第283話 宿題をします!
仕事終わりの夕食前。黒乃は小汚い部屋の床に座り、懸命にデバイスを操作していた。キッチンには夕飯の準備をするメイドロボ。部屋にはいつもの美味しそうな香りが漂っていた。
「ご主人様、家でまでお仕事ですか?」メル子は自分の背中越しにご主人様に声をかけた。
「まあね、取引先の会社から仕様書を書いてくれって依頼されてね」
「ゲームの仕様書ですか?」
「うん。今開発の補助をしているゲームの仕様書」
メル子はおたまを片手に首をかしげた。
「その会社のゲーム企画を元にして、クロノスがゲームの開発を手伝っているのですよね? 仕様書はご主人様ではなくて、企画を考えた人が書くものではないのですか? そもそも仕様書を元にして開発が行われるはずですよね?」
「普通はそうだよ。でもその常識が通用しないのがこの業界だよ。エンターテインメントの世界なんて、なにからなにまでいい加減なのさ」
メル子は呆れ顔で鍋をかき混ぜた。おたまでスープをすくい、味見をする。その完璧な仕上がりにご満悦の表情を見せた。
「黒乃〜、メル子〜、宿題てつだって〜」
突然、部屋の真ん中に少女が出現した。
「ぐわぎょよよわ!」
「ぎゃあ! あちちちちち!」
少女の登場に黒乃は床でもんどりうち、メル子はおたまを鍋の中に落とした。
「宿題みて〜」
「紅子! いきなり現れないで!」
「紅子ちゃん! 現れるなら予告をください!」
紅子。隅田川博士の娘で小学一年生。政府のデータベースの中だけのことではあるが、現在は黒乃の娘ということになっている。
白いシャツに赤いサロペットスカートの大人しい雰囲気の少女だ。手にはデジタルノートとデジタルペンが握られている。
「宿題か〜。そりゃ小学生ならあるかもな〜」
「紅子ちゃん、どんな宿題ですか?」
メル子も調理の手を止めて覗き込んできた。
「これ〜」
「うわ、結構あるな」
「入学が遅れたから、その分のものを出されたのでしょうか?」
デジタルノートには算数、国語、英語などの問題がずらりと並んでいる。
「がんばったけど、おわらない〜」
「うーん、この量じゃあなあ。ふんふん、なになに? ABC予想? ははは、アルファベットの問題か」
「いえ、ご主人様、それは……」
デジタルノートをめくった。
「あれ〜? なんか小一にしては難しい問題を解いてるな」
「紅子ちゃんは頭がいいですから。特別に上級生用の問題が出されているのかもしれません」
紅子は床にうつ伏せになってペンを握りしめた。
「黒乃〜、ここわからない〜」
「どれどれ? 『a+b=cを満たす、互いに素な自然数の組a,b,cに対し、積abcの互いに異なる素因数の積をdと表す。このとき、任意のε>0に対して、c>d1+εを満たす組a,b,cは高々有限個しか存在しないであろうか?(Wikipediaから引用)』 あれ? なんだろう、ご主人様の頭がおかしくなったのかな? なにを言っているのかがわからない。あと最後は哲学的な問いかけで終わっているんだが」
「紅子ちゃん! 別の宿題をしましょう!」
紅子は漢字、英単語の書き取り、算数の問題をひたすら解いていった。このレベルであれば紅子には容易いことだ。黒乃の出る幕はない。
黒乃は自分の作業をしながら紅子の奮闘を見守った。
「黒乃〜、メル子〜、かぞくのにがおえ、かく〜」紅子は画用紙を床に広げ、その上に色とりどりのクレヨンをぶちまけた。
「お、図工の宿題ね」
「私達を描いてくれるのですか!?」
メル子はウキウキ顔で黒乃の横に並んだ。黒乃はメル子の腰を掴んで引き寄せた。
「ぎゃあ! お乳を触りましたね!」
「動かないで! 今はモデルなんだから!」
「かく〜」
少女はご主人様とメイドロボをじっと見つめた。真剣な眼差しに思わず緊張感が走る。クレヨンを握りしめ、純白のキャンバスに色彩の雨を降らせた。
「絵はデジタルじゃなくてアナログなんだな」
「この時代とはいえ、そういうのも必要ですよ」
絵は大好きなのか、驚くべき集中力で瞬く間に作品を仕上げた。
「できた〜」
「おおー!」
「すごいです! 見せてください!」
紅子は自慢げに画用紙を掲げた。笑顔でそれを覗き込む二人。丸メガネがはみ出した顔とケツだけの宇宙人と、お乳の上に黄色いなにかが乗ったクリーチャーが描かれていた。
「えっと、すごく特徴を捉えているな」
「色彩感覚が常人離れしています! 常識に囚われない自由なパッションを感じます!」
一通り褒めたので紅子はご満悦のようだ。
「でもよかった。ちゃんと小一らしい部分もあった」
「得手不得手がありますから」
続いて、作文の宿題に取り掛かった。ここが一番苦労している部分のようだ。小学生にとって、四百字詰の原稿用紙は地獄の大釜に等しい。
「ほほう、家族の作文か。この場合の家族ってのは私になるのかな」
「黒乃とメル子のことかいてる〜」
「はっはっは、そりゃ嬉しいね」
「完成したら読ませてください!」
紅子は苦悶の表情でデジタルペンを走らせた。
家族のことを書く。それは父を失った紅子にとって、つらいことなのではなかろうか。本当の親である隅田川博士はもういないのだ。
初めは快調だったものの、徐々に筆の動きが鈍ってきた。顔も青い。床にうつ伏せになったまま動かなくなってしまった。
「……休憩しよっか」
「紅子ちゃん、お夕食を食べていってください」
「たべる〜」
三人で仲良く食卓を囲んだ。それは傍から見れば家族にしか見えない光景であった。
夕食後も執筆に取り組み、いよいよ作文が完成した。
鼻息を荒くしてノートを差し出す紅子。メル子は喜んでそれを手に取った。
「読みます! わたしのおかあさんは、まるめがねのおかあさんです。せがとてもたかくて、ケツがでかいです。もうひとりのママはメイドロボです。とてもおちちがでかくて、きれいです」
「あれ? 紅子の中では私もメル子も母なのか」
「黒乃がおかあさんで、メル子がママ〜」
メル子は作文を読み進めた。
「おかあさんとママは、とてもなかがよくて、いつもいちゃいちゃしています。ときどき、きょだいロボにのってたたかったりします」
「そういえば、紅子とは巨大ロボで何回か戦ったよなあ」
「ギガントニャンボットと、ジャイアントモンゲッタですね!」
メル子はページをめくった。
「もうひとりのママは黒いメイドロボです。おちちはちいさいです。いつもごはんをつくってくれます。おいしかったです」
「そうかそうか、黒メル子が作ってくれているのか」
「母が三人もいますよ!」
さらにページをめくった。
「ペットのモンゲッタはとてもかわいいです。そらをとべます。ペットのはかせはいつもへんなものを、つくっています」
「ニコラ・テス乱太郎はペット扱いなのか……」
「変態だからしょうがないですね」
その時、小汚い部屋に謎の声が響き渡った。
『こら〜、だれがペットなのかね〜』
部屋が小刻みに振動し、床下からバチバチという放電の音が聞こえてきた。
「うわ!? なになに!?」
「また変態博士の登場ですか!?」
下の階から叫び声が聞こえてきた。
『ベッドが二つに割れましたのー!』
『また変態博士の登場ですのー!』
『そうはさせませんわよー!』
『お嬢様ー! そちらからベッドを押してくださいましー!』
『こら〜、出口を塞ぐのをやめたまえ〜』
大騒ぎの後、しばらくすると静けさが戻ってきた。
「……」
「……先を読みますね。おかあさんとママは、いつもたのしそうにしています。いつもぼうけんをしたり、せかいをすくったりしています。すごいです」
「紅子……」
「おかあさんはあしがくさいです。ママはいいにおいがします。おかあさんはケツがでかいです。ママはおちちがでかいです」
「紅子……」
メル子はページをめくった。最後のページに目を通すと、プルプルと震えて涙を一筋流した。
「あれ、メル子、どうしたの? どれ、読ませて」
黒乃はデジタルノートを受け取るとそれを読み上げた。
「おとうさんが、いなくなってしまったので、とてもさびしいです。でもおかあさんも、ママも、黒いママも、ペットも、へんたいもいるので、さびしくないです。みんなみんなだいすきです。おわり」
黒乃も肩をプルプルと震わせて涙をこぼした。
「うぉおおお! 紅子ー!」
「紅子ちゃん!」
黒乃とメル子は娘を左右から挟み込んだ。涙が少女の癖っ毛の上に滴った。ぎゅうぎゅうとおしくらまんじゅうにされた紅子は、温もりという安心感に包まれた。
『私も輪の中に入れてくれたまえよ〜』
『また来ましたのー!』
『引っ込みやがれですのー!』
愛に溢れた上の部屋と、変態と戦う下の部屋。今日もボロアパートは愉快なワンダーランドだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます