第258話 おしゃれをします!

 夕食後、黒乃は床に仰向けに寝転がっていた。天井を虚ろな目で見つめている。口はだらしなく開けられ、虫が飛び込んできても気がつかなさそうである。

 メル子はキッチンで紅茶を淹れながら横目でその様子を伺った。


「ご主人様、どうかされましたか? 今日は元気がないようですが」

「うーん……? そうかなあ〜?」


 ごろりと転がり、紅茶を淹れるメル子を眺めた。緑色のメイド服の裾が小気味よく揺れる様は風になびく新緑の葉のようだ。


「メル子のメイド服はおしゃれだなあ」


 メル子は裾を指でつまみ、可愛らしい仕草で一回転してみせた。


「うふふ、ルベールさんの手作りですから」

「可愛いなあ」


 黒乃は自分の白ティーを見つめた。生まれてから毎日着続けてきた白ティー。これ以外の服を知らない。


「ご主人様もおしゃれしてみようかなあ……?」

「え!?」


 その言葉にメル子は思わずティーカップを落としかけた。プルプルと震える手を鎮め、呼吸を整えた。


「今なんと?」

「ご主人様も一応は女なんだしさ。もっとおしゃれをしてもいいかなって思ったんだよね」


 メル子がカップに紅茶を注ぎ始めると黒乃は椅子に腰掛けた。


「とは言ってもさ、おしゃれなんてどうしたらいいかさっぱりわからないからさ」

「はい」

「メル子にお願いするよ」

「私の自由にしていいのですか!?」

「うんうん。メル子はおしゃれさんだからね」


 メル子はメイド服の袖を捲ると握り拳を作った。


「ご主人様改造計画、メル子にお任せください!」



 浅草寺から数本外れた路地にある洋装店『そりふる堂』。黒乃とメル子はその店内を物色していた。


「あらあら珍しいのね。黒乃さんがおしゃれなんて」

「えへえへ、奥さん。おしゃれなんて初めてで」


 興奮した様子で次々と服をあてがうメル子を楽しそうに見つめている老婦人はそりふる堂の店主だ。その傍らにはヴィクトリア朝のメイド服を完璧に着こなしたメイドロボが立っている。


「ご主人様! これなんてどうでしょうか!?」


 メル子はフリルのついたワンピースをあてがった。


「ルベールさん! どうでしょう!?」

「うふふ、素敵ですよ。背の高い方にはモノトーンコーデでシックな上品さと可愛さを演出するのがよろしいですね」

「だそうです! ご主人様!」

「なんのこっちゃさっぱりわからんな」


 次にメル子が持ち出したのはフレアシルエットのニットスカートだ。Vネックのプルオーバーと組み合わせる。


「ルベールさん! これはどうですか!?」

「とても女性らしいですね。ふんわりと裾が広がるシルエットが大人の可愛さを生み出しています」

「みたいですよ! ご主人様!」

「スカートはきっついなあ」


 メル子のコーディネート欲求が暴走を始めた。ご主人様の衣装を見繕うのはメイドの大事な仕事だ。しかし黒乃の衣装は白ティーのみ。来る日も来る日も白ティーを並べた。その日々がいよいよ終わりを告げるのだろうか?


 結局いくつかの衣装を購入し、その日は帰宅した。



 ゲームスタジオ・クロノスの事務所は朝から騒々しさで溢れていた。


「シャチョー!? ナンデスか、その格好は!?」


 FORT蘭丸は驚愕の声をあげた。


「……だれなの?」


 ロングヘアをドドメ色に光らせているのはフォトンだ。


「先輩!? なにがありましたか!?」


 真っ青な顔で黒乃を見つめているのは桃ノ木桃智だ。


「えへ、えへへ。みんなおはよう。えへへ」


 本日の黒乃の衣装はパンツコーディネートだ。ベージュの2Wayボウタイブラウスに、カジュアルな印象のデニムパンツを合わせる。裾のスリットとパールモチーフが女性らしい印象を奏でる。加えておさげはとかれ、頭の上にまとめ上げられていた。


「えへへ、えへへ。どう?」

「シャチョー! 似合っていマスよ!」

「……かわいい」


 一応は褒めたものの、二人とも目を白黒させてその後の言葉が出てこない様子だ。桃ノ木に至っては机に突っ伏してプルプルと震えている。


「シャチョー! 今日は女将サンはどうしまシタか!?」

「ああ、メル子はお昼から来るから心配しないでいいよ」

「よかったデス!」


 

 お昼。事務所の台所からいつものいい香りが漂ってきた。


「……そろそろお昼」

「いつの間にか女将サンが来ていたんデスね!」


 壁掛け時計から正午の時報が鳴り響いた。その瞬間、FORT蘭丸とフォトンは台所へ殺到した。


「……メル子ちゃん、今日のランチはなに……えっ?」

「女将サン! 大盛りでくだサイ……誰デス!?」


 台所で待ち構えていたのは和風メイド服のメル子ではなく、カジュアルファッションのメル子であった。ダブルストラップオールインワンに白キャップを合わせている。


「……メル子ちゃん可愛い」

「女将サン! メイド服はドウしまシタ!?」

「たまにはこういうのもいいかと思いまして」


 いつもより口数の少ないランチタイムが始まった。皆黒乃の方をチラチラと見るがすぐに目を逸らした。


「どしたんみんな。なんかよそよそしいけど」

「ご主人様が可愛くて照れているのですよ!」

「……いやちがう」

「女将サン! いったいナニがあったんデスか!?」


 黒乃はブラウスの袖をしきりに気にしながら料理を口に運んでいる。


「いやね、少しは女性らしさを出した方がいいかなって思ったんだよ」

「ナンでデスか!?」

「ご主人様はマリーちゃんにパパ扱いされてショックを受けてしまったのです!」

「マリーチャンのパパ!?」

「……わけがわからない」


 そのやりとりを桃ノ木は下を見ながら聞き流していた。



 夕方。黒乃とメル子はある場所を目指していた。


「なんか今日はいつもより人の目を引くなあ」

「ご主人様が目立っているからですよ!」


 黒乃は元々背が高くそれなりにスタイルが良い。加えてそれなりに整った顔立ちをしているので、衣装が変わっただけでそれなりの色気がそれなりに出てしまっているのだ。


「ほえ〜、じゃあイメチェンは成功かな?」

「いえいえ! まだまだですよ!」


 二人がたどり着いたのは隅田公園近くにあるお屋敷だ。この屋敷は空手道場になっており、マッチョマスターが館長を務めている。


「たのもー!」

「メル子、マッチョメイドの家になにをしに来たのさ?」


 すると二メートルを超える巨漢のメイドロボが現れた。ゴスロリメイド服から透けて見える筋肉は本日も元気よく脈動していた。


「黒乃 メル子 まってた」

「マッチョメイド! 今日はよろしくお願いします!」

「なになに? なにをするの?」


 三人は広い屋敷の中を歩いた。マッチョメイドの重さで軋む床を進み、一番奥の部屋へとたどり着いた。マッチョメイドはその部屋の扉を開けた。その先に待っていた光景に黒乃は驚愕した。


「うわわわわ! なにこれ!?」

「マッチョメイドのゴスロリ服コレクションです!」


 部屋いっぱいにゴスロリ服が詰め込まれていた。軍服ロリータ、王子ロリータ、魔女ロリータ、修道女ロリータ。古今東西のあらゆるゴシックアンドロリータ衣装が揃っている。


「黒乃 これ すきにきていい」

「マッチョメイド! ありがとうございます!」

「これを着るの!?」



 翌朝。事務所に現れた黒乃にゲームスタジオ・クロノス一同は仰天した。


「えへへ、えへ。どうよ?」

「シャチョー!?」

「……一度修理に出した方がいいかも」


 そこにいたのは赤薔薇コルセットがド派手なゴスロリ蝙蝠ドレスを着込んだ黒乃であった。


「その格好でココまで来たんデスか!?」

「……恥ずかしくないの」

「あれ? あれ? メル子? なんかみんなの反応がおかしいけど?」


 メル子の顔は青ざめていた。一言で言えば調子に乗ってしまったのだ。明らかに仕事に来る格好ではない。ご主人様の着せ替えがあまりに楽しくて、つい分別を失ってしまったメイドロボの末路だ。


「先輩!」


 今まで黙って見ていた桃ノ木が突如声をあげた。


「あ、桃ノ木さん。これどうよ? どうよ?」


 桃ノ木は黒乃に歩み寄り、正面から黒乃を抱きしめた。その目から涙がこぼれ落ちた。


「あれ? あれ? 桃ノ木さん? どしたの?」

「先輩、正気に戻ってください」

「え!?」


 桃ノ木は黒乃の胸に顔をうずめた。


「先輩はこんな格好をしなくても、最初から充分女性らしいです」

「こんな格好!?」

「先輩の白ティー、先輩のおさげ、先輩の丸メガネ。全てが先輩を形作っている欠かせないピースです。今の先輩はピースが欠けたジグソーパズルです!」

「ジグソーパズル!?」


 黒乃は周囲を見渡した。完全に白け顔のFORT蘭丸とフォトン。青ざめた顔のメル子。涙を流す桃ノ木。

 陰キャにファッションのことなどわかるはずもなく、それによりどう周りに影響を与えるのかもわからないのだ。


 黒乃の顔がみるみる赤く染まっていった。


「あれ? なんだろう? すごく恥ずかしい。一旦家に帰りたい。メル子、どうしよう?」

「帰りましょう」


 こうしてご主人様改造計画は幕を閉じた。陰キャには最初から無理な話だったのだ。人には相応しい格好というものがある。分相応な出で立ちをすれば良いのだ。



「フンフフーン。今日のご飯はソパイピージャでーす。カボチャを潰して練り込むのジャー。油でカリッとなるまで揚げるのジャー。フンフフーン」


 メル子は緑色の和風メイド服を踊らせながら楽しげに料理をしていた。


「ふふふ。やっぱりメル子はメイド服が似合うなあ」

「それはそうですよ。メイドロボですから」

「だね。うふふ」


 床に寝転がる黒乃もすっかり元の白ティー丸メガネ黒髪おさげに戻っていた。


「なんだろう、すごくしっくりくる。そして思い出が溢れてくる」


 生まれてからずっと着てきた白ティー。その純白の布地には家族との思い出が描かれている。父と母、妹達。尼崎での幼い日々。

 そして今も白ティーには思い出が描かれ続けている。浅草でのメル子との暮らし。仲間達との冒険。

 白ティーの数だけ思い出がある。白ティーは無限の可能性だ。



 その時、いつもの怖い声が響いた。

 オーホホホホ……オーホホホホ……。


「ぎゃあ! お嬢様たちです!」


 小汚い部屋の扉がぶち開けられた。


「オーホホホホ! 今日はお衣装を持って参りましたのよー!」

「オーホホホホ! 先日のお詫びでございましましましてよー!」


 お嬢様たちは部屋に大量の衣装を持ち込んだ。床に並べられたシャルルペロードレス。どれも黒乃のサイズに合うように調整されている。


「わたくしが黒乃さんのことをパパ呼ばわりしたから悩んでいらっしゃいますのねー!」

「このドレスで乙女になっておくれやすー!」

「「オーホホホホ!」」


 小汚い部屋で高笑いを炸裂させるお嬢様たち。それを震えながら見る黒乃とメル子。


「もうおしゃれはこりごりだよ」

「トホホです!」

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