第255話 書道展です!
浅草寺から数本外れた路地に佇む古民家。今日も元気にゲームスタジオ・クロノス一行は業務に励んでいた。
「先輩、秋葉原の会社から開発サポートの案件が入っています」
赤みがかったショートヘアに真っ赤な唇が色っぽい桃ノ木桃智は、先方からのメッセージを黒乃の画面に転送した。
「おお、この前営業にいったとこね。まだ新しい会社でスタッフも少ないみたいね。にしても随分大規模な開発をするみたいだけど平気かな」
「チーム立ち上げにあたって、うちに基幹部分のサポートをしてほしいみたいですよ」
「なに、基幹部分のサポートって。それもううちが主導でやっちゃった方がいいんじゃないの?」
「ですね。FORT蘭丸君もいますし、コア部分は全部うちが作ってしまいましょうか?」
「よし。じゃあ開発を乗っ取る感じでいこうか。それとなく、穏便に、悟られないようにね」
「おまかせください」
桃ノ木の隣の席のFORT蘭丸はそのやり取りを真っ青な顔で聞いていた。
「フォト子ちゃんの方はどうかな? キャラデザできた?」
「……できた」
黒乃がフォトンの画面を覗き込むと、そこには緑の粘液の塊が表示されていた。
「これが柔らかい感じの男子?」
「……柔らかい系男子」
「リテイクで」
フォトンはがっくりと机の上に伏せた。青いロングヘアがなんともいえない色に目まぐるしく変化した。
しばらく作業を続けるとランチの時間がやってきた。事務所の台所からスパイシーな香りが漂いくる。
「さあ皆さん、お待たせしました! お昼ですよ!」
「女将サン! 待っていまシタ!」
「……お腹ロボペコ」
一行はメル子の手料理を存分に味わった。食事が終わりまったりとした空気が流れ始めた頃に、フォトンが紙の束をテーブルの真ん中に置いた。
「ん? フォト子ちゃん、これなに?」
黒乃はその紙を一切れ手にとった。そこに書かれていたのは『
「フォト子ちゃん! 陰子先生の書道展ですか!?」
メル子もその紙を手にとり瞳を輝かせた。
「……うん」
「このチケットもらっていいのかしら」
「……みんなで来てほしい」
「アレ!? フォト子チャンの名前も書いてありマス!」
チケットの裏をよく見ると出展者の中にフォトンの文字があった。
「フォト子ちゃんも出展するのかしら?」
「……する。えへへ」
「すごいです!」
「じゃあ明日みんなで行ってみようか!」
「「はい!」」
——上野の森美術館。
上野駅の目の前、上野公園の一角に建てられた私立美術館。1972年に設立され、常設のスペースを持たない企画専用の施設である。
本日の企画は書道家として名高い影山陰子による展示会だ。昼前にやってきたが既に館内には多くの人が出入りをしていた。
「おお、おお。盛況だねえ」
「ご主人様! 私美術館は初めてですよ!」
「女将サン! ボクもデス!」
「わぁ〜お、だーりん。美術館ってなにするところなの〜?」
「私はゴッホ展とツタンカーメン展に来たことあるわよ」
本日集まったのはゲームスタジオ・クロノス一行とFORT蘭丸のマスターであるルビー・アーラン・ハスケルだ。
一行は受付でチケットを渡し、展示スペースに入った。館内は照明が絞られ、スポットライトに照らされた作品達が際立つ演出が施されている。
「ご主人様……! ご主人様……!」
メル子は声を抑えて囁いた。
「どしたん?」
「なにか美術館ってドキドキしますね! 静かですし、皆さん真剣に作品を見ています!」
「確かにね。ご主人様も学生の頃に来た以来だなあ」
一行はそれぞれ作品を見て回ることにした。館内は広く、全てをじっくり楽しむには二時間はかかる。
黒乃は静けさが支配する通路をゆっくりと歩いた。
「ここは書のコーナーか」
巨大な掛け軸に書かれた力強い文字。型に縛られない
「か〜、やっぱりプロは字がうまいなあ。当たり前か。えーと、『力もち』、『お年玉』、『高額当選』、『こじか』。いったい陰子先生はなにを思ってこの文字を書いたのか? そこに思いを馳せるのも美術館の醍醐味なんだろうなあ」
黒乃は頭をフル回転させて想像してみたが答えは得られなかった。
「ああいう人の頭の中は凡人には理解できないよね」
一通り見て回るとコーナーの隅に一目見て作風の違う書が現れた。
「お? これがフォト子ちゃんの書か。やっぱ達筆だな。なになに? 『巨大なケツ』? なんのこっちゃ」
黒乃はますます頭を捻らせた。
一方メル子は水墨画のコーナーにいた。
掛け軸に描かれた山水図、
「すごい迫力です。どうやったら墨と水だけでこのような表現ができるのでしょうか? これを見てください。林の中を金魚が飛んでいます。まるで書の中から飛び出してきそうな勢いです。あれ? なんでしょう? 本当に飛び出して見えます。立体的に見えます! てかこれ立体視です! 水墨画でステレオグラムを実現しています! そんな馬鹿な!」
メル子は机の上に置かれた一本の巻物に注目した。巻物は装置に固定され、左右のバーに巻き取られている。
「なんでしょうかこれは? このハンドルを回せと書いてあります。回してみましょう。この窓から覗くのですね」
メル子はハンドルをゆっくりと回し始めた。すると巻物が左から右へと巻き取られていった。窓から見ると絵が目まぐるしく変化している。
「これアニメーションです! この巻物は映画のフィルムです! 水墨画で動画を作ってしまいました!」
メル子は夢中になってハンドルを回した。カエルやウサギが生き生きと飛び回る様子に酔いしれた。
「ハァハァ。クソ長い巻物でした。腕が疲れました。おや? これはフォト子ちゃんの描いた水墨画のようですね。これはなにを表しているのでしょうか?」
その掛け軸には無数の動物とそれに取り囲まれる人間の姿が描かれていた。
「この動物は猫でしょうか。たくさんいます。このおケツのでかいのは誰でしょうか。謎です」
FORT蘭丸とルビーは体験コーナーにいた。
「だーりん、ここはわっでゅどぅ〜?」
「ルビー! ココで転写ができるみたいデスよ!」
二人は椅子に座った。スタッフが書が印刷されたハガキ大のフィルムを手渡した。この中から好きなものを選ぶようだ。
「タトゥーみたいなモノデスね!」
「楽しそうね〜」
ルビーが選んだフィルムを水が張られた桶の水面に浮かべる。すると印刷面が水面に残される。ここに腕を入れると綺麗に書が腕に転写されるのだ。これを水圧転写という。
「わぁ〜お、不思議ね〜」
ルビーの腕には『租税』の文字が転写された。
「だーりん。だーりんはこれやって〜」
「コレは陰子センセイの書ではなくてフォト子チャンの書デスね! 『月のニート』って書いてありマス!」
ルビーは水面に浮かんだ書に向けてFORT蘭丸の頭を押しつけた。
「グェップ! ルビー!? ナニをしマスか!? 離しテ!? ルビー!? ヤメテ!」
「だーりんのツルツル頭は転写しやすそうね〜」
FORT蘭丸の頭にはしっかりとフォトンの書が転写された。
桃ノ木は物販コーナーにいた。
大勢の人が詰めかけ、品物を手にとるのも一苦労だ。
「このハガキセット素敵だわ」
陰子の水墨画が印刷されたものだ。他にも書が細々と絵付けされた湯呑み、複雑な模様のハンカチ、謎のポエム集。片っ端からカゴに詰め込んだ。
その中でふと目に止まったのは、書が印刷された白ティーだった。
「これもいいわね。先輩にプレゼントしようかしら。あら? これは陰子先生の書ではなくてフォト子ちゃんの書だわ」
白ティーにはデカデカと『富士に昇る巨尻』の文字が踊っていた。
「ハァハァ、無性に欲しくてたまらないわ。買いましょう。あ、そろそろ演舞の時間だわね」
桃ノ木は演舞場に向かった。
「桃ノ木さん、こっちだよ」
「先輩、遅れました」
「もうすぐ始まりますよ!」
大勢の客が詰めかけているのは書道パフォーマンスを行う演舞場だ。壇上には巨大な和紙が敷き詰められ、その前にはパイプ椅子が並べられている。客席は既に満員だ。床と壁には厳重にビニールシートが張られている。
「シャチョー! どうシテみんなカッパを着ているんデスか!?」
「そこで買ったからだよ」
「ナンのタメに!?」
そこに影山陰子とフォトンが現れた。陰子は年の頃で言えば四十のキリリとした雰囲気の女性だ。黒い髪を結い上げて白いうなじを覗かせている。
二人は客席に一礼をすると壇上に上り正面に礼をした。会場が静まり返った。エンジ色の上衣と袴に身を包んだ二人は巨大な筆を手にとるとそれを一閃させた。
「ブェエエエエ!?」
筆の勢いと共に墨が飛び散り、一瞬にしてFORT蘭丸は墨まみれになった。陰子とフォトンは一心不乱に筆を振り見事な書を完成させた。
「おお、すげえ」
「ご主人様! すごい迫力ですね!」
拍手が巻き起こった。大きな歓声に包まれるものの、陰子は首を横に振っている。
「あれ? なんだろう。納得いっていないのかな?」
すると壇上のフォトンがFORT蘭丸を指差した。二人は頷くと客席に降り、そしてFORT蘭丸を担ぎ上げた。
「イヤァー! ナンデ!? ナニをスルの!? シャチョー助ケテ!」
墨まみれのFORT蘭丸は壇上に放り投げられ、ビタンと紙の上に張り付いた。見事なFORT蘭丸のロボ拓の完成である。
観客は全員立ち上がった。割れんばかりの拍手が上野の森美術館に鳴り響いた。
黒乃達は美術館の控室に通された。そこでは陰子とフォトンが一行を出迎えてくれた。
「皆様、本日はお越しいただき誠にありがとうございました」
陰子は深々と頭を下げた。
「ああ、いえいえ、そんなそんな」
「陰子先生! 今日は楽しかったです!」
メル子は初めての美術館にご満悦のようだ。
「フォトン。あなたからもお礼を言いなさい」
「はい! 先生!」
フォトンは弾かれたように立ち上がり頭を下げた。
「フォト子ちゃんの作品も素敵だったわよ」
桃ノ木はフォトンの頭を撫でた。
「……えへへ」
「フォトン。FORT蘭丸さんを綺麗にしてさしあげなさい」
「はい! 先生!」
フォトンは墨まみれで床に転がって泣いているFORT蘭丸を連れて奥の部屋へと入っていった。
すると陰子は改めて黒乃達に深々と頭を下げた。
「あれ、陰子先生どうしたんですか? 頭を上げてくださいよ」
「いつもフォトンが本当にお世話になっています。富士山に行った時も、月に行った時も、無人島に行った時もフォトンを守ってくださったそうで」
黒乃達はなんとも気まずい表情を浮かべた。どちらかというとフォトンを巻き込んでしまっているという負い目が少なからずある。
「フォトンは内向的で自宅でも自分のことはあまり喋ろうとはしませんでした。しかし皆様のことは楽しそうに喋るのです。どこにいった、どんな冒険をした、なにが嬉しかったか、なにが辛かったか。生き生きと私に語ってくれるのです。そしてそれはフォトンが描く作品にも如実に表れています。それが師匠として、親として嬉しくて仕方がないのです」
黒乃はメル子を見た。自分も同じだ。自分もメル子が泣いたり笑ったりしているのを見ると嬉しいのだ。ロボットとマスターとの絆が深まるような感じがするのだ。言わばロボットとマスターは一心同体。ロボットの喜びはマスターの喜びだ。
「陰子先生。私達もフォト子ちゃんに助けられていますよ。これからもうちにはフォト子ちゃんが必要です。一緒に頑張ってみんなで作品を作り上げるので見ていてください」
陰子は黒乃の手をとると力強く頷いた。
するとすっかり墨が落ちて綺麗になったFORT蘭丸が現れた。
「シャチョー! 綺麗になりまシタ!」
「おう! FORT蘭丸よかったな! じゃあ帰ろうか!」
「「はい!」」
一行は上野の森美術館を後にした。
FORT蘭丸の頭には『月のニート』の文字がしっかりと刻まれていた。
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