ海はどこにょろー!?」


 指紋により視界を奪われた黒乃山は無作為に突進を始めた。


「こら黒乃山、もう勝負はついた。止まれ!」

「まだまだぴょりー!」


 突進した先にいたのはノエノエであった。褐色肌のメイドロボを捕まえると、両腕で締め上げた。


「フンフンフン!」

「うあああぁぁッ!」


 黒乃山の必殺技、さば折りがノエノエに炸裂した。伝説の決まり手に俄然盛り上がる弟子達。


「フンフンフン! マヒナ海くらえー!」

「こら! そっちはノエノエだ! 離せ! 見えているだろ、貴様ーッ!」


 マヒナ海と弟子達が必死に止めようとしたが、メイドロボによって大相撲パワーをフル充電した黒乃山を止められるものは誰もいなかった。


「フンフンフン!」

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