第273話 キッチンカーです! その七
その日の営業を終えた深夜。黒乃とメル子は作戦会議を開いていた。
ここはキッチン四郎の調理場。目の前のコンロの上には、ほとんど売れ残ったスープが入った寸胴が置かれていた。お嬢様とのラーメン対決の惨敗の証だ。
メル子はそのスープをお玉ですくい、小皿に移して一口飲んだ。
「どう?」
「美味しいです」
ゲンコツを徹底的に炊いたので、しっかりと出汁はとれている。塩ダレは前々から研究していた自信作だ。麺もよく吟味した。
なぜこのラーメンは博多の人に受け入れられなかったのだろうか?
「ご主人様」
「うん」
「まず大前提として言いますが、ご主人様は料理の素人です。そこから考えなくてはいけません」
スパッと切り込んでくるメル子の言葉に黒乃は少し狼狽えた。しかし現実は受け入れなくてはならない。
「その素人が突然博多で屋台をやろうとして、成功できるでしょうか?」
「うーむ……」
実は黒乃はまったくの素人というわけではない。学生時代、メイドロボの購入資金を貯めるため、バイト三昧だった日々。そのバイトの中には飲食店も含まれていた。回転寿司屋でバイトをしていたので寿司は握れるし、なんだったらラーメン屋でバイトをしたこともある。
メル子が仲見世通りで出店を始めてからは、ずっとその様子を手伝いながら見てきた。自分で料理を考案したこともある。
しかしメル子のいうプロの料理人とはそういうことではないのであろう。ましてや博多の屋台街は激戦区。ぽっと出の素人が入り込む隙間はないとメル子は言っているのだ。
黒乃はうつむいてぽろりと漏らした。
「やっぱり無理なのかなあ……」
「いいえ、そうは思いません」
顔を上げるとそこには自信に満ちたメル子の顔があった。
「博多の屋台の方達、皆さんプロの料理人だったのでしょうか? 多くはそうでしょう。しかし中には素人が一念発起して始めた屋台だってあるはずです」
「まあ、確かに」
「ですので、今回のご主人様の失敗はプロとか素人とかとは別の次元に原因があるということです」
「いやでも、前提として素人だからってところから話が始まったじゃんよ」
「お黙りなさい!」
メル子は掌で机を叩いた。その風圧で黒乃は吹っ飛んだ。
「ヒェッ、なになに驚かさないでよ」
「いいですか、ご主人様。ご主人様のラーメンはそれなりに美味しいです。ですが当然ずっと博多で営業している老舗のラーメンには勝てません」
「まあ、そうかも」
「どうしてご主人様は典型的な博多ラーメンで勝負をしようと思ったのですか?」
黒乃は寸胴を見つめて考えた。スープからはトンコツらしいワイルドな香りが漂い出ている。
「博多の人達には伝統的な博多ラーメンじゃないと受け入れてもらえないと思ってさ」
博多といえば博多ラーメンが真っ先に思いつくほど、博多ラーメンは地元に根付いている。福岡はトンコツラーメン発祥の地なのだ。
「確かに福岡ではラーメン=トンコツと言い切る人もいます。ですので伝統的な博多ラーメンで攻めるのは間違ってはいないと思います」
「でしょう?」
「しかし、決して伝統的でないから受け入れられないというわけではないのです。お嬢様のラーメンを思い出してください」
黒乃は夕方食べたお嬢様のラーメンを思い出した。コーンポタージュとトンコツスープを合わせたまったく新しいラーメン。
「みんな、笑顔で美味しそうに食べていた!」
「そうです。お二人のド派手なビジュアルも多分に影響はしたでしょう。しかしこれは根本的なところで博多の屋台街では起こり得ることなのです」
「どういうこと?」
メル子は立ち上がった。拳を握りしめて力説をする。
「屋台街のレパートリーを思い出してみてください。伝統的なラーメンやおでんはもちろん、外国人の方が運営するイタリアンやフレンチの店まであるのですよ? 根本的に屋台街はあらゆるものを受け入れる、
メル子は再び掌で机を叩いた。黒乃はまたも風圧で吹っ飛ばされた。
「ですのでご主人様も伝統に囚われずに、ご主人様らしい発想で勝負をすればいいのです! 素人は素人らしく! 当たって砕けてください!」
黒乃は地面に転がってプルプルと震えながらメル子を見上げた。
——夕方。
黒乃のキッチンカーが屋台街に颯爽と現れた。既にマリーとアンテロッテのキッチントレーラー『お嬢様号』はスタンバイ済みであった。
その隣に車を停め、すぐさま営業の準備に入る。
「オーホホホホ! 今日は遅いお着きですのねー!」
「オーホホホホ! 怖じけて逃げ出したかと思いましたわー!」
営業の時間を待つばかりのお嬢様たちが茶々を入れにきた。
「ふふふ、昨日までの私と思うなよ。今日は根こそぎお客さんを奪ってやるから、覚悟しておきなよ!」
「望むところですわー!」
昨日と同じように販売面の扉とカウンターを上げ、スツールを並べた。コンロに火を灯して寸胴を温める。
既に屋台街は人でいっぱいだ。先日のお嬢様ラーメンの噂を聞きつけてやってきた人達もいる。皆営業の開始を今か今かと待ち侘びている。
そしてその時はきた。全ての屋台が一斉に店を開いた。
「ご主人様ラーメン、オープンでーい!」
「お嬢様ラーメン、オープンですわー!」
客が一斉に動き出した。当然の如く、真っ先に行列ができたのはお嬢様のトレーラーだ。先日のコンポタラーメンは多いに屋台街を賑わせた。
一方黒乃のキッチンカーの前には誰も客はこない。
「ご主人様!」
「大丈夫、焦らないで」
開店三十分が経過したがまだ客はこない。メル子も必死に車内から呼び込みを行うが、初日の失敗の印象は思ったよりも大きいようだ。
「女将、この店のラーメンは本物か?」
人々の海を割るようにして現れたのは、着物を着た恰幅の良い初老のロボットであった。黒乃の天敵、美食ロボである。その後ろには、いかにもどこかのお偉いさんといった中年男性が二人控えていた。
「きたな美食ロボ!」
「女将、ここで一番うまいと思うラーメンを出してみろ」
「先生!? このような屋台でお食事をなさるのですか!?」
「こんなところでなくても高級料亭を予約してありますが!?」
「構わん、キャンセルしろ」
「は、はいィ!」
黒乃は麺をテボに放り込んだ。
美食ロボ達三人はカウンターに並んで座った。突然の美食の大家の登場にざわめきが起きた。道をいく人々は足を止め遠巻きに黒乃の屋台を眺めた。
「へい! お待ち!」
「お待たせしました!」
次々に丼がカウンターに並べられていった。プチメル子が自分の体よりも大きなレンゲをスープに刺していく。
「博多明太カルボつけ麺でーい!」
「なんだこれは!? スープが赤い!」
「麺が液体に浸かっているぞ!?」
「むう?
丼は二つある。片方が麺が入った丼で、透明な液体に浸かっている。丼はひんやりと冷たい。もう片方はスープの丼だ。見るからにドロドロとしたスープで赤い粒々で覆われている。
「いったいなんなんだこのラーメンは!?」
「君ィ! 説明したまえ!」
「まあまあ、説明する前にまずはオンリー麺すすりからお願いしますよ」
混乱する三人は箸で麺を持ち上げた。とろりとした粘液でコーティングされた美しく輝く細麺が現れた。それをそのまま勢いよくすすった。
「むう……!」
「うまい! 麺だけなのにほのかな味わいを感じる!」
「これはコンブ出汁に浸かっているのか! しかしそれだけではない。これはアゴ出汁だな!」
アゴとはトビウオを乾燥させたものだ。九州では古くからある食材で、出汁をとるのに使われる。
「なるほど、アゴコンブ水に浸けることで麺が伸びないようにしているのか!」
「最近流行りのコンブ水つけ麺からヒントを得ました!」
博多ラーメンは細麺を使用するため、麺が伸びやすい。だからその都度麺を茹でる替え玉というシステムがあるのだ。アゴコンブ水ならば冷やしてあるため麺が伸びない。
「ではスープもいただくとしよう」
美食ロボはアゴコンブ水でコーティングされた麺をスープに浸した。そして勢いよくすすった。
「これは? 黒郎!」
「先生、これは明太子です! スープの表面に明太子の層ができています!」
「麺に明太子が絡みついて、プチプチとした舌触りが愉快だ! それにこの不思議な味わいは!?」
「それはトンコツカルボナーダスープです!」
カルボナーダとはアルゼンチンのトマトベースのシチューだ。それとトンコツスープのダブルスープになっているのだ。
「カルボナーダはメル子の得意料理です! トマトベースのスープは伝説の麺料理屋『robot ism』の『ロッソ』から着想を得ています!」
さらにスープの表面には博多明太子がこれでもかとまぶされている。麺がスープの中に潜り込むと、ドロドロになるまで煮込んだカルボナーダとトンコツがまとわりつき、麺を引き揚げると明太子が絡みつく。全てが一体となって喉を通り抜けるのだ。
「うまい! ドロドロスープと細麺のおかげでこれでもかとスープが吸い上げられている! 粘度が高い熱々のスープだから、冷たい麺をつけても冷めないぞ!」
「ピリ辛明太子! トンコツスープ! アゴ出汁! これは博多っ子が好きなものばかりだ! そこにアルゼンチンスープの独特な風味が加わり、まったく新しいものに仕上がっている!」
三人は一心不乱に麺をすすった。それを見ていた観客達はゴクリと喉を鳴らした。
「黒郎、見ろ! スープがこんなに残ってしまったではないか!」
「そういう時はこれでーい!」
黒乃はスープの丼に柔めに炊いたご飯を投入した。さらに上から熱々のアゴコンブ出汁をぶっかけた。
「博多っ子大好き、雑炊でーい!」
「なるほど! 締めの雑炊というわけか!」
「これは考えたな!」
三人は雑炊まで完食すると満足げにキッチンカーを去っていった。もちろん無銭飲食だ。
遠巻きに見ていた通行人達がキッチンカーに殺到した。美食ロボを追いかける暇もなくなった。黒乃とメル子は汗を流して調理を続けた。
「黒郎、ようやく大事なことに気がついたようだな。フハハハ、フハハハハハハ!」
美食ロボの低い笑い声が、福岡の屋台の喧騒に紛れて消えていった。
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