第271話 キッチンカーです! その五

 赤い車体に花柄のラップが施されたキュートなキッチンカーはひたすら西を目指して走っていた。


「これで四国ともお別れか」

「はい。なんとも神秘的な場所でしたね」


 朝日を右頬に浴びながらキッチンカーが走っているのは、瀬戸大橋せとおおはしだ。四国は香川県坂出市と岡山県倉敷市を結ぶ十の橋からなる全長十二キロメートルもの巨大な橋だ。


「さらば四国! もうちょっとゆっくりしていたかった!」

「目指すは九州です!」


 二人は八又産業四国本社内の施設で一晩を過ごした。本来ならばそのまま四国で観光と営業をしたかったのだが、二人には九州に目的があるのだ。


「いよいよ屋台の本場、福岡に乗り込むよ!」

「はい!」

「ニャー」


 瀬戸大橋を渡り終え、ひたすら西に進む。福岡まで八時間の長旅だ。


「いやあ、今日のメル子は一段と綺麗だなあ」


 黒乃は朝日を浴びるメル子を眩しそうに眺めた。


「もちろんです! 昨日のメンテナンスでお肌が完璧に修復されましたから!」

「えへえへ、つやつやだぁ」


 黒乃は運転するメル子の頬をつついた。


「ぎゃあ! なにをしますか! 運転中ですよ!」

「えへえへ」


 キッチンカーは西を目指して突っ走った。



 ——夕方。

 黒乃達は関門海峡を超え、ようやく九州は福岡に辿り着いた。

 途中、倉敷、広島、下関で休憩をとったため、すっかり日が落ちてからの到着となった。


「ああ、ああ……疲れた」

「疲れました……」


 黒乃とメル子はげっそりとした表情でお互いの顔を見合わせた。メンテナンスで艶やかになったお肌が早速萎びてしまっているかのように見えた。


「さすがに初めての運転でこの長旅は無理があったか……」

「正直張り切り過ぎました……」


 キッチンカーはのろのろと福岡の町を進む。行き交う人々の群れ。彼らの目は爛々と輝いている。日は落ちたが、福岡の町の真価はこれからだ。


 福岡県福岡市博多区。


「おお、おお。屋台だ。すごい数の屋台が並んでいる」

「色々なお店がありますねえ」


 ラーメンはもちろん、鉄板焼き、串焼き、おでん、コーヒー、果てはイタリアンにフレンチの屋台まである。

 どの屋台も超満員で、店の外には席が空くのを待っている客までいる。五月の連休ということもあり、普段多いサラリーマンや地元の常連客は鳴りを潜めているようだ。


「しゅげぇ〜」

「すごい活気です」


 福岡市中央区天神。


 那珂川なかがわを超えてやってきたのは天神だ。

 博多周辺の屋台街は大きく二つのエリアに分かれる。那珂川沿いの中洲エリアと、西鉄福岡駅周辺の天神エリアだ。


「こっちもすごいな」

「町中屋台だらけです!」


 二十一世紀前半。福岡の屋台には厳しいルールが敷かれていた。市は屋台を重要な観光資源と位置付けており、条例を設け厳しく管理した。

 営業時間は夕方から明け方まで、生ものは禁止、歩道にはテーブル、椅子を設置しない、お店の継承は不可などだ。

 勝手に屋台を出店することは認められていない。公募によって選ばれた店だけが新規の営業を許可される。

 二十二世紀現在では、それに加えてロボット枠が用意された。ロボットによる屋台経営を促進する目的のものだ。


「そんでメル子はそのロボット枠の公募に合格したんだ」

「はい。とあるロボットの方に協力していただきました」


 キッチンカーは屋台が密集する一角に停車した。車から降りて大きく伸びをする二人。


「ふわ、うわ〜! ようやく到着した」

「ふぁ〜! まあでも月に行くよりは早かったですよ」


 しかし天神は月に勝るとも劣らない異世界だ。浅草とはまた違うエネルギーに満ち溢れている。


「やあ、君達がクッキン五郎ん知り合いと?」


 隣の屋台からのっそりと出てきたのは、いかつい体格の中年ロボットであった。額にはバンダナ、腰には前掛けをつけている。


「もしかして、キッチン四郎さんですか!?」

「え? 誰?」

「俺はクッキン五郎ん兄弟のキッチン四郎ばい。よろしゅうな」


 キッチン四郎は親指を立てて白い歯を見せて笑った。


「あ、よろしくお願いします。えへえへ」

「よろしくお願いします!」


 メル子は仲見世通りの出店のオーナーであるクッキン五郎のツテで、キッチン四郎を紹介してもらったのだ。彼を通して出店の実績があるメル子の店を推薦してもらい、見事屋台のロボット枠の審査に合格したのだった。


 二人は早速キッチン四郎の屋台に通された。鍋の中には煮えたおでんが窮屈そうに浮かんでいた。


「おでんの屋台なのね!」

「美味しそうです!」


 キッチン四郎は皿にいくつかの種を盛ってくれた。


「えーと、大根、こんにゃく、玉子……ロールキャベツ!?」

「こちらは練り物の中に餃子が入っています!」


 博多のおでんはあご出汁と甘口醤油がベースの出汁だ。まずはその出汁を一口飲んだ。


「あ〜、疲れた体に染み渡ってくる〜」

「コクのある優しい味わいに癒されます」


 続いて具を貪り食う。空きっ腹に熱々の種がなだれ込んできた。


「どげんな?」

「うま! うま! 福岡のおでんってこんなに美味かったのか!」

「これは酒飲みにはたまらないですね! 私達は飲まないですけれど」


 するとキッチン四郎はおでんの種が入った皿を地面に置いた。


「それはなんでしょうか?」

「こりゃ塩分が含まれとらんおでんばい」

「はあ……」


 すると何匹かの猫が植え込みの中から飛び出てきた。皿を囲うようにして仲良くおでんに齧り付いた。


「うわ! 猫だ! 野良猫だ!」

「ロボット猫もいますよ!」

「ニャー」


 キッチンカーの上にいたチャーリーもおでんにありつこうと皿に飛びついた。大きな図体のロボット猫の乱入に、地元の野良猫達は驚き逃げ去ってしまった。


「こら、チャーリー! 仲良く食え!」

「ニャー」


 チャーリーはしょぼくれて自身もどこかに消え去った。


「なんだい、あいつ」

「ここらは屋台のおこぼれ目当てん野良猫が多か」


 キッチン四郎の屋台には次々と客が入れ代わり立ち代わり訪れた。黒乃達は自分のキッチンカーの前に座り、その様子を観察した。

 しばらくして黒乃は神妙に語り出した。


「よし、メル子。ここでご主人様はやるよ」

「やりますか……、大丈夫でしょうか?」

「それはわからない。でもご主人様はやると決めたからにはやる」


 黒乃は立ち上がった。メル子はその姿を見上げた。


「ご主人様はここでラーメン屋台をやる!」


 黒乃は拳を突き上げ高らかに宣言をした。メル子は不安そうに拍手をした。



 ——翌朝。

 黒乃は早起きして市場に買い出しに来ていた。キッチン四郎に紹介してもらい、様々な具材を集めているのだ。


「兄ちゃん、これなんてどげんな?」


 精肉店のオヤジは袋いっぱいに入った豚の骨を見せた。


「ふーむ、いいゲンコツだ。あ、姉ちゃんです」

「ご主人様、これにしましょう!」


 ついでにチャーシュー用の豚バラ肉も仕入れる。

 ラーメン作りには多くの素材が必要だ。ニンニク、生姜、ネギ、玉ねぎ、昆布、干しエビ、干し椎茸、干しだら、かつお節。タレを作るのにもこれだけのものがいる。


 次に訪れたのは製麺所だ。博多のラーメンといえば極細麺。小麦の種類や加水率を吟味し、より良い麺を見極める。


「兄ちゃん、よか目ばしとーね」

「おやっさん、この麺にします。あ、姉ちゃんです」


 黒乃とメル子は大量の材料をキッチンカーに詰め込んで走り出した。


 車が到着したのは小さな調理場だ。キッチン四郎が普段おでんを仕込んでいる場所で、二人はそこを使わせてもらっているのだ。駐車場もあるので、昨晩はここにキッチンカーを停めて車中泊をした。


「じゃあ、始めるか!」


 黒乃はコンロに寸胴を置いた。水を張りゲンコツをぶち込む。まずは下茹でをしてアクを取り除くのだ。


「ご主人様! 手伝いますか!?」

「いや、ご主人様に任せて」


 アクを取り除いたらたっぷりの湯で半日炊く。そこまでしないと博多ラーメン独特の白濁スープにはならない。


「メル子、ご主人様は鍋につきっきりになるから。夜の営業はメル子だけでお願いね」

「わかりました……お任せください!」


 メイドロボは真剣な眼差しで鍋と向き合うご主人様に不安げな視線を送ってからキッチンカーに乗り込んだ。

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