第272話 キッチンカーです! その六

 深夜、メル子は屋台街での営業を終えて、キッチン四郎の調理場へと戻ってきた。営業で疲れたのか、プチ黒とプチメル子はメル子の掌の上で眠りに落ちていた。

 小さな灯りと独特な香りで、黒乃がまだ作業しているのが部屋の外からでもわかった。そっと扉を開けて中の様子を伺った。


「ご主人様……大丈夫ですか」


 声を落として背後から声をかけた。黒乃は寸胴の前の椅子に座ったまま微動だにしない。


「メル子……おかえり」


 ぐつぐつと煮えたぎる寸胴からは強烈なトンコツスープの香りが溢れていた。それを真剣な眼差しで見つめている。


「営業はどうだった?」

「はい……盛況でした。福岡の方達はとても明るくて良い方ばかりでした」

「それはよかった」


 黒乃は鍋から目を離さずにメル子と会話をした。


「明日はご主人様がキッチンカーでラーメンを出すからね。メル子は明日はのんびりしててよ」

「はい……」


 結局黒乃は寸胴とにらめっこをしたまま一晩明かした。



 ——翌朝。

 メル子が作った軽い朝食の後、スーパーロボ銭湯に向かった。体を綺麗さっぱり洗い流すと猛烈な眠気が襲いかかってきた。営業は夕方からだ、充分に休む時間はある。そのまま銭湯の仮眠所で眠ることにした。

 大部屋に並べられたリクライニングチェアに横になり、黒乃は大いびきをかいて眠りに落ちた。メル子はしばらくそのおでこを撫でてから自分も隣の椅子に横になった。


 昼過ぎに目を覚まし、銭湯のお食事処で博多うどんを食べたらいよいよ最後の仕込みだ。調理場へと戻り、営業の準備に入る。


「ふうふう、お店で料理を出すのってこんなに大変なのか。いつもメル子の後ろで見ていてわかったつもりになっていたけど、実際やるのとでは大違いだな」

「ご主人様! 寸胴は気をつけてくださいよ!」


 巨大な寸胴を二人がかりでキッチンカーに運び入れた。タレが入った壺、ぎっしりとチャーシューの塊が詰まったタッパー、刻みネギなどの具材を冷蔵庫に収める。最後に麺の木箱をシンクの下に設置したら準備は完了だ。


「じゃあメル子、いくよ!」

「はい!」


 二人は勢いよくキッチンカーに飛び乗った。


「……」

「……」

「あの、ご主人様」

「ん?」

「そちらは運転席ですので、どいてください」

「ああ、うん」


 黒乃は自動車免許を持っていなかった。



 赤いキッチンカーは再び天神の屋台街へとやってきた。昨日と同じくキッチン四郎のおでん屋の隣に並べる。


「おう! 黒乃ちゃん。今日はラーメン屋ばやるったい?」

「えへえへ、そうなんです。どうしてもラーメンでチャレンジしたくて」


 早速営業の準備に入った。

 キッチンカーの左側面は上開きの扉になっており、それがそのまま屋根になる。屋根から透明なビニールのシートを垂らして風が入ってこないようにする。販売面のサッシの下には跳ね上げ式のカウンターがあり、ここでラーメンを食べてもらう。キッチン四郎から借りたスツールを並べた。

 コンロに寸胴を置き火にかける。ふつふつとスープが沸き上がってきた。キッチンカーから博多っぽい香りが漂い出た。チャーシューの塊を丁寧に輪切りにする。ネギなどの具材を並べ、いよいよ準備は整った。


「準備完了!」

 

 黒乃は気合いを入れ直した。今日ばかりはプチメル子だけでなく、プチ黒までやる気満々でカウンターの上に立っている。

 黒乃は店の看板を営業中に切り替えた。その時……。


「ん? ええ!? 嘘でしょ!?」

「ご主人様! 大変です!」


 二人はキッチンカーの外に走り出た。そこに見えたものは驚愕の光景であった。


「オーホホホホ! お嬢様ラーメン開店ですわよー!」

「オーホホホホ! 博多の夜に颯爽と登場ですわよー!」


 メル子のキッチンカーの隣にいつの間にか金ピカのキッチントレーラーが停まっていたのであった。営業の準備に夢中で気がつかなかったのだ。

 そしてトレーラーの上にデカデカと掲げられた看板に書かれているのは『お嬢様ラーメン』の文字。


「まさかのラーメン屋台被りなの!?」

「被せるのにもほどがあります!」

「「オーホホホホ!」」


 キッチントレーラーの中で高笑いを炸裂させるお嬢様たち。博多の夜の町の中で一際輝くお星様だ。


「わたくしもオリジナルのラーメンを作ってきたのですわ」

「さすがお嬢様ですの」


 黒乃とメル子はそれを見てプルプルと震えた。


「なるほどなるほど、期せずしてラーメン勝負となったわけか」

「お二人とも! 勝負ということならただではおきませんよ!」

「望むところですわー!」

「お嬢様が負けるわけがござんせんわいなー!」


 日が暮れかけた頃、いよいよ営業が始まった。

 ド派手なキッチンカーの周りには既に人だかりができていた。昨日はメル子が営業をしていたので、そのリピーター達も来ているようだ。


「あれ? 今日は南米料理の屋台やなかと?」

「えへえへ、今日はラーメンなんですよ。食べていってください」

「そうなんや、まあよかばい。カタでくれん?」

「カタ一丁! 毎度あり!」


 黒乃は麺をテボに放り込んだ。しっかりとタイマーで時間を計り、麺を引き上げる。チャッチャと湯を切ってスープの中に落とす。ネギ、キクラゲ、チャーシューを乗せたら完成だ。


「カタお待ち!」

「おお、美味そうやなかと」


 客は美味しそうにズルズルと麺をすすった。その後も数人の客が訪れたが、そこで客足が途絶えてしまった。


「あれ? こんなに人がいるのにな」

「ご主人様! 見てください!」


 メル子はお嬢様号を指差した。そのキッチントレーラーの前には行列が蛇の尾のようにうねっていた。


「オーホホホホ! 大盛況ですわー!」

「さすがお嬢様ですわー!」


 マリーはテキパキと麺を茹で、流れるような動作でラーメンを提供していた。ラーメンを受け取った客は目を輝かせて麺をすすった。その中には子供やお年寄りも含まれていた。


「なんだなんだ? いったいどんなラーメンなんだ?」

「気になります!」

「じゃあ食べてごらんなしゃりませー!」


 アンテロッテが丼を両手に抱えてやってきた。誰もいない黒乃のカウンターにそれを乗せた。


「ええ? 食べていいの!?」

「敵に塩を送るとはこのことですわー!」

「自分で言っています!」


 二人はマリーの丼を覗き込んだ。白濁したスープの中に浮かぶ麺。一見するとよくある博多ラーメンのように見える。


「なんだろこれ。なにか違和感があるな」

「ご主人様! これ普通のトンコツスープではありませんよ!」


 そう言われて黒乃はレンゲでスープをすくおうとした。そこで初めて違和感の正体に気がついた。


「なんだこれ!? スープがドロドロだ!」

「粘度が異様に高いです! そしてこの香りは!?」


 二人は同時にレンゲを口に差し込んだ。


「んん!? これは! コーンポタージュだ!」

「このスープはタレの代わりにコーンポタージュを使っているのです!」


 通常のラーメンは醤油ダレや塩ダレを出汁で割ってスープを作る。黒乃のラーメンも塩ダレを使っている。

 しかしお嬢様のスープはドロドロのコーンポタージュをトンコツ出汁で割っているのだ。


「合う! コーンポタージュとトンコツがすごく合っている!」

「トンコツの臭みが甘さ強めのコンポタでまろやかにまとまっています! これは言わばコンコツラーメン! もしくはトンポタラーメンです!」


 黒乃は具の四角い塊を箸でつまんだ。


「これはコンポタによく入っているクルトンかな?」


 クルトンとはサイコロ状に切ったパンをカリカリに焼き上げたものだ。


「ご主人様! これはクルトンではありません! チャーシューです! サイコロチャーシューです!」

「なんだこのチャーシュー!? クルトンのようにサクサクしてる!」


 歯触りはサクサクだが、噛み締めると中からチャーシューの甘い脂が滲み出てきた。

 二人は夢中になって麺をすすった。気がつくと丼の底が見えていた。黒乃は青い顔で底に書かれた文字を読み上げた。


「『オーホホホホ』だって……」


 

 行列が絶えないお嬢様号。まばらにしか客が来ない黒乃の店。勝負はついていた。黒乃はキッチンカーの中で呆然と立ち尽くした。


「ニャー」


 いつの間にかチャーリーが店の前で寝転んでいた。


「なんだチャーリー、お前いたのか。ラーメン食うか?」

「ニャー」


 チャーリーはぷいとそっぽを向いてしまった。すると茂みの中から真っ白な生猫が現れた。白猫はチャーリーの隣まで来ると体をくっつけて丸まった。


「なんだお前、ガールフレンドができたのか。ずいぶんべっぴんさんの白猫だな」

「ニャー」


 黒乃はキッチンカーから出てきてチャーリーを撫でた。しかし黒乃にはまったく目もくれようとしない。


「チャーリー?」

「ニャー」


 黒乃はふと不安に駆られた。チャーリーを両手で抱き上げてその顔を正面から見た。


「ニャー」

「おいチャーシュー、いやチャーリー。お前言葉はどうした?」

「ご主人様、どうかしましたか?」

「いや、チャーリーが喋らなくなったんだよ。ほら! 黒乃って言ってごらん!」

「ニャー」


 チャーリーは黒乃の頭を爪でひっかくと白猫と一緒にどこかへ走り去ってしまった。


「いでぇ! チャーリー!?」


 黒乃はロボット猫が走り去った方を呆然と眺めた。


「女将、ここは博多ラーメンの店か?」


 突然声をかけられ黒乃は声の主を見上げた。そこに立っていたのは着物を着た恰幅の良い初老のロボットであった。


「美食ロボ!? なんで美食ロボが博多に!?」

「女将、ここで一番うまいと思うラーメンを出してみろ」

「もう、なんなんだよ!?」


 美食ロボとはいえ、客は客だ。カウンターに堂々と座る美食ロボにラーメンを提供した。


「ほら! 博多ラーメンだよ!」


 美食ロボはカウンターに置かれた丼に鋭い視線を投げかけた。


「女将、これは本物の博多ラーメンか?」

「当たり前だよ! 本物だよ!」

「ほほう、では教えてくれ。本物の博多ラーメンとはなんなのだ」

「なにって、ゲンコツを長時間炊いて、白濁スープを作って、麺は極細麺で、それから……」

「ふうむ、ゲンコツか……。そもそもゲンコツとはなんなのだ? ゲンコツで作られているからトンコツラーメンなのか? インドにもトンコツはあるのか? この店の博多ラーメンが本物と言ったからには答えてもらおう。まず第一にゲンコツとはなにか?」


 黒乃は黙り込んでしまった。なぜか答えが出てこない。下を向いて動かなくなってしまった。

 美食ロボは丼を綺麗に平らげると立ち上がった。


黒郎くろろうよ、お前は大事なことを見落としているようだな。フハハ、フハハハハハ!」


 美食ロボは広い背中を見せて去っていった。もちろん無銭飲食であるが、今日ばかりは追いかける気にはならなかった。


「ご主人様……」

「私は……私はいったいなにを作りたかったんだ……」


 メル子は黒乃の背中を撫でた。小刻みな振動と共にご主人様の苦悩が伝わってきた。

 目の前を行き交う人々。その顔は幸せに満ちていた。彼らの顔が遠い世界のもののように見えた。


「ご主人様……もう一度やり直しましょう」

「メル子……」

「今度は私も手伝います。今度こそお嬢様たちに負けない、博多の人達を幸せにするラーメンを作りましょう!」

「……メル子!」


 二人は抱き合って再起を誓った。

 念の為、美食ロボを追いかけてお代は頂戴した。

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