第248話 花粉症です!

 朝のボロアパート。いつもの出社の光景。


「それじゃあ、いってくるね」

「いってらっしゃいませ、ご主人様……ハングライダー!!」

「なんて?」


 急に大声を出したメイドロボに驚いて、黒乃は後ろを振り向いた。メル子は口元に手を当てて下を向いている。


「どしたの?」

「いえ、単なるクシャミですのでご心配なく」

「ああ、そう」


 黒乃は特に気にすることもなく小汚い部屋をあとにした。



 ——夕方。


「メル子、ただいま〜」


 小汚い部屋の扉を開けるといつものようにメイドロボが出迎えてくれた。丁寧なお辞儀をしてご主人様を迎え入れる。


「おかえりなさいませ、ご主人様……ヘッドハンティング!!」


 またもメル子は大声で謎の単語を叫んだ。


「どしたの?」

「いえ、クシャミです。ご主人様、早く扉を閉めてください」


 黒乃は部屋の中に入ると床に寝転がった。部屋の中を見渡す。なにか違和感がある。

 キッチンで夕食の支度をするメル子の後ろ姿を眺めるが、いつもと様子が違う。ハツラツとした感じがない。


「メル子、ひょっとして風邪ひいた? クシャミしてるし」


 メル子は鼻をすすった。


「ぞんなごとあびばぜんよ」

「鼻声じゃん!」

「風邪でばございばぜん。花粉症なんだす」

「ああ、なるほどね。花粉症か。もう四月だしね」


 黒乃は一瞬納得しかけたが、当然の疑問にいきついた。


「いや、ロボットが花粉症になるわけないでしょ!」

「ご主人様、おごとばですが、ズビッ、ロボットは花粉症になりばす!」

「どうして!?」


 花粉はウイルスと比較すると数百倍の大きさを持つ。ロボットに搭載されているフィルターならば充分に防げるサイズである。

 そもそも二十二世紀現在、花粉症は過去の病気になりつつある。ある対策により、花粉の飛散量が激減しているからだ。

 しかしそれにより、別の問題が発生した。それがロボ花粉だ!


「ロボ花粉!?」

「ズビッ! 森林の花粉を抑えるために、花粉抑制ナノマシンの散布が行われているのです。それにより花粉の絶対量は減りまじだ」

「よかったじゃないのよ」

「ですが、そのナノマシンが問題なのだす! ズビビッ! 風に乗って飛散してきたナノマシンが、ロボットに搭載されているフィルターに付着することにぼび、急激に活発化してフィルター上で花粉と争いを始めるのだす!」


 その結果、ナノマシンがロボットにとっては花粉と同義になってしまったのだ。転じてこの花粉抑制ナノマシンはロボ花粉と呼ばれるようになった。


「ええ!? 鼻声だから半分よくわからなかった! まあ風邪じゃなくて安心したよ。病院行ってきな。ナノマシン保険あるでしょ?」

「恐れ入りばす。明日行ってまいりばす」


 新ロボット法により、ロボットはナノマシン保険の加入が義務付けられている。指定ナノマシンが原因の不調は無料で診察、修理、調整を受けられるのだ。


「それにしても部屋の空気がこもっているな。換気扇も回してないでしょ」


 黒乃は重いケツをあげると部屋の窓を開けた。


「ふ〜、いい風が入ってくるわ」

「なにをじでいますか!?」


 メル子は鬼の形相で黒乃に迫ると、勢いよく窓を閉めた。


「うわわっ! どうしたのよ?」

「なんてことをしてぐれますか……へ、へ、ヘラクレスオオカブト!!」


 メル子は勢いよくクシャミをした。もはや顔が鼻水でデロデロだ。


「窓を開けたら、ロボ花粉が入ってくるでじょん!」

「ああ、だから換気扇も回してないのか」

「ハ、ハ、ハ、ハイドロクラッキング!!」


 メル子はクシャミをした。


「ねえ」

「ぶぁい」

「なんか、クシャミがおかしくない? てかそれクシャミなの?」

「クシャミでぶ」

「そんなクシャミある?」

「これはロボクシャミでぶ」

「ロボクシャミ!?」


 ロボットがクシャミをするのは、フィルターに付着した花粉とナノマシンを吹き飛ばすためである。その際、人間と同様に大きな音が出てしまうのだが、AIは無意味な音声を出力するのが苦手なのだ。自動的になにかしらの単語に置き換えられてしまうというわけだ。


「ほえ〜、ロボットも大変なんだねえ」

「ご心配、痛み入りばす」


 なにはともあれ夕食の準備が整った。テーブルには煌びやかな料理がずらりと並んだ。


「うひょー! 美味そう!」

「ブラジル伝統のカラブレーザピザだす。ヤシの新芽、カラブレーザソーセージをふんだんにトッピングしまびだ。さあ召し上がれ……ハットトリック!!」


 メル子は盛大にピザの上にクシャミをぶちまけた。


「ぎゃあ! やってしまいまじだ! 作り直しばす!」

「これ、うめーうめー」


 黒乃はお構いなしにピザに齧り付いた。


「ご主人様! 汚いでずよ!」

「メイドロボのクシャミは汚くないよ。このソーセージがピリ辛で食欲がガンガン湧いてくるわー」


 メル子は呆気に取られてピザを頬張る黒乃を見つめた。



 ——夕食後。


 黒乃は満腹になった腹をさすりながら床に寝転んでいた。

 目の前には小汚い部屋のミニチュアハウスが置かれている。手のひらサイズのプチロボットであるプチ黒とプチメル子の様子を確認した。プチ黒は床に寝そべり、プチメル子はキッチンで洗い物をしているようだ。

 

「どうもプチメル子も具合が悪そうなんだよなあ」


 プチメル子はしきりに大きな目を擦っている。擦りすぎたのか眼球が赤くなっているようだ。するとプチ黒がプチメル子に近づき、手を押さえた。首を左右に振った。


「目を擦らないように止めているのか」


 しかしプチメル子は痒くて仕方がないのか、掴まれた手を振り解いて目を掻いた。プチ黒は今度は両手で押さえつけた。それでもプチメル子はその手を振り解いて目を掻いた。プチ黒はプチメル子を羽交締めにした。

 プチメル子は怒ってプチ黒を投げ飛ばした。勢いよくぶん投げられたプチ黒は、壁を飛び越えプチ小汚い部屋の外へと吹っ飛ばされた。


「あーあー、なにやってるの。てかプチメル子もロボ花粉症なのか」


 部屋のドアベルが鳴った。


「オーホホホホ! お菓子の差し入れに参りましたわよー!」

「ボーボボボボ! 作りたてのホヤホヤだすわじょー!」

「お嬢様たちだ」


 メル子は洗い物の手を止めて扉へ向かった。一瞬の躊躇ののち、扉を開けて素早く二人を引き入れた。


「ごきげんようですわー! お顔の色がおレッドですけど、どうされましたのー!?」

「お鼻が真っ赤でごじゃいまじゅわよー!」


 相変わらず元気一杯のお嬢様たちではあったが、アンテロッテの様子がいかにもおかしい。


「ヴァン子さんもお鼻が真っ赤ではないでぶか」

「だれがヴァン子だすの」

「あーあー、アン子もロボ花粉症なのか」


 メル子はお嬢様たちを部屋に通した。早速紅茶を淹れてもてなしの準備に入る。

 アンテロッテが作ってきたのはフランスの焼き菓子フィナンシエだ。アーモンドとバターの香ばしい香りが鼻をくすぐった。


「うわあ、綺麗に焼きあがってるなあ。たまらん香りだ」

「オーホホホホ! アンテロッテのフィナンシエは世界一ですのよー!」

「ボーボボボボ! とうぜんだすばー!」

「お茶がはいりまずだ」


 メル子は甘いお菓子によく合うレモンティーが注がれたカップを並べた。小汚い部屋に甘い香りと酸っぱい香りが充満した。


「さあ、いただきましょう……ハ、ハ、ハ」

「自信作でごじゃいまずばー……へ、へ、へ」

「ハンドクリーム!!」「ヘッジファンド!!」


 メル子とアンテロッテは盛大にクシャミをぶちまけた。フィナンシエと紅茶がデロデロになってしまった。


「ぎゃあ! またやってしまいまびた!」

「お嬢様ー! 申し訳ございまぜんですばー!」

「うめーうめー。濃厚なバターの香りとアーモンドの香りがスパイラル」

「レモンの酸味が春の訪れを感じさせますのー!」


 二人はなんの躊躇いもなくフィナンシエと紅茶を堪能した。メル子とアンテロッテはその様子を呆気に取られて眺めた。



 ——翌日の朝。


 メル子は布団の中でプルプルと震えていた。頭から布団を被っているのでその姿は見えない。


「どしたの? 大丈夫?」

「部屋の中までロボ花粉が侵入してきていばす!」


 立て付けの悪いボロアパートだ。気密性はたかが知れている。


「困ったな」

「ご主人様!」

「なになに」

「ネットワーク経由でブラックジャッ栗太郎先生に診断をしてもらいまつだ!」

「ほうほう」

「お薬が出るそうばぼで、薬局でもらってきてもらえるでしょうぎゃ!」

「わかった、行ってくるよ」


 ふとプチ小汚い部屋を覗き込むと、プチメル子も同じように布団の中で震えていた。プチ黒がその布団を懸命に撫でている。


「よしよし、みんな待っててね。ご主人様がお薬もらってくるからね」


 黒乃は小汚い部屋をあとにした。



 まもなくして黒乃が帰ってきた。部屋の中のこもった空気に、布団の中で震えるメイドロボ。


「さあ、お薬もらってきたからね」

「ばびばどうぼばばばいばす」 

「もう聞き取ることもできなくなってきたな」


 黒乃は薬局で受け取った薬の紙袋を開いた。中には錠剤と目薬が入っていた。


「よしよし、まずはこの錠剤を飲もうか。はい、お水だよ」

「ぎゅだじゃい」


 コップに水を汲み、小皿に錠剤を乗せた。メル子はそれをひったくるように布団の中に引き込んだ。


「飲んだね。じゃあ次は目薬をさそうか」

「びばだず」

「なんて言った?」

「いやです!」

「いやって言われても困るな」


 黒乃はメル子の布団を捲り上げようとした。しかしメル子は内側からものすごい力で布団を掴みそれに対抗している。


「こら、出てきなさいよ。目薬をささないとロボ花粉よくならないよ」

「ばびばびばび!」

「ええ!?」

「目薬は怖いのでいやでじゅ!」

「子供じゃないんだからさ」

「一歳児でじゅ!」

「いつもは十八歳って言ってるくせに」


 黒乃は意を決して敷布団を掴んで勢いよく反転させた。中から丸まったメル子が転がり出てきた。


「ぎゃあ! なにをしますぎゃ!」

「目薬さすからじっとして!」


 黒乃は暴れるメル子の首に腕を回してがっちりと固定した。


「やめてくだじゃい! 目に針を刺したら死んでしまいまじゅ!」

「いや、さすってそういう意味じゃないから!」


 黒乃は力一杯閉じられた瞼を無理矢理開かせて眼球に雫を垂らした。


「ぎゃあ!」

「反対も!」

「ぎゃあ!」

「はい、終わり!」


 ご主人様から解放されたメイドロボは床に倒れたままピクリとも動かなくなった。


 その間にプチ小汚い部屋のプチメル子にも目薬をさそうとした。しかしやはりプチメル子も布団の中に隠れたままで、簡単にさせそうもない。

 するとプチ黒が手をあげて目薬を掴んだ。


「んん? お前がやるのか?」


 プチ黒は自分の体の大きさほどもある目薬を抱き抱えると、中から液体を絞り出した。すかさすそれをミニチュアカップに二杯分注いだ。しばらく布団を撫でるとそのうちプチメル子が中から顔を覗かせた。その瞬間を狙ってプチ黒は二つのカップをプチメル子の目玉に押し付けた。プチメル子はゴロゴロと床を転がったあと、動かなくなった。


「ふう、終わったか」

「ご主人様……」


 床から起き上がったメル子の姿は見違えるほど晴れやかになっていた。


「ご主人様! もう痒くありません!」

「おお、よかった。効果覿面こうかてきめんだ!」


 メル子は黒乃に抱きついた。


「もう二度とお日様の姿を拝めないかと思いました! ありがとうございます!」

「大袈裟だなあ」


 二人はしばらくの間抱き合ってお互いの温もりを確かめ合った。


 次の瞬間、窓ガラスが割れる音とお嬢様の叫び声がボロアパートに響き渡った。


「大変ですのー! アンテロッテが目薬さされるのがいやで逃げ出しましたのー!」


 黒乃とメル子は窓から通りを眺めた。必死の形相で走り去るアンテロッテとそれを追いかけるマリー。

 二人は顔を見合わせて頷いた。


「朝ごはん食べたら公園に桜でも見にいこうか」

「いいですね!」


 二人の笑い声が風に乗って花粉と共に浅草の町へと飛び去っていった。

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