第249話 お花見です!

 早朝のボロアパートの小汚い部屋。メル子は心配そうにご主人様の作業を覗き込んでいた。

 珍しくキッチンに立っている黒乃は不器用な手つきでなにやら調理をしているようだ。


「ご主人様! 手伝いますか!?」

「いや、いいよ」


 鍋に具材を入れてなにかを煮込んでいる。香ばしい香りが部屋中を満たした。


「ふうふう、いい感じにステーキ鍋の出汁が取れた」

「味見をさせてください!」


 鍋に手を伸ばすメル子を無理矢理押しのけた。メル子は残念そうにしょぼくれた。


「さあて、次はたこ焼き鍋の準備だな」

「ご主人様! 手伝いましょうか!?」

「いや、いいよ」


 黒乃は順調に準備をこなしていく。メル子はそれをやきもきしながら見守った。


 四月の暖かな陽気。絶好のお花見日和である。黒乃は朝からお花見の準備をしているのだ。


「今日はご主人様に任せてよ。いつもメル子は働き通しなんだからさ。たまにはご主人様が楽をさせてあげるよ」

「……はあ」


 そう言われたメル子は微妙な表情をみせた。ご主人様の心遣いはもちろん嬉しいが、メイドとしての役割を果たせないのは寂しくもある。


「大丈夫、大丈夫。こう見えてもご主人様はなんでもできるんだから。お花見にはみんなも呼んであるからね。みんなで楽しもう!」

「はい!」

 


 ——隅田公園。

 隅田川を挟むようにして広がる憩いの公園。川沿いにはびっしりと満開の桜が咲き誇り、お花見客で賑わいをみせている。

 川を遡ってくる海からの柔らかな風に煽られて桜の花びらが舞い踊る。存分に空を泳いで疲れた花びら達は、今度は水面へと降り立ちその羽を休める。

 メル子は波打つ桜のみなもをうっとりと眺めた。


「わあ! 桜って綺麗ですねえ!」

「何回見ても驚くほど綺麗だねえ。まあメル子の方がもっと綺麗だけどね」

「ご主人様! 見てください! 桜の川を水上バスがかき分けて進んできていますよ!」

「ああ、そう」


 黒乃とメル子は巨大な荷物を抱えて歩いた。当然の如く隅田公園は花見客で溢れかえっていた。ビニールのシートを広げ、料理を広げ、桜吹雪を浴びながらの宴会。二十一世紀となんら変わらない光景だ。

 否、一つ違う点があった。それは公共の場では飲酒が禁止されているということだ。自宅や酒場でしか飲むことは許可されていない。


「まあご主人様はお酒飲めないからいいんだけどね」

「今日はお料理を楽しみましょう!」


 公園を中程まで進むと、青いシートの上に見た目メカメカしいロボットが横たわっているのが見えた。騒がしい花見客の中にあって、そこだけが陰鬱な空気で満たされていた。


「おう、FORT蘭丸。場所取りご苦労さん」

「シャチョー! 遅いデスよ! 朝から六時間も一人で待ちまシタ!」


 FORT蘭丸は起き上がると頭の発光素子を明滅させながら捲し立てた。


「蘭丸君! お疲れ様です!」

「女将サン! 今日は美味しい料理を食べられるんデスよね!?」

「今日はご主人様が料理を作ってくれましたよ!」

「シャチョーが!?」


 一抹の不安を抱えて花見がスタートした。

 黒乃はシートの上にテーブルを設置した。その上にガスコンロを四つ並べ、さらにその上に鍋を四つ乗せた。


「よしよし、これで準備完了だ」

「シャチョー! 鍋パーティーデスか!?」

「そうだよ。全部黒ノ木家に伝わる秘伝の鍋だからな。期待していいぞ!」

「楽しみデス!」


 場所は確保できた。鍋も温まった。あとは人が来るのを待つだけだ。


「……」

「……」

「……」


 FORT蘭丸はきょろきょろと辺りを見渡した。


「アノ、シャチョー」

「どした?」

「誰も来まセンよ?」

「うむ」

「みんなに声をかけたんデスよね?」

「うむ」

「みんなナンテ言ってまシタか?」

「行けたら行くって」


 風が吹き、桜の花が舞い散った。

 すると一人の女性が慌てて走ってくるのが見えた。


「先輩! 遅れました!」

「桃ノ木さん! 来てくれたんだね!」

「もちろんです! でも急用があってすぐに行かなくてはいけないんです」

「ええ? そうなんだ。まあいいさ。ささ、上がって上がって。鍋を食べていきなよ」

「お邪魔します」


 桃ノ木は靴を脱いでシートに上がった。鍋の前に座る。


「ほら! 黒ノ木家に伝わるステーキ鍋だよ!」

「ご主人様の手作りですよ!」

「先輩の手作り鍋、ハァハァ。いただきます。あ、これ差し入れのカニです」


 黒乃は鍋から肉と出汁を小皿に取り分けた。皿からデロリと肉がはみ出している。


「モグモグ。美味しいです! 柔らかくて香り高い熟成肉に出汁が染み込んでいて、ペロリといけてしまいますね」

「ふふふ、そうだろうそうだろう」


 桃ノ木は肉を食べ終わるとそそくさと退散していった。相当急いでいるようだ。三人はそれを名残惜しそうに見送った。


「……」

「……」

「……」


 静寂が訪れた。周囲の花見客の喧騒で溢れているはずが、ここだけぽっかりと空間が切り取られたように静まり返っていた。


「アノ、女将サン」

「なんですか?」

「今、ナンの時間なんデスか?」

「お客様を待っています」

「みんなに声をかけたんデスよね?」

「はい」

「みんなナンテ言ってまシタか?」

「行けたら行くと」


 風が吹き、桜の花が舞い散った。

 その風と共に一人の子供型ロボットが現れた。


「……クロ社長」

「フォト子ちゃん! 来てくれたんだ!」

「……先生がこれもっていけって」


 フォトンはメル子にハマグリを手渡した。


「ありがとう! さあさ、フォト子ちゃんも食べていきなよ」

「……これから先生と山に修行にいくからちょっとだけ食べる」

「山に修行デスか!?」


 黒乃は鍋から小皿に取り分けた。出汁の中に丸いなにかが浮いている。


「……このツミレ、なんかおかしい」

「フォト子ちゃん! それはツミレではなくてたこ焼きですよ!」

「……なにそれキモい」

「黒ノ木家に伝わるたこ焼き鍋だよ! 美味しいから食べて食べて!」


 フォトンは恐る恐る箸でつまんだたこ焼きを頬張った。噛み締めると中から大量の出汁が溢れ出し、フォトンの口の中を賑わせた。


「……あちゅあちゅ。なんか落ち着く味」

「ふふふ、家庭の味だからね」


 一通り食べるとフォトンは去っていった。シートは再び三人だけになった。


「……ご主人様」

「なんだい」

「お花見って楽しいですね!」

「でしょ」

「お花見ってこういうモノでしたッケ!?」


 しばらくすると巨漢の二人組が現れた。張り裂けそうな筋肉が春の日差しをうけてテカテカと輝いている。


「黒乃 おで さしいれ もってきた」

「マッチョメイドとマッチョマスターじゃん!」

「お二人ともいらっしゃいませ!」


 マッチョメイドは手にぶら下げたカツオを差し出した。体長五十センチメートルはある立派なものだ。


「カツオは タンパク質 ほうふ なべに いれる」

「ありがとうございます!」


 マッチョコンビは鍋をガツガツと食べるとトレーニングがあるからと去っていった。


「……」

「……」

「……」


 風が吹き、花びらを散らした。


「シャチョー!?」

「なんだどうした?」

「お花見ってもっとコウ、ミンナでワイワイやるモノではないんデスか!?」

「え? そうなん? 黒ノ木家では毎回こんな感じだけど」


 黒乃はきょとんとした。


「周りを見てくだサイよ! ミンナ大騒ぎしていマスよ!」

「本当だ〜」黒乃は周りを見渡し口に手をあてて驚いた。

「今気がついたんデスか!?」


 メル子はFORT蘭丸の肩に手を置いた。


「蘭丸くん、ご主人様は陰キャの中の陰キャ。心に陽の気を防ぐバリアをもっているのです」

「バリアが!?」


 そうこうしているうちに再び客が訪れた。


「やあ、黒乃山」

「黒乃山、盛り上がっているようですね」

「ドコを見てソウ思いまシタか!?」

「マヒナ! ノエ子!」

「お二人ともいらっしゃいませ!」


 褐色肌の二人組は土足でシートに上がった。


「こらこらこらー! 靴を脱ぎなさい!」

「おっと、これは失礼」

「日本の風習には慣れていないもので」


 黒乃は小皿を二人に手渡した。


「黒乃山、これはなんだい?」

「黒ノ木家に伝わるトンカツ鍋だよ!」

「美味しそうですね、いただきます」


 二人は出汁をたっぷりと吸い込んだ衣ごと肉を噛みちぎった。肉の油と出汁の爽やかさの相乗効果であっさりと食べられる。二人は満足顔で去っていった。帰り際にパイナップルを置いていった。


「シャチョー!?」

「どしたん?」

「ドウしてミンナすぐに帰ってしまうんデスか!?」

「忙しいんじゃないかな」

「はぁ〜い、だーりん」

「ルビー!? どうしてココに!?」


 突然現れたのはFORT蘭丸のマスターである、ルビー・アーラン・ハスケルだ。まだ肌寒いというのに薄いタンクトップから惜しげもなくムチムチの素肌を晒している。


「だーりん、暇だからきたよ〜」

「やあ、ルビー。いらっしゃい」

「ルビーさん! お鍋を食べていってください!」


 しかしルビーは鍋も食べずにシートの上に横になると寝初めてしまった。黒乃とメル子は微笑ましい顔でそれを眺めた。


「いや〜、のんびりしてていいね」

「お花見ってこんなにゆったりとしているのですね」

「ウチだけダト思いマス!」

「ニャー」


 ロボット猫のチャーリーが寝ているルビーの巨大なケツの上で丸まった。


「お、チャーリーもお花見がしたいのか」

「チャーリー! もらったパイナップルを食べますか!?」

「ウホ」

「お、ゴリラロボじゃん!」


 バナナの房を抱えたゴリラロボがシートに上がり込んできた。


「まさかゴリラもお花見をする時代とはねえ」

「ゴリラロボ! バナナをありがとうございます!」

「居座るノハ動物ロボばっかりナンデスけど!?」

「ごっちゃんです」


 浴衣を着て髷を結った巨大なロボットが現れた。


「大相撲ロボ!」

「巨漢ばっかりでシートが狭いデス!」

「黒乃さん、ツミレをもってきたッス。食べて欲しいッス」

「大相撲ロボ、変なツミレではありませんよね!?」

「メル子さん! 普通のツミレッス!」

「よ〜し、食材も揃ってきたし、全部鍋にぶち込むか〜」


 黒乃は差し入れのカニ、ハマグリ、カツオ、パイナップル、バナナ、ツミレを鍋にぶち込んだ。


「……」

「……」

「……」


 周囲の喧騒をよそに、鍋の煮える音だけが黒乃達のシートに漂った。


「アノ、女将サン」

「どうしましたか?」

「ナンで誰も喋らないんデスか?」

「蘭丸君。ご主人様は陰キャなので、人が複数集まると急に喋らなくなります。話題を思いつかないのです」

「陰キャって大変ナンデスね!」


 その時、桜の木の根から掘り起こされるような太古の音色が響き渡った。


 オーホホホホ……オーホホホホ……。


「コノ声はマリーチャン!?」

「オーホホホホ! 遅れましてごめんあそばせー!」

「オーホホホホ! 最高級のカニを用意するのに手間取りましてよー!」

「「オーホホホホ!」」


 金髪縦ロールのお嬢様たちがシートに乗り込んできた。


「お、マリー達もようやくきたか」

「待っていましたよ! でもカニ被りをしています!」

「マリーチャン!」


 マリーはもってきたカニを鍋にぶち込んだ。


「わたくし、お花見は初めてでございましてよー!」

「さすがお嬢様ですわー!」

「まあまあ、食べていってよ。私が作った鍋はもう大相撲ロボとゴリラロボが全部食べたから、差し入れのごった煮鍋しかないけどさ」

「いただきますわー!」


 全員で一斉に鍋をつっついた。


「カニさんうまうまですわー!」

「ウホ」

「ハマグリの出汁が効いています!」

「だーりん、トロトロのバナーナもでりしゃすね〜」

「パイナップルの酸味も意外にいけるな」

「ニャー」

「ブーですのー! ツミレが激辛ですのー!」

「大相撲ロボ! 普通のツミレって言いましたよね!?」

「普通のハバネロのツミレッス!」

「モロ出しにするぞ!」

「カツオも美味しいデス!」


 風が吹き、桜の花びらが鍋の中に舞い落ちた。皆お構いなしに花びらごと鍋を堪能した。

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