第240話 春への扉

「ニャー」


 大きなロボット猫は気持ちよさそうに一声鳴いた。盛大に欠伸をして体を丸める。暖かい陽気。ゆらりとした風。春の日差しがそのグレーの毛並みに複雑に反射し、青みがかった色合いを見せた。

 ロシアンブルーと呼ばれる品種のこのロボット猫は『チャーリー』という。


 この名前を付けたのは誰だったか? 最近名付けられた気がする。前の名前は……グレースだか、ジャズだか。よく覚えていない。その名前を付けた女子大生はどこに行ってしまったのか? それもよく覚えていない。

 なんだか知らない男が部屋に入り浸るようになったので、しょっちゅう爪で引っ掻いてやったら保健所だかの人がきて連れていかれそうになった。危ない危ない。こんな部屋に居られるか。オレは自由を求めて旅立つぜ。


 チャーリーは大きな体をいからせ町を闊歩した。


 お腹が減ったな。町を歩こう。今日はどこへ行こうか。とりあえずいつものところでいいか。



「ご主人様! 今日は暖かくて気持ちがいいですね!」

「うーむ、もう四月だしね。これからどんどん暖かくなるよ」


 黒乃とメル子はボロアパートの駐車場にあるプランター畑の手入れをしていた。横に広いプランターがずらりと並び、ナスやきゅうり、カブ、小松菜、ハーブなど、驚くほどの種類の作物が育てられている。

 このボロアパートでは一部屋につき一台分の駐車スペースが無料で使用できることになっているのだが、実際使用されているのはほんの数台分しかない。そこでメル子が大家に頼んで、空いているスペースを畑として使わせてもらっているのだ。できた作物はボロアパートの住人に配っている。


「ご主人様、妹さんの黄乃きのちゃんが高校を卒業されたそうで」

「うん、無事卒業できてよかったよ」

「進学されるのでしょうか?」

「尼崎の大学に行くんだって。なんでもロボット工学を専攻するみたいだよ」

「すごいです!」


 黄乃は黒ノ木家の次女だ。サードの紫乃しのは高校を、四女の鏡乃みらのは中学をそれぞれ進級した。


「黄乃も相当迷ったみたいだよ」

「進学についてですか?」

「うん。私みたいに東京にきて働いてメイドロボを買いたいって思っていたみたいだけど、どうしても尼崎を離れられなかったようだね」

「どうしてでしょうか?」

「妹達が心配でしょうがないんだってさ。自分がいないとダメだって」

「あらら。黄乃ちゃんらしいです」


 黒乃は巨大なきゅうりをもぎ取った。それを太陽に掲げ具合をみる。瑞々みずみずしく直立するその姿は太陽に向けてそそり立つ宇宙エレベーターのようだ。

 しかし次の瞬間、その宇宙エレベーターは巨大生物によって齧り取られていた。


「ぎぃにょわわわわわ! なんだ!?」

「ニャー」


 チャーリーは駐車場の車の上に乗り、獲物のきゅうりをぼりぼりと齧った。野菜は獲れたてに限る。


「チャーリー、おはようございます!」

「この野郎〜、メル子渾身のきゅうりをご主人様より先に食べやがって〜」


 まったく人間はすっとろい。自然界では弱肉強食。獲物は奪われた方が悪いのだ。うまいうまい。きゅうりがうまい。


「ニャー」

「チャーリー、貴様ー! ただで飯を食いやがって。少しは働いたらどうだ?」


 これは心外な。この畑を狙うカラスどもを追い払ってやっているのは誰だと思っている。ご褒美にサーモンをよこせ。サーモンをよこせ。


「あ、ご主人様。忘れていました」

「なにを?」

「肉球島の件ですよ! なんでもなぜか現地にいる美食ロボが色々と動いているようですよ」

「ほ〜」

「各界のお偉いさんに話を通して、肉球島に超豪華な総合リゾート施設を作ろうとしているようです」

「お前が作る側なんかい。あいつまたとっちめにいかなならんな」


 肉球島ではどえらい目にあった。さんざん海を漂流して、命からがらたどり着いたと思ったらなにもない無人島。

 いや、変なロボキャット達がいたっけ。なぜか王様になってそこそこいい暮らしができた。メスキャット達も可愛かったな。でもちょっと退屈だった。浅草に帰ろうと思っていたらこいつらが島に来た。サーモンをよこせ。


 チャーリーは黒乃の頭を踏み台にしてボロアパートの屋根に飛び乗った。


「いでぇ!」

「チャーリー! また来てくださいね!」


 今日はサーモンはなしか。しかたがない。次にいこう。次は、あんまり好きじゃないけど仲見世通りにいこう。あそこはみんなが集まってきて体を撫で回そうとするから嫌いだ。触っていいのは可愛い子だけだ。



 チャーリーは仲見世通りの中ほどにあるフランス料理の出店の上に伏せた。


「チャーリーがきましたのー!」


 ここは可愛い女の子がいるから好きだ。ご飯も美味しい。


 金髪縦ロールにシャルルペロードレスの小さな少女は店の上にいるロボット猫に向けて両手を伸ばした。


 やれやれ、そんな気軽に抱かせてもらえると思うなよ。ロボット猫は気高い存在。しかもわれはチャ王なるぞ。そう簡単には……やわらか〜い。それにいい匂いがする。やっぱり抱っこは最高だぜ。


「お嬢様ー! チャーリーにご飯を食べさせておくんなましなー!」

「マリーにお任せですわー!」


 きたきた。なにかの生地に包まれたとろとろのお肉。気取りすぎているところはいけすかないが、味は悪くない。合格だ。


「食べていますのー!」

「お代は食べてのお帰りですわー!」


 腹も膨れたところで次は『お土産』探しだ。今日はそうだな、あそこへ行くか。



 チャーリーは軽い身のこなしで屋根の上を渡った。隅田川を越えて浅草動物園へと入る。ここは動物ロボ専門の動物園だ。


 ここはあんまり好きじゃないんだよな。ほれみろ、もうちびっ子達が集まってきた。触るな触るな。オレ様の美しい毛並みに見惚れているのはわかるが触るな。触るな! あーあー、もう揉みくちゃだよ。オレは見せ物じゃないんだよ。飼い猫なんかじゃない、孤高の存在なんだぜ。まあでも子供だから許してやる。


 ふう、ようやく解放された。ここだここだ、一際大きい岩山スペース。ここにあいつがいるはずなんだけど。いた。


「ウホ」

「ニャー」


 おい、ゴリラロボ。デカい図体しやがって。バナナをよこせ。バナナだよ。それだよそれ。お前が食うな。オレによこせ。一本だけかよ、ケチりやがって。


「ウホ」

「ニャー」


 ウホじゃないんだよ。なにがウホだ。ゴリラかお前は。え? もう二本やるから黒乃とマリーに渡せ? なんでだよ。自分で渡せよ。お前ら動物園出入り自由だろ。


 チャーリーは器用に前足でバナナを三本抱えると二本足で歩き出した。向かう先は隅田公園だ。



 ふうふう、疲れた。二足歩行はつらいぜ。なんで人間達はこんなわけわからん歩き方を好んでしているんだ。疲れるだけだろ。まあ人間なんて所詮そんなもんよ。


 さあ、いるかな。今日もいるはずだ。どこだろう。ダンチェッカーはどこだろう。愛しのダンチェッカー。

 いたいた。茂みの中で昼寝をしている。相変わらず小さくて可愛いなあ。


 チャーリーは茂みにそっと近づいた。白の毛並みにグレーのアクセントが映えるスコティッシュフォールドのその生猫なまねこは、可愛らしい耳を小刻みに前後させコチラを見た。


 えへ、えへへ。ダンチェッカー。バナナを持ってきたよ。さあ、美味しいバナナだよ。えへへ。ボクからのプレゼントさ。受け取っておくれよ。遠慮しないでさ。えへへ。


 ダンチェッカーは目の前に差し出されたバナナを前足でツンツンつついた。


 ハハハ、美味しいよ。さあお食べ。皮を剥こうか? え? 一人でできる? こりゃ失礼。ん?


 その時、茂みの奥から大きな黒猫が現れた。薄い毛皮の下には鍛え抜かれた筋肉が透けて見える。生猫のハント博士だ。


 でででで、出やがったなハント博士。彼氏ヅラしやがって。なんぼのもんじゃい。こっちはダンチェッカーとの一時を楽しんでいるんだよ。邪魔をしないでもらおうか。なんだ、やるってのか。いいだろう、受けてたとうじゃないか。吠えずらかくなよ。びびってんのか? 尻尾が震えているぜ? ヒゲが湿っているぜ? こっちはチャ王だぞ。王様だ。そんじょそこらの猫とはギャフン。


 チャーリーはハント博士のワンパンで吹っ飛ばされて動かなくなった。ハント博士とダンチェッカーは二人で身を寄せ合いながら茂みの中へと消えていった。


 ああ、ちくしょう。なんだってんだ。なんでロボット猫に勝てるんだあいつは。バケモンか。こっちに巨大ロボがあればイチコロなのに。ペシャンコにしてやるぜ。ちくしょう、動けない。

 それにしてもいいよな、あいつにはツガイがいてよ。オレにはなんもいない。前のマスターはどこいった? なんでオレは一匹なんだ? ちくしょう。こんちくしょう。


「あ、チャーリー! チャーリー、どうしました!?」

「なんだ、またハント博士にやられたのか?」


 メル子は地面に蹲っているロボット猫を抱き上げた。身体中についた砂を綺麗に払い落とした。


「チャーリー、またやられましたのー!?」

「可哀想ですわー!」


 ちくしょう、ほっとけ。慰めなんているか。離せ離せ、離せ……やわらか〜い。暖かくて柔らかいぜ。撫でるな。なんですぐ人間は撫でるんだ。撫でて欲しくなんか……気持ちい〜い。なんだよちくしょう。涙がでてきた。おかしいな。


「チャーリーが泣いていますのー!」

「どんまいですわー!」

「ガハハ、まあ次があるさチャーリー」


 チャーリーは地面に降りると、持ってきたバナナを二本黒乃達の前に置いた。


「お、なんだ? このバナナくれるのか?」

「ニャー」

「ふんふん、なになに? ゴリラロボが進学と進級祝いに持っていけって? ゴリラロボのくせに気を利かせやがって!」

「嬉しいですわー!」


 黒乃とマリーは早速バナナに齧り付いた。


「美味しいですのー!」

「お嬢様ー! わたくしにも一口くだしゃらんせー!」


 チャーリーは騒ぐ一行を横目に歩き出した。メル子はそのお尻に向かって元気よく声をかけた。


「チャーリー! また一緒にどこかに遊びにいきましょうね!」


 ふん、なにが遊びだ。こっちは毎回とんでもない目にあってるっつーの。

 まあ、でも……そっちが遊びたいっていうなら、遊んでやらないこともないけどな!

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