第220話 さよならプチロボットです!

 曇天模様の空の下、黒乃とメル子は巨大な赤い壁の前に立っていた。

 八又はちまた産業浅草工場。メル子が生まれた場所である。メル子のその胸には大きな箱が抱えられていた。


「じゃあ行こうか、メル子」

「はい……」


 黒乃は工場の入り口へ向けて歩き出した。しかしメル子は動かない。


「どうしたの? メル子」

「やっぱり……」


 メル子の顔は空の色よりも深く沈んでいる。くるりと後ろを向くと工場を背にして走り出そうとした。


「やっぱり嫌です!」

「待ってよ!」


 黒乃は慌ててメル子を追いかけて肩を掴んだ。


「今日でプチ達とお別れなんて嫌です!」


 メル子の目から冷却水が溢れ出た。黒乃は愛しのメイドロボを抱き寄せると頭を撫でた。


「しょうがないよ。今日が返却日なんだからさ。それを承知で借りてきたんでしょ?」


 『プチロボット』

 八又産業が開発した手のひらサイズの完全自律型ロボット。AIを搭載した『玩具』である。

 プチロボットが発売されるにあたり、新商品のモニターとしてメル子が選ばれたのだ。無料で商品を楽しめる代わりに、使用してのレポートを提出する。充分に学習されたAIは解析され、製品にフィードバックされる。

 メル子はプチロボットをレンタルしていたに過ぎない。返却日が来たのだ。


「だってだって! ちょっとしたオモチャのつもりだったのです! こんなに私達に懐いてくれるなんて!」


 黒乃は困り果ててメル子の金髪を撫でた。自慢の光り輝く金髪も燻んで見えてしまう。

 しばらく泣いたのち、ようやくメル子は歩き始めた。工場の入り口を潜り、会議室に通された。部屋で待っていたのは職人ロボのアイザック・アシモ風太郎であった。


「オ二人トモ、オ待チシテ、イマシタ」


 メル子は大きな箱をテーブルの上に置いた。箱を開けるとプチ小汚い部屋のミニチュアハウスが現れた。

 その中では二人のプチ、プチ黒とプチメル子が仲良く一つの布団で眠っていた。三頭身の小さなボディの胸が上下に動いていた。


 メル子がプチ達を手のひらの上に乗せると、二人はようやく目を覚ました。一人ずつキスをしてからテーブルの上に置いた。

 プチメル子は興味津々で目を輝かせてメル子を見上げている。プチ黒はテーブルに寝そべりケツをかいている。


「じゃあ先生、よろしくお願いします」黒乃が挨拶をするとメル子も頭を下げた。

「先生! くれぐれも二人をお願いします!」

「オ任セクダサイ、二人ハ、丁重ニ、扱イマス」


 そうは言われたが、黒乃は不安だった。回収されたプチロボット達はどうなってしまうのだろうか? それを聞く勇気は出てこなかった。


 新ロボット法により、AIは三種類に分類される。

 人権を持ったAI。保護されるべきAI。消費されるAI。

 プチロボットは玩具なので最後のものに該当する。


「じゃあメル子、帰ろうか」

「はい……」


 プチメル子はこれでお別れなのを知ってか知らずか、元気よく手を振っている。プチ黒は相変わらず寝そべってケツをかいている。


「こいつぅ、こっちを見てもいないぜ」


 黒乃とメル子は身を寄せ合って浅草工場を後にした。



 ——翌朝。

 薄暗い開発室の台の上でプチ黒は目を覚ました。プチ専用の検査ケースの中から這い出すと、周囲を窺い隣のケースで寝ているプチメル子を発見した。

 目に涙を溜めて寝ているプチメル子を揺さぶった。するとプチメル子は目を覚まし周囲を見渡した。そしていつものプチ小汚い部屋ではないことを思い出して泣き出した。

 プチ黒はその頭を撫でて慰めた。そしてプチメル子の手を引っ張って歩き出した。しかしプチメル子はその手を引き剥がすと、床にうつ伏せになって泣き出してしまった。

 プチ黒は仕方がなく周囲を漁った。ここはプチロボットの開発室である。プチロボット用のアイテムがいくらでも転がっている。

 その中からナノペーストのシリンダーを引っ張り出すと、小さなカップに中身を絞り出した。そしてそのカップをプチメル子に差し出した。プチメル子は泣きながらカップの中のナノペーストを飲んだ。

 お腹が膨れて落ち着いたのか、ようやくプチメル子は泣き止んだ。


 プチ黒は決意をしていた。ここを脱出して我が家に帰ると。ここは自分達の居場所ではないことを理解していた。


 プチ黒はプチバッグを見つけると、道具箱を漁って使えそうなものを片っ端から詰め込んでいった。それを見ていたプチメル子もようやく覚悟を決めたようだ。一緒になってアイテムを物色し始めた。プチロボットは様々なギミックを搭載して遊べるように設計されているのだ。


 まずはこの部屋を脱出しなければならない。部屋は薄暗く誰もいない。扉は閉まったままだ。二人はワイヤーフックを使い、作業台から床に降りた。電動で昇降ができる優れものだ。

 そして部屋の入り口まで走るとしばらく待った。



「オハヨウゴザイマス! ミナサン、オハヨウゴザイマス!」


 職人ロボのアイザック・アシモ風太郎が元気よく出社してきた。いつも通りパスを使い、開発室の扉のロックを外した。扉が開いた瞬間、なにかが足元を通り抜けた気がした。


「オヤ? 今ノハ、ナンデショウカ?」


 アイザック・アシモ風太郎は訝りながら部屋に入った。すぐに異常に気がついた。プチロボットが検査ケースから消えている。


「大変デス! プチ達ガ、逃ゲ出シテ、シマイマシタ!」


 廊下に飛び出したが、プチ達の姿はもうどこにも見当たらない。


「速スギマス! ドコニ、逃ゲタノデショウカ!?」


 廊下は一本道で隠れる場所など無いはずである。工場の入り口の受付まで走ると、受付ロボットに聞いた。


「ココニ、プチロボット達ガ、来マセンデシタカ!?」

「先生、来ていませんが」

「マズイデス! プチ達ニ、モシモノ事ガアッタラ、アノ二人ニ、スクラップニサレテシマイマス!」


 騒ぐアイザック・アシモ風太郎のズボンの裾からこっそりとプチ達が現れ、工場の入り口へと向かって走っていった。



 プチ黒とプチメル子は工場を離れ、浅草の町へと歩み出した。

 プチロボットにはホームの座標がインプットされている。迷子になった時のための帰巣機能だ。しかし浅草工場に着いた時点でホームが工場に上書きされてしまった。そのため二人は行動履歴を頼りにボロアパートを目指さなくてはならない。曇り空の下を元気よく歩き出した。


 最初の関門は大きな車道だ。交通量の多い道路を渡らなくてはならない。堂々と横断歩道は渡れない。プチには距離がありすぎて、途中で赤信号になってしまうだろう。

 プチメル子はあるものを指差した。



「はい、もこちゃ〜ん。信号が青になりまちゅたよ〜」


 ママさんがベビーカーを押し始めた。歩行者信号機のカッコウの鳴き声と、ベビーカーが地面のトラフィックペイントを乗り越える微かな振動が、赤ちゃんに心地よい刺激を与えた。


「あら、もこちゃ〜ん。今日はご機嫌でちゅね〜」


 赤ちゃんはきゃっきゃと腋のあたりを触っている。横断歩道を渡りきるとママさんは赤ちゃんのお腹の上になにかが乗っているのに気がついた。覗きこんでそれを確認した。


「なにかしら? ちっちゃいティーカップ? きゃっ!?」


 頭と背中に軽い衝撃を感じた。虫が飛んできたのかと思い身を捩ったが、どこにもそれは見当たらなかった。



 プチ黒とプチメル子はボロアパートを目指して歩いた。

 朝なので通学中の小学生の群れが通りを騒ぎながら歩いている。彼らに見つかるわけにはいかない。奴らは小さな悪魔である。まさにオモチャにされてしまうだろう。

 通りを歩くのは諦めて民家の庭を進むことにした。庭は平らではないので進むのに一苦労だ。塀の隙間を潜りぬけ、隣家に入る。でこぼこした庭を歩き、塀によじ登り、また隣家へと進む。

 手のひらサイズの彼女達にとっては登山に等しい。険しい峰々に挑むクライマーだ。


 

 急に雨が降ってきた。

 広い庭のど真ん中にいたため、避難が遅れて二人はずぶ濡れになった。民家の軒下に隠れて雨宿りをすることにした。

 二人はガタガタと震えた。濡れた服を脱ぎ捨てるとプチバッグから着替えを取り出した。プチメル子がしっかりと準備をしてきていたのだ。

 もうお昼も近い、食事の時間だ。プチメル子はシリンダーからティーカップにナノペーストを注いだ。先程のベビーカーにカップを一つ置いてきてしまったので、二人で一つのカップを分け合って飲んだ。

 お腹が膨れると二人はうとうとし始めた。



 雨が上がった。

 二人は再びボロアパートに向けて歩き出した。寒い。着替えはしたが、だいぶボディが冷却されてしまったようだ。

 二人は必死に歩いた。正直なところ、いつまで歩けばボロアパートに辿り着けるのか計算ができていない。データ不足だ。

 しかし歩くしかない。我が家へと帰るのだ。



 プチメル子の動きが鈍くなった。冷却のせいかと思ったが違うようだ。バッテリー切れだ。

 もちろん予備のバッテリーの準備は抜かりない。二人は再び民家の軒先に隠れて充電を始めた。

 温かい電気がボディに染み渡っていく。空になったバッテリーを投げ捨て再び歩き始めた。



 再びプチメル子の動きが鈍くなった。みるみるうちに充電残量が減っていく。異常事態だ。原因はなんであろうか?

 雨に濡れたことにより漏電が発生したのだ。プチロボットの防水は万全ではなかった。改良が必要である。

 プチ黒はプチメル子を背負って歩き出した。ただでさえ遅々とした行軍が、亀の散歩になってしまった。



 二度目の充電。プチ黒の分はフルチャージができたが、プチメル子はやはり漏電が原因でほとんど回復しなかった。加えて持ってきたバッテリーはこれで尽きた。


 

 プチメル子を背負ってどれほど歩いただろう。日が暮れてきた。人通りの少ない夜に移動した方が安全だろうか? いや、バッテリーが持たない。バッテリーが切れる前に辿り着くしかない。



 二人は民家の軒下でダウンしていた。あたりは暗くなり、もうほとんど動けない。最初から無茶な計画だったのだ。プチロボットはこんな長距離を移動できるようには作られていない。室内で楽しむものなのだ。

 涙を流すプチメル子をプチ黒は必死に撫でた。


 その時、なにかが動くのが見えた。黒っぽい大きな塊。それを見た二人は凍りついた。

 鋭い目つきに鋭い牙、長い尻尾。ネズミロボだ。それが三匹。彼らはプチ達を遠巻きに眺めている。一匹が近づいてきた。牙を剥き出しにして威嚇をする。

 プチ黒は慌ててプチバッグからプチレーザーを取り出した。レーザー光で攻撃をする銃だ。それを照射するとネズミロボは一瞬驚き逃げ惑った。しかし、たいした影響がないのがわかると再び距離を詰めてきた。

 絶体絶命のピンチ。プチ黒は意を決して飛び出した。プチメル子を背負い車道に出た。車道であればネズミロボ達は追ってはこないはずだ。


 目論見通り、ネズミロボ達はどこかへ消えていった。プチ黒はほっと息をついた。しかし次の瞬間、二人は強烈な光に照らされた。車が二人に迫ってきていた。



 ——ボロアパート。

 メル子は夕食の準備をしていた。しかしいつもの陽気な鼻歌はない。気もそぞろ。失敗続きだ。


「メル子、大丈夫?」


 黒乃はその後ろ姿を心配そうに見つめた。


「はい……」

「ねえ、メル子。やっぱり明日プチ達をお迎えにいこうよ。先生に相談してさ。なんだったら買い取ってもいいし」

「百万円しますが……」

「たっか!! 一体五十万円かあ」

「いえ、プチメル子が九十万円で……」


 窓から音がした。窓ガラスを引っ掻く音だ。黒乃はこの音がなにかを知っている。いつものことだ。

 黒乃は窓を開けた。


「こら、チャーリー。こんな夜におねだりか?」


 大きな塊が小汚い部屋に飛び込んできた。グレーの毛並みが美しいロボット猫のチャーリーだ。


「スモークサーモンあったかなあ……」

「ニャー」

「ん!?」


 黒乃はチャーリーの背中になにかが乗っているのに気がついた。それを見た瞬間思わず叫んだ。


「プチ達だ!」


 あまりの衝撃でメル子はずっこけて床に這いつくばった。そのままの姿勢でバタバタとチャーリーに這い寄ると、その背中をまじまじと見つめた。

 メル子の目に涙が滲んできた。


「プチご主人様! プチメル子!」


 メル子は二人を手のひらに乗せた。だいぶ弱ってはいるが、しっかりと動いている。


「ご主人様! プチ達が! プチ達が帰ってきました!」


 メル子は泣きながら二人に頬擦りをした。


「チャーリー、どうしてお前がプチ達を連れてきたんだい?」

「ニャー」

「なになに? ネズミロボを狩って遊ぼうとしたら、プチ達がネズミロボに襲われていた? プチ達が車道に逃げ出したら車に轢かれそうになったから慌てて助けた? 動けなさそうだったからここまで連れてきた? お前すごいな!」


 メル子はチャーリーも抱きしめた。


「チャーリー! ありがとうございます!」


 結局プチ達は黒乃家に無償提供されることになった。アイザック・アシモ風太郎がヘマをやらかしたお詫びである。


 その晩メル子はプチ黒とプチメル子を枕元に置いて一緒に眠った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る