第269話 キッチンカーです! その三
浜名湖キャンプ場での朝。
黒乃はいい香りにいざなわれて目を覚ました。キッチンカーのバンクベッドから起き上がると、既にメイドロボ二人がいないのに気がついた。
「ふぁ〜、よく寝た。四人でも意外と眠れるもんだな。ほら、チャーリーどけ」
「ニャー」
黒乃の腹の上で眠っていたグレーのロボット猫は逃げるようにして車から飛び出ていった。
「ほら、マリーも起きて」
黒乃の腕にしがみついて寝ていたマリーを揺すった。大きな口を開けて起き上がるお嬢様。その金髪は狂ったバネのように四方に伸び縮みしている。
「おはようですの」
「はい、おはよう。メル子もアン子も朝の準備をしているみたいだから手伝おう」
バンクベッドから見下ろすと、ちょうどメル子が魚を焼こうとしているところであった。
「おはようございます、ご主人様」
「おはよう!」
梯子を降りるとまな板の上に串に刺されたウナギが見えた。
「朝からウナギなの!?」
「浜松といえばウナギですから。お楽しみにしていてください」
黒乃とマリーは車を降りた。その途端眩しい朝日が二人を照らした。
「うひょー! いい天気!」
「綺麗な景色ですわー!」
青い空の下には青い浜名湖。風を受けて水面が波打つのが見える。湖岸の松林からは鳥の群れが飛び立ち、キッチンカーの上を超えていく。微かに湿り気を帯びた芝生が、踏みしめるたびに土の香りを返してくる。
「アンテロッテー! トレーラーはいかがですのー!?」
マリーは隣のキッチントレーラーへと走り寄った。昨日の晩に屋根に取り付けた風呂から水が漏れ、ベッドが水没してしまったのだ。
アンテロッテはトレーラーの扉を開けて、各部を念入りに確認しているところであった。
「アン子、どんな具合よ?」
「黒乃様ー! なんとかなりそうですわー!」
幸いなことに水が漏れたのは前部の居住スペースの方だけで、後部のキッチンスペースは無事であった。牽引車とトレーラーは分かれているので、こちらも問題はない。
営業に支障はなさそうだ。
「よかったですのー!」
三人は手分けをして居住スペースの掃除を行った。ベッドを分解して外に運び出す。
しばらくすると朝食が出来上がったようだ。キッチンカーの前に設置されたテーブルの上には丼が並んでいた。
「さあ! 出来上がりましたよ!」
「え? これってもしかしてうな丼!?」
「はい! スーパーマーケットに
まさかのウナギの登場に三人は俄然色めき立った。丼の蓋を開けると優しい湯気と胃を刺激する香りが同時に立ち昇った。
「うひょー! 朝からうな丼食べちゃってもいいの!?」
「せっかく浜松に来たのですから、ウナギは外せません!」
浜名湖ではウナギの養殖が盛んに行われており、ウナギ養殖発祥の地とされている。浜名湖の気候がウナギの養殖に適していたのと、稚魚がたくさん採れたのが成功の原因だ。
黒乃は白米の上に鎮座するウナギを米と一緒に頬張った。
「ほくほくだぁ!」
「甘辛いタレがご飯に染み込んで美味しいですのー!」
「山椒の香りが脂のコクと甘さを引き立てますのー!」
一行は必死になって丼をかっこんだ。
朝食の後はすぐに営業の仕込みだ。それぞれのキッチンカーに籠り、料理を作る。
「よし! じゃあメル子。次の目的地はいよいよあそこだからね!」
「はい! 腕が鳴ります!」
——兵庫県
大阪府大阪市に隣接する工場都市だ。大阪のベッドタウンでもある。その坂のない平坦な町を白ティー丸メガネ、黒髪おさげの女性が歩いていた。
黒ノ木
黄乃はため息をついた。
左右には黄乃の腕にしがみついて歩く女性が二人。大学の学友だ。黄乃は現在大学生である。高校を卒業後、尼崎の大学へと進学した。ロボット工学を専攻している。
「じゃあ、私はこっちだから」
「うん、黄乃ちゃんまたね!」
「また明日!」
連休にも関わらず大学に行っていたのは、図書館で調べ物をするためだ。工学系の学生は忙しい。授業は朝から晩までみっちりと詰まっている。課題を多く出され、実験の結果は家でまとめなくてはならない。見たことも聞いたこともないような理論や数式を理解し、使いこなさなくてはならない。プログラミングや製図を覚える必要もある。
高校の成績はトップクラスではあったが、元々文系だった黄乃は無理をして工学の道へと進んだのだ。そのため、周囲の学生よりも苦労しているのは明らかだ。しかし全てはメイドロボ関連の仕事に就くため。自分で選んだ道だ。
トラックの音と機械の音が四方八方から襲いかかる道を歩き、黄乃は我が家にたどり着いた。なんの変哲もない古めの二階建て家屋。
「ただいま〜」
「きーちゃん、おかえり!」
「きーネエ、おかえり〜」
黄乃を出迎えたのは白ティー丸メガネ、黒髪おさげの少女二人。黒ノ木四姉妹サードの
黄乃は飛びついてきた鏡乃の頭を撫でるとすぐに台所に向かった。流しには丼が積まれていた。
「またラーメン食べたの?」
「尼崎ラーメン食べた!」
「美味しかった〜」
ここのところ昼はいつもラーメンのようだ。父と母は丸メガネ工場の稼働に忙しい。この時期は丸メガネの書き入れ時だ。五月の連休など無いに等しい。
黄乃はため息をついた。
「ラーメンばっかりじゃダメって言ったでしょ」
「だってしーちゃんがそれしか作ってくれないし!」
「ぐふふ、楽でいいから〜」
不貞腐れる鏡乃。居間に引っ込みソファーに寝転んでしまった。
黄乃はため息をついて丼を洗った。
洗い物が終わり居間に戻ると、紫乃と鏡乃がじゃれついて遊んでいた。
「うわーん! しーちゃんがおさげ引っ張るよー!」
「ぐふふ、ほれほれ〜」
「二人とも! 掃除はしたの!?」
紫乃と鏡乃はピタリと動きを止めると目を逸らした。
「今からやるところだったもん」
「きーネエが言わなければやったんだけどな〜」
黄乃は二人の巨大なケツを一発ずつ叩いた。
その時、玄関から物音がした。それを聞いた鏡乃は飛び上がって玄関に走った。
「父ちゃん! 母ちゃん! おかえり!」
「ハッハッハ、ただいま」
「鏡乃、アンタまた怒られてもうたん?」
父
「父ちゃん、母ちゃん。今日はずいぶん早いね〜。工場は〜?」
「今日は大事な用事があってね。帰ってきたよ」
「これからみんなで出かけるからな。用意しなはれや〜」
「え!? どこへどこへ!?」
突然のお出かけに紫乃と鏡乃は興奮が止まらないようだ。一方、黄乃は再びため息をついた。
「どしたん、黄乃?」
「母ちゃん、私は疲れてるからお出かけはやめておく」
黄乃の丸メガネの色が曇った。黒太郎はそれを見逃さなかった。黄乃の肩に手を置いて語りかけた。
「黄乃。勉強もいいがたまには息抜きをしないとな」
「父ちゃん、そんな気分じゃないよ」
しかし有無を言わさずに連れ出されてしまった。車に押し込められ、どこかへ向けて走り出した。
黒ノ木一家を乗せた車は大阪湾岸エリアへとやってきた。家からここまで三十分ほどの距離ではあるが、のんびりと走る車に黄乃は焦りと苛立ちを感じていた。
工場が立ち並ぶ町を通り抜けやってきたのは……。
「父ちゃん、ここ『尼崎の森中央緑地』じゃん」
「久しぶりにきた!」
「なつかし〜」
尼崎の森中央緑地。
大阪湾の埋立地に作られた人工的な緑地だ。元々は製鉄所があったが、その後百年かけて森に育て上げられた。
緑が極端に少ない大阪近郊エリアにあって、ここは市民の癒しの場所となっている。
「四人がちっさい頃によく遊びにきたやん! 覚えとるか〜?」
母の言葉で黄乃の脳裏に思い出が蘇ってきた。長女黒乃に抱かれる小さな鏡乃。黒乃の足にしがみつく紫乃。自分は母の腰にしがみついていた記憶がある。あの時はなにをしていたのだろうか?
一家は車を降りた。大阪湾から吹いてくる少し生臭いような、少し暖かい風が姉妹達のおさげを揺らした。
今日はイベントが行われているらしく、広場には多くのテントが張られ、キッチンカーが勢揃いしているようだ。大勢の人が入れ代わり立ち代わり動き回っている。
黄乃は広い芝生の上を無言で歩いた。昔のようにまたみんなで一緒にここを歩きたいと思った。
「ニャー」
突然の鳴き声に黄乃は度肝を抜かれた。足元を見るといつの間にか大きなグレーのロボット猫が擦り寄ってきていた。
「あれ? この猫見たことがある」
「きーちゃん! そのロボット猫なに!?」
「これ〜、浅草のチャーリーに似てる〜」
紫乃の言葉に黄乃は合点がいった。なぜ浅草のロボット猫がこんな場所にいるのだろうか。
チャーリーは走り出した。
「チャーリー、待って〜!」
鏡乃は後を追って走り出した。黄乃と紫乃もそれに続く。チャーリーが向かったのは一際人だかりが激しい場所だ。そこには真っ赤なキッチンカーと、金ピカに輝く大きなキッチンカーが並んで営業をしていた。
「……え?」
チャーリーが走って赤いキッチンカーの上に飛び乗った。黄乃は呆然とその光景を見つめた。
「お、チャーリー。呼んできてくれたか?」
「ニャー」
黄乃と黒乃の目が合った。ニヤリと笑う黒乃。メル子も黒ノ木一家に気がついたようだ。
「皆さん! 来てくださいましたか!」
紫乃と鏡乃がキッチンカーに殺到した。目を輝かせて車の周りを走り回った。
「お父様! お母様! さあお座りください! 特別にテーブルをご用意しますよ!」
「ハッハッハ、メル子さん。ありがとう」
「メルちゃん、おおきになあ〜」
「わー! こっちもすごい!」
紫乃と鏡乃はお嬢様たちのキッチントレーラーに食いついたようだ。
「やあ、黄乃。どうしたよ? 元気ないな」
「黒ネエ……」
キッチンカーから降りてきた黒乃は黄乃の頭を自分の胸に押し付けた。束の間、黄乃は幼少期に戻ったような錯覚を受けた。
「どうよ? メル子のキッチンカーは?」
キッチンカーを改めて眺めた。メイドロボが中で懸命に調理しているのが見えた。生き生きと輝いて見える。それはまさに城であった。
「いいな〜」
ポロリと出た感想がそれだった。本音でもある。
どれほどの努力をしたら自分のキッチンカーを持てるのであろうか? どれほどの努力をしたら自分の店を持てるのであろうか? そしてどれほどの努力をしたら自分のメイドロボを持てるのであろうか?
黄乃はその努力を間近で見てきた。高校時代バイトに明け暮れた黒乃。色々なものを犠牲にして東京に出ていった。東京に行ってからもその努力が続いたことを知っている。
「すごいな〜」
テーブルに着いた黄乃の前に料理が並べられた。
「黄乃ちゃん! たくさん食べてくださいね!」
「メル子さん……」
「さあ、いただこうか」
「メルちゃんの料理久しぶりやわ〜」
黄乃は料理を頬張った。優しい味わいが口の中に広がり、それと共に心と体が軽くなるような感じがした。
「私なんて、まだ努力のスタートラインに立ったばっかりだよね」
「ん〜? ちょっと元気が出てきたか? メル子の料理は元気が出るからな〜」
「黄乃ちゃん! 美味しいですか!?」
メル子の言葉に黄乃は渾身の
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