第256話 お世話をします!

「それではご主人様。行ってまいりますね」


 メル子は小汚い部屋の玄関に立ち、心配そうに黒乃に視線を向けた。


「うん、気をつけてね」


 黒乃は床に座りそれを見送った。今日はメル子の定期メンテナンスの日である。いつものメンテナンスとは違い、検査に丸一日を要する。度重なる冒険によりボディにかかった負荷は計り知れない。念入りなチェックが必要であろう。


「お昼は用意しておきました。温めて食べてくださいね。プランター畑の水やりもお願いします。雨の予報がありますのでお洗濯物には気をつけてください」

「おっけーおっけー平気だよ。ご主人様のことより自分の心配をしなよ」


 一通り心得を述べたあと、メル子は寂しそうに部屋をあとにした。

 黒乃は床に寝転がり天井を眺めた。ほんの一日とはいえ、最愛のメイドロボと離れ離れになるのは寂しい。この空虚な時間をどう過ごそうか思いを巡らせた。


 するとドアベルが鳴らされた。


「あれ? メル子、忘れ物でもしたのかな」


 黒乃は扉を開けた。そこに立っていたのは金髪縦ロール、シャルルペロードレス風のメイド服を纏ったメイドロボであった。


「なんだ、アン子じゃん。朝からどしたの? マリーは?」


 珍しくアンテロッテ一人だ。華やかな金髪に包まれた丹精な美しい顔は暗く沈んでいた。


「実はお願いがあってまいりましたの」

「お願い? なんだろ。まあ上がりなよ」


 黒乃はアンテロッテを部屋に通し、床に向かい合って座った。


「実はわたくし、本日より定期メンテナンスに行かなくてはいけませんの」

「ほうほう。なんだメル子と同じじゃん。アン子も結構無理してるからねえ」

「いつもはクサカリ・インダストリアルのメンテナンス車が来てくださるのですが、交通事故を起こしたらしくスクラップになりましたの」

「なんてこったい」


 アンテロッテは姿勢を正してかしこまった。


「そこで、わたくしが工場へメンテナンスに行っている間、お嬢様の面倒を見てほしいんですの」

「え? マリーの?」


 黒乃は指で頭をかいた。


「アニーに預けるんじゃダメなの?」

「アニーお嬢様は足首をグネって入院中ですの」

「足首弱いんだねえ」


 アンテロッテは床に手をついて頭を下げた。


「どうかお嬢様をよろしくお願いしますの」


 黒乃はアンテロッテの肩に手を置いた。


「アン子がそこまで言うなら、わかったよ。マリーの面倒は私がしっかり見るから任せなさいよ」

「黒乃様! 感謝いたしますのー!」


 黒乃はアンテロッテの背中をポンポンと叩いた。そのどさくさに紛れてお乳を揉んだ。アンテロッテは安心した様子でボロアパートから去っていった。



「お邪魔しますの。今日はよろしくお願いしますの」


 小汚い部屋に現れたのは金髪縦ロール、シャルルペロードレスの少女だ。


「やあ、よろしくね」


 アンテロッテのマスターであるマリー・マリー。フランスからやってきた中学二年生で、正真正銘のお嬢様である。中学生にしては背は少し低くいかにも華奢だ。しかし才気あふれる太陽のようなその姿は、小汚い部屋を眩しく照らしている。


「まさかメイドロボのメンテナンス被りとはねえ」

「わたくしは一人でも大丈夫と言ったのですが、アンテロッテがどうしてもとお願いしてしまいましたの。本当は一人でも大丈夫でしたの」

「ぷぷぷ、強がってらぁ」

「強がっていませんの」


 黒乃はニヤニヤとお嬢様を眺めた。とはいえマリーの寂しさはよくわかる。自分もそうだからだ。小さな少女なら尚更であろう。

 二人は床に向かい合って座った。気まずい沈黙が流れた。


「マリーはいつもなにをして過ごしているのさ?」

「だいたいアンテロッテとお昼寝をしていますの。あとはチェスをしたり、お昼寝ですの。おやつを食べて、お昼寝ですの」

「寝てばっかりだな」

「寝る子は育ちますの」


 黒乃はマリーを舐め回すように眺めた。


「うーむ、それにしては色々小さいけど。アン子とアニーはHカップの巨乳なのに」

「もうすぐ大きくなりますのよ」


 なにはともあれお昼の時間だ。黒乃はメル子が置いていった料理をレンジで温めた。本日のメニューはアルゼンチンのパイ、エンパナーダだ。巨大な餃子のような形をしており、中には様々な具材が詰め込まれている。


「でもこれ私の一人分しかないんだよな」

「ご心配なく。アンテロッテが作り置きをしてくれましたの」


 マリーが籠から取り出したのは美しい模様の焼き菓子ガレット・デ・ロワだ。パイ生地の中にアーモンドクリームが入っている。


「うひょー! うまそう! パイ被りしてるけど」


 二人は愛しのメイドロボの手料理を分け合って食べた。

 マリーの習慣によれば、お昼が終わったのならお昼寝の時間だ。


「えーと、ベッドはないから布団でもいいよね」

「構いませんの」


 黒乃は自分の布団を床に敷いた。するとマリーはおもむろに服を脱ぎ始めた。


「あれ、なんで脱ぐんだろう」

「お昼寝する時はいつもお全裸ですの」


 マリーは全裸で布団の上に仰向けになった。その姿勢から黒乃を凝視した。


「どしたん?」

「添い寝をしてほしいですの」

「一人で眠りなよ」

「添い寝がないと眠れませんの」

「赤ちゃんかな」


 黒乃は渋々マリーの横に並んだ。


「もう中学生なんだから一人で眠れないとあかんでしょ」

「高校生になったら一人で眠りますの」


 するとマリーは黒乃の腕にしがみついてきた。


「なんかこれ……逮捕されない? 大丈夫!?」

「なにを言っているのかわかりませんの。それよりもお話をしてくれないと眠れませんの」

「なにお話って? 昔話のこと!?」

「なんでもいいですの」

「わがままやなぁ。えーとむかしむかし、貧乏な若者がいました。若者は罠にかかったロボット鶴を助けてあげました。するとその晩、ロボット鶴がボディを換装して美少女メイドロボになって家にやってきました。あ、もう眠ったわ」


 マリーは安らかな寝息を立てて眠りに入っていた。黒乃は呆れてその寝顔を眺めていたが、やがて自身も睡魔に襲われて眠りに引き摺り込まれていった。



 午後、二人はチェスをしていた。


「マリー」

「なんですの」

「マリーの駒、ポーンしかないけど」

「駒落ちのおハンデですのよ」

「ポーンだけで勝てるわけないでしょ」

「やってみないとわかりませんの」


 黒乃は普通に負けた。


「ぐぁぁあああ! 負けましたぁぁああ! マリーがチェスのジュニアチャンピオンなの忘れてたぁぁああ!」

「弱いですの」



 チェスの後はおやつの時間だ。テーブルには市販の菓子が並べられた。


「これなんですの? おフランスのお菓子はございませんの?」

「アン子じゃないんだから、そんなもん作れるわけないでしょ。売ってるお菓子だよ」


 ロボンキー、ロボコの森、ロボノコの里、ロボの実。どこにでも売っている普通のお菓子だ。


「これ食べても大丈夫なんですの? 添加物とか入っていませんの?」

「そりゃ入ってるよ。いいから食べなさいよ」

「いただきますの」


 おやつでお腹が膨れた後は再びお昼寝だ。全裸になったマリーの横に寝転がり昔話を聞かせる。


「えーと、むかしむかしロボずきんちゃんがロボ婆さんのお見舞いに行きました。ロボオオカミが現れてロボ婆さんを食べてしまいました、あ、もう寝た」


 

 マリーが目を覚ますと黒乃はキッチンで料理をしていた。鍋が煮え、スパイシーな香りが小汚い部屋を満たしていた。


「美味しそうな匂いがしますの」

「お、マリー。起きたか。夕飯はカレーだからね」

「おフランス料理じゃございませんの?」

「そんなもん作れるか! 黒ノ木家秘伝の餃子カレーだから楽しみにしてなよ」


 夕食が完成し、二人はモリモリとカレーを頬張った。


「辛いけど美味しいですの」

「でしょ? うちの家族はみんなこれが好きなんだよ」

「でもアンテロッテのおフランス料理の方が美味しいですの」

「こらこら! そりゃアン子はプロなんだからさ。比べられても困るよ」

「でも美味しいですの」


 文句を言いつつもマリーはきっちり一皿完食した。



 夕食の後は風呂だ。一人では入れないということなので黒乃が入れることにした。


「なんで自分で入れないのさ!」

「いつもアンテロッテに入れてもらってますの」


 マリーは風呂場に入った途端完全に脱力をして黒乃にもたれかかった。


「またか。ちゃんと自分で立ちなさい!」

「洗ってほしいですの」


 黒乃は自力では全く動かなくなったマリーを必死に持ち上げて体を洗った。百パーセント脱力状態のため異常に重い。


「ハァハァ、赤ちゃんよりタチが悪い!」


 

 重労働の入浴を済ませたらようやく就寝の時間だ。マリーはもちろん全裸になり布団に潜り込んだ。


「アン子は毎日これをやっているのか。お嬢様のお世話って大変だわぁ」


 黒乃は電気を消してマリーの横に滑り込んだ。明日になればメル子とアン子が帰ってくる。そう思えば今日という日も悪くはない。黒乃は暗闇の中で笑みをこぼした。


 すると振動が伝わってきた。黒乃の腕にしがみついているマリーが震えているようだ。


「あれ? どうしたのマリー。寒いの? 全裸だからなあ」


 マリーを見ると目に涙を溜めて天井を見上げていた。


「なんだいマリー。アン子に会えなくて泣いているのか。明日帰ってくるんだからもうちょい我慢しなさいよ」

「泣いていませんわ」


 強がるマリーを見ているとなぜか黒乃の目にも涙が浮かんできた。


「あれ? なんだろう?」


 マリーの世話にかかりきりで忘れていたが、黒乃もメル子不在で寂しさを感じていたのだ。メル子がボロアパートに来てから離れ離れになったことは数える程しかない。黒乃もマリーもメイドロボが心の支えになっていたのだ。


「うう、メル子。はよ帰ってきて」


 その晩二人は震えながら抱き合って眠った。



 朝。カーテンを開けると爽やかな光が部屋に差し込んできた。二人はキラキラとした目でその朝日を眺めた。

 もう昨日までのクヨクヨとした二人はどこにもいない。今日二人のメイドロボが帰ってくるからだ。その圧倒的な信頼感が二人を輝かせた。


「フハハハハ! メイドロボがいなくてもなんとかなるもんだ!」

「オーホホホホ! 余裕でしたわー!」


 二人の目は昇りゆく朝日よりも美しく輝いていた。


 その時、二人のデバイスがメッセージを受信した。


「お? 八又はちまた産業からだ。なになに? メンテナンスがもう一日延びます?」

「クサカリ・インダストリアルからですの。メンテナンスがもう一日延びると書いてありますの」

「……」

「……」


 二人はプルプルと震えながら顔を見合わせた。



 ——翌日。

 メル子とアンテロッテは並んでボロアパートに帰宅した。


「アン子さんもメンテナンスが延びてしまったのですか」

「そうなんですの。換装したボディがイマイチ馴染まなくて困っていますのよ」

「ご主人様を待たせてしまいました。二人は仲良くやっているでしょうか」

「お二人なら心配ございませんわー!」


 メイドロボ達は仲良く階段を上ると元気よく小汚い部屋の扉を開けた。


「ご主人様! ただいま戻りました!」

「お嬢様ー! お待たせいたしましたわいなー!」


 開けた扉の先には白ティー丸メガネ黒髪おさげの女性と、金髪縦ロールの少女が折り重なるようにして床に倒れていた。

 二人はその様子を立ち尽くして眺めるしかなかった。

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