第205話 バレンタインです!

「フンフフーン、チョコレイトを溶かします〜。可愛いメイドさんが溶かします〜。ビターでスイート、トロトロに〜。冷やして固めて、はい完成! フンフフーン」


 メイドロボの可愛らしい歌と共に、チョコレイトの甘い香りが夕食後の小汚い部屋を満たした。


「んあ〜、いい匂い。ちょっと焦げた感じがたまらんね」

「ふふふ、メル子特製のチョコレイトを楽しみにしていてくださいね」


 赤い花柄の和風メイド服を着たメイドロボは楽しそうに鍋の中のチョコレイトをかき混ぜている。黒乃もそれを楽しそうに見つめた。


「ところでなんで急にチョコレイトなんて作ってるのさ。普段作らないでしょ」

「え!?」


 メル子はホイッパーを握った手をプルプルと震わせた。


「なぜって、バレンタインだからですよ」

「バレンタインってなんだっけ?」

「え!?」


 二十二世紀現在、バレンタインデーの風習は廃れているわけではないものの、その規模は著しく小さくなっている。カカオ生産にまつわる世界的なごたごたのためだ。日本の企業もバレンタインキャンペーンを行うことがなくなって久しい。


「まあ、ご主人様がバレンタインをご存知ないのも無理はないです。チョコレイトをもらうことなどほとんどありませんものね」


 黒乃は床に寝転びながら人差し指を額にあてて宙を見つめた。


「そういえば学生の頃はチョコレイトたくさんもらったなあ。あれがバレンタインだったのかなあ」

「もらっていたのですか!?」


 実際黒乃は学生時代、後輩達から山程チョコレイトをもらっていた。その理由は『背が高いから』である!


「あー、思い出した。家に帰ると妹達もチョコ抱えて帰ってきてたよ」


 もちろん妹達がチョコレイトを大量にもらっていたのも『背が高いから』である! 背が高い女子は不必要にモテるのだ。

 メル子はその話を聞き、プルプルと肩を震わせた。


「へ、へえ〜。それはよござんした。よござんしたね〜」

「どした?」


 

 ——翌日。

 黒乃は元気よく出社した。事務所がある人気のない路地。その事務所の一つ手前に紅茶店『みどるずぶら』がある。店の前には一人のメイドロボが通りの掃除をしているのが見えた。


「おはようございます、ルベールさん」

「おはようございます!」


 その声にメイドロボは振り向いた。人形のような美しさをもったヴィクトリア朝のクラシックなメイド服を纏ったメイドロボだ。


「お二人とも、おはようございます」


 ルベールは丁寧に挨拶をした。手に持ったホウキを店の玄関に立てかけると、エプロンのポケットから何かを取り出した。


「黒乃様、チョコレイトをどうぞ」

「えへ、ルベールさん、いいんですか? えへへ」

「もちろんです」


 黒乃が受け取ったのはイギリス王室御用達ブランド『シャルボネル・エ・ウォーカー』のチョコレイトだ。丸い綺麗な箱に収められている。


「えへへ、えへへ。美味しそう」


 その様子をメル子はじっとりとした目で見た。


「おはようさーん」

「……おはよう」


 事務所に入ると黒乃の机の上にチョコレイトが二つ乗っていた。


「おはようございます、先輩」

「あれ? このチョコレイトは?」

「私の手作りチョコレイトですよ」

「お〜、ありがとう!」


 メル子は机の上のリボンがついた立方体の箱を舐め回すように見つめた。


「桃ノ木さん」

「なにかしら、メル子ちゃん」

「変なものを入れていませんよね?」

「具体的にどんなものかしら」

「いえ、忘れてください」


 もう一つの箱は市販のロボンキーだ。


「こっちは誰だろ」

「……ボクの。クロ社長、食べて」

「おお! フォト子ちゃん、ありがとう! ロボンキー、サクサクしてて美味いよね」



 業務が始まった。皆いつも通りの作業をしていたが、十五分経った時、突然啜り泣く声が聞こえてきた。


「ウウ、ウウ」

「どうした、FORT蘭丸」

「ドウシテ、シャチョーだけチョコレイトをもらえて、ボクはもらえないんデスか?」


 部屋に気まずい空気が流れた。


「だいたいシャチョーは女性じゃないデスか。本当はチョコレイトもらえないはずデスよね?」

「お前は昭和生まれのロボットか?」


 すると桃ノ木が隣のFORT蘭丸のデスクの上にそっとチョコレイトを置いた。


「ごめんね、FORT蘭丸君。忘れていただけよ」

「桃ノ木サン……!」


 フォトンは向かいのモニターの上にロボンキーを置いた。


「……余ったからあげる」

「フォト子チャン……!」

「……キモいから名前で呼ばないで」


 二つのチョコレイトを得てFORT蘭丸は頭の発光素子を明滅させた。


「FORT蘭丸君のマスターのルビーさんはくれなかったのかしら?」

「ルビーはこんな古風な風習知りまセンよ!」


 昼前になるとメル子が台所から仕事部屋へとやってきて、細かな部分の掃除を始めた。FORT蘭丸はその様子を横目でチラチラと見た。


「蘭丸君」

「ハイィ!」

「チョコレイトはあげませんよ」


 それを聞いた見た目メカメカしいロボットはデスクに突っ伏して涙を流した。黒乃はそのやりとりを見て、手を叩いて爆笑した。


 古民家の食堂で昼食を終え、ゆっくりと紅茶を飲んでいるとマッチョメイドが乗り込んできた。


「びょわわわわ! びっくりした。いきなり入ってこないでよ」

「マッチョメイド、どうしました?」


 ゴスロリメイド服が内側から弾けんばかりの筋肉を堂々と晒しているメイドロボの手には小さな包みが乗っていた。


「マッチョメイド、それなんだい?」

「黒乃 おで チョコレイト つくってきた」

「おお!」

「マッチョメイド、見せてください!」


 包みを解いて現れたのは、目にも鮮やかな和菓子だった。四角く切り分けられたチョコレイト一つ一つに抹茶の粉末がまぶされている。


「うわー、綺麗だ〜」

「マッチョメイド、すごいですよ!」

「みんなのぶん ある わけて たべる」


 皆一つずつ指でつまむと口の中に放り込んだ。


「美味しいデス!」

「……とろとろ」

「中に何か入っているわね」


 口の中でさらりと溶けたチョコレイトから甘いものが溢れてきた。


「んん!? これは黒糖だ! 溶けた黒糖が入っている!」

「しかも岩塩入りの黒糖です! この塩味によって甘くなりすぎず、多層的な食感と味を演出しています!」

「じゃあ おで かえる 黒乃たち がんばる」


 マッチョメイドは満足げに大股で帰っていった。



 ——夕方。

 黒乃とメル子は赤い夕陽に照らされた路地を歩いていた。


「ねえ、メル子」

「はい、なんでしょうか」

「……」

「……」


 二人は無言で歩いた。


「ねえ、ちょうだい?」

「なにをですか」


 その時、黒乃の頭に巨大ななにかがのしかかってきた。


「びゅば! ぎょわわわわ! なんだなんだ!?」

「あれ? チャーリーではないですか」


 頭の上に現れたのはグレーの長い毛並みが美しいロボット猫のチャーリーであった。


「にゃー」

「重い! こいつなんで人の頭に乗るんだよ」

「足場だと思われているのでは」


 頭の上のチャーリーはメル子をじっと見つめて鳴いた。


「ほら、メル子。チョコレイト欲しいってよ」

「あげません」


 メル子はつんと横を向いた。チャーリーはしょぼくれて尻尾を黒乃の顔の真ん中にだらしなく垂れ下げさせた。


「しょうがないな」


 黒乃はフォトンからもらったロボンキーの余りをチャーリーに差し出した。


「ロボチョコレイトだから猫でも食べられるだろ。ほれ、食え!」


 チャーリーは最初、黒乃の食べかけをイヤイヤしていたが、食欲に耐えきれなくなりロボンキーに齧り付いた。「にゃー」と鳴くと黒乃の頭から民家の塀に飛び移り、そのままどこかへ消えていった。


「猫までバレンタインを気にする時代か」


 再び黒乃とメル子は無言で路地を歩き出した。


「ねえ、メル子」

「なんでしょうか」

「ちょうだい? 家出る時にチョコレイトを持っていったの知ってるからね」


 メル子は恥ずかしそうにエプロンのポケットから小さなチョコレイトの包みを取り出した。


「なんだ、随分小さくて可愛いな」

「……」


 実は昨晩、メル子はチョコレイト作りに失敗していたのだ! 買ってきた高級チョコレイトを焦がしてしまい、急遽コンビニに走り安い板チョコレイトを買い求めたのだ。しかし売り場にはたったの三枚しかなく、仕方がなくその三枚で作ったらなんとも小さいものができあがってしまったというわけだ。


「ふふふ、安くても小さくても、メル子が作ったチョコレイトが一番だよ」


 黒乃は包みを受け取り、指を突っ込んで欠片を取り出した。その可愛らしいチョコを口に放り込んだ。


「もぐもぐ……美味い! 安いチョコレイトでも、メル子の愛情がたっぷりと入っているから世界一美味しいよ」

「ご主人様……」


 二人はチョコレイトを分け合って食べながら夕方の路地を歩いた。





「おや? なんだあれ」

「なんでしょうか」


 ボロアパートの階段を上ると部屋の扉の前に巨大な箱が置かれているのが見えた。


「うわ、綺麗な箱だなあ。メル子、なにか注文したの?」

「知りませんよ」


 その時、ササンドラ川の底から湧き上がるかのような恐ろしい声が響いた。

 オーホホホホ……オーホホホホ……。


「ぎゃあ! なんですかこの声は!?」

「オーホホホホ! ハッピーウァレンティヌスですわー!」

「オーホホホホ! ウァレンティヌスとはローマの聖人ですわー!」

「「オーホホホホ!」」


 階段から現れたのは金髪縦ロールの二人組であった。


「あ、マリー、アン子。ひょっとしてこの箱は二人が?」

「チョコレイトおケーキを作って参りましたのよー!」

「お嬢様の手作りおケーキですわよー!」

「まじかー」


 黒乃は箱の蓋を開けた。豪華で巨大なチョコレイトケーキが黒乃の前に現れた。


「うわ、すっげぇ」

「大きすぎますよ!」

「ジャン=ポール・エヴァンの最高級チョコレイトをふんだんに使用しましたわー!」

「スポンジに含ませたシャルル・バノーの高級リキュールが大人の味を演出しますのよー!」

「やべえ! いただきます!」


 黒乃は我慢ができずに玄関の前で巨大チョコレイトケーキに齧り付いた。


「うめ、うめ! 舌触りのなめらかさ、ビターな香り、リキュールの味わい、どれも完璧だぁ! やっぱり高級食材を使っているだけあるわ。世界一美味い!」

「ご主人様!?」


 黒乃は夢中になって巨大ケーキを貪った。メル子はその背中をバシバシと叩いた。


 オーホホホホ……オーホホホホ……。

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