第257話 恋バナです! その二
仕事終わりの夕方。黒乃は疲れた体に鞭を打ってボロアパートの階段を上った。夕陽に照らされる小汚い部屋の扉の向こう側には、愛しのメイドロボが待ち構えているはずであった。
「ふぅふぅ、今日も頑張って働いたわ〜」
黒乃はドアノブに手をかけて捻った。その先に待ち構えていたのはメイドロボではなかった。
「黒乃さん、お帰りなさいませ」
床に正座をしている少女が深々と頭を下げた。
「え!? 誰!?」
その少女は顔を上げた。漆黒のポニーテールが跳ね上がり、左右に踊った。キリリとした目に切り揃えられた前髪。大和撫子といった風情の少女だ。学校の制服を着ていなければボーイッシュという評価をされるかもしれない。
「小梅じゃん!」
「なにしにきたの!?」
「また相談があっていらしたのですよ」
キッチンで紅茶の準備をしていたメル子はティーセットを持って床に座った。二人の前にカップを並べ、ポットから紅茶を注ぐ。
「相談!?」
「はい、また黒乃山に頼みがあってきました」
「だれが黒乃山じゃい」
黒乃はカップを手に取ると一気に飲み干した。
「ひょっとして、またマリーのこと?」
「はい、その通りです」
小梅は以前にもマリーとの仲を取り持ってもらうべく、この部屋を訪れたことがあった。あれから進展はあったのだろうか?
「なかなかマリーちゃんは心を開いてくれなくて」
「ほうほう」
「色々とアプローチをかけるのですが、どれもマリーちゃんには興味がないみたいです」
「あらら」
「どうやったらマリーちゃんの気をひけるのか知りたいんです!」
黒乃とメル子は頭を捻った。別にお嬢様の気をひこうとしたことなど一度もない。
「うーん、なんだろうなあ? お菓子とかかなあ」
「手作りお菓子はプレゼントしたことがあります! でもあまり喜ばれませんでした……」
小梅はうなだれた。
「まあ、お菓子はいつもアン子が作っているからねえ。アン子より上手く作れないと無理だろうねえ」
「そんなのできるわけないですよ!」
小梅はさらに深くうなだれた。
「でもこの前私が作ったカレーは美味そうに食べていたよ」
「黒乃さんがマリーちゃんにカレーを作ったんですか!?」
「うん、お泊まりした時ね」
「お泊まり!?」
つい先日、メル子とアンテロッテが同時にメンテナンスに入ってしまったため、黒乃の部屋でマリーの面倒を見ることになったのだ。二晩ほど一緒に暮らすはめになった。
「マリーちゃんとお泊まりしたんですか!?」
「したけど」
「ずるいです!」
「そんなこと言われてもなあ。お嬢様の面倒見るのはすごい大変だったよ。お風呂とかさ」
「お風呂!? マリーちゃんとお風呂に入ったんですか!?」
「入ったけど」
小梅の顔が収穫前の硬い梅の実のように青く染まった。
「変態!」
「こらこら、なんてことを言うの」
「マリーちゃんは中学生ですよ!?」
「だね」
「大人が中学生とお風呂に入ったら逮捕ですよ!」
小梅の顔が紅が差した梅の実のように真っ赤になった。
「小梅ちゃん、落ち着いてください。マリーちゃんは一人ではお風呂に入れないので、誰かが入れてあげる必要があるのですよ」
「マリーちゃんは赤ちゃんですか!?」
「赤ちゃんみたいなもんだね。自分じゃまったく動かないから、必死に全身を洗ってあげたよ」
「全身を!?」
小梅はプルプルと震えている。両の掌を広げ見つめた。
「やっぱり逮捕じゃないですか!」
「でもマリーも喜んでたし、いいじゃないのよ」
「悦んでいた!? 具体的にどこをどう洗ったんですか!?」
「足の指から始まって耳たぶの裏まで洗ったねえ。お尻が柔らかそうだったから齧りついてしまったよ、ハハハ」
「変態!」
小梅は仰向けにひっくり返って動かなくなった。
「小梅ちゃん、大丈夫ですか?」
メル子は小梅の頭を撫でた。床に広がった黒髪をまとめて結い上げた。
「ハァハァ、それからどうなったんです?」
しばらくするとようやく小梅は起き上がって姿勢を整えた。
「どうって、あとは寝ただけだよ」
「寝ただけですか?」
「うん。マリーは一人じゃ寝られないから一緒の布団で寝たけど」
「一緒に!?」
「全裸で」
「全裸で!?」
小梅は汗を滝のように流した。
「一線を超えているではないですか!」
「だって添い寝をしないと眠れないって言うから」
「全裸の中学生とおっさんが一つの布団で寝たら、それはもう終身刑ですよ!」
「だれがおっさんじゃい」
メル子は小梅の肩に手を置いた。
「小梅ちゃん、ご安心ください。ご主人様はメイドロボ以外にはまったく興味がないのです。マリーちゃんのことは妹くらいにしか思っていません」
「ハァハァ……妹?」
「あー、確かに妹感覚だね。三人も妹がいるからさ。もう一人増えた気分だよ」
「ハァハァ、なるほど。妹ですか。つまりマリーちゃんも黒乃さんのことをお姉様と思っていると?」
黒乃は顎に手をあて天井を眺めた。
「それはどうだろうねえ。本人に聞いてみた方が早くない?」
「そんなこと聞けるわけがないですよ! ハァハァ、でもなんとなくわかってきました」
「なにが?」
「マリーちゃんの好みがですよ。マリーちゃんは年上のお姉さん系が好きなのでは?」
「うーん、マリーは姉であるアニーとアンテロッテがなによりも大好きだよね。アニーを追いかけてフランスから日本にやってきたわけだしね」
小梅はしきりに首を縦に振り、なにかを納得しかけているようだ。
「わかりました!」
「なにがよ?」
「やはりマリーちゃんが好きなのは年上のお姉さん系です!」
「じゃあ同級生じゃ無理じゃんよ」
「ぐむむ!」
メル子が慌てて間に入った。
「ご主人様! お話を聞いてあげましょう!」
「ああ、そう?」
「ゴホン! だから私はお姉さん系を目指します!」
「お姉さん系ねえ?」
黒乃とメル子は改めて小梅の姿形をじっくりと眺めた。綺麗な黒髪、すらりと高い背丈、クールな目。中学生とは思えない落ち着いた雰囲気を持っている。
「小梅ちゃん! もう充分お姉さんっぽいですよ!」
「そうでしょうか?」
「大人びた感じはあるよね。クールビューティーな感じとかさ」
「それでいて、ポンコツ感が微妙に加わり親しみやすさもあります!」
「ポンコツ!?」
口が滑ったメル子は慌てて両手で口を覆った。
「でもお姉さん系というにはまだなにかが足りないような気がするんですが。なにが足りないでしょうか?」
小梅はメル子を見た。背は自分より低いものの、大人の色気を漂わせるメイドロボ。小梅は自分の平らな胸を見た。
「お乳でしょうか?」
「あ〜、それはあるかも。マリーはおっぱい大好きだしね」
「おっぱい大好き!?」
「いつもアン子のお乳を揉みながら寝ているし」
「私のお乳を揉みながら寝たこともありますよ!」
「赤ちゃんですか!?」
小梅は頭を抱えた。それは急にどうこうできるものではないし、巨乳メイドロボに勝てるはずがない。
しかしあることに気がついた。
「黒乃さんはぺったんこじゃないですか! お乳は関係ないですよ!」
「だれがぺったんこじゃい」
その時、遥かな地の底から心臓を鷲掴みにするかのような寒心に堪えない声が響き渡った。
オーホホホホ……オーホホホホ……。
「ぎゃあ! 出ました!」
「マリーちゃん!? マリーちゃんが来ます!」
小梅は立ち上がり小汚い部屋を走り回った。そして押し入れを開けると頭から布団の中に突っ込んだ。
「オーホホホホ! なにやらお騒がしいでございますのねー!」
「オーホホホホ! どなたかいらっしゃいますことー!?」
「「オーホホホホ!」」
小汚い部屋に踊り込んできたのは金髪縦ロールのお嬢様たちであった。
「お、二人ともいらっしゃい」
「お二人ともお上がりください!」
「先日のお泊まりのお礼に参りましたのよー!」
「お菓子を作ってきましたわー!」
部屋に上がったマリーは異変を感じ取り周囲を見渡した。
「くんくん。なにか知らない人の匂いがしますの」
「くんくん。若いメスの匂いがしますの」
マリーは鼻を鳴らしながら匂いをたどり、押し入れのふすまを勢いよく開けた。そこには頭だけ隠してケツが隠しきれていない小梅の姿があった。
「小梅さん、なにをしていらっしゃいますの?」
「あ、マリーちゃん。あの、こんばんは」
小梅は押し入れから這い出ると、顔を真っ青にして床に正座をした。
「なにやら騒がしいから来てみたら、また小梅さんでしたのね」
「あ、あの。いや、あの。ごめんなさい」
「ねえ、マリー。小梅はマリーがどんな人が好きなのかを聞きたいんだってさ」
「黒乃さん!? 言わないでください!」
小梅は顔を手で覆って床に伏せてしまった。メル子がその背中をゆっくりと撫でる。
「マリーがお姉さんタイプが好きなんだと思っているみたいよ」
「わたくしがですの?」
小梅は指の隙間からマリーを見上げた。
「マリーちゃん。マリーちゃんはどんな子が好きなんですか? お姉さん系ですか?」
「もちろんお姉様は大好きですわよ」
「黒乃さんとも仲がいいみたいだけど……」
マリーは大きく息を吐いた。
「黒乃さんはお友達枠でもお姉様枠でもございませんわ。保護者枠ですのよ」
「保護者!?」
「なぬ!?」
メル子は吹き出した。ケラケラと笑いだす。
「ご主人様はママということですか!?」
「どちらかといえばパパですの」
「パパ!?」
「なぬ!?」
小梅と黒乃は呆然とマリーを見つめた。
「ご主人様がパパです!」
「黒乃様はパパですわー!」
メル子とアンテロッテは床に伏せてピクピクと震えた。
小梅は立ち上がった。
「わかりました。これからはダンディーな大人の男性を目指します! ありがとうございました!」
小梅は目を輝かせながら玄関にいき靴を履くと、頭を下げて小汚い部屋から去っていった。黒乃は呆気に取られてそれを見送った。
「あの、マリー?」
「なんですの?」
「私、パパなの!?」
「パパですの」
「パパなの!?」
「パパですの」
メル子とアンテロッテはそのやり取りを聞いて腹を抱えて床を転げ回った。
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