第195話 いろんなマスターです!
浅草の人気のない路地に佇む古民家。古風な見た目の木造日本家屋ではあるが、この中では最新のテクノロジーを駆使した業務が行われていた。
「おはようさーん」
「おはようございます!」
黒乃とメル子はいつものように出社をした。扉は既に開いている。桃ノ木が一番早く出社するのが習いだ。メル子は即キッチンへ向かい昼食の準備を始めた。
「先輩、おはようございます」
「桃ノ木さん、おはよう! ん? なんだろこの匂い」
黒乃は桃ノ木の正面の席に座った。左前はFORT蘭丸だ。
「黒ノ木シャチョー! おはようゴザイマス!」
「おはよう!」
黒乃は自分の左の席に座っているフォトンに声をかけた。
「フォト子ちゃん、おはよう! 今日は体が大きいね!」
「もーにん」
その声に違和感を感じ、隣の席に座っているはずのフォトンを改めてまじまじと見つめた。
「フォト子ちゃんじゃない! 誰!?」
「わーお」
隣にいるのは大ボリュームの銀髪を四方八方に膨らませた肉感的な女性であった。破れた白いタンクトップにピチピチのショートパンツ。お肉が多めの素肌を服の隙間から盛大に溢れさせていた。
「シャチョさん、もーにん」
その女性は見た目に似合わない、か細く甲高い声で挨拶をした。そばかすの浮いた顔には生気の感じられない死んだ魚のような目が乗っていた。
「ルビーさんじゃん!?」
「はうずらいふ?」
甘えたようなその声は猫を彷彿とさせた。この女性はルビー・アーラン・ハスケル。アメリカ人でFORT蘭丸のマスターである。
「ルビーさん、どうしてうちのオフィスにいるの!?」
「シャチョー! ごめんなサイ!」
FORT蘭丸が慌てて間に入った。
「ルビーがどうしても職場見学をシたいというノデ、連れてきてしまいまシタ!」
「だーりん……」
その言葉に桃ノ木は吹き出した。
「FORT蘭丸君がダーリンなのね」
「イヤァー! 恥ずかシイ!」
FORT蘭丸の頭の発光素子が明滅した。
「職場見学ね。まあいいさ。ルビーさん、ゆっくりしていってね」
「いぇー」
しかし黒乃はあることに気がついた。
「フォト子ちゃんは!?」
フォトンの席にはルビーが座ってしまっている。
「先輩、フォト子ちゃんなら遅れると連絡がきていますよ」
「ああ、そうなんだ」
一同はしばらく業務を進めた。しかしなぜか集中できない。部屋にムチムチアメリカンな女性がいるだけで妙な空気になってしまっている。
「そうだ。ルビーさんは凄腕のプログラマーなんでしょ? うちで雇おうかな」
FORT蘭丸はその言葉を聞くと勢いよく立ち上がった。
「シャチョー! 絶対やめてくだサイ!」
「なんでよ?」
「ルビーを一ヶ月雇ったダケでプロジェクトの予算が吹っ飛びマス!」
その言葉に黒乃は全てを察してこのことを記憶から追い出した。
すると昼食の準備を終えたメル子が仕事部屋にやってきた。
「なにかアメリカンな匂いがすると思ったらルビーさんではないですか」
「はーぃ、メル子〜」
ルビーはメル子に駆け寄るとハグをしてお互いの頬をくっつけた。
「空気がこもってますね。換気をしましょう」
メル子は仕事部屋の掃き出し窓を開けた。二月の冷たい風が部屋に流れ込んできた。
「ふう、爽やかな空気です」
澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んで落ち着いたメル子は、目の前にいるものにようやく気がついた。
「フォト子ちゃん!?」
その声に驚き皆窓の外を見た。そこには真っ黒になったフォトンが棒立ちしていた。どうやら墨まみれになっているようだ。
皆で慌ててフォトンを洗った。家の中にあげると汚れてしまうので仕方がなく通りでお湯をぶっかけた。一通り墨が落ちたら古民家の風呂へ入れた。いくらロボットとはいえ冷えすぎると人工筋肉が硬直して動けなくなる。
風呂で温まると真っ白だったロングヘアが元の青色に戻ってきた。偏光素子で編まれた特殊な毛髪で、気分により色が変わる。
黒乃の白ティーを着せ、メル子がドライヤーでロングヘアを乾かしていると今度は赤く変化した。
「わーお、おもしろいデース」ルビーは興味津々でフォトンを見た。
「……だれ」目の前のムチムチお姉さんにフォトンは怯えた。
「フォト子ちゃん、どうして墨まみれだったのですか!?」
メル子はフォトンの髪にブラシを通しながら聞いた。
「……」
「なんて?」
「……先生と書道してた」
「先生って?」黒乃は名前を思い出そうとした。
「
「ああ! 有名な書道家だっけ」
影山陰子は著名な書道家でフォトンのマスターである。彼女がフォトンの見聞を広めるために外の世界へ送り出した結果、黒乃の会社へとやってきたのだった。
「じゃあ昼飯食べたらみんなで見学にいってみようか!」
「ご主人様、いいですね!」
「……来ないで」
——影山邸。
浅草寺の裏手にある浅草神社。その更に裏手にあるのが影山邸だ。
伝統的な平屋の日本家屋で、庭にはきっちりと手入れされた庭園が広がっている。小さな池があり、その隣には茶室とおぼしき小屋が立っている。
入り口入ってすぐにあるのが書道の道場、奥にあるのが居住スペースだ。ゲームスタジオ・クロノス一行は飛び石の上を音を立てないように慎重に歩いた。
「すっげぇ、お屋敷」
「素敵です!」
「わーお、日本ぽいデース」
日本家屋に銀髪のムチムチお姉さんは浮きすぎていた。
「フォト子ちゃんといい、マッチョメイドといい、美食ロボといい、なんでみんな凄いお屋敷に住んでるのさ。うちらはボロアパートなのに」
「ご主人様! どんまいです!」
フォトンは道場の扉を開けた。次の瞬間一行は墨まみれになっていた。
「びょわわわわわわ! なんだなんだ!?」
道場の中にいたのは一人の壮年の女性であった。着物を着ているが、大胆に袖と裾を捲り上げていた。元は美しかった柄が今は墨で真っ黒に染まっていた。
その手に持っているのは二メートルを超える巨大な筆だ。バケツに並々と張られた墨に筆を浸し、床に敷かれた紙に向けて振り抜く。その度に黒乃達はどんどん真っ黒になっていった。
「先生! お客様をお連れしました!」
突然フォトンが声を張り上げた。
「!?」
その声に女性が動きを止め振り向いた。巨大な筆を床に置くと女性も直に床に正座をした。
全員それにつられて床に正座をした。
女性は深々とお辞儀をした。やはりそれにつられて全員お辞儀をした。
「初めまして、影山陰子と申します。そちらのフォトンの主人をしております」
影山陰子と名乗った女性は年の頃でいえば四十。漆黒の黒髪を結い上げ、それが白い肌を際立たせている。
「あ、どうも。フォトンさんが勤めている会社の社長の黒ノ木です」
「メル子です」
一行は順に挨拶をした。陰子は道場故、もてなす準備がないことを詫びた。
「先生! クロ社長が見学なさりたいそうです!」
「声でか!」
オフィスとは全く違うフォトンの様子に一同は面食らった。
陰子は再び筆を取るとダイナミックに筆を振るった。フォトンはそれをサポートした。
「ほえ〜、フォト子ちゃんいつもと違うなあ」
「なにかかっこいいです!」
「キリッとしてるわね」
黒乃とメル子と桃ノ木はそれを見て感心した。
「だーりん、だーりん。わたーしもうぉんとぅ」
「ルビー、やりたいんデスか!?」
ルビーは壁にかけられた巨大な筆の一本を取るとバケツに浸した。それを勢いよく操り何やら文字を書いている。筆を振るたびにルビーのお肉もついでに震えた。
「ルビー! ナニを書いているんデスか!?」
FORT蘭丸が床の紙を覗き込むとルビーが振った筆がその頭を直撃した。FORT蘭丸は床に倒れて動かなくなった。
「だーりん、どしたの?」
陰子はそれを見ると床に伸びたFORT蘭丸に向けてバケツの墨をぶっかけた。陰子とフォトン、二人で彼を持ち上げると紙の上に放り投げた。紙に叩きつけられたFORT蘭丸は見事なロボ拓を残した。
その一部始終を黒乃とメル子と桃ノ木は呆然と眺めていた。
夕方、黒乃とメル子は帰路にあった。
桃ノ木は黒乃達とは別方向なので陰子の屋敷で別れた。ルビー達は駅前の乗り場から水上バスに乗った。隅田川を下った東京湾の河口の倉庫街に家があるのだ。
黒乃とメル子は墨で全身真っ黒な状態で浅草の町を歩いた。もちろん盛大に注目されることになってしまった。
「フォト子ちゃんの意外な面が見られたなあ」
「無邪気なちびっ子ロボかと思ったらちょっと違いましたね」
帰り際、陰子にくれぐれもフォトンをよろしく頼むと念を押された。
フォトンは今までほとんど外に出たことがなく、屋敷の中で暮らしていたのだそうだ。なぜそうだったのか、理由は聞かなかった。しかしそう考えるとフォトンの無邪気な振る舞いにも思うところがある。
「陰子先生も素敵な方でしたね」
「かっこよかったねえ」
「ルビーさんもその世界では有名人らしいですよ」
「だろうねえ。すごいマスターばっかりだよ。私なんてメイドロボが欲しいだけの普通の人間だもん」
墨で冷え切った体に寒風が吹きつけた。二人は身を寄せ合って寒さに耐えた。
「まあ、ご主人様も大概ですけどね」
「なにそれ」
メル子はクスクスと笑いながら黒乃の顔についた墨を指で拭った。
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