第207話 散髪をします!

 夕食後の優雅なティータイム。黒乃は高価なティーセットで高価な茶葉を楽しんでいた。


 ファサァ。


「あー、美味い。渋みと香りのバランスが最適解」

「うふふ、キーモンです。ルベールさんが特別に最高級のものを用意してくれました」

「独特なスモーキーさが大人の色気を醸し出しているね」


 ファサァ。


「ご主人様。今日のお仕事の具合はいかがでしたか?」

「うーん。まあいつも通りかな。アルファテストのレポートが大量に届いてクライアントは大わらわだよ」


 ファサァ。


「あの、ご主人様」

「んん? なんだい」

「髪の毛をファサファサしすぎです」

「ええ? そう?」


 ファサァ。


「ん〜、コーモンが美味い」

「キーモンです! ファサファサをやめてください!」


 ファサァ。


「そういえば、だいぶ伸びてきたな」

「いつから切っていないのですか」

「メル子がうちに来てから切った覚えがないよ」


 ファサァ。

 黒乃は前髪を鬱陶しそうにかきあげた。背中を反らせ紅茶を一息で飲み干すと言った。


「明日、床屋さん行ってくるわ」

「くっくっくっく」

「ワロてるけど」


 メル子は手に持ったティーカップを小刻みに震わせて笑っている。


「ご主人様ともあろうお方が、目の前にいるのが誰だかお忘れなのでしょうか」

「メル子だけれども」

「くっくっくっく」

「AIが壊れたのかな」


 黒乃はテーブルの向こうにいるメル子の額に腕を伸ばして手をあてた。メル子はそれを払いのけた。そして立ち上がり、腰に手を当ててアイカップの胸を反らせた。


「AI高校メイド科を卒業すると理容師免許が取得できるのですよ!」

「メイド科すげえ!」


 

 二人はバスルームにいた。床に敷かれたビニールシートの上のバスチェアに黒乃は全裸で腰掛けた。

 メル子はその背後に立ち、しきりにハサミをチョキチョキと鳴らしている。


「さあ、ご主人様。どのような髪型にいたしましょう。雰囲気を変えてマッシュショートにしますか? シースルーバング、レイヤーカット、ウルフカット。なんでもできますよ」

「なにを言ってるのかわからん。いつも通りの髪型でいいよ」


 メル子は黒乃の長い黒髪を撫でた。以前は乱れ放題だったが、今は毎日メル子が手入れをしているため驚くほどの艶やかさを手に入れている。

 メル子はハサミを激しく鳴らした。


「まあ、黒髪おさげはご主人様のトレードマークですし、このまま短くしますか」

「そうだね」

「ではおさげを解きますね、あ」


 ぼとりと何かが床に落ちる音が聞こえた。


「なにか落ちたけど」

「落ちていませんよ」


 メル子は床に落ちた黒く細長いなにかを掴むと、理容道具箱の中に押し込んだ。


「じゃあ、切りますよ」

「お願い……なんかプルプル震えてない?」

「いえいえ、そんなことは」


 黒乃は目を細めて鏡越しにメル子を見ようとしたが、丸メガネがないのでよく見えない。


「いくら理容師免許を持っているといっても、実際切るのは初めてだろうからさ。落ち着いてゆっくりやってちょうだいよ」

「お心遣い感謝いたします」


 メル子は汗を大量に流しながら前髪を整えた。



 ——翌日。

 ゲームスタジオ・クロノスの事務所の門を黒乃は元気よくくぐった。メル子はその後ろから青ざめた顔で続いた。


「やあみんな、おはようさん」

「おはようございます、せんぱ……ッ!?」


 桃ノ木は黒乃を一目見るや絶句してしまった。


「いや〜、今日は頭が軽くていいわ」

「でしょうね……」

「……クロ社長」


 青いロングヘアの子供のような見た目のロボットは興味津々で黒乃を眺めた。


「どしたの、フォト子ちゃん」

「……髪の毛短くしたの?」

「おお! よく気がついたね。伸びすぎて鬱陶しくてさ。昨日メル子に切ってもらったよ」


 黒乃は前髪を指でいじった。

 その言葉を聞き、メル子はそそくさと台所に退避した。


「……そうなんだ……ずいぶん思い切った」

「ははは。ちょっとだけだよ、切ったのはさ。フォト子ちゃんもメル子に切ってもらうといいよ」

「……絶対いやだ」

 

 ドタバタと音がして玄関から見た目メカメカしいロボットが事務所に走り込んできた。


「ハァハァ! セーフデス! 遅刻は免れまシタ!」

「FORT蘭丸! もっと余裕をもって出社せんかい!」

「ハイィ! ゴメンナサイ、シャチョー! 誰デス!?」


 FORT蘭丸は黒乃の姿を見て度肝を抜かれた。


「はっはっは、オシャレなんて縁がないと思っていたお前にもわかるか」


 黒乃は自慢げに前髪をいじった。


「わかりマスよ!」



 ——夕方。

 仕事が終わり、黒乃とメル子は夕焼けの路地を歩いていた。


「ふ〜、今日もよく働いた〜」


 黒乃は両腕を高く上げて伸びをした。その首筋が夕陽をうけて赤く染まった。


「お疲れ様です」

「でも気分はすっきりしているよ。生まれ変わった気分だもん」

「でしょうね……」


 メル子は青ざめた顔を隠すようにうつむいて歩いた。


「どうしたのさ」

「はい?」

「元気ないじゃん?」

「はあ。よくわかりますね」


 黒乃はくすりと笑った。


「そりゃあわかるよ。メル子のことならなんでもわかるもん」

「自分のことももう少しわかってほしいです」


 黒乃はメル子の顔を覗き込んだ。視線が合うと怯えたように横を向いた。


「なにかあったの?」

「ありました……私というよりご主人様にですが……」


 その時、メル子のセンサーが脅威を感知した。全身に怖気が走り震え上がった。


「ご主人様! 引き返しましょう! この道はまずいです!」

「ええ? もうすぐそこがボロアパートなんだけど」

「いいから!」


 メル子は黒乃の腕を掴んで引っ張った。しかし遅かった。二月の寒風に乗せて不気味な声が二人を取り巻いた。

 オーホホホホ……オーホホホホ……。


「ぎゃあ! でました!」

「オーホホホホ! お仕事帰りですのねー!」

「オーホホホホ! お疲れ様でごじゃりますわー!」

「「オーホホホホ!」」


 通りの角から現れたのは金髪縦ロールのお嬢様たちであった。


「やあ、マリー達も帰りかい」


 黒乃は手をあげて挨拶をした。その次の瞬間、マリーとアンテロッテは地面に転がっていた。


「おさげがありませんわー!」

「イメチェンしましたのー!」


 二人は地面に這いつくばって笑い転げた。それを黒乃はきょとんと見つめた。メル子は頭を抱えてしゃがみ込んだ。


「ショートヘアもお似合いですのよー!」

「どういう心境の変化ですのー!」


 二人は笑いすぎて寿命がきたセミのように仰向けになって震えた。黒乃は自分の後頭部に手をやった。


「あれ!? あれ!? おさげがない!?」


 黒乃は自分のおさげを確認しようと、その場で回り始めた。



 ——ボロアパートの小汚い部屋。

 メル子は床に這いつくばっていた。額を床に擦り付け、許しを乞う姿勢だ。


「ご主人様! 申し訳ございません!」


 メル子の左右にはマリーとアンテロッテが正座をしていた。床に置かれた切り取られたおさげを指でつついて遊んでいる。


「メル子はとんでもないことをしてしまいました! ご主人様の命よりも大事なおさげを切り落としてしまいました!」


 黒乃は腕を組んでおさげを見つめた。


「罰はなんでも受けます! BOSEボウズにもいたします! どうかお許しを!」


 黒乃は大きく息を吐いた。メル子は床でプルプルと震えている。お嬢様たちはその展開を顔を赤くしながら見守った。


「メル子、顔を上げなさい」

「はい」


 黒乃とメル子の視線が合った。メル子の目には涙が溜まっている。


「なんで黙ってたの?」

「いや、あの、それは」

「普通自分で気がつきますわよー!」

「鈍感すぎますわー!」


 お嬢様たちは笑い転げた。


「怒られるかと思って、言えませんでした……」


 メル子は再び顔を伏せて震えた。黒乃はメル子の頭に手を置いた。


「実はご主人様は最初からわかっていたんだよ。メル子がちゃんと自分から言うのを待ってたんだ」

「絶対嘘ですわー!」

「ごまかしてますわー!」


 お嬢様たちは笑いすぎて呼吸困難を起こしている。


「ご主人様がメル子を怒るわけないでしょ。ご主人様の目を見てごらん」


 黒乃は丸メガネを外して床に置いた。メル子は顔を上げてその目を見た。その瞳に写る自分はとてもか弱く見えた。メル子の目から涙が溢れ出した。


「とても澄んだ綺麗な目です……」


 嘘のかけらも見えないその目に吸い寄せられるようにメル子は黒乃に抱きついた。黒乃もメル子を抱きしめた。


「めでたしめでたしですのー!」

「おさげはそのうち生えてくるから心配しなしゃんせー!」


 お嬢様たちは二人に向けて拍手をした。

 その時、何かが割れる音がした。


「ん?」

「あ、ご主人様。丸メガネを膝で踏んづけて粉砕してしまいました」


 メル子の膝の下には真っ二つになったフレームと砕け散ったレンズがあった。


「ぎゅわわわわわわわ! 私の命より大事な丸メガネがぁぁぁぁぁあああああ! お仕置きじゃぁぁぁあああ!」


 黒乃はメル子のお尻を叩いた。真っ赤に腫れ上がるまで叩いた。メル子は涙が枯れ果てるまで泣いた。お嬢様たちは笑いすぎて失神した。


 後日、切断されたおさげはクサカリ・インダストリアルの最新ナノテクで接着しようと試みたが、なぜかくっつかなかった。

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