第274話 キッチンカーです! その八

 戦いの後の静けさ。

 二台のキッチンカーの前からは客が消え、頬を上気させて博多の夜を楽しむ通行人が目の前を行き交うだけとなった。

 寸胴に残った最後の一杯は、健闘を讃えるための贈り物だ。


「やあ、マリー。食べないかい?」

「ご主人様、渾身のラーメンですよ!」

「こちらの最後の一杯もお召し上がりくださいましな」


 図らずもお互いの自信作を交換することとなった。お嬢様号のカウンターに座り、空になった胃に麺を流し込んだ。


「うまうまですわー!」

「お嬢様ー! わたくしにもくださいましー!」


 黒乃とマリーのラーメン対決。もはやどちらが勝ったのか負けたのかすらわからない。確かなことは、今二人の寸胴は空になっているということだ。


「いつも食べているメル子の料理の味がしますのー!」

「ふふふ、気がついたかい」


 黒乃のラーメン『博多明太カルボつけ麺』は、徹底的に炊いた黒乃のトンコツスープと、メル子の得意料理カルボナーダのダブルスープなのである。黒乃とメル子が二人で作り上げた料理なのだ。


「このコンポタラーメンもアン子の料理の味がするよ」

「当然ですわー! おコンポタはアンテロッテの得意料理ですわー!」

「世界一のおコンポタですわー!」

「「オーホホホホ!」」


 一行はラーメンを食べ終え、キッチンカーの後片付けに入った。


「よう、黒乃ちゃん、メル子ちゃん。今日で最後だな」


 隣のおでん屋台から声をかけてきたのはキッチン四郎だ。


「あ、キッチン四郎さん。ほんとお世話になりました、えへえへ」

「おかげさまで、なんとか営業できました! ありがとうございます!」


 二人は深々と頭を下げた。営業許可を貰ったのは三日間だけだ。本日でご主人様ラーメンは店じまいとなる。


 すっかり片付けを終えた二人は夜空を見上げた。光り輝く星達。彼らが地上を見下ろせば、同じく光り輝く光景を目にするだろう。


「結局メル子に助けられちゃったな」


 メル子はぽつりと漏らす黒乃の顔を見上げた。


「ご主人様を助けるのがメイドのお仕事ですから」

「うん」


 黒乃は嬉しいような寂しいような表情でメル子を抱き寄せ、その金髪を撫でた。


「ニャー」


 すると、足元に大きなグレーのロボット猫が現れた。その隣には真っ白い小さな生猫が寄り添っていた。


「お、チャーリー」

「チャーリー、どこにいっていましたか」


「ニャー」チャーリーは二人を見つめ、一声鳴いた。しかしその言葉は黒乃には届かない。


「チャーリー、お前の言葉はわからないけど、お前がなにを言おうとしているのかはわかるよ」

「え? ご主人様?」


 黒乃はチャーリーを両手で掴んで抱き上げた。


「お前、ここに残るつもりだな」

「え!?」


 チャーリーは黒乃の腕から飛び降りた。白猫と頬を合わせると二匹並んで歩き出した。


「チャーリー!」メル子はロボット猫の名を呼んだ。

 一瞬立ち止まり、一度だけ振り向くとそのまま博多の灯りの届かない場所へと消えていった。


「チャーリー……幸せになってください」


 メイドロボはご主人様の胸に頭を預けて一粒涙をこぼした。



 翌朝、メル子のキッチンカーは熊本を目指して走っていた。


「さあ、ここからはひたすら九州を楽しもう!」

「はい!」


 キッチンカーでの営業は昨日で全て終了した。ここからは観光の旅だ。五月の連休も残りわずか。悔いの残らないように楽しむことを決意した。


「まずは久留米くるめ!」

「久留米ラーメンですね!」


 博多から久留米まではたったの一時間だ。


 

 福岡県久留米市。畑の中を突っ切る国道沿いに、突如として現れる不相応に大きなラーメン屋。店の外からでもわかる強烈なトンコツの香りが二人を酔わせた。


「これが久留米ラーメン!」

「すごい匂いです!」


 久留米ラーメンの特徴は博多ラーメンよりもさらに濃厚なスープだ。継ぎ足して作られるそのスープは、ともすれば『くさい』と評されるほどの圧倒的濃度を誇る。


「ぐわああ! く、くさい! けど美味しい!」

「私の分析によりますと、旨み成分が通常のスープと比べて2.8倍はあります!」


 二人はトンコツの匂いをぷんぷんさせて店をでた。


「次は熊本!」

「熊本ラーメンですね!」


 キッチンカーはさらに南下した。



 熊本県熊本市中央区。加藤清正が改築した熊本城を見上げながらやってきたのは、またもラーメン屋だ。


「これが熊本ラーメン!」

「スープに黒い液体が浮いています!」


 熊本ラーメンは久留米ラーメンから派生したもので、鶏ガラを加えて出汁をとる。トンコツ臭さは極力抑えられ、マー油によって香りやコクを出している。マー油とはにんにくなどの香味野菜をラードで揚げて作った香味油である。


「マー油が最高のアクセントになってるな。食べやすい!」

「生のキャベツがバツグンに合います!」



 さらに南下しやってきたのは鹿児島県だ。九州の北端福岡から南端鹿児島まで、一日で走り通してしまったわけだ。赤いキッチンカーは夕日を受けて走っていた。


「やってきたでごわす、鹿児島! ちぇすとー!!!」

「うるさっ! いきなり叫ばないでください!」

「ちぇすとでごわす!!!」


 大騒ぎの車内であったが、窓から差し込む夕日に照らされていると寂しい気持ちが湧き上がってきた。


「キッチンカーの旅もいよいよ終わりですね」

「そうだね」

「楽しい連休でした」

「うん」


 メル子は運転をしながら少し声を震わせた。


「ご主人様、このキッチンカーに名前をつけたいのですが」

「名前? お嬢様号みたいなやつ?」

「そうです」


 黒乃は流れゆく景色を眺めて考えた。


「メル子号でいいんじゃない?」

「いえ、実はもう決めていまして」


 夕日に照らされたメル子の赤い横顔は、憂いと慈しみを備えていた。


「ほう? メル子のキッチンカーなんだからメル子が決めていいよ」

「はい……チャーリー号にしようと思います」


 去ってしまったチャーリー。二度と会えないかもしれないチャーリー。その太々しい顔を忘れないように……。


「いいね。チャーリー号にしよう」

「はい!」

「よし、チャーリー号進め! 目指すは志布志しぶし港だ!」


 チャーリー号は赤い夕日を受け、赤い車体をさらに深紅に染めて南へ走った。



 辺りが暗くなった頃、チャーリー号は港に到着した。二人が志布志港にやってきたのはフェリーに乗るためだ。連日の営業と運転による疲れ。この状態で浅草まで走る気力はなかった。


 既に港には大きなフェリーが停泊していた。ターミナルで料金を支払い、車ごと桟橋へと進む。係員の指示に従い、船体後部のランプウェイを通り船内に侵入した。


「おっとっと、結構揺れるな」

「あれ? ご主人様、なにか後ろで物音がしましたが」

「寸胴が倒れたか?」


 乗船を済ませしばらくすると、いよいよフェリーが動き出した。全長二百メートルの巨大な船体が、ゆっくりと大海原へと進む。二人は甲板に立ち、離れゆく九州の地を眺めた。


「さらばチャーリー」

「チャーリー、あなたのことはずっと忘れません」

「ニャー」


 黒乃とメル子は顔を見合わせた。


「今、チャーリーの声がしなかった?」

「チャーリーは博多で新しい生活をするのですから、そんなわけがありませんよ」

「ニャー」


 足元を見るとそこには大きなグレーのロボット猫が立っていた。


「チャーリー!?」

「チャーリー! どうしてここに!?」


 黒乃はチャーリーを持ち上げた。チャーリーの右頬が大きく腫れ上がっている。


「ニャー」

「あれ? 言葉がわかるぞ。ふんふん、なになに? 博多で白猫と仲良く暮らそうと思ったら、突然でかい黒猫が現れた? 白猫を巡ってその黒猫と決闘をした? 一瞬でボコられたからやっぱり浅草に帰ることにした? ズコー!」

「ズコーです!」


 二人は甲板の上に仰向けにひっくり返り、プルプルと震えた。


「まったく、お前というやつは!」

「チャーリー、どんまいですよ! また浅草で新しい子を見つけましょう!」

「ニャー」


 二人はロボット猫を力一杯抱きしめた。とめどなく涙を流すロボット猫。

 黒乃、メル子、チャーリー、チャーリー号。みんなで仲良く浅草へ帰るのだ。浅草は彼女達の帰る場所なのだから。





「オーホホホホ! そんな遅い船でお帰りですのー!?」

「オーホホホホ! お嬢様専用クルーザー『お嬢様二号』なら一瞬で浅草ですわよー!」

「「オーホホホホ!」」


 巨大なフェリーのすぐ側を豪華なクルーザーが並走していた。黒乃達はそのクルーザーを甲板から興味なさそうに眺めた。


「なんだろあのクルーザー。こんなに近寄ってきて……危ないな」

「邪魔ですね……」

「ニャー」

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