第202話 ご主人様機械化計画です!
深夜、黒乃はふと目を覚ました。
ボロアパートの小汚い部屋。床に敷かれた二組の布団の片方で黒乃は眠っていた。部屋の電気は消され、薄いカーテンを通り抜けて月明かりがわずかに差し込んできていた。
その明かりにメル子の顔が青白く照らされていた。メル子は黒乃の枕元に正座をして、じっとご主人様の顔を覆い被さるようにして見ている。
二人の目は合っているはずではあるが、メル子は微動だにせず黒乃の顔を見続けた。
「……」
「……」
黒乃はそのまま眠りについた。
——朝。
いつも通り黒乃はメル子の声で起床した。キッチンで楽しそうに朝食の準備をするメイドロボの姿はいつもと変わらないように見えた。
「ああ、メル子」
「はい、なんでしょうか?」
黒乃はその背中のリボンが上下に揺れるのを目で追った。
「昨日の夜さ、なんか私の顔をじっと見ていなかった?」
「見ていませんよ」
「あれ夢だったのかな? 夢にしてははっきりと記憶をしているんだけど」
「ご主人様の顔をあと何回見られるのかもわかりませんので、念入りに見ておきました」
「見てんじゃん」
——昼前。
黒乃はゲームスタジオ・クロノスの事務所で業務をしていた。
「桃ノ木さん、先方からアルファテストの日程がきたって?」
「はい、これでようやく確定だと思います」
「相当ゴタゴタしてるね」
「致命的なバグのオンパレードでしたから。FORT蘭丸君がいなかったらこのプロジェクトどうなっていたか」
「FORT蘭丸!」
「ハイィ!?」
「でかしたぞ」
「ありがとうございマス!」
「フォト子ちゃん!」
「……なに」
フォトンは左側から黒乃の体にぴったりとくっついていた。
「なにしてるの?」
「……メル子ちゃんのマネ」
黒乃の右側には椅子に座ったメル子がぴったりと体をくっつけていた。
「メル子はなにをしてるの?」
「ご主人様のお仕事っぷりを目に焼き付けています。あと何回見られるかもわかりませんので」
「お仕事中だからね!?」
——お昼休憩。
結局メル子は午前中ずっと黒乃に張り付いていた。
「あの、メル子?」
「はい、なんでしょうか?」
「お昼なんだけど」
「はい、そうですね」
「いや、お昼ご飯をお願いしますよ」
「あ、作るのを忘れていました」
FORT蘭丸とフォトンは必死の形相でメル子に詰め寄った。
「女将サン! ジャアお昼はどうするんデスか!?」
「……なんのために働いたと思ってるの」
ゲームスタジオ・クロノスの社員はメル子が作ったランチを無料で食べられるはずなのだ。
結局一行は皆で仲見世通りへとやってきた。アンテロッテのフランス料理店『アン・ココット』の行列に並んだ。
「あら、皆様。お揃いでいかがしましたのー!?」
「やあアン子。たまには食べに来ようかと思ってね」
「ジュ・ヴォワ・メルスィ!」
仕方がなく黒乃の奢りでフランス料理をいただくことにした。
今日のメニューは『仔羊のクスクス』だ。クスクスとは世界最小のパスタとも呼ばれる粒状のパスタだ。それにラム肉を野菜と一緒に煮込んだ真っ赤なスープをかけていただく。
「おおお、赤ワインの風味がラム肉とよく合うわ〜」
「ラム肉の臭みがしっかり消えているわね」
「アン子サン! 美味しいデス! マリーチャンはいまセンか!?」
「お嬢様は学校に行っていますの」
「……おかわり」
美味しそうに食べる一行をメル子はプルプルと体を震わせて見ていた。
「ん? どしたメル子」
「アン子さん!」
「なんですの?」
「なんですかこれは!?」
「なんだとはなんですの」
「一体これはなんだと聞いているのです!」
「クスクスですの」
「今私を笑いましたね!?」
「表へ出やがれですのー!」
「もう出ています!」
「こらこら!」
黒乃は慌ててメル子をなだめた。
「どうも電子頭脳が不安定になってるっぽいな」
——午後。
メル子は一足先に事務所を後にした。
黒乃は業務に集中しようとしたが、壁にかかった時計の針ばかりを見てしまう。キーボードを打つ手も止まったままだ。
黒乃は席を立った。
「今日は先に帰らせてもらうね。桃ノ木さん、あとはお願い!」
「先輩、お任せください。お気をつけて」
黒乃は事務所を飛び出した。足早にボロアパートに向かう。二月の冷たい風も感じられないくらい体がほてっていた。
ボロアパートの階段を上ろうとした時、メル子の気配を感じて動きを止めた。部屋の中からなにやら話し声が聞こえてくる。
「誰かいるのかな?」
黒乃は部屋の窓に近づき耳を澄ました。
『……ですのでやはりあの方法しかないかと』
『……それはやりすぎではないですか?』
『しかしやるしかありませんよ。人間はどうしても寿命というものがありますので』
『ご主人様が了承するでしょうか?』
『こそっとやってしまえばいいのですよ!』
『そんなに焦らなくても』
『もう百年も残されていないのですよ!?』
「んん!?」
二人が言い争っている声が聞こえた。そのどちらもメル子の声である。
「メル子が二人いる!? いやまてよ。そうか! 黒メル子が来ているんだ!」
『しかし機械化といってもそう簡単には……』
『そこは変態博士の技術力でなんとかしてください。変態ならできるでしょう』
『変態だとしても難しいですよ。だいたい人体の機械化は違法ですから。ご主人様が社会で暮らせなくなってしまいますよ』
「んん!? 私を機械化させようとしてる!?」
その時突然、部屋の壁をすり抜けて幼女が現れた。
「なにしてる〜?」
赤いサロペットスカートをはいたクルクル癖っ毛の幼女は黒乃を見上げた。
「ぎょわわわわわわ!
「部屋入る〜」
紅子は黒乃の白ティーを掴むと再び壁をすり抜けて部屋に入ろうとした。しかし黒乃は壁に押し付けられた。
「痛い痛い! 紅子、引っ張らないで! 私は量子化していないからすり抜けはできないよ!」
紅子は存在が量子化した量子人間なのだ。存在する状態と存在しない状態が重なった状態でここにいるのだ。
部屋の中からドタバタとする音が聞こえた。黒乃は扉を開けた。部屋の真ん中にはメル子が一人で正座をしていた。額から汗を垂らして弾けるような笑顔を黒乃に向けた。
「お帰りなさいませ、ご主人様。お早いですね」
「メル子! 黒メル子はどこ!?」
「黒メル子? 知らない子ですね」
黒乃は部屋に入り、一直線に押し入れに向かった。ふすまを開けると黒メル子が布団に頭を突っ込んで隠れようとしていた。
黒乃はそのおケツをパシンと叩いた。
「あふん」
「こら! 黒メル子、出てきなさい!」
メル子と黒メル子は床に並んで正座をした。青い雪の結晶柄の和風メイド服と黒い時計柄の和風メイド服。片方は
黒乃は二人の前に巨大なケツをドシンと下ろした。
「なにを話していたの?」
「なんのことでしょうか?」
「今晩の献立を……」
「誤魔化しても無駄だよ!」
「「アヒィ!」」
二人は床に両手をつき頭を下げた。
「どうかお許しください」
「悪気はなかったのです」
「人を機械にしようとして悪気はないは通らないよ」
二人は顔を伏せた状態でプルプルと震えている。
「だって……」メル子は震える声で言った。
「ん?」
「だって、ご主人様が死んでしまうのですよ!?」
「しょうがないでしょ、人間なんだから」
「なにが科学ですか! 不老不死も実現できないで科学が聞いて呆れますよ!」
「無茶言うなあ……」
メル子は床に這いつくばって黒乃の足にしがみついた。
「機械の体になることのなにが不満だというのですか!? 私と永遠に生きられるのですよ!?」
「ラスボスみたいなこと言ってら」
「私は機械の体でも幸せです! ロボットは幸せに生きています! ご主人様も私と幸せになりましょう!」
「メル子!」
「ハヒィ!?」
黒乃は両手でメル子の頬を挟み込んだ。涙が溜まった目をじっと見つめた。
「いいかいメル子。ご主人様は人間として生きて人間として死ぬ。それが人間の幸せなんだ」
「なじぇしょれが人間の幸せにゃのですか」
「知らん! 哲学者に聞いてくれ」
メル子は床に転がって手足をばたつかせた。「納得できません!」
「ではご主人様、私はそろそろおいとまいたします」
黒メル子が立ち上がり、玄関に向けて歩き出した。
「私は機械化計画は諦めていませんからね」
黒メル子は一瞬邪悪な笑みを見せて部屋から出ていった。黒乃はその迫力に縮み上がった。
メル子は床にうつ伏せになってぐったりとしている。黒乃はその頭に手を置いた。
「メル子、ご主人様は人間として最後まで生き抜いてみせるから。メル子には一番近くでそれを支えて欲しいんだよ」
「……」
「人生の一番最後に幸せだったと思えるにはメル子の力が絶対必要だからね」
「……はい」
メイドロボはご主人様の膝の上でしばらく泣いた。
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