第218話 おデートですわー!
休日の昼下がり、黒乃とメル子は浅草の町をぶらぶらと散歩していた。
青い空にまばらな薄い雲。太陽の力は強く、春が近いことを予感させる。
「暦の上ではとっくに春ですが、いよいよ気候的にも春っぽくなってきました」
「そうだねえ、良い気分だ」
黒乃は後頭部で腕を組んで空を見上げた。もっぱら黒乃が見ているのは光輝く太陽ではなく、慎ましくその身を晒す真昼のお月様だ。
「マヒナとノエノエ達は元気かなあ。久しぶりに会いたいよ」
「そうですねえ。ニュースを見ると月の情勢も不安定ですので、お二人のお仕事もこれからかと」
「そっかあ」
二人は隅田川沿いの歩道へとやってきた。川の流れに逆らうように海から潮風が登ってきた。爽やかな空気をたっぷりと吸い込んだ黒乃は見慣れた人物を発見した。
「お? アン子じゃん」
「アン子さんです」
金髪縦ロール、シャルルペローメイド服のド派手なメイドロボは橋の欄干に隠れているようだが、派手さ故にバレバレであった。
「やあ、アン子。なにしてるの?」
「アン子さん! こんにちは!」
「ぎゃあですのー!」
アンテロッテは飛び上がって驚いた。「黒乃様!? メル子さん!? 急に声をかけないで欲しいですのー!」
アンテロッテは激しく首を振って周囲を見渡すと再び欄干の陰に隠れた。
「ねえ、なにしているのさ」
「マリーちゃんはどうしました?」
「お静かにしてくださいまし! お嬢様に気がつかれますわ!」
黒乃とメル子は橋の方を見た。言問橋の中央付近にマリーが歩いているのが見えた。
「なんだ、マリーいるじゃん。おーい、マリー、モガモガ」
アンテロッテは黒乃の背後から無理矢理その口を塞いだ。
「なになに、なんなのよ。マリーがどうしたのよ」
「今お嬢様を見張っているのですわ!」
「なんで見張っているのよ」
「お嬢様にもしものことがあった時のために見張っているのですわー!」
黒乃は改めて橋の上を歩いているマリーを見た。いつも通りの金髪縦ロール、いつも通りのシャルルペロードレスだ。
しかしその隣には見慣れぬものが見えた。それに気がついた瞬間、黒乃の顔は真っ青になった。
「男!? マリーが男と歩いている!?」
「そうなんですわー! 許されませんわー!」
マリーの隣にいるのは、背の低いマリーより頭一つ飛び抜けた長身の人物だ。ニット帽を被り、生地が分厚いセーターを着ている。ピチピチに絞ったジーンズによって浮き出た足はスラリと長い。
「お嬢様のクラスメイトですわー! おデートに誘われたのですわー!」
「あの野郎! マリーに手を出したらただじゃおかんぞ!」
黒乃とアンテロッテはいきり立っている。メル子はそれを呆れて眺めた。
「あの、お二人とも。あちらの方は……」
マリー達は点滅を始めた信号機を渡るために駆け出した。黒乃とアンテロッテも二人を見失わないように走り出した。メル子も仕方がなく二人を追いかけた。
「あのお方は『
「中学生のくせにスカイツリーだと!? ませやがって! 中学生は浅草動物園でゴリラロボと握手じゃろがい!」
マリーと小梅は肩を寄せ合って歩いている。前方には巨大なスカイツリー。言問橋を渡ったらもう間もなく到着である。
休日なのでスカイツリーは既に人で溢れていた。二人は人ごみをかき分けて進んでいく。小梅ははぐれないようにマリーの手を取った。
「手を繋いだ!? 公衆の面前で手を!? イヤァ! 不潔! メル子! アン子! 我々もはぐれないように合体だ!」
黒乃は無理矢理メル子とアンテロッテの手を握った。両脇に金髪メイドロボを従えた長身のお姉さんは誰よりも目立ってしまった。
マリーと小梅は施設内に足を踏み入れた。黒乃達も魚鱗の陣を展開し、それを追う。
「お嬢様は今日のおデートを楽しみにされておりましたわ。しかしまさか男とおデートとは」
「マリーにはまだ早い。マリーにはまだ早い。マリーにはまだ早い!」
「あの、お二人とも。なにか勘違いを……」
——東京スカイツリー。
高さ634メートル。二十一世紀の建設当時は日本一高い建築物であったが、二十二世紀現在は二千メートルを超えるものにその座を開け渡している。
従来の目的は電波塔であったが、既にその役目は前世紀に終えていた。現在は観光スポットとして人々に親しまれている。
黒乃達は展望台のエントランスへとやってきた。ここから上に登るにはチケットを購入する必要がある。二人は事前に購入していたのかそのまま改札を潜り抜けていってしまった。
「しまった! 我々も後を追うぞ! 大人一枚とロボット二枚ください!」
慌ててチケットを買ったが二人は既にエレベーターに乗っていってしまったようだ。黒乃達も後から来たエレベーターに乗り込んだ。
——展望デッキ。
地上350メートル。都内を一望できる大パノラマ。三階建て構造の天空の城だ。
エレベーターから降りた黒乃は前傾姿勢になってメル子にしがみついていた。
「ご主人様、どうしました? へっぴり腰ですが」
黒乃の足がプルプルと震えている。
「うう、高い……怖い……」
「高所恐怖症ですか!?」
「宇宙エレベーターの方が遥かに高いですのに」
展望デッキは観光客で溢れていた。皆巨大なガラスの壁に張り付き、豆粒のようになった地上の景色を堪能している。
隙間なくぎっちりと詰まった街並み。地面に張り付く小さな箱の中に一千万の人間とロボットが詰め込まれていると思うと、その存在の儚さを感じてしまう。
人は高い場所に来るとおこがましくも神の視点を模してしまうのだ。
「ちょっとちびった」
「汚いです!」
周囲を見渡すとマリーと小梅は東京の街を背景に写真を撮っているようだった。
小梅のデバイスを据え付けのポールにセットし、ガラスの前に二人で並んだ。二人でポーズを決めるとカメラのシャッターが降りた。
「ケッ、青春してやがるぜ」
「ご主人様の学生時代は青春がありませんでしたものね……」
すると小梅はマリーの腰に腕を回し引き寄せた。マリーは最初は驚いたもののすぐに小梅に体を預けた。
「イヤァァァ! お触りしてるぅぅぅうう!」
「ご主人様! 落ち着いてください!」
二人は再びエレベーターに乗り込んだ。
「あれ? まだ上があるの? しかも有料だ!」
黒乃達は再びチケットを買い、エレベーターに乗り込んだ。
——展望回廊。
地上450メートル。エレベーターを降りると螺旋状の通路が続いており、ぐるりと景色を眺めながら最高到達点へと進む。
「ハァハァ、高い! なんだここは? 正気か!?」
「ご主人様! 富士山が綺麗に見えますよ!」
「ボロアパートが見えますわいなー!」
「肉眼じゃもう見えないよ!」
周囲の景色はうっすらと霞んでおり、展望台が雲に覆われているのがわかる。
黒乃はへっぴり腰で通路を進んだ。すると最上階のフロアでマリーが待ち構えていた。
「あ、マリー。あ、やべ。見つかっちゃった」
マリーはじっとりとした目で黒乃を見つめている。次の瞬間黒乃は腕に強烈な痛みを覚えた。
「イダダダダッダッダ!」
「マリーちゃんを狙う変質者、許しません!」
小梅が背後から忍び寄り黒乃の腕を捻り上げたのだった。
「ギャバババババ! おぎゃん!」
小梅は黒乃を床に無造作に転がした。黒乃は腕をさすりながら小梅を見上げた。
「つ、強い!」
「小梅さんはマッチョマスターの空手道場に通っているのでお強いですわよ」
マリーは自慢げに解説した。黒乃は勢いよく立ち上がった。腰を落として立ち合いの構えだ。
「そっちが空手パワーなら、こっちは大相撲パワーじゃい!」
「大の大人が中学生と物理的に張り合おうとしています!」
黒乃山はぶちかましを発動した。猛烈な勢いで小梅に迫る。
「マリーは絶対に渡さんぞ! マリーはおいどんのものでごわす!」
「解説します! ご主人様は学生時代メイドロボのことしか頭になかったので、極端に友達が少ないのです! 大人になってようやくできたマリーちゃんというお友達を自分だけのものと思い込み、このような凶行に走っているのです。陰キャ特有のキモムーブだとご理解ください!」
しかし小梅はそのぶちかましをひらりとかわした。黒乃山は勢い余って床に転がった。その拍子に目深く被ったニット帽が床に落ちた。
「あれ!?」
ニット帽から美しい黒髪のポニーテールがこぼれ落ちた。前髪は綺麗に揃えられ大和撫子といった風情だ。切れ長の目に黒乃は射止められた。
「女の子!? 女の子だ!? かわいい!」
「お兄さん、マリーちゃんの知り合いですか?」
「誰がお兄さんじゃい! 人を男と間違えるとは無礼者が!」
「自分を棚に上げて酷い言いようです! 今時、男の子と女の子を間違えるという
マリーは呆れた表情で一行を見渡した。マリーの視線を受けるとアンテロッテは震え上がってメル子の背後に隠れた。
「なにをしていますの、アンテロッテ」
「お嬢様が不埒な輩にたぶらかされないかと心配だったのですわー!」
「小梅さんはわたくしが転校して最初にできたお友達ですのよ。いつもよくしてくださって感謝しておりますわ。決してYAKARAではございませんわ」
アンテロッテは汗を滝のように流して黙り込んでしまった。
小梅は床の黒乃の目を覗き込んだ。
「あなたがあの黒乃山なんですね。そういえば授業参観にも来ていましたね」
「あ、ども。えへえへ」
三人は土下座をした。スカイツリー展望回廊、地上450メートルで行われる天空土下座だ。
「マリーさん、小梅さん。勘違いをしてしまいまして、本当に」
「「申し訳ございませんでした!(申し訳ございませんでした)」」
ぺこぉ〜。
「なぜ私まで!?」
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