第217話 逮捕です!

 カツン、カツン。

 冷えた廊下に靴音が響く。定期的に訪れるこの音。無機質で心が通わない音。音の主は『我々』には興味がないのだ。だから心が通っていない。興味があるのは交代の時間がまだかということ、もしくは休憩時に飲むコーヒーになにを入れるか、だ。

 カツン、カツン。

 冷えた廊下に靴音が響く。ここは浅草警察署の留置場。黒乃はロボマッポが出すこの音を聞きすぎて嫌気がさしていた。


「ねえ! ここから出してよ!」


 黒乃は狭い留置室の金網に指をかけ部屋の外にいるロボマッポに呼びかけた。ロボマッポは面倒くさそうに今日何回目かのセリフをつぶやいた。


「夜なんだから静かにしなさい」

「私はやってない! 真犯人を探してよ!」


 黒乃は金網を揺さぶった。静かな留置場に金属音が響き渡った。


「じゃきゃあしゃーぞ!」

「こにゃまなんじゃりゃせてくれてんがー!」


 両隣りの部屋の『同僚』から抗議の声が殺到した。黒乃は諦めて薄っぺらいベッドに腰を落とした。


「うう……どうしてこんなことに。うう……メル子」



 ——美食ロボ部。

 浅草の一等地に広がる巨大なお屋敷。美食を極めし者が連日訪れる食の梁山泊。静かなる日本庭園に囲まれた威厳ある家屋の扉が今吹き飛ばされた。


「どりゃりゃあああぁぁぁい!」


 扉は強烈な勢いで天井にぶち当たり、床に落ちた。


「美食ロボはどこじゃぁぁぁああい!」


 破壊された扉をくぐり抜けて現れたのは手に巨大な大根を持った黒乃であった。その後ろには両手に人参を持ったメル子が付き従う。

 黒乃は屋敷の中に乱入した。


「木彫りのメル子像の代金を取り立てにきたぞぉぉおおおい!」


 声を張り上げたものの、どこからも反応がない。黒乃は手近な襖を勢いよく開けたが誰もいない。


「美食ロボ、出てこんかぁぁあああい!」


 黒乃は廊下を突き進んだ。次々と襖を開けていくが、人っこひとり、ロボっこひとりいない。メル子は靴を脱ぐのに手間取って黒乃を見失った。


「ここかぁぁぁぁぁああい!」


 黒乃は廊下の一番奥の襖を開けた。すると足袋たびを履いたロボットの足が見えた。


「いたぁぁぁぁぁああ!」


 黒乃は美食ロボに駆け寄った。



「ハァハァ。待ってください、ご主人様。美食ロボはいましたか……ご主人様!?」


 メル子は信じられないものを見た。床に転がる美食ロボと、その前に呆然と立つ黒乃。美食ロボの頭部は胴体から外れ天井を見上げていた。大根を持って立ち尽くすご主人様。


「ご主人様……とうとうやってしまったのですか……」


 黒乃はゆっくりと振り向いた。真っ青な顔でメル子を見つめた。


「いや、あの、これは、その……」

「イヤァァァァアアア!!!」


 二人の背後から甲高い悲鳴が聞こえた。着物を着た仲居ロボだ。床に倒れた美食ロボを見てプルプルと震えている。


「どうした!?」

「なにがあった!?」


 美食ロボ部の板前達が集まってきた。


「先生!?」

「先生ーッ!」


 パトカーと救急車のサイレンの音が混じり合って浅草の町に響いた。



 ——取調室。


「だからぁ、私じゃないんだって。他に犯人がいるんだよ」


 黒乃は殺風景な小部屋にいた。部屋の真ん中の机には椅子が二つ。部屋の隅にある机には椅子が一つ。

 真ん中の机に黒乃とロボット刑事デカが対面で座っている。隅の机には補助者が座り、録音録画を管理している。


「しかし君が血だらけの大根を持っていたという目撃者もいるからね」

「あれは桜漬け大根だから! 私じゃない! 私はやっていない!」



 ——美食ロボ部。


 メル子は美食ロボ部の厨房にいた。その後ろにはゴスロリメイド服を着たマッチョメイドが仁王立ちをしていた。


「よろしいですか、皆さん。今から聴取を開始します。嘘偽りなく答えるように!」


 メル子は声を張り上げた。メル子の前で椅子に座って並んでいる四人はびくりと体を震わせた。


「メル子さん! どうして俺がここにいるんですか!? 俺はなにも知りませんよ!」


 抗議の声をあげた坊主頭の若いロボットは美食ロボ部の新人板前ロボ三ろぼぞうだ。


「そうですよ。先生が入院されて我々は忙しいんです」


 ロボ三の隣にいるのは美食ロボ部の料理長だ。角刈り頭の壮年のロボットだ。


「大体なんの権限があってこのような取り調べをしているんですか!?」


 さらに隣にいるのは着物を着た仲居ロボだ。事件の第一発見者でもある。


「ニャー」


 椅子の上で寛いでいるのはロボット猫のチャーリーだ。人数合わせのため、たまたまうろついていたところを捕まえてきた。

 以上四人が容疑者となる。


「なんの権限かですって? AI高校メイド科を卒業すると、取調官の資格を取得することができるのですよ!」



 ——取調室。

 

「被疑者黒ノ木黒乃、君には動機がある。それは美食ロボに食い逃げをされた恨みだ。違うか?」


 ロボット刑事は落ち着いた、しかし重みのある声で黒乃に詰め寄った。


「食い逃げの恨みはあるけれども! だからといってヤったりはしないよ! 私じゃない!」

「しかし現に君は屋敷に闖入ちんにゅうしているではないか! 現場を押さえられているんだよ!」

「うわぁぁぁぁ! 違う! 誤解だ! ロボカツ丼! ロボカツ丼をください!」



 ——美食ロボ部。


「ロボ三君。あなたには動機があります。それは美食ロボの好き嫌いが激しすぎて、何回も料理の作り直しをさせられていることです!」


 メル子はロボ三に詰め寄った。


「それが恨みに変わり、凶行に及んだのです! 違いますか!?」

「それは! 確かに作り直しはしょっちゅうですが、それは俺の腕前が悪いからで……」


 ロボ三の割烹着の懐からゴロリと木彫りのメル子像が転がり落ちた。


「……」

「……」



 ——取調室。


「被疑者黒ノ木黒乃、君と美食ロボの関係を調べさせてもらった。君達は過去に対決をしたことがあるそうだね。その勝負によって遺恨が生まれたのではないかね?」


 ロボット刑事は体を前傾させて黒乃に迫った。


「勝負はしたけれども! 勝敗には納得しているよ! 別に恨んではいないから! ロボカツ丼は!? ロボカツ丼の出前はまだなの!?」



 ——美食ロボ部。


「料理長。あなたにも動機はあります」

「私に!? 一体どんな!?」


 マッチョメイドはメル子に紙切れを手渡した。メル子はそれを受け取るとヒラヒラと振ってみせた。


「料理長、あなたには住宅ローンがあるようですね」

「それがなんだというんだ?」

「捜査によると、あなたは頻繁にお賃金について周囲にぼやいていたようですね。仲居ロボ達からの証言です。安い給料でこき使われてローンがキツイと。ボーナスをくださいと。金銭トラブルによって凶行に及んだのではないですか!?」

「くっ! ロボット35にしておくんだった!」


 ロボ三はしきりに木彫りのメル子像を回転させながら鑑賞している。



 ——取調室。


「被疑者黒ノ木黒乃、君は美食ロボに助けてもらったこともあるそうじゃないか。恩を仇で返す蛮行。恥ずかしいとは思わないのかね?」

「うう……だって、だって。あいつ、毎回美味しいところを持っていくし、出てくるだけで面白い……ずるい!」


 ロボット刑事は机の上に丼を置いた。蓋の隙間から湯気が漏れている。


「ロボカツ丼だ。これを食ってよーく考えるんだ」

「うう……刑事さん!」



 ——美食ロボ部。


「仲居ロボさん。あなたにも動機があるはずです」

「私に!? どんな動機だというんです!?」


 マッチョメイドは着物の帯をメル子に手渡した。


「それは!?」

「あ〜れ〜用の帯です。美食ロボはこの帯を引っ張って、あ〜れ〜をするのが好きでした。しかし最近はご無沙汰ですね!?」

「うう!」

「このところ美食ロボは若い仲居ロボにこの帯を巻いてあ〜れ〜をしているのです! あなたはそれに嫉妬をして凶行に走ったというわけです! 痴情のもつれです!」


 ロボ三は木彫りのメル子像に頬擦りをした。



 ——取調室。


「うう、刑事さん。私が、私がやりました! うおっ、うおっ!」

「いいんだ黒ノ木黒乃。よく言った、立派だぞ。あとは罪を償うだけだ」

「うおっ、うおっ。ロボカツ丼……美味しい!」


 その時、取調室の扉が勢いよく開いた。


「うわっ! びっくりしたぁ」

「ご主人様!」

「メル子? メル子!」


 黒乃は椅子から飛び上がると愛しのメイドロボにしがみついた。


「メル子〜! 来てくれたんだね! うおっ、うおっ! ありがとう、最後にメル子に会えてご主人様は幸せものだよ」


 黒乃はメル子を抱きしめて涙を流した。


「しっかりとお勤めしてくるから、ご主人様が出てくるまで待っていてくれるかい? うおっ、うおっ!」

「なにを言っていますか」


 巨大な図体のマッチョメイドが取調室に侵入してきた。その手には一人のロボットが摘まれていた。マッチョメイドはそのロボットを無造作に床に放り投げた。


「痛い!」

「お前は、ロボ三!? どうしてロボ三が!?」


 ロボ三は床に這いつくばってロボ土下座をした。「ごめんなさい! 出来心だったんです!」

「どういうこと!?」


 メル子は中央の机の椅子に腰掛けると机に両肘をついた。顔の前で手を組み、虚空を見つめた。


「では真相をお話ししましょう」



 ——隅田公園。


 ロボ三は走っていた。何気なく訪れたフリーマーケット。なにか良い調理道具でも見つかればと思い、散歩がてらやってきたのだ。案の定、大したものは無かった。美食ロボ部は一流の料亭。扱う道具も最高級のものばかりだ。

 その中でふと目に入ったものがあった。木彫りのメル子像だ。ロボ三は衝撃を受けた。作りが荒いのは一目見てわかる。しかしロボ三が見たのはそこではなかった。その像に宿る『魂』を見たのだ。一流の仏師は仏像に魂を込める。魂こそがその像の本質なのだ。ロボ三はメル子像の魂に震えた。

 しかしお金がない。一旦美食ロボ部に取りに帰らなくてはならない。ロボ三は走った。


「メル子像を一つください!」

「あ、ごめん。売り切れちゃった」


 失意のまま帰路についた。しかし奇跡は起きた。主である美食ロボがメル子像を持ち帰っていたのだ。ロボ三は思いきって打ち明けた。どうしても譲って欲しいと頼み込んだ。しかし願いは届かなかった。

 ロボ三は最後の手段に出た。力尽くで奪い取ろうとしたのだ。二人はメル子像を引っ張りあった。そのはずみで美食ロボは後ろにひっくり返り、柱に激しく頭を打ちつけた。頭部が胴体から外れ、美食ロボは動かなくなった。

 それは事故ではあったがロボ三はパニックに陥り、メル子像を持って逃げ出した。


「俺、メル子さんの大ファンで! どうしてもメル子像が欲しくて! やってしまいました!」


 ロボ三は泣いた。涙が枯れ果てるまで泣いた。しかし誰一人同情はしなかった。


 こうして事件は解決した。



 ——ボロアパート。


 黒乃はメル子の淹れた紅茶を堪能していた。


「いや〜、美味い。メル子の淹れる紅茶は世界一だよ。ありがとう!」

「どういたしまして」

「もう二度とこの紅茶が飲めないかと思ったからね」

「大袈裟ですよ」


 黒乃はこの何気ない日常を心から味わった。


「そういえば、美食ロボが明日退院するそうですよ」

「ほう、それはなによりだ」

「着脱式の頭部でよかったですね」


 黒乃は紅茶を飲み干した。大きく息をつくと言った。


「明日アイツの屋敷に乱入してメル子像の代金をもらいにいかないとな」

「ですね!」


 光り輝く満点の星空に黒乃とメル子の笑い声がこだました。


「ふふふふ」

「あは、あははは!」

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