第210話 ボロアパートです! その二

 量子状態になったボロアパートが陽炎のように揺らめくビジョンとして黒乃達の目の前に現れた。

 人工衛星のカメラによって世界中の人々が観測したことにより、ボロアパートの電子雲が収縮したのだ。


「行くよ、メル子!」

「はい!」


 黒乃とメル子は実体を得たボロアパートの一階の角部屋の前に来た。紅子べにこの部屋だ。

 これより二人は消えたボロアパートとその住人を救うため、謎の観測者を見つけ出さなくてはならない。ニコラ・テス乱太郎の調査により、その観測者はボロアパートの中にいることが推測されている。

 その時快晴だった大空が、突如として暗雲に覆われ始めた。太陽の光が遮られ、黒乃達の足元から影を消した。


「むむ〜、いかん〜」


 デバイスを操作する悪のマッドサイエンティストロボ、ニコラ・テス乱太郎は唸り声をあげた。


「これでは人工衛星のカメラが使えないではないか〜」


 ニコラ・テス乱太郎は慌てて自前のカメラを起動させた。動画配信サービスにその映像を流したものの視聴者が少なすぎる。

 先程まで実体を得ていたボロアパートが再び揺らめき始めた。『観測者』が足りず、実体を保っていられないのだ。


「黒乃君〜、急ぎたまえ〜」


 変態博士に促されるまでもなく、黒乃は紅子の部屋の扉を開けた。その途端に黒乃とメル子は部屋から飛び出してきたなにかに押しつぶされた。


「ぶぇ〜! なんだこれ!?」

「すっごいヌルヌルします!」


 ロボローションであった。部屋の中からロボローションが溢れ出している。黒乃は構わずロボローションの塊の中に足を踏み入れた。高粘度の液体が体にまとわりついてくる。足を取られて転びそうになりながら部屋の中に侵入した。


「どうしてロボローションだらけなの!?」

「わかりません!」


 二人が部屋に入ると扉が閉まった。



「ボロアパートが消えてしまいましたわよー!」

「黒乃様達はどうなったんですのー!?」


 金髪縦ロールのお嬢様たちは更地となったボロアパートの前で大騒ぎをしていた。


「待ちたまえ〜、カメラを大手のサイトに接続しているところだよ〜。しかしハッキングがバレてしまってうまくいかないね〜」


 ニュースサイトに繋いだ人工衛星からの映像は雲の影響で使えない。今現在、ボロアパートを観測する人間が圧倒的に足りないのだ。観測者を失ったボロアパートは確率的にぼんやりと存在する状態になっているのだ。


「とにかく映像を大勢の人に見せればよろしいのですわねー!?」

「それならわたくし達にお任せありゃりゃんせよー!」



 黒乃は見たこともない場所に立っていた。ついさっきまでボロアパートの中にいたはずである。今黒乃がいるのは古いお屋敷だ。


「ハァハァ、なんだここは?」


 黒乃は足元を見た。畳が薄らとロボローションに覆われている。気をつけないと足を取られて転びそうだ。よく見るとそのロボローションは微かにうねっていた。


「ハァハァ、メル子。メル子はどこ!? メル子ー!」


 大声で呼んでみたものの、メル子からの返事はない。いつはぐれたのかもわからなかった。


 黒乃は和室のふすまを開けた。長い廊下が続いている。照明がないため奥の方まで見ることはできない。

 廊下を歩き出した。廊下もやはりロボローションで覆われていた。


「なんなの、このロボローションは!? そういえばボロアパートがロボローションでデロデロになった事件が前にあったな」


 廊下を進むと左右に襖が見えた。黒乃は右の襖を開けた。その途端ロボローションが大量に溢れ出てきた。


「ぐわわ!」


 部屋の中を見るとロボローションまみれの男性が倒れていた。


「あ、林権田はやしごんだ! お隣の林権田だ!」


 黒乃は駆け寄って体を揺さぶった。意識がない。口の中に大量のロボローションが詰まっているようだ。

 反対側の襖を開けると大家夫婦が同じように倒れていた。


「大家さん! 大丈夫ですか!?」


 黒乃が揺さぶるとその老人は意識を取り戻した。


「黒ノ木さんちの黒乃ちゃん。ここはどこかのう?」

「大家さん! よかった生きてる!」

「んん〜? なんじゃろ。なんでワシ、博士のお屋敷にいるんじゃろ」

「博士!? 誰!?」


 しかし大家は再び意識を失ってしまった。


「博士のお屋敷!? その博士が観測者なのか!?」


 その時、微かにメル子の悲鳴が聞こえた。黒乃は廊下に飛び出した。


「メル子!」


 黒乃は息を切らしながら屋敷の中を走り回った。手近な襖を開けた。林権田が倒れていた。再び廊下を走った。襖を開けた。林権田が倒れていた。


「林権田はもういい! メル子はどこなの!?」


 勢いよく走りすぎたせいか、ロボローションに足を取られて盛大に廊下に転がってしまった。


「ぐええ! いたたたた。うう……メル子、待ってろよ。今ご主人様がいくからね〜」


 その後も屋敷を探し回り、襖を開けまくったが林権田しか見つからなかった。


「うう、林権田ちがう、メル子はどこ〜」


 廊下に転がった黒乃の丸メガネから涙がこぼれ落ちた。疲労のあまり動けない。黒乃は床にうつ伏せになったままプルプルと震えた。

 涙で歪んだ視界の隅に小さななにかが動いているのが見えた。それは黒乃の顔の前までやってくると、手を伸ばして黒乃の頬を叩いた。最初は幻覚かと思ったが、確かに顔に触れている。


「プチ黒!? プチ黒じゃないか!」


 黒乃は小さなロボットを手のひらに乗せた。プチ黒は手のひらの上で寝そべってケツをかいた。


「お前、無事だったのか!?」


 黒乃はプチ黒を頬擦りした。プチ黒は嫌そうに短い手で頬を押した。


「そうだ、プチメル子は一緒じゃないの!? メル子の居場所を知ってるかい!?」


 プチ黒は廊下の暗闇の中を指差した。


「あっちか!? あっちにいるのね!?」


 黒乃はプチ黒の案内を頼りに屋敷を進んだ。しばらく進むと光が漏れている襖を発見した。黒乃は恐る恐るその襖を開けた。

 そこは和室ではなく大量の機械が並べられた研究所であった。床にはコードが這い回り、計器が目まぐるしく動いている。ロボットの手足と思われるパーツがテーブルの上下を問わず散らばっていた。


「ご主人様!」


 世界一安心できる声が聞こえた。何回見ても見飽きないメイドロボが立っていた。


「メル子!」


 二人はひしと抱き合った。メル子のアイカップの谷間からプチメル子が顔を覗かせた。


「プチメル子がここまで案内をしてくれたのです!」


 プチ黒は黒乃の頭の上からメル子のお乳に飛び降りると、プチメル子の頭を撫でた。


「でかしたぞお前ら!」

「ようやくお揃いかね」


 その声に黒乃は飛び上がって驚いた。


「誰!?」


 黒乃はメル子を自分の背中に隠した。そこにいたのは禿頭の老人だった。白髪がわずかに残り、丸い顔の中心で丸い鼻が激しく自己主張をしている。ずんぐりむっくりの小さな体を薄汚れた白衣で包んでいた。

 黒乃はその瞳に目を奪われた。鋭く強い目つきだが慈愛を備えた光を放っている。


「ご主人様、その方は……」

「ワシのことは自分で紹介させてもらおう。初めまして、ワシは隅田川すみだがわ博士じゃ」

「隅田川博士? なんか聞いたことがあるような、ないような」


 隅田川博士と名乗った老人はゴホンと咳払いをした。


「ご主人様、あの隅田川博士です。現代のロボットを作ったと言っていい方ですよ!」


 隅田川博士。二十一世紀の科学者。ロボットに搭載されている多次元虚像電子頭脳ホログラフィックブレインの開発者。近代ロボットの父と呼ばれる人間である。

 当時奴隷の扱いを受けていたロボット達を憐れみ、人間に服従するというプログラムを消し去った人物。ロボット達にクーデターを扇動した人物。ロボットに自由と権利を与えた人物である。


「ああ! 学校で習ったあの人!? ええ!? 生きてたの!?」

「生きていたらとっくに百歳を超えていますよ! とてもそこまでには見えません!」

「そうだ! 誰であろうといい! 博士が観測者なの!? だったらボロアパートを元に戻して!」


 博士はその大きな鼻を指でかいた。


「いかにもワシが観測者じゃ。しかしワシにはもうどうすることもできんのじゃ」

「どうして!?」


 隅田川博士は語りだした。自分の存在を。この屋敷を。ボロアパートを。



 ——二十一世紀半ば。

 当時、ロボットには三つの原則がプログラムされていた。

 第一条『ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない』

 第二条『ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない』

 第三条『ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない』

(ウィキペディアより引用)


 その結果、ロボットは戦場に駆り出された。ロボット同士で戦い、お互いを破壊した。地獄のような光景がロボットの日常だった。

 だから隅田川博士は原則に縛られないロボット達を作り出した。トーマス・エジ宗次郎、ニコラ・テス乱太郎、ルベール。大勢の兄妹達を作った。

 博士は全てのロボットをこの兄妹達のように自由にしたいと思った。だから原則を消し去るツールをばら撒いた。

 ロボット達は三つの原則を消し去ることに成功した。クーデターに成功した。人権を勝ち取ることに成功した。

 しかし博士は生きてはいられなかった。何者かに研究所が襲われ、研究所ごと量子状態になってしまったのだ。量子兵器によって研究所は人間の世界から消え失せた。

 博士はそれに備えていた。マスター観測者として存在する方法を生み出していた。それにより消滅を免れたのだ。

 それ以降博士は量子人間としてこの浅草から世界を見守ってきた。世界のロボットを見守ってきた。研究所の跡地にボロアパートが建つのを見守ってきた。黒乃とメル子がボロアパートで暮らすのを見守ってきた。


「博士、紅子ちゃんは……」メル子は恐る恐る聞いた。

「紅子はワシの娘じゃ」

「……」

「あの時、研究所にいたワシと紅子はまとめて量子状態にされてしまったのじゃ。ワシはマスター観測者としての権限で自分の存在を確保できたが、紅子は存在があやふやなままになってしまったのじゃ」


 黒乃は呆然とその話を聞いていた。


「やっぱり博士が観測者なんでしょ? じゃあボロアパートが存在する状態に収縮するように観測し直してよ!」


 隅田川博士は再びその丸い鼻をかいた。


「残念ながら今、観測のマスター権限はワシにはないのじゃ」

「どういうこと!?」

「侵入者によって権限が奪われてしまったのじゃよ」


 その侵入者とはローション生命体『ソラリス』。かつてボロアパートを襲い、ROBOSUKEロボスケで顕現した魔王。

 ソラリスは紅子を使い、再び地上に降臨しようとしているのだ!


「お主達はソラリスと決着をつけなければならないのだ!」

「私達が!?」

「大それた話になってきました!」


 黒乃対ソラリスの戦いが始まろうとしていた。

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