第275話 お見舞いにいきます! その二
「ピピピッ、ピピピッ」
メイドロボの口から発せられるアラームで二人は目を覚ました。ボロアパートの小汚い部屋の天井はいつもと変わらない。しかし今はそれが無性に懐かしい。
「ピピピッ、ピピピッ」
「メル子〜」
黒乃は布団の中からアラームを発し続けるメイドロボの名を呼んだ。
「メル子〜」
「なんでしょうか、ピピピッ」
「アラーム止めて〜」
「ピプッ、忘れていました」
二人は布団の中で天井を見上げた。
「メル子〜」
「なんでしょうか」
「どうして起きないの〜、朝だよ〜」
連休明けの朝。これほど布団から出たくない瞬間があるだろうか。メル子のキッチンカー、チャーリー号による旅。浅草から鹿児島までの遥かな道のりは、二人の体に存分に疲労の二文字を刻み込んだ。
メル子は体をくねらせて布団から抜け出した。カーテンを開き、外を眺めた。
「雨か……」
「雨ですね……」
部屋の陰鬱さに拍車をかけるように雨音が届いてきた。黒乃も重いケツを上げるとメル子と並んで窓の外を眺めた。
「今日からお仕事……」
「頑張ってください……」
——ゲームスタジオ・クロノスの事務所。
浅草寺から数本外れた路地に佇む古民家は、雨に打たれて古めかしさをより際立たせていた。
「やあ、みんなおはよう」
「黒ノ木シャチョー! オハヨウゴザイマス!」
真っ先に挨拶を返したのは見た目メカメカしいロボット、FORT蘭丸だ。頭の発光素子を明滅させてキーボードを叩いている。
「……よう」
「なんて?」
「……クロ社長、おはよう」
「はい、おはようさん」
デスクに突っ伏しているのは青いロングヘアが可愛らしい子供型ロボットの影山フォトンだ。ダボダボのニッカポッカにダボダボのパーカーがペンキで汚れ放題だ。
「フォト子ちゃん、おはようございます」
「……メル子ちゃん、おはよう」
「連休中はなにをしていましたか?」
「……先生と修行にいってた」
「修行ですか!?」
黒乃は席に着いた。しかしいつもは一番早く埋まるはずの正面の席が空になっている。
「あれ? 今日は桃ノ木さん遅いね」
「シャチョー! 既に桃ノ木サンから連絡がきていマス!」
黒乃はモニタを起動させ、桃ノ木からのメッセージを確認した。
『体調不良のためしばらく休みます』
「うーむ……」
黒乃は神妙な顔でメッセージを眺めた。今まで桃ノ木が仕事を休んだという記憶がない。黒乃が上京して明くる年には、桃ノ木が入社をしてきた。黒乃の下で仕事をするようになり、すぐになくてはならない存在になった。
どんな時でも冷静沈着に仕事をこなすその姿に、一種のヒーロー的な像を重ねていた。
「シャチョー! 実は連休中に取引先とスッタモンダありまシテ!」
「え!?」
「桃ノ木サンが一人で対応していたんデス!」
話を聞くと契約と金銭に関する問題のようであった。その部分は桃ノ木に一任をしていたので、黒乃の耳に届いてくることはいくらかの報告書だけであった。
とりあえずその問題は方が付いたものの、無理が祟ってしまったようだ。
「……モモちゃん、大丈夫かな?」
フォトンはデジタルペンを指で器用に回転させながらつぶやいた。桃ノ木は一人暮らしである。誰か世話をしてくれる人はいるのであろうか?
「うーむ……お昼食べたら様子を見にいってみるか」
いつもより静かな事務所の中に雨音だけが反響を繰り返した。
メル子が作った昼食を食べた後、黒乃とメル子は桃ノ木宅へと向かった。雨は強まり、地面から跳ね上がる雨水が裾を濡らした。
浅草の事務所から上野方面へしばらく歩けば、桃ノ木が住んでいるマンションに到着だ。国道沿いの雑居ビルが並んだ一角。築年数は古いが、それなりに清潔なビルである。
二人はビル入り口のセキュリティを通り抜けると、エレベーターで桃ノ木の部屋の階まで上った。エレベーターを降りるとすぐに桃ノ木の部屋がわかった。本人が扉から顔を覗かせていたからだ。
「先輩、こんな姿で申し訳ありません」
桃ノ木は寝巻きのままで床に正座をしていた。それを見た黒乃は慌てて桃ノ木をベッドに寝かせた。
「いいからいいから。ほら、病人なんだから寝ててよ」
「はい……」
一人暮らしの小さい部屋だ。よく整理整頓されてはいるが、ずっと寝込んでいたからであろう、床には埃が積もり服が散らばっていた。
「桃ノ木さん、お具合はいかがですか?」
桃ノ木の話では、取引先の会社で風邪をうつされたのだそうだ。それ自体は病院の薬ですぐに症状はおさまったのだが、元々の疲労により急激に体力を奪われてしまったのだった。
「どうして連絡をくれなかったのさ」
「先輩達がキッチンカーで旅をしていると聞いて……邪魔をしたくありませんでしたので」
桃ノ木は黒乃達が旅をしている間、ずっと一人で問題の対処にあたっていたようだ。
「桃ノ木さんは頑張りすぎだよ。それにしても連休中なのに仕事をふってくるとは、取引先に抗議せなあかんな」
黒乃は珍しく怒っている。この時代、労働時間は厳しく管理されている。社長への断りなしに所定外の労働を要求することは御法度のはずだ。
桃ノ木は腕を組んで怒る黒乃の顔を見つめた。その丸メガネに反射した自分の顔はやや頬がこけて見えた。
「そうだ、桃ノ木さん。ご飯はどうしてたの? ずっと寝てたんでしょ?」
「インスタントとか、デリバリーで済ませていました」
シンクを見れば、それらの痕跡がありありと残っていた。
「そりゃいかん。よし! 私が桃ノ木さんにご飯を作ってあげよう!」
「先輩がですか?」
「ご主人様! ご飯なら私が作りますよ!」
しかし黒乃は鼻息を荒くして立ち上がった。そのまま近くのスーパーマーケットへと飛び出していってしまった。残されたメル子と桃ノ木はぽかんとそれを見送った。
その間、メル子は部屋の掃除を始めた。空気が悪ければ体にも悪い。メイドとしての本領発揮だ。
「メル子ちゃん、ありがとう」
「いえいえ、メイドロボですから!」
しかし、元々充分に整理されておりそんなに広くはない部屋だ。仕事はあっという間に片付いてしまった。
メル子は床に正座をして、ベッドの上の桃ノ木を見つめた。桃ノ木は天井を見つめている。
「……桃ノ木さん、ご主人様とはいつ知り合ったのでしょうか?」
桃ノ木は一瞬考えて答えた。「前の会社っていう答えじゃだめ?」
「もっと前からご主人様を知っているのではないでしょうか。例えば学生の頃から」
桃ノ木は棚に飾ってあるポートレートを見た。その写真には学生服を着た無表情の黒乃と、もう一人の女性が写っていた。
「あら、写真片付けるのを忘れていたわ。それを見たのね」
「はい」
黒乃の隣に写っている無表情の女性。それは桃ノ木だった。今とは似ても似つかない地味な姿。黒乃と同じ丸メガネにおさげだ。
「先輩とは同じ高校だったのよ」
「やはりそうでしたか……」
黒乃は高校時代の話をほとんどしない。メイドロボを購入するためのバイト三昧の日々で、ほとんど記憶に残っていないからだそうだ。しかしメル子は知りたかった。
「先輩はすごくモテて。なぜだかはわからないけど」
「背が高いからですね」
「私も先輩に憧れていたの。なぜだかはわからないけど」
「背が高いからではないですか?」
桃ノ木は学生時代、とても地味な存在であった。丸メガネにおさげ。性格もおとなしく、圧倒的に目立たない子。成績は優秀でクラス委員長を務めていたりもしたが、誰も彼女を気にかける者はいなかった。空気のような存在だった。
「そんな時、先輩と出会ったの。学園祭の委員会でしばらく先輩と一緒に仕事をして。先輩は覚えていないでしょうけど」
ポートレートはその時に撮ったものだ。
「先輩と出会った時、すごく大きな人に見えたの」
「実際背が高いですからね」
「それになんか落ち着く匂いがして」
「足の裏の匂いですね。バイト三昧の日々でしたので」
桃ノ木は黒乃に一目惚れをしてしまったのだ。丸メガネにおさげ。自分と同じ。しかし自分にはない、人を惹きつけるなにかを持っていたのだ。
「背の高さですね」
「先輩と出会ってから、自分の丸メガネとおさげが急に恥ずかしくなってしまって」
「まあ常識的に考えて、ご主人様以外に丸メガネおさげが似合う人なんているわけがないですからね」
「いつか丸メガネとおさげが似合う女性になるために、今は封印することにしたの」
「ずっと封印するのが正解ですよ」
黒乃との出会い。それは桃ノ木にとっての原風景。心の奥底にいつまでも光り続ける、かけがえのない自分だけの神話。
疲労と安心感が押し寄せ、桃ノ木はいつの間にか眠りに落ちていった。
目を覚ました頃には黒乃がキッチンでなにかを煮込んでいた。
「先輩……」
「お、起きた? 今ステーキ粥作ってるからね」
部屋は香ばしさで満たされていた。肉の焼ける匂いとお粥のおこげの匂いだ。
「さあさ、できたよ」
メル子は桃ノ木の体を起こした。膝の上に鍋が乗ったお盆を乗せた。
「さあ、桃ノ木さん。黒ノ木家特製ステーキ粥だよ。うちでは病気の時はいつもこれだから。これを食べれば一発で元気になるよ」
「先輩、いただきます」
桃ノ木は恐る恐るステーキ粥を口に運んだ。
「美味しいです」
「でしょう? たくさん食べてね。あれ?」
黒乃はふと棚のポートレートに目をやった。それを手にとるとまじまじと眺めた。
「この子、学園祭の時の子じゃん。なんで私とこの子の写真があるの?」
「ご主人様! 覚えていたのですか!?」
「覚えているよ。丸メガネにおさげっていうとんでもない姿の子だったから。声が小さくておとなしくてね。名前はたしかポコノ木さんだったかな。元気にしてるかなあ」
「元気ではないと思いますよ……」メル子は真っ青になってプルプルと震えた。自分のご主人様がここまで鈍感だったことに衝撃をうけた。
「うふふ」
桃ノ木は笑い出した。涙が溢れるほどに笑った。思い出の中の美しい光景は自分だけのものではなかったのだ。
「どしたの?」
「先輩。元気になったらまたバリバリ働きますから。よろしくお願いします」
「ああ、うん。よろしくね。でも無理はしないでね」
「はい!」
桃ノ木は胃もたれするまでステーキ粥をがっついた。雨はいつの間にか止んでいた。
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