第241話 お仕事の風景です! その四

 浅草寺から数本外れた路地にひっそりと佇む古民家。今日も元気な声がそのゲームスタジオ・クロノスの事務所から漏れ出てきた。


「皆の衆! おはよう!」

「皆さん! おはようございます!」


 黒乃とメル子は事務所の仕事部屋に入り、元気よく挨拶をした。既に部屋にはメンバーが勢揃いしていた。


「先輩、おはようございます」


 真っ先に挨拶を返したのは赤みがかったショートヘアに厚い唇がセクシーな桃ノ木桃智もものきももちだ。


「黒ノ木シャチョー! オハヨウゴザイマス!」


 頭の発光素子をビカビカと光らせているのはプログラミングロボのFORT蘭丸ふぉーとらんまるだ。


「……り」

「なんて?」

「……クロ社長、お久しぶり」


 小さなボディが可愛らしい子供型ロボットは影山かげやまフォトン。お絵描きロボである。


「いやー! みんな元気に出社しているようでよかった!」

「先輩も元気そうでなによりです」


 今日は肉球島サバイバルから帰還してからの初仕事日である。そして新年度初出社日でもある。


 黒乃は桃ノ木の正面の席に腰掛けた。左隣はフォトン、左前はFORT蘭丸だ。メル子は事務所の掃除を始めた。

 黒乃は早速モニタに触れ、スイッチを入れた。画面には各社からのメッセージがずらりだ。その一つ一つに目を通して返信をしていく。


「先輩、ようやくロボクロソフトの審査が通ったようです」

「やったか!」


 四人は一斉に湧き立った。ゲーム開発において、この瞬間ほど待ち遠しいものはない。


「おめでとうございマス!」

「……長かった」


 黒乃達が開発の補助をしていた他社のゲームが最終審査をクリアしたのだ。これで無事ゲームを発売することができるようになった。


「よかった〜 みんなお疲れさん! 特にFORT蘭丸の働きが効いたな。お前のおかげでうちにたくさんのタスクが回ってきたよ。でかした!」

「エヘヘ」


 FORT蘭丸は頭の発光素子をリズミカルに明滅させた。


 作ったゲームを発売するのには様々な工程がある。

 まずはデバッグだ。実際にゲームをプレイしてゲームにバグ(不具合)がないか念入りにチェックをする。これには大勢のスタッフが必要だ。デバッグをするための専門の会社に発注をすることが多い。

 バグが取れたらパブリッシャーによる審査が行われる。この場合はロボクロソフト社がそれにあたる。ロボクロソフト社のプラットフォームにゲームをリリースするためには、数百に及ぶチェック項目をクリアしなくてはならない。

 チェック項目はSランクからEランクに分けられる。Eランクの項目の審査は緩いが、Sランクの項目は一つでも不適合のものが見つかった瞬間に審査は打ち切られる。もちろんその問題を修正しない限り発売は不可能だ。しかも再審査には数百万円の追加料金がかかる場合もある。

 この地獄の審査をクリアしてようやくゲームを発売できるのだ。


 ここまできたら後は黒乃達開発会社の出る幕はない。売れることを祈るのみだ。


「まあ、大抵は発売後に色々バグがでるから、バージョンアップの作業をしないといけないんだけどね」


 バグ取りはもちろん、昨今のゲームは発売後も継続的なバージョンアップが要求される場合が多い。それは本編開発チームよりも規模を縮小して行われるので、黒乃達に仕事が回ってくることはないだろう。


「さあて、となると……いよいよゲームスタジオ・クロノスのオリジナルゲームの制作にとりかかる時が来たわけだな」

「先輩……いよいよですか」

「うん」


 黒乃と桃ノ木は目を見合わせて頷いた。

 オリジナルゲームの制作には大量の資金が必要だ。今は他社のゲーム開発の手伝いを受注しているが、それも継続していかないとならないだろう。いきなりオリジナル作品に全戦力を注ぎ込むわけにはいかない。まだまだ資金が足りないのだ。


「だからまずは、作品のサンプルを作る。それを持って大手パブリッシャーに売り込みにいくんだ」

「そのためにはまず企画が必要ですね」


 面白く、売れるゲームの企画。そんなものがどこにあるというのだろうか? どこかで買えるのだろうか? もちろんどこにも売っていない。自分達でひねり出すしかないのだ。


「よし、お前らー!!!」

「……声がでかい」

「企画会議じゃ! また企画会議をするぞぉぉおおい!」

「イヤァー! またデスか!?」

「面白い企画ができるまで、何度でもやるに決まっとるじゃろがい!」



 四人はお昼まで仕事に没頭した。壁にかけられた時計が正午を告げた。


「シャチョー! お昼を食べにいきまショウ!」

「お腹が空いたわね」

「……クロ社長、早く」


 フォトンは黒乃の腕を引っ張った。本日メル子は仲見世通りの出店を営業している。皆でランチに向かった。



 仲見世通りの中程にある南米料理屋『メル・コモ・エスタス』。複数の店が日替わりで営業をしている。今日はメル子の当番の日だ。店は相変わらずの繁盛っぷりで行列が絶えることはない。


「いらっしゃいませ! あ! ご主人様! 皆さん!」

「女将サン! ランチをくだサイ!」

「……メル子ちゃん、今日のメニューはなに?」

「モンドンゴです!」

「なにそれ!?」


 モンドンゴは南米各地で食べられている牛や豚のモツ煮込みだ。今日はハチノス(牛の胃袋)をジャガイモ、タマネギ、ニンニクと一緒にこれでもかと煮込んでいる。スペアミントの爽やかな香りが食欲を掻き立てる。


「さあ! お召し上がりください!」

「いただきマス!」

「美味しそうだわ」


 四人は店の横のベンチに座ってメル子の手料理を堪能した。


「やっぱり女将サンの料理は最高デスよ!」

「えっへん! 蘭丸君! おかわりもありますよ!」

「くだサイ!」

「……ボクも」


 メル子は和風メイド服の袖をひらめかせて懸命に料理を提供している。黒乃はその姿を眩しそうに見つめた。



 昼食後のお昼寝を済ませた後は午後の業務が始まる。今日まで請け負っていた開発補助の仕事が終わってしまったため、次の仕事を探さなくてはならない。

 現在他に請け負っているのは単発イラストの仕事だ。フォトンが各社から受注したイラスト制作の仕事をこまめにこなしている。ゲームキャラクターの3Dモデル、2D背景、Webデザイン、ロゴ作成。ほとんど途切れずに受注ができるので会社としては貴重な戦力だ。


「フォト子ちゃん、いつもご苦労さん!」

「……どしたの急に」


 しかしフォトンにばかり頼ってもいられない。社長としてプロデューサーとして、自分の足で大きな仕事をとってこなくてはならない。


「桃ノ木さん! 外回り行こうか!」

「はい! 先輩!」


 二人は元気よく事務所を飛び出した。

 向かう先は隅田川を越えた先にあるスカイツリー近辺だ。ここはゲーム会社やデザイン会社がひしめき合っている。黒乃と桃ノ木が以前いた会社もある。

 二人は臆面もなくその会社に飛び込んだ。



 ——夕方。

 黒乃と桃ノ木は再び隅田川を渡ろうとしていた。黄金色に輝く巨大なウンコを背にして吾妻橋を歩いた。


「先輩、結構いい話ありましたね」

「そうだね。やっぱり今はどこでも人手不足だからね。どんどん実績のある会社に外注するしかないよね」

「先輩、私は台東区役所に書類を出してきますので」

「ああ、うん。気をつけてね」


 桃ノ木は背を向けて歩き出した。黒乃はその背中を見送ろうとしたが、手を前にゆっくりと伸ばした。


「ああ、桃ノ木さんさ」

「はい」


 桃ノ木はこちらを振り向いた。黒乃は伸ばした手を引っ込めた。


「桃ノ木さんが普段からいろんな会社を回ってくれているからスムーズに話が進んだよ。ありがとうね」


 桃ノ木は少し驚いたような、少し悲しげな表情を見せた。


「どういたしまして。先輩のお役に立てるならなんでもいたしますとも」

「えへへ、メル子みたいなこと言うね」


 その言葉に桃ノ木は少し頬を膨らませて去っていった。


「あれ?」



 黒乃が事務所にたどり着いた頃にはもう業務時間は過ぎていた。FORT蘭丸とフォトンは既に退社したようだ。

 事務所ではメル子が一人で後片付けをしていた。


「お疲れ様でした、ご主人様」

「ふふふ、ほんとに疲れたよ。前の仕事が終わったと思ったらすぐに次だもん」

「お仕事というのはそういうものですよ。メイドの仕事も終わりがありません」

「メル子もいつもご苦労様」


 黒乃は椅子に体を投げ出した。疲労感がすごい。サバイバルの時とはまったく質の違う疲労感だ。


「どうされました? いつもと違うようですが」

「ええ? そう?」


 黒乃は考えてみた。確かになにか考え方が変わったような気がする。サバイバルの影響だろうか。あの島での地獄のサバイバル。帰ってこれたのが嘘みたいな戦いであった。

 そしてあれほど孤独と仲間を意識したことはなかった。孤独の恐怖。仲間と出会えた時の喜び。数々のことを学んだ戦いでもあった。

 しかしその戦いはまだ終わってはいないのだ。その仲間達との戦いは今なお形を変えて続いているのだ。


「少しみんなに感謝をしたくなったのかもね」

「はあ」

「メル子にもね」

「私には常に感謝をしてください」

「メル子も偉大なご主人様に感謝をしなさいよ」

「いやですよ」

「いやなんかい」


 メル子は黒乃に紅茶のカップを手渡した。カップを覗き込み、香り豊かな湯気に包まれると、今日一日に味わった喧騒が丸ごと洗い流されて水面に溶けていった。


「私は偉大なご主人様よりも、怠惰で怠慢で不精なご主人様の方が好きですよ。お世話のしがいがありますから」

「なにそれ」


 二人は顔を見合わせてクスクスと笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る