第267話 キッチンカーです! その一

 ボロアパートの駐車場に鎮座する一際目立つ車。赤い車体に花柄のラッピング。側面には『メル・コモ・エスタス』の文字。


「何回見てもかっけぇ!」

「すてきです!」


 南米料理店『メル・コモ・エスタス』にとうとう支店が登場した。移動販売を行えるキッチンカーだ。新車のように光り輝く車体。強化された足回り。運転席の上に迫り出したバンクベッド。バンを改造して広々とした調理スペースを確保している。


 二人は薄明かりの早朝からキッチンカーの周りをぐるぐると回った。


「結構前からキッチンカーを作りたいって言ってたけど、まさかこんなに早く出来上がるとは思っていなかったよ」

「はい! 大工ロボのドカ三郎さんに作ってもらいました! 元々八又はちまた産業の倉庫にあった車なのですが、巨大ロボに投げ飛ばされて、スクラップになったのを私が買い取りました」

「酷いことするやつもいたもんだな」

「お陰で格安でキッチンカーを作れました!」


 キッチンカーのメリットは店舗と比べて圧倒的に少ない資金で開業できることだ。安ければ三百万円程度の初期費用があればよく、そのほとんどが車代だ。加えて政府による助成金もある。


「じゃあ、早速営業の旅に行こうか!」

「はい!」


 二人は勢いよく座席に乗り込んだ。


「……」

「……」

「あの、ご主人様」

「ん?」

「そちらは運転席ですので、どいてください」

「ああ、うん」


 黒乃は原付免許しか持っていなかった。



 車で溢れかえる東名高速道路をキッチンカーはひた走っていた。穏やかな朝日と爽やかな空気が微かに開けた窓から車内に入り込んできた。

 二十二世紀現在、車の所有率は大幅に下がり、渋滞が起こることは少なくなった。とはいえ五月の連休である。全力で走行というわけにはいかない道路状況だ。


「気分がいいですね、ご主人様!」

「風も気持ちがいいよ」


 メル子は笑顔でハンドルを握っている。その金髪が風を受けて揺らめいた。この時代の車はほぼ百パーセント電動車のため、排気ガスを吸い込むことはなくなった。

 黒乃は助手席でデバイスを確認した。


「もう海老名えびなか」

「順調です!」

「メル子って運転免許持ってたんだね」

「当たり前ですよ! 運転ができないメイドさんなんてメイドさんではありませんよ!」

 

 AI高校メイド科を卒業することで自動的に普通運転免許が取得できるのだ。加えてキッチンカーの営業に必要な食品衛生責任者の資格もとれる。ちなみに調理師免許は必要ない(もちろんメル子は持っている)。

 他に必要なものは、出店をする地域の保健所からの営業許可だ。前世紀には都道府県ごと、または市ごとに営業許可が必要であった。現在は手続きが簡略化され、一箇所で営業許可をとれば、あとはオンライン申請ですぐに他の地域での許可が下りる。


「ええと、今日の予定はどうなっているんだっけ?」

「今日は浜松はままつまで行きます!」


 静岡県浜松市。浜名湖はまなこを有し、太平洋に面する巨大都市だ。


「いやあ、メル子と二人きりのドライブ。楽しいねえ」

「うふふ、ご主人様。この子達を忘れてもらっては困りますよ」

「ああ、そうだった」


 黒乃はダッシュボードの上を見た。そこには手のひらサイズの小さなロボットが二体いた。片方は窓に手をあて、瞳を輝かせて進行方向を見ている。片方はダッシュボードの上に寝そべりケツをかいている。


「プチ黒とプチメル子はこんなに遠出するのは初めてだもんなあ」

「二人とも一緒に旅を楽しみましょうね!」

「あれ?」

「どうしました?」


 黒乃はバックモニターを見てあることに気がついた。


「またド派手な金ピカのキッチンカーが後ろを走ってる」

「本当ですね」


 黒乃達のキッチンカーより遥かに大きい牽引車タイプのもののようだ。


「行き先が同じなのでしょうか」

「わからん」


 その疑問もドライブの気分の良さにそのうち風と共に吹き飛んでいった。キッチンカーは浜松を目指して西へひた走った。



 ——浜松市中央区浜松城。


「あ! 見えた! 浜松城だ!」

「やっと到着です!」


 青空の中に浮かぶ雄大な城を横目にキッチンカーは進む。この城は十五世紀に築城され、その後徳川家康によって浜松城と名付けられた。

 ここまでは混雑もあり、浅草から五時間の道程であった。ゆっくりと観光をしたいところではあるが、黒乃達の目的地は城ではなく、城を囲うように広がる浜松城公園だ。キッチンカーは公園の本丸南広場に侵入した。


「おお! キッチンカーがずらりだ!」


 既に多くのキッチンカーが軒を連ねていた。カレー屋、焼きそば屋、唐揚げ屋。十時からの開店に備えて皆忙しく動いている。

 黒乃達も車を停め、早速開店の準備に入った。


「よくこの時期に営業の許可をとれたね」

「はい! クッキン五郎さんの紹介です!」

「ほえー。ん?」


 黒乃はふと違和感を感じてキッチンカーの上を見た。なにか動くものが見える。


「んん!?」

「どうしましたか?」


 振り子のように揺れる細長く毛むくじゃらの物体がキッチンカーの屋根の上から垂れている。黒乃はそのグレーの塊をむんずと掴んだ。


「ニャー」


 驚いて顔を覗かせたのは大きなグレーのロボット猫であった。


「チャーリー! お前なんでこんなところにいるんだ!?」

「チャーリー! ひょっとしてずっと屋根の上にいたのですか!?」

「ニャー」

「なになに? ずっとバンクベッドの中で寝てた?」


 メル子が腕を伸ばすとロボット猫はメル子の胸に飛び込んできた。


「いつの間に中に入ったんだこいつ」

「猫ちゃんはどこにでも入り込んできますから!」


 気を取り直してオープンの準備に入る。キッチンカーの取り扱いについては納車前に充分に確認してある。車の左側が販売面だ。大きな上開きの扉を開けるとそれがそのまま屋根になる。販売面には開閉式のサッシが付けられ、営業時には取り外される。窓の下には跳ね上げ式のテーブルがあり、それがカウンターになる。


「おお! キッチンカーっぽい!」

「ご主人様! 看板をお願いします!」


 黒乃は折りたたみ式の看板を車の前に設置した。他にもゴミ箱を設置しなくてはならない。


 キッチンの中は広く、二人が並んで作業ができる。背の高い黒乃がまっすぐに立ってもまだ余裕がある作りだ。


「設備もちゃんとしてるなあ」

「設備が揃っていないと許可が下りないのですよ」


 保健所の営業許可を得るには様々な設備が必要だ。換気扇、シンク、給水タンク、排水タンク、照明、冷蔵庫、運転席との間仕切りなどだ。

 それに加えてコンロ、オーブン、鉄板が設えてある。それらを使うためのガス設備も完備している。


「ご主人様! 電源をお願いします!」

「ほいきた!」


 キッチンカーから電源コードを伸ばす。公園備え付けの電源に接続をした。この時代の車は大容量バッテリーを備えているので、電源がなくても稼働は可能ではある。


 メル子はガスをつけ鉄板を熱し始めた。棚からパンを取り出し、半分にスライスする。冷蔵庫から肉を取り出し、スパイスで味付けをする。

 準備は整った。カウンターに置かれた『準備中』の立て札をひっくり返して『営業中』にする。


「『メル・コモ・エスタス』浜松城店、開店です!」


 十時を迎え、次々に周りのキッチンカーも開店していく。それと同時に本丸南広場に集まっていた観光客達は、それぞれ目当ての店に殺到した。


「おお! やった! お客さんが来てくれた!」

「さあ、ご主人様! 忙しくなりますよ!」


 メル子の店にも早速行列ができた。キッチンカー稼働初日ということもあり、料理を『アレパ』に絞って提供する。


「チーズアレパください」

「ありがとうございます!」


 アレパとはベネズエラのパンのことだ。トウモロコシ粉を使った薄焼きのパンで、様々な具材を挟んで食べる。

 鉄板で肉を焼き、オーブンでカリッと焼き上げたパンで野菜と一緒に挟む。


「お待たせいたしました!」


 代金を受け取るのはプチメル子の役目だ。高性能AIを搭載しているため、お釣りの計算もなんのそのだ。カウンターの上で懸命に小銭を運ぶ可愛らしい姿に客は悶絶した。もちろんプチ黒はカウンターの上で寝そべってケツをかくだけだ。


「エビアレパとハバネロアレパください」

「ありがとうございます!」


 初めてのキッチンカーでの調理ではあるが、日頃から出店で鍛えているメル子にとってはその延長でしかない。慣れた手つきで次々と客を捌いていく。


「お待たせいたしました!」

「サーモンアレパとオクラアレパください」

「ありがとうございます!」


 客は途切れることがない。五月の日差しに照り付けられてすぐに汗だくになった。アレパを頬張る客の笑顔に元気付けられ、二人は懸命に働いた。



 いつの間にか食材が底をつき、昼過ぎには営業は終わった。キッチンカーの前に折りたたみの椅子を置いてぐったりと座り込む二人。


「あ〜、疲れた〜」

「お疲れ様です〜」


 営業後の疲労感はいつもの通りだが、見える景色はいつもと全く違う。顔を上げればそびえ立つ浜松城の威容。広い公園に吹き抜ける澄んだ空気。


「これがキッチンカーの楽しさか〜」

「場所が変わると気分も変わりますね」


 二人は営業後のまったりとした時間を楽しんだ。


「ニャー」

「チャーリーどうしましたか?」

「ニャー」

「なになに? 昼飯をよこせ?」

「あ、すっかり忘れていました」

「ニャー」


 チャーリーは黒乃の頭に飛び乗って苦情を申し立てた。


「そういえば、私らも昼飯まだじゃん」

「でももう食材がありませんよ!」

「しょうがない。お隣さんの納豆タコ焼きでも買うか」

「ニャー」


 チャーリーは首を左右に激しく振った。

 その時、戦国の戦場をさまよう落武者達の怨念のような声が響き渡った。

 オーホホホホ……オーホホホホ……。


「ぎゃあ! なんですかこの声は!?」

「オーホホホホ! 兵糧ひょうろう切れでございますのー!?」

「オーホホホホ! 腹が減っては戦ができぬでござるでござるー!」

「「オーホホホホ!」」


 突如現れた金髪縦ロールのいつもの二人組。そしてその背後には……。


「お嬢様!? それは!?」

「お二人とも! その後ろの車はなんですか!?」


 二人の背後にあったのは牽引車タイプの大型キッチンカーであった。お嬢様の金髪のように光り輝くボディ。デカデカと記された『アン・ココット』の文字。


「まさかのキッチンカー被りですか!」

「特別にお料理を分けて差し上げますわよー!」

「シャトーを見ながら食べるおフランス料理は格別ですわよー!」

「「オーホホホホ!」」


 キッチンカーの旅に愉快な仲間が加わった。

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