第197話 好き嫌いはいけません!

「まだかなまだかな〜、可愛いメイドさんはまだかな〜」


 黒乃は窓辺に腰掛けてボロアパートの外を眺めていた。仕事を早めに切り上げて帰宅をしたものの、メル子は買い出しに行っていて不在だった。

 しばらくすると緑の和風メイド服を纏ったメイドロボが勢いよく道路を駆けてくるのが見えた。


「お、帰ってきた」


 ドタドタと足音を響かせて階段を登り、勢いよく小汚い部屋の扉を開けた。


「ご主人様、大変です!」

「なんだ? どうした?」

「川辺にロボットが倒れています!」

「また!?」



 ——隅田川。

 水上バスが行き交う川沿いの道に黒乃とメル子はやってきた。人気がない橋の下だ。


「アレ!?」

「アレです!」


 二人は地面に倒れているロボットに駆け寄った。


「コレ!?」

「コレです!」

「これ美食ロボ部のところの板前じゃん!」

ロボ三ろぼぞう君です!」


 割烹着かっぽうぎ姿で坊主頭の若く見えるロボットだ。黒乃はロボ三の坊主頭をペシペシと叩いた。


「ほれ! 起きろ、ロボ三!」

「こんなところで寝ていたらダメですよ!」


 ロボ三は目を覚ますと周囲を見渡した。体を起こし地面に正座をした。


黒郎くろろうさん、メル子さん、お久しぶりです!」


 ロボ三は丁寧に挨拶をした。

 このロボ三は美食ロボが運営する高級会員制料亭『美食ロボ部』の板前である。新人ながらその腕前を買われ、美食ロボが提唱する『スプリーム献立』の開発を担当しているのだ。

 しかしその新進気鋭の板前の目は曇っていた。


「お二人とも、その節はお世話になりました」


 実はこのロボ三と黒乃は一度勝負をしていた。美食ロボの『スプリーム献立』と黒乃が作った『アルティメット献立』。両雄が激しくぶつかり火花を散らした。結果は黒乃側の圧勝ではあったが、美食ロボの謎の理論により謎の敗北感を味わったのだった。


「ロボ三君! あれはあれで楽しかったですよ!」

「メル子さん……ありがとうございます!」


 黒乃は地面に正座をする板前ロボを立ち上がらせた。ロボ三は黒乃達に背を向け、川に面したフェンスに体を預けた。


「ロボ三、どうしてこんなところで寝ていたんだい?」

「なにかあったのですか? 相談に乗りますよ」


 ロボ三は隅田川の水面に映る夕陽を見つめた。水上バスがその夕陽をかき乱すと静かに語り始めた。


「実は俺……美食ロボ部から家出してきたんです」

「だろうね」

「もちろんわかっていました!」


 ロボ三はフェンスを掴みプルプルと肩を震わせた。


「どうして家出してきたのですか? お吸い物がうまく作れなかったのですか?」

「ゴキブリロボに昆布を食われたのかな?」

「違います……先生が……」

「美食ロボが?」

「先生が……」

「美食ロボがどうしました?」


 ロボ三はフェンスを思い切り握りしめた。


「先生が好き嫌いばかりして、俺の料理を食べてくれないんです!」


 目の前を水上バスが通り過ぎていった。乗客達がメル子に向けて手を振った。


「美食家のくせに好き嫌いがあるのかい」

「思ったよりしょうもない理由でした」

「きっと俺の……! 俺のアームが悪いから……!」

「いや〜、あいつ馬鹿舌だから関係ないと思うけどな」

「気にすることはないですよ!」


 しかしロボ三はフェンスにもたれかかりへたりこんでしまった。メル子がその背中を撫でた。


「ご主人様! なんとかなりませんか!?」

「ええ!? 私が? そんなこと言われても困るよ。できないよ」

「お願いします! ご主人様!」


 メル子は潤んだ目で黒乃を見つめた。黒乃はこの邪気を孕んだメル子の目に弱い。


「参ったな……よし、わかった。なんとかしてやろうじゃないの」

「ご主人様!」

「本当ですか!?」


 ロボ三が勢いよく立ち上がり、純真な目で二人を見た。



 ——美食ロボ部。

 浅草の一等地に居を構える巨大なお屋敷だ。日本の政界人、財界人、文化人。様々な美食家が集う食の魔窟。その厨房に黒乃達はいた。


黒郎くろろう様!」

黒郎くろろうおぼっちゃま!」

「誰がおぼっちゃまじゃい」


 板前や仲居達が黒乃に群がってきた。かつての対決の際にはこの厨房で調理を行ったのだ。


「そんで、なんだ? 美食ロボの夕飯を作るんだって?」

「そうです! メニューはこちらです!」


 椀、ハモのお吸い物。

 造り、サザエの肝醤油。

 焼物、サンマの塩焼き。

 ご飯、トリの炊き込みご飯

 菓子、ナシのシャーベット


 伝統的な懐石料理である。季節に合わせ、素材は最高級のものが選ばれる。


「くわ〜! 美食ロボの野郎、贅沢しやがって〜」

「羨ましいです!」

「しかし、先生はハモがどうもお嫌いでして」

「なんでよ!?」

「味がしないとかなんとか」

「その繊細な味を鋭敏な舌で楽しむのが美食家なんじゃないのかい!」

「ご主人様! 人には好みがありますので仕方がないです!」


 黒乃達は早速調理に取り掛かった。



「先生! 椀をお持ちしました」


 ロボ三は廊下に膝をつき、襖の向こうにいる美食ロボに声をかけた。


「入れ」

「失礼します」


 ロボ三は膝をついたまま襖を開け部屋に入った。椀が乗った膳を美食ロボの前に差し出した。


「ロボ三、今日の椀はなんだ」

「ハモのお吸い物です」

「なに……」


 美食ロボの目が光った。


「ロボ三、この私がハモが嫌いなことを忘れたわけではあるまいな」

「滅相もございません!」

「ならば下げろ」


 ロボ三は床に両手をついた。冷や汗を流して訴えた。


「先生! 是非とも!」

「貴様、この美食ロボに逆らうか。よかろう。食べられなかった場合は責任を取ってもらうぞ」

「はい!」


 美食ロボは椀を手に取ると蓋を開けた。その瞬間その目が見開かれた。


「ロボ三! なんだこれは!」

「はい! ハモの竜田揚げのお吸い物でございます!」


 通常ハモのお吸い物には骨切りした身を熱湯に潜らせ、花が開いたところで冷水に落としてしめたものを使う。その繊細な淡白さと舌触りを味わうのだ。

 しかし黒乃はハモを竜田揚げにした。竜田揚げは衣にしっかりと味をつけてあるので美食ロボでも食べられるというわけだ。


「もぐもぐ。うまい! 衣に味があってうまい! 汁にもなんか味が移って、あの、うまい! フハハハハ! ロボ三!」

「はい!」

「次の料理を持ってこい!」

「ありがとうございます!」



 ——厨房。


「黒郎さん! 先生が食べてくださりました!」


 その言葉に厨房がどっと湧いた。


「やりましたね、ロボ三君! ご主人様も味がない時は竜田揚げにすると喜ぶのです!」

「うまくいったな。じゃあ次だ。サザエの肝醤油ね」


 サザエの肝醤油はペースト状にした肝に醤油を混ぜ、これをサザエの刺身につけていただく。大人の味だ。


「先生は苦いのが苦手なんです」

「うひょー! うまそー」

「ご主人様! どうしましょう!?」



「先生、お造りをお持ちしました」

「入れ」


 ロボ三は膳にサザエの刺身が盛られた皿を乗せた。


「ほう、なにかの刺身か」

「はい! サザエでございます! こちらの肝醤油につけて召しあがっていただきます」

「なに……?」


 美食ロボの目が光った。その威容にロボ三は怯えた。


「私が肝は苦くて食べられないことを知っているだろう!」

「もちろんです! しかし今日は食べやすいように仕立てました」


 肝醤油は黒っぽい色をしているはずだが、皿には白っぽいものが盛られていた。


「ロボ三! なんだこれは!?」

「はい! マヨ肝醤油です!」


 肝醤油にマヨを和えることにより、その油分と酸味で肝の苦味が抑えられるのだ。そしてマヨはお子様にも大人気の調味料である。


「うまい! このなにかの刺身のコリコリが、あの、白いやつの酸っぱさで、うまい! フハハハハ! ロボ三、次だ!」



 ——厨房。

 黒乃達は普通の肝醤油をバクバクと食べていた。


「うめうめ。大人の味だ〜」

「こんな最高級のサザエは滅多に食べられませんよ。もぐもぐ」

「黒郎さん! 食べていただけました!」

「もぐもぐ、よかった。次はなんだっけ?」

「もぐもぐ、次はサンマの塩焼きです」



「先生、焼物をお持ちしました」

「入れ」


 ロボ三は七輪で焼いたサンマを部屋に持ち込んだ。串に刺されている。焼きたてなので皮に浮いた脂が音を立てて弾けている。


「ロボ三!」

「はい!」

「これはサンマだな!?」

「はい!」

「サンマは苦いし骨が多くて食べられないと言ったであろう!」

「お待ちください!」


 ロボ三は油が入った鍋とドロリとした液体が入ったバットを床に置いた。串に刺さったサンマにバットの液体をよくまぶし、油の中に投入した。鍋から勢いよく泡が立ち上った。


「あちゅい。油が跳ねたではないか!」

「申し訳ございません!」


 サンマがこんがりと揚がった。


「サンマドッグでございます!」

「なに!?」


 サンマドッグはホットケーキミックスをサンマにまぶして揚げたものだ。衣の甘さにより苦味が抑えられ、骨までサクサクと食べられるのだ。


「ほむほむ、なんか衣が甘くてうまい! 苦いのも、なんだ、あんまり気にならない! フハハハハ! 気に入ったぞ!」

「ありがとうございます!」



 ——厨房。


「ご主人様! このサンマの苦味がたまりませんね」

「おろしポン酢がまた合うわ〜」

「先生は喜んで召しあがっています!」

「良かったです!」


 次の料理はトリの炊き込みご飯だ。


「トリの炊き込みご飯がダメってどういうこっちゃ?」

「どの部分がダメなのでしょうか?」

「先生はトリの皮が苦手なんです」



「先生、ご飯をお持ちしました」

「入れ」


 ロボ三は土鍋を持ち部屋に入った。


「今日のご飯はなんだ?」

「はい! トリの炊き込みご飯です!」


 美食ロボの目が光った。


「トリの皮はブヨブヨしていて食べられないと言ったであろう!」

「お待ちください!」


 ロボ三は土鍋の蓋を開けた。中から食欲を誘う香りが溢れた。


「なんだこれは? 町で嗅いだことがある香りだ」

「はい! ケンタッキー炊き込みご飯です!」

「なに!?」


 ケンタッキー炊き込みご飯はケンタッキーフライドチキンとご飯を一緒に炊き込んだものだ。パリパリに揚げられているので皮のブヨブヨ感は無くなっているというわけだ。


「皮がパリパリしてて、あの、うまい! ピリ辛でグイグイ食べられる!」

「レッドホットチキンを使いました!」

「フハハハハ! おかわりをよこせ!」



 ——厨房。


「土鍋のご飯を完食していただきました!」


 黒乃達はケンタッキーを両手に持ち齧りついていた。


「うまうま」

「やはりケンタッキーは最高ですね! あ、ロボ三君、ご苦労様です」


 最後はデザート、ナシのシャーベットだ。


「これ食べられない要素あるか?」

「ナシが嫌いな人なんているのでしょうか?」

「先生はシャーベットは歯に染みて嫌がるんです」

「子供か」



「先生、しめのデザートをお持ちしました」

「入れ」


 ロボ三が手に持っているのはキラキラと輝くガラス皿だ。その上には丸い何かが乗っている。


「なんだそれは?」

「ナシのシャーベットでございます!」


 美食ロボの目が光った。


「シャーベットは知覚過敏で食べられないと言ったであろう!」

「先生! ご安心ください! 食べられるように造りました!」


 美食ロボはフォークでその丸いものを刺した。


「全くシャーベットに見えないが」

「それはシャーベット揚げでございます!」


 シャーベットに衣をつけて高温で一気に揚げたものである。美食ロボはシャーベット揚げに齧りついた。


「あんまり冷たくない! 衣となにかの果物がサクサクしててうまい! フハハハハ! ロボ三、腕をあげたな! フハハハハ!」


 浅草の町に美食ロボの笑い声が轟いた。



 ——厨房。


「黒郎さん! 全ての料理を召しあがっていただけました!」

「もぐもぐ、そりゃよかった。あ、頭にキーンときた!」

「もぐもぐ、このナシを持って帰ってもいいですか?」

「お二人ともありがとうございました!」


 ロボ三は深々と頭を下げた。板前達から大歓声があがった。

 しかしその時、厨房へと続く廊下から不気味な笑い声と足音が響いてきた。


「フハハハハ! フハハハハ!」


 厨房に現れたのは美食ロボであった。板前達に緊張が走った。


「先生!」「先生!」


 厨房に入った美食ロボは食材を貪り食う黒乃とメル子を睨め付けた。


「ふん、なるほど。そういうことか」

「先生! 申し訳ございません!」


 ロボ三は床に這いつくばった。

 その隙に黒乃とメル子は食材を持ってそそくさとお屋敷から退散した。


「先生にどうしても旬の食材を召しあがっていただきたいと!」

「ふん」

「申し訳ございません!」


 美食ロボはロボ三に背を向けた。腕を組んで一言つぶやいた。


「黒郎に伝えておけ。レッドホットチキン五本は入れすぎだとな」


 ロボ三は顔を上げた。潤んだ目で美食ロボの広い背中を見つめた。


「先生……はい!」



 その晩、美食ロボは揚げ物ばかり食べたことが祟って寝込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る