第268話 キッチンカーです! その二

 真紅のキッチンカーが浜松城を背後に走り出した。

 初日の営業を終え、次に向かうのはどこであろうか?


「いったん焼却場に向かいます」

「おーけー」


 キッチンカーの営業で出たゴミは家庭系ゴミではなく、事業系ゴミとして処理する必要がある。適当に家庭ゴミとして捨てると、廃棄物処理法違反になるので注意が必要だ。近場の焼却場に直接持ち込み、ゴミ処理手数料を支払わなくてはならない。

 遠ざかる浜松城を尻目にキッチンカーは走る。


「お嬢様たちのキッチンカーもついてくるな」

「まあ焼却場に行く必要がありますから」


 牽引車タイプの金色に輝くキッチンカーが黒乃達の後ろにピタリと張り付き追走している。

 結局昼飯はアンテロッテのフランス料理をいただくことになった。黒乃達が営業中にいつの間にかやってきて、隣で営業していたらしい。



 ゴミ処理を済ませた頃にはだいぶ日が落ちてきていた。本日の宿を探さなくてはならない。


「メル子、今日はどこに泊まろうか? 高いホテルとかは無理だけどさ」

「高いところなんて必要ありませんよ! せっかくキッチンカーがあるのですから、あそこに行きましょう! 事前に予約は入れてあります!」


 メル子の運転する車は西に進んだ。真っ赤な車体が夕陽に照らされてさらに赤くなった。



 ——浜名湖はまなこ

 浜松市と湖西市こさいしにまたがる汽水湖きすいこ。面積でいえば日本十位の大きさを誇る。

 二人がやってきたのはその湖岸にあるオートキャンプ場だ。浜松城からはほんの三十分の距離ではあるが、途中スーパーマーケットで買い出しをしたので、二人が入場した時にはすっかり辺りは暗くなっていた。


 既にいくつかの先客達が広いサイトに散らばりキャンプを楽しんでいる。ビービーキューにいそしむ家族、焚き火を愛でるバイカー。メル子は少し離れた場所にキッチンカーごと乗り入れた。お嬢様たちのキッチンカーもそれに続く。


「オートキャンプ場っていう手があったのか」

「はい。トイレもシャワーもありますし、なんといってもお安いですから」


 車一台で五千円で一泊できてしまうのがありがたい。

 黒乃達は湖面が見える区画に車を停めた。車を降りると完璧に整備された芝生の感触が足の裏に伝わってきた。


「おお! 浜名湖が見える!」

「キラキラしていて綺麗です!」


 続いてお嬢様たちもキッチンカーから降りてきた。


「オーホホホホ! いい眺めでございますわねー!」

「オーホホホホ! 浜名湖大きいですわー!」

「こらこら、なんで二人とも隣の区画にくるのよ」

「なぜってこの区画を予約していたからですわ」

「偶然隣になるわけがないです!」


 お嬢様たちは顔を見合わせた。


「そんなことを言われても困りますの」

「偶然って怖いですの」



 空が暗くなり、星が湖面に反射した。

 一行は夕食の準備を始めた。キッチンカーなので、もちろん調理設備は揃っている。食材はスーパーマーケットで購入してきた。ライトも備えているので夜でも作業に困ることはない。

 黒乃はお客用の折りたたみ椅子とテーブルを芝生の上に設置した。さっそくチャーリーがテーブルの上に乗って居眠りを始めた。


「キャンプ道具なんてなんも持ってきていないけど、なんとかなるもんだな」

「キャンピングカーみたいなものですしね」


 メル子が料理に励んでいる間に、黒乃はお隣のキッチンカーを訪れた。


「それにしてもデカいキッチンカーだな」

「キッチントレーラーの『お嬢様号』ですわよー!」


 マリーもトレーラーの前でディナーの準備をしていた。キッチントレーラーとはキッチン部分のトレーラーを、牽引車で牽引するタイプのキッチンカーである。牽引車とトレーラーは分離が可能であり、トレーラーはタイヤさえついていればいいので、形状や内装の自由度が桁違いに高いのがメリットだ。

 黒乃はトレーラーの中を覗き込んだ。メル子のキッチンカーより遥かに広く、五人が並んで作業できそうだ。コンロ、シンク、冷蔵庫、オーブン。全てがリッチだ。


「やっぱ金持ちは違うなあ」

「黒乃様ー! いらっしゃいましー!」


 アンテロッテも懸命に調理をしているようだ。


「あれ? でも外側の見た目より小さいな?」

「それは居住スペースがあるからですわー!」

「居住スペース!?」

「あとでご覧に入れますわよー!」


 黒乃がふらふらしているうちにメル子の料理が完成した。本日のメニューはペルーのシーフード『ティラディート』と、おジャガと豚肉の煮込み料理『カラプルクラ』だ。


「うひょー! 美味そう!」

「さあ、食べましょう!」


 テーブルの上に料理をずらりと並べた。キッチンカー備え付けのライトで照らすと、大人のエレガントな雰囲気の空間に仕上がった。


「いただきます!」

「ニャー」

「お召し上がりください!」


 満天の星、対岸の灯り、それらを映す湖面、芝生の香り、遠くのキャンプ客達の笑い声。全てが食卓を彩った。


「うまうま! まさかキャンプ場でこんな本格的な料理が食べられるとはねえ」

「キャンプ飯とはまた違いますが、こういうのもいいですね」


 するとお嬢様たちが皿を持って現れた。


「お裾分けですわよー!」

「キャンプと言えばおフランス料理ですわー!」


 テーブルに並べられたのは『サーモンとホタテのクリームチーズテリーヌ』と『スズキのポワレ』、『野菜たっぷりビーフシチュー』だ。


「贅沢すぎるでしょ!」

「キャンプ感ゼロです!」

「お互い様ですわー!」

「たんとお召し上がりゃんせー!」


 一行はお互いの料理を分け合い、緩やかなディナーを楽しんだ。


 

 お腹が膨れ星空を見上げていると眠気と寒気が押し寄せてきた。五月とはいえ夜はまだ寒い。一行はキッチンカーの中に引っ込んだ。


「紅茶を飲んだらシャワーを浴びにいこうか」

「そうですね」


 キャンプ場の管理施設の一画にコインシャワーが設けられている。二人は着替えとタオルを持って車を飛び出た。

 しかしそこに待ち構えていたのはお嬢様たちであった。


「ん? どしたの? マリー達もシャワーいくの?」

「オーホホホホ! お貧乏様にはコインシャワーがお似合いですわよー!」

「オーホホホホ! わたくし達はお風呂で寛ぐつもりですわよー!」

「え? お風呂があるの!?」

「このキャンプ場にはお風呂はありませんよ!」


 お嬢様たちが案内したのはキッチントレーラー『お嬢様号』であった。トレーラーには後部の扉と前部の扉との二つがあり、マリーは前部の扉を開けた。


「え!? なにこれ!?」

「ベッドです! キッチンカーの中にふわふわベッドがあります!」


 トレーラーは後部のキッチンと前部の居住スペースに分かれているのだ。居住スペースは全面ベッドで埋め尽くされている。


「すげぇ! けど、風呂はどこじゃろ」

「ベッドが大きすぎてベッドしかありません!」


 お嬢様たちは不敵な笑みを浮かべた。マリーはベッドの上に立つとルーフを開け、梯子に手をかけ登っていく。


「ついてきてくださいなー!」

「ええ!? まさか!?」

「そんなバカなです!」


 黒乃達は言われるがままに梯子を登った。その上に待ち受けていたのは、トレーラーの屋根に設置された風呂であった。


「屋根の上に露天風呂!?」

「これはやりすぎですよ! よく営業許可が出ましたね!」

「「オーホホホホ!」」


 呆気に取られる黒乃とメル子であったが、もうもうと昇る湯気を見ているうちに衝動が抑えられなくなってきた。一行はベッドの上に服を全て脱ぎ捨て、風呂に飛び込んだ。


「うひょー!」

「いいお湯加減です!」

「オーホホホホ! おキャンプでのお風呂は格別ですわー!」

「オーホホホホ! さすがお嬢様の設計ですわー!」


 風呂はトレーラーの屋根に沿うように設置されており、四人で入っても足を伸ばせるだけの充分な広さがある。

 黒乃は温かい湯に包まれながら夜空を見上げた。壁がなく地面も見えない。誰かが体を動かすたびに車が揺すられるため、まるで空中を漂っているかのように錯覚をしてしまう。


「ふわ〜、きもちええ〜」

「これだけのお水をどうしたのですか? いくら大容量のタンクがあっても足りませんよね?」

「普通にキャンプ場の蛇口から引いていますの」

「ちゃんと水道代は払っていますの」


 よく見ると近場の洗い場からホースが伸びている。汲み上げた水をトレーラー備え付けのガス給湯器で温める仕組みのようだ。

 四人は体の芯まで温まり、それぞれの車に戻った。



 黒乃は大きくあくびをした。といっても腕を大きく伸ばすほどのスペースはない。天井につかえてしまうからだ。

 黒乃とメル子がいるのはバンクベッドの中だ。キッチンカーの運転席の上部にせり出ている部分がそれである。天井は低く、あぐらをかいて座っていると頭が当たってしまう。それでも二人が寝るには充分な広さがある。明かり取り用の窓がついているので意外と窮屈さは感じない。


「さあ、もう寝ようか」

「はい!」


 二人は横になった。車の進行方向へ頭を向けるのではなく、左側面へ頭を向けて寝るのだ。

 電気を消すと窓から月明かりが忍び込んできた。青い光に照らされるメル子の顔はいつもより神秘的に見えた。


「今日は楽しかったね。疲れたけどさ」

「働き詰めでしたからね。でも知らない土地でお料理を作るのは楽しいです」


 メル子は笑顔を見せた。黒乃はその頭を撫でた。二人の目が次第に閉じ始めた時……。


「ぎゃーですのー!」

「へるぷみーですのー!」


 隣のトレーラーからの声に驚き、黒乃は飛び起きた。その勢いで天井に頭をぶつけてしまった。二人は慌てて車を降り、トレーラーに走りよる。


「なんだなんだ!?」

「マリーちゃん! アン子さん! どうしましたか!?」


 よく見るとトレーラーの扉から水が溢れ出ている。黒乃は扉を開けようとしたが開かない。水圧がかかっているようだ。


「ふぬぬぬぬ! メル子!」

「はい!」


 二人で力を込めて扉をスライドさせた。水が勢いよく飛び出してきた。それと共に現れたのは、ずぶ濡れになった全裸のお嬢様たちであった。


「どうしたの!?」

「大丈夫ですか!?」

「お風呂の水が漏れてきましたわー!」

「設計ミスですわー!」


 天井から滝のように水が滴り落ち、ベッドが浸水してしまっている。とても使えるような状態ではない。

 凍えるお嬢様をメル子のキッチンカーに避難させた。


「うわーんですのー!」

「あんまりですわー!」


 泣きじゃくるマリーとアンテロッテの体をタオルで拭いた。黒乃の白ティーを着せてバンクベッドに登らせた。


「マリーのベッドはもう使えないし、今夜はここで寝るしかないね」

「いいんですの?」


 マリーはきょとんと黒乃を見つめた。メル子はマリーの金髪を撫でた。


「ピッタリとくっつけば四人でも寝れますよ!」

「ありがたいですのー!」

「ニャー」

「お? なんだチャーリー。お前もくっついて寝たいのか?」


 四人と一匹はすし詰め状態で一夜を明かした。

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