第229話 サバイバルです! その五
サバイバル三日目。
太平洋に浮かぶ肉球島。この島は南の大きな掌島と北側の小さな人差し島、中島、薬島、小島からなる。各島の間の潮の流れは早く非常に危険である。
——人差し島。黒乃。
抜けるような青空。北から南に緩やかな風。船出には絶好の環境である。
黒乃は全裸で浜辺の
「さあ、出航だ!」
水面に浮いた筏に乗り込む。持ち物はオール代わりの竹。それに靴下だ。濡れないように二枚を結んで流木の枝にしっかりと引っ掛けておく。色々役に立ってくれた大事な靴下だ。彼と一緒に我が家に帰りたい。
「それ! それ!」
竹のオールを使い北に向けて漕ぎ出す。目的地は東の中島だが、直進することはできないのだ。海流の問題で東に漕ぎ出すと南の掌島に流されてしまう。
一旦沖に出てから東へと進まなくてはならない。
「そいや! そいや!」
黒乃は全裸で必死に筏を漕いだ。
——中島。桃ノ木桃智、FORT蘭丸、フォトン。
「見てくだサイ! 黒ノ木シャチョーデス!」
中島の山頂からズーム機能を使って海を監視していたFORT蘭丸は見事黒乃を発見した。
「予想通り先輩はこちらに向かうつもりね」
「……なんか、全裸に見えるけど」
「無人島で全裸なわけないわよ」
こうなることを見越して三人は準備をしてきた。直ちに下山し、黒乃を迎え入れる用意を整える。
——薬島。メル子、アンテロッテ。
「メル子さん、準備はよろしくて?」
メル子とアンテロッテは筏の上にいた。
蔓を編んで作ったロープで複数の流木を縛り上げた頑丈な筏だ。二人が向かうのは東の小島である。そこにはマリーとルビーがいるはずだ。小島で二人と合流し、そのまま南の掌島へと向かうのだ。つまり四人乗りである。筏の上には竹筒が幾本もロープで縛り付けられていた。
昨日、アンテロッテは急拵えの筏で小島へ渡ろうとしていた。一刻も早くマリーを助けにいくためだ。焦って行動を起こすことは危険だとメル子が訴えたが、焦りが勝ってしまっていたようだ。
しかし小島から二筋の煙が立ち上った。マリーとルビーが火起こしに成功したのだ。それにより二人が無事であることを理解し、アンテロッテは落ち着きを取り戻したのだ。さらに時間をかけて頑丈な筏を作ることに成功した。
「アン子さん! 針路はどうしましょう? 一旦北に進んでから東へ向かいますか!?」
「そんなことをしていたら日が暮れますの。やると決めたからには直進ですわ!」
「潮の流れ的に無理ですよ! 掌島へ流されてしまいます」
アンテロッテは右手を天高く掲げた。その甲から光り輝く剣が放出された。クサカリ・インダストリアル製のロボットに搭載されているクサカリ・ブレードである。
「危ないです! なにをしていますか!?」
アンテロッテは筏の後部に座るとブレードを水の中に差し込んだ。するとブクブクと海面が沸騰し始めた。猛烈な蒸気が噴き上がり、二人を包み込んだ。
「あっついです! あつあつ!」
メル子が熱さに悶えていると、筏が進み始めた。これは海水を熱することで水が膨張し、筏を押すことによって進む曲率推進ボートだ!
「動いています! 動いています!」
「メル子さん! 舵は頼みましたの!」
「舵とは!? 竹のオールしかありませんよ!」
筏が徐々に加速してきた。波を切って東へと進む。
「ぎゃあ! 速いです! アン子さん! 速すぎます!」
「明後日の方向へ進んでいますわ! 舵を切ってくださいな!」
「舵を切るとは!?」
メル子はオールを水中に差し込んで方向の制御を試みた。筏の右側に差し込めば右へ曲がり、左側に差し込めば左に曲がるようだ。
「ぎゃあ! 難しいです! アン子さん! 速いです!」
「お嬢様ー! 今参りますわよー!」
——小島。マリー、ルビー。
「マリ〜、どぅ〜いんぐうぇ〜る?」
「そーそーですの」
マリーは焚き火の隣に横になっていた。遭難一日目の夜は火を起こせずに、凍えながら一晩過ごす羽目になってしまった。かろうじて一日目は耐えたものの、二日目の夜は無理だと悟り、最終手段としてルビーのハッキングによりマリーのデバイスをショートさせて火を起こすという危険な方法をとった。バッテリーに熱を加えるのは危険すぎる行為だ。一か八かであったが、なんとか成功し焚き火ができた。
これによって二日目の夜は凍えずに済んだ。しかしマリーの体力は消耗したままだった。水も食料もないからだ。
そのため二人が選択した行動は『なにもしない』だ。弱った体で水と食料の確保は難しい。無駄に体力を消耗するだけに終わる可能性が高い。だから体を温めて助けが来るのを待つ作戦を選んだのだ。
一日目は楽観的になにもしなかった。しかし二日目は決死の覚悟でなにもしなかったのだ。
だがそれも三日目までだ。今日救助が来なければ危険な領域に突入する。
「大丈夫ですの。わたくしはアンテロッテを信じていますの」
「わ〜お、二人は信頼しあっているのね〜」
「もちろんですの。自分より大事な存在ですの」
ルビーはマリーの頬を撫でた。昨日まではふっくらとしていた頬が萎れてしまっている。
その時、風に乗って微かな声が聞こえてきた。春に咲くアイリスの花のような音色が小島に渡ってきた。
「……アンテロッテ」
「お嬢様ー!」
砂浜の向こう、岩場を超えた先から声が聞こえてくる。マリーは起き上がった。よろける足に力を込めて立ちあがろうとした。ルビーがそれを支える。二人で声の方向へ歩き出した。
「お嬢様ー!」
その声が一際大きくなった瞬間、二人の頭上をなにかが通り過ぎた。一瞬太陽を隠し、そして岩場に激突して砕け散った。
その残骸から二人のメイドロボが這い出てきた。
「死ぬかと思いました。ぎゃあ! 筏が木っ端微塵です!」
「お嬢様!」
メル子とアンテロッテであった。マリーは気力を振り絞って走った。アンテロッテも駆け寄り、二人は抱き合った。
「アンテロッテ!」
「お嬢様ー!」
マリーは泣いた。アンテロッテも泣いた。
——人差し島。黒乃。
黒乃の筏は沖にいた。必死に竹のオールを漕いでここまでは来られた。ここから中島へ向けて南下する。
しかし問題がいくつか起きた。流木と竹を繋いでいる蔓が何本か切れてしまった。それに波だ。人差し島からはわからなかったが、沖はだいぶ波が高いようだ。
筏は波に合わせて上下に揺すられた。元々強度不足の筏だ。長くはもたない。
「ハァハァ。ここが折り返し地点。あとは波に乗って進むだけ! いくぞ!」
大きな波がきた。もろに潮水を頭から被り一瞬パニックになった。
「ゲホッ! ゲホッ! にゃろう!」
また大波だ。波にさらわれないように蔓をしっかりと掴む。
「どうってことないね。メル子が待ってるからね。もう少しでみんなと会えるよ」
また蔓が切れた。流木を繋いでいた竹が跳ね上がり黒乃の全裸の背中を打った。
「いでぇ! 大丈夫! もっと辛いことはいくらでもあった! その全部に耐えてきた! 楽勝!」
その後何回か大波を被ると、中島の砂浜が眼前に見えてきた。波もだいぶおさまってきたようだ。
「やった! 耐えたぞ! もう少しだ!」
黒乃はふと筏に目をやった。目を見開く。枝に引っ掛けていた靴下が二枚ともなくなっていた。
「あれ!? 靴下がない!?」
黒乃は筏の上に立ち海面を探した。それはすぐに見つかった。勢いよく海に飛び込み波に漂う靴下を追った。
「待ってろよ! 今いくからな! ガボガボ!」
大きな波がきて押し戻された。筏に頭を打ちつける。筏に登りまた靴下を探した。そして飛び込んだ。
「お前だけ残してはいかない! 必ずボロアパートに連れて帰るから!」
黒乃は泳いだ。しかしどうやっても波には勝てない。再び筏に押し戻された。
「うわぁぁぁ! ちくしょう!」
筏に登った。海面をくまなく探す。見つからない。もう一度探した。ようやく沖の方へ漂っていく靴下を見つけた。遠い。どんどんと離れていく。
黒乃は筏に膝をつき這いつくばった。
「うわぁぁぁあああ! ごめん! ごめんよ! 靴下ぁぁぁあああ!」
黒乃は泣いた。靴下を思って泣いた。無人島で共に戦った彼。いや、それよりも遥かに前から一緒に生活していた彼。ボロアパートでの何気ない日常にいた彼。無人島で何度も助けてくれた彼。
「ごめん……一緒に帰れなくてごめん……」
もう靴下の姿は見えなくなっていた。黒乃は無言で泣いた。
蔓が一本切れた。それを皮切りに次々に蔓がちぎれていく。竹がバラバラに海面に飛び散り、二本の流木が離れ離れに流されていく。
黒乃は海中に落ちた。体力の限界だ。
「メル子……」
水中から空を見上げた。太陽へ向けて煌めく珠が無数に昇っては弾けて消えた。静謐な美しい光景を目に焼き付けた。
なにかが手に当たった。咄嗟にそれを掴んだ。引っ張られる感覚があり、それは手からすっぽ抜けた。もう一度なにがが手に当たった。今度はそれを力を込めて両手で握りしめた。竹だ。
「先輩! しっかり掴んでください!」
「シャチョー! 生きてマスか!?」
「……なんで全裸なの」
三人は力を合わせて黒乃を筏の上に引っ張り上げた。四人が充分に乗れる頑丈な筏である。
「みんな……」
「先輩! 人工呼吸をします!」
「……モモちゃん、息はしてるからしなくていい」
「シャチョー! お疲れ様デス! どうシテ全裸なんデスか!?」
黒乃は安堵に包まれて眠りに落ちた。
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