第222話 恋バナです!
仕事が終わり、黒乃はボロアパートの小汚い部屋の扉を開けた。
「ただいま〜……え!?」
黒乃は部屋に入るなり仰天した。見知らぬ少女が床に正座をしていたからだ。
「黒乃さん、お帰りなさいませ」
少女は深々と頭を下げた。漆黒のポニーテールがふわりと揺れた。前髪は揃えられ大和撫子といった風情だ。学校の制服を着ていることから学生であることはすぐにわかった。
「だれ!?」
「ご主人様、お帰りなさいませ」
続いてメル子も黒乃を出迎えた。
「どなた様なの!?」
「ご主人様、お忘れですか? マリーちゃんのお友達の
「ああ!」
梅ノ木小梅。マリーの中学校の同級生である。以前マリーと小梅はスカイツリーへデートに赴き、黒乃とアンテロッテが男と勘違いした小梅をYAKARAとして成敗しようとするという事件があった。
もちろん小梅は女子であったため、その誤解はとけて和解をしたのであった。
「どうして小梅ちゃんがうちにいるのさ。マリーの部屋は下だよ」
「……」
小梅のキリリとした顔が曇った。女子中学生にしては背はすらりと高く、切れ長の目は見るものに爽やかな印象を与える。長い黒髪を抜きにすれば、ボーイッシュと言っていい容貌だ。
「黒乃山に頼みがありまして来ました」
「誰が黒乃山じゃい」
「ご主人様! 聞いてあげてください!」
メル子は二人に紅茶を差し出した。しばらく無言で紅茶を飲んだあと小梅が切り出した。
「マリーちゃんと仲良くなる方法を教えてください」
「ほう……」
黒乃は紅茶のカップを床に置いた。そして腕を組み目を瞑った。
「いや、もうデートしたんだから仲良いでしょ」
「仲良くなかったらデートはできませんよ」メル子も同意した。
しかし小梅は不服のようだ。
「実は今まで何回もアプローチをしているんです。何回もデートに誘って……前回ようやくOKをもらったんです」
「ならよかったじゃんよ」
「しかしどうもマリーちゃんとの間に壁がある気がして……距離が縮まった気がしないんです」
「相当スキンシップしてたがなぁ」
「めちゃくちゃ密着していましたよ!」
「体の距離のことではなく、心の距離のことです!」
勢いこんで叫んだので小梅のポニーテールが元気よく弾んだ。黒乃は自分の後頭部に手をやった。
「そんなにマリーちゃんが好きなのですか?」メル子は恐る恐る聞いた。
「好きです!」
メル子の顔が赤くなった。
「どういうところが好きなのさ?」
「美しい鳥のような美しさ。上品な花のような上品さ。軽やかなバレリーナのような軽やかさ」
「表現が中学生っぽいな」
「クラスメイトはみんなマリーちゃんに夢中です」
「だろうねえ」
黒乃は体勢を崩して床に寝転がった。片肘を立てて手のひらに頭を乗せた。ケツをポリポリとかく。
「で、どうして私のところに来たのさ」
「マリーちゃんが黒乃さんには心を許しているように感じたからです」
「そうか〜?」
小梅はメル子を凝視した。メル子はきょとんとして自分を指差した。
「私が思いますに、マリーちゃんと黒乃さんの共通点はメイドロボかと」
「確かに、それはあるかもね」
「じゃあ、私もメイドロボがいれば仲良くなれるでしょうか!?」
黒乃の目が鋭く光った。それと同時にメル子の顔が青ざめた。黒乃は起きあがり捲し立てた。
「小梅くんと言ったね」
「はい」
「そう簡単にメイドロボを手に入れられると思うなよ!!!」
「!?」
「まず最低一千万円! 銭が必要なのだよ! 持っているのかね!?」
「ありません!」
「次に資格が必要なのだよ! ロボ区役所の審査が入る! ロボットのマスターに相応しいかどうかのね!」
「!?」
「それから……」
「あの、ご主人様。今日はそれくらいにしてあげてください」
メル子が慌ててなだめた。ティーポットからカップに紅茶を注ぎ黒乃に手渡した。
「ハァハァ、それにモテたいからメイドロボが欲しいなんて、そのメイドロボに申し訳ないと思わないのかね」
「確かに……軽率な発言でした! ごめんなさい!」
「ハァハァ、わかればよろしい」
黒乃は疲れて再び横になった。
すると玄関の扉がノックされた。メル子が立ち上がり扉を開けた。
「マッチョメイド! こんにちは!」
「黒乃 メル子 また おかし もってきた」
「お〜、マッチョメイド。いつもありがとさん」
突然現れた巨漢のメイドロボに驚き、小梅は直立した。
「師範! 押忍!」
「小梅も きてた めずらしい」
小梅はマッチョメイドのマスターであるマッチョマスターが館長を務める空手道場に通っているのだ。マッチョメイドは師範である。
マッチョメイドは手作り和菓子を渡すとすぐに帰っていった。
「驚きました。黒乃さんと師範がお知り合いだとは」
「まあ、浅草のメイドロボは大体友達だよね」
「ですね」
するとまた玄関がノックされた。メル子が扉を開けるとそこには黒い壁が立っていた。
「ゴリラロボ! いらっしゃい!」
「ウホ」
「お〜、ゴリラロボ。またバナナ持ってきてくれたのかい」
ゴリラロボはバナナを渡すとすぐに帰っていった。小梅はプルプルと震えながらそれを見送った。
「なぜ浅草動物園のスターまで来るんですか!? 握手したかった!」
「ん〜? まあ、浅草界隈の動物ロボは大体友達だよね」
「ですね」
すると窓ガラスをカリカリと引っ掻く音が聞こえた。メル子が窓を開けるとグレーの塊が部屋に飛び込んできた。
「チャーリー! 今日はスモークサーモンがありますよ!」
「ニャー」
「また来た!? この部屋どうなっているんですか!?」
チャーリーは小梅を見つけるとその膝の上に飛び乗った。
「あはは、あはは! このロボット猫可愛いですね!」
「エロ猫だから気をつけて」
チャーリーはしばらく小梅にじゃれつくと再び窓から飛び出ていった。
小梅は考え込んだのち、口を開いた。
「黒乃さんは大勢のロボットに好かれているのですね。やはり、ここに鍵があるのかと」
「まあご主人様は世界一ロボットを愛すると評されていますから」
「世界一ロボットを愛する男……」
「だれが男じゃい」
するとまたもや扉がノックされた。
「また来ましたね。いつもこんなふうなんですか?」
「いやさすがに今日は多い……」
「オーホホホホ! お暇ですので遊びにきて差し上げましてよー!」
「オーホホホホ! お嬢様の
「「オーホホホホ!」」
その声を聞いた瞬間、小梅は硬直した。
「お、マリーが来た。よかったじゃん。みんなで遊ぼうよ」
しかし小梅はドタバタと小汚い部屋を走り回ったあげく、押し入れの中に隠れてしまった。
「ええ? どしたの?」
「はいはい、今開けます」
メル子は扉を開け、お嬢様たちを招き入れた。
「人がいる気配がしましたけど、お帰りになられましたのー!?」
「ええ? ああ、うん。今日は来客が多くてね」
アンテロッテはマドレーヌが入った籠をメル子に手渡した。
「お、お菓子か。マッチョメイドが持ってきてくれた和菓子とゴリラロボのバナナもあるから、スイーツ食べながら恋バナパーティーといこうか」
お嬢様たちは顔を見合わせた。
「黒乃さんが恋バナですのー!?」
「冗談は顔だけにしてくだしゃんせー!」
二人は笑い転げた。メル子が再び紅茶を淹れ、お菓子を皿に盛り付けた。
「こらこら。まあでもマリーに恋バナはまだ早いかな」
マリーはムッとした表情でマドレーヌを掴んだ。それを齧りながら抗議をした。
「もうお子様じゃございませんのよー!」
「へー? じゃあ誰か好きな人いるの?」
「おりますわよ」
押し入れの中で小梅がもぞもぞと動く微かな音が聞こえた。
「誰よ」
「アンテロッテとアニーお姉様とマリエットですわー!」
「当然ですわー!」
「それは家族じゃろ。学校で好きな人はいないの?」
マリーはしばらく首を捻って考え込んだ。
「音楽の妙子先生ですわー! 先生のおかげでリコーダーが吹けるようになりましたわー!」
「さすがお嬢様ですの」
「他は?」
「体育の芋川先生ですわー! 先生のおかげで跳び箱二十段跳べるようになりましたわー!」
「さすがお嬢様ですの」
「跳びすぎです!」
黒乃も首を捻った。
「いや、先生じゃなくてさ。ほら、クラスメイトとかよ」
「クラスメイトですの?」
「そうだよ。気になるクラスメイトいるでしょ?」
「マリーちゃん! よく思い出してください! 『う』で始まるクラスメイトですよ!」
「ウルトラ山タロウ君ですの?」
「誰だそれ!?」
「
「地獄のような名前だな……」
「マリーちゃん! 『うめ』で始まる子ですよ!」
「ああ! 梅酒山サワ男君ですのね!」
「未成年に付ける名前じゃない! マリー!」
「なんですの?」
「小梅が好きかどうかを聞いているんだよ!」
「好きですわよ」
バタバタと押し入れから音がした。不審に思ったアンテロッテが押し入れを開けると小梅が転がり出てきた。
マリーはじっとりと小梅を見た。
「あ……マリーちゃん。こんばんは……」
マリーはため息をついた。
「どうせこんなことだろうと思っていましたわ」
「バレバレですの」アンテロッテも呆れた。
ボロアパートのペラペラ防音では真上からの音は全く防げないのだ。
「あの、マリーちゃん。ごめんなさい」
「別に謝ることはございませんわよ」
「でもよかったじゃん! マリー好きだってよ!」
「おめでとうございます!」
「マリーちゃん、本当に?」
小梅は恐る恐る聞いた。額から汗が流れ落ちた。
「本当でございますわよ。私はクラスメイト皆さん大好きですわ」
マリーは横を向いてお高くとまって言った。小梅はそれを聞き、がっくりと肩を落とした。
「ぐひゃひゃひゃひゃひゃ!」黒乃は手を叩いて笑った。
「ご主人様!? デリカシーが無さすぎますよ!」
「いや〜いいね〜。中学生っぽくてさ」
夜も更けてきたので夕食前に小梅は帰ることになった。マリーとアンテロッテは小梅を家まで送り届けるためにボロアパートを出ていった。
黒乃とメル子は夕食を食べながら今日の出来事を振り返った。
「ご主人様、今日は随分と楽しそうでしたね」
「まあね。学生に戻った気分だったよ。恋バナなんてしたことは一度もないけどね!」
「知っています。小梅ちゃんはマリーちゃんとうまくやっていけるでしょうか?」
黒乃は笑いながら料理を頬張った。
「あのお嬢様とうまくやっていく? そんなことができる人間はこの世にいないよ」
「でしょうね」
あまりにも破天荒。あまりにも快活。才気あふれるお嬢様に並び立てるものなどいないように思える。
「だからこそ、気兼ねなくチャレンジしてもらいたいね」
「……はい!」
オーホホホホ……オーホホホホ……。
今日も浅草の町にお嬢様の高笑いが轟いた。
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