第206話 大脱走です!

 二月の休日の午後。暦の上ではとうに春が訪れているはずだが、ボロアパートの小汚い部屋は吹き荒ぶ寒風で柱をきしませていた。


「寒いねえ」

「本当ですね」


 黒乃は床に寝転がり窓の外を眺めた。この部屋はエアコンは設置されているものの、年季の入った骨董品のようなものなので効きが悪い。


「こんな日は温かいものでも食べてのんびり部屋で過ごすに限るね」

「まったくですね」


 風で落ち葉が吹き上がった。

 表の加速した世界とは裏腹に内の時が止まったかのような世界を二人は堪能した。

 そこに扉を叩く音が響いた。


「ん〜? お嬢様たちかなあ」


 黒乃は起き上がると腰をさすりながら扉を開けた。


「はいはい、どなた様でしょうか?」

 

 扉の向こうには黒い壁がそそり立っていた。黒乃はそれを撫でた。


「なにこれ? ふさふさしてる」

「ウホ」

「うわ、ゴリラロボかい」


 立っていたのは二メートルの巨大な体躯のゴリラロボであった。動物ロボ専門の動物園である浅草動物園に住む人気の動物ロボだ。


「ゴリラロボ! どうしたのですか!?」

「ゴリラロボがうちに来るなんて珍しいな」


 ゴリラロボは玄関の外でくるくると回っている。なにか落ち着きがないようだ。


「おい、どうしたゴリラロボよ。なにしにきたんだい」

「お外は寒いですから、中に入ってください!」


 ゴリラロボは扉を潜ろうとしたが体が大きすぎてつかえてしまった。黒乃とメル子の二人で引っ張って無理矢理部屋の中へ入れた。


「ハァハァ。疲れた」

「部屋が狭いです!」


 部屋のど真ん中に黒い物体が正座をしている。


「それでどうした? なにかあったのかい」

「まさかまた飼育員さんと喧嘩をして家出をしたのですか!?」


 ゴリラロボのマスターは浅草動物園の飼育員のお姉さんだ。普段は飼育員とコンビを組んで客に芸を披露している。

 ゴリラロボは顔を左右に振った。


「ウホ!」

「ふんふん、なになに? 浅草動物園から動物ロボが逃げ出した? スタッフが総出で捜索しているが見つからない? 一緒に探してほしい?」

「一大事ではないですか!」

「ウホ……」


 ゴリラロボは床にうなだれてしまった。メル子はゴリラロボの毛皮を撫でた。

 黒乃は立ち上がった。メル子とゴリラロボはそれを見上げた。


「しょうがない。困っている時はお互い様だ。一緒に探そうよ!」

「ウホ!」

「さすがご主人様です!」



 一匹目、サーバルキャットロボ。


「ここどこ?」

「隅田公園です! 川の向かいに浅草動物園があります!」

「ウホ」


 黒乃達は隅田公園内を歩き回った。休日だけあって家族連れが多い。広場にゴリラロボが現れると、なにかのイベントと勘違いしたのか子供達が群がってきた。


「ウホ!」ゴリラロボは子供達を肩に乗せた。


「ゴリラロボ、大人気ですね!」

「浅草動物園のスターだからなあ」


 すると広場の茂みの中になにか動くものが見えた。


「あれじゃないの?」

「耳が見えます!」


 ——サーバルキャット。

 ネコ科サーバル属。生息地アフリカ。体長60〜90センチメートル。ヒョウ柄の細い体に大きな耳が特徴。


 黒乃達は茂みに向けてゆっくりとにじり寄った。


「ねえ、サーバルキャットは肉食獣でしょ? 噛んだりしない? あ、人間を襲わないように安全機構が組み込まれているんだっけ?」

「お忘れですか? 組み込まれていません」

「じゃあ危険なの!?」

「ご心配なく!」


 新ロボット法により、一定以上の容量を持つAIに安全機構を組み込むことは違法となっている。それは人権を持つAIの自由意志を奪うことになるからだ。AIは教育や法律によってのみ、その行動を制限されるべきなのである。

 なので、本来であれば一定容量を満たさない人権を持たない動物ロボには安全機構が組み込まれているはずである。しかし浅草動物園では昨今の動物愛護精神の高まりに配慮し、安全機構を組み込んで動物の自由意志を奪う処理を施していないのだ!


「つまり危険なのね!?」

「大丈夫です!」


 大丈夫なのである! 動物のAIに対し直接的な安全に対する制御は施していないものの、浅草動物園での高度な教育によりその安全性を保障しているのだ!


「なんだ、やっぱり安全なのか」


 黒乃は安心して茂みのサーバルキャットに向けて手を伸ばした。サーバルキャットは目にも止まらぬ速さで黒乃の手に噛みついた。


「いでぇぇぇええええええ!!!」

「今です!」


 黒乃が噛みつかれている間にメル子は素早く背後からサーバルキャットを捕まえた。


「よしよし、いい子です。怖くありませんよ。いい子ですね」

「いい子は噛みつかないだろ!」


 メル子に捕まったサーバルキャットはすぐにおとなしくなり、メル子の頬を舐めた。


「あはは、くすぐったいです!」

「あれ、なんだろう。靴にうんこされたな……」



 二匹目、クアッカワラビーロボ。


「次は浅草寺の境内に来ました!」

「こんな人が多いところにいるのかな」


 隅田公園から浅草寺まではゴリラロボの肩に乗って移動したので一瞬であった。


 ——クアッカワラビー。

 カンガルー科クアッカワラビー属。生息地オーストラリア。体長50センチメートル。カンガルーとネズミを合わせたような見た目をしている。


「クアッカワラビーは『世界一幸せな動物』と呼ばれています」

「へ〜、なんで幸せなんだろう?」


 その動物ロボはすぐに見つかった。境内のお水舎の縁に立っていた。その周りには人だかりができている。皆珍しい動物ロボの写真を撮っているようだ。


「見てください、ご主人様! クアッカワラビーを正面から見ると笑っているように見えますでしょう」

「おお! 本当だ。可愛い!」


 その愛らしさに黒乃もメル子も笑顔になった。


「ははは、こいつはいいや。こんな笑顔の動物なら噛まれる心配はないね」


 黒乃はクアッカワラビーを捕まえようと手を伸ばした。次の瞬間、クアッカワラビーは鬼の形相になって黒乃の手に噛みついた。


「アダダダダダダダ!」

「噛んだらダメでチュよ。美味しくないでチュからね」


 メル子は優しく抱き上げると柔らかい毛並みに頬擦りした。クアッカワラビーはメル子の頬をぺろぺろと舐めた。


「うふふ、くすぐったいですよ」

「あれ、靴にうんこされた……」



 三匹目、フィリピンワシロボ。


「次は仲見世通りね」

「ご主人様、早速発見しました!」


 メル子が指を差したのはアンテロッテのフランス料理店『アン・ココット』の屋根の上だ。


 ——フィリピンワシ。

 タカ科フィリピンワシ属。生息地フィリピン。全長100センチメートル。翼を広げると二メートル近い大きさになる世界最大級のワシだ。


「うわわわ、でっけえ! 怖い!」

「凄い迫力です!」

「黒乃さんとメル子ですわー!」

「お二人ともー! 食べに来てくれましたのー!?」


 店を営業しているマリーとアンテロッテが二人を見つけて声をかけてきた。


「いや、今日は違うよ。ワシを捕まえに来たんだよ」

「お爺さんを捕まえてどうするんですの?」

「ワシじゃよ!」


 黒乃はゴリラロボの肩に乗り、店の上によじ登ろうとした。


「なにをしていますのー!」

「営業妨害ですわー!」

「ちょっとごめんよ!」


 黒乃はフィリピンワシに手を伸ばした。しかしその手を簡単にかわされ、逆に鉤爪で両肩を掴まれた。そして巨大な羽を広げて羽ばたいた。


「イダダダダダダ! 痛い!」

「浮いています! ご主人様が浮いています!」

「ワシさんがいますのー!」

「鳥と一緒にお散歩ですのー!?」


 数メートル上昇したところで重さに耐えきれなくなり、爪を離した。黒乃は店の軒先の日よけテントの上に落下した。その隙にゴリラロボが飛び上がり、フィリピンワシを捕獲した。


「お店がぶっ壊れましたのー!」

「弁償しやがれですのー!」


 一行はぎゃあぎゃあと騒ぐお嬢様から走って逃げ出した。


「頭にうんこされたわ」



 四匹目、メスローランドゴリラロボ。


「ハァハァ、次でラストだな」

「ご主人様、しっかりしてください」


 再びゴリラロボの肩に乗ってやってきたのは隅田川に架かる吾妻橋だ。その橋の中央付近の歩道に一匹のメスゴリラロボがいた。橋の欄干に手を置き、夕陽を眺めていた。


 ——ゴリラ。

 霊長目ヒト科ゴリラ属。生息地アフリカ。人間と同様に社会性が高く、群れのリーダーは群れの秩序を守るために行動する。性格は穏やかで優しい。しかし繊細でストレスを受けやすい。


「えーと、メスゴリラロボが黄昏ているな」

「黄昏ていますね」


 夕陽を見つめるその背中には悲しさが宿っている。


「ウホ」ゴリラロボが一歩進み出た。


「ウホ」メスゴリラロボに声をかけるがなにも反応を返さない。


「ウホ」さらに一歩近づいた。


「ウホホ」するとメスゴリラロボは首を左右に振った。


「ウホ!」

「ウホッホ」


 ゴリラロボは手のひらで自分の胸を叩きコミュニケーションを取ろうとした。ドラミングである。

 その音を聞いてようやくメスゴリラロボは振り返った。


「ご主人様、これはなにをしているのでしょうか」

「うーむ、わからん。ちょっと翻訳してみるか。なになに? 昨日の晩、ゴリラロボがメスゴリラロボのところに会いにいった? 二匹はいい感じになってたけど突然メスゴリラロボがゴリラロボをはっ倒した? そのまま大暴れして動物園の動物ロボ達がパニックになって逃げ出した? 動物が逃げたのはお前らのせいかい!」


 メスゴリラロボがドラミングをした。ゴリラロボもドラミングをした。そして二匹は抱き合った。夕陽に照らされた二匹の姿は野生の美しさを秘め神々しくもあった。


「よくわからんけど仲直りできたみたいだな」

「良かったですね! ゴリラロボ!」

「ウホ!」


 しかしその時、橋の上にもう一匹のメスゴリラロボが現れた。


「んん!?」

「またなにか来ましたよ!?」


 それを見たゴリラロボはガタガタと震え出した。


「ウホ」

「ウホホ!」

「ウッホッホ」

「ウーーーホッ」

「ウホウッホ!」


 新しくやってきたメスゴリラロボはゴリラロボをはっ倒した。その強烈な突きは橋の欄干を破壊し、ゴリラロボを川底まで突き落とした。ゴリラロボはうつ伏せになったまま東京湾へ向けて流されていった。


「ゴリラロボーー!!」


 メスゴリラロボ二匹は仲良く手を繋いで浅草動物園に帰っていった。黒乃とメル子はプルプルと震えながらそれを見送った。


「ああ、メル子」

「はい」

「ゴリラロボの話はさ」

「はい」

「学びとか教訓とか感動とか、そういうの一切無いよね!」

「ですね!」


 二人も仲良く手を繋いでボロアパートへ帰っていった。

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