第191話 お見舞いにいきます!

 浅草寺から数本外れた路地に佇む古民家。現在はゲームスタジオ・クロノスの事務所として使われているその古民家からキーボードを叩く音が響いてきた。


「月に合宿に行っている間にだいぶ仕事が溜まっちゃったな」


 朝から黒乃は大忙しだ。クライアントに連絡を入れてスケジュールの調整をし直さなければならない。

 月に行っていたとはいえ、実際は合宿中もちょくちょく作業はしていた。ネットワークと自前のデバイスさえあればどこでも作業は可能なのである。宇宙エレベーターや宇宙船の中でもこまめに仕事をこなしていた。


 しかしここ数日の間に、請け負っているゲーム開発に大きな問題が起きていたのだ。


「うーむ、ゲームのコア部分に重大なバグが発覚したのか」

「先輩、話によると内外のプログラマーを総動員させてこの問題の対応にあたっているそうです」


 赤みがかったショートヘアに真っ赤な厚い唇が色っぽい桃ノ木百智もものきももちも各所への応対にてんてこ舞いだ。


「……クロ社長、モモちゃん、がんばれがんばれ」


 青いロングヘアの見た目子供のロボット、影山かげやまフォトンは椅子から立ち上がり、両手両足を上下させる謎のダンスで二人を応援した。ダボダボのパーカーとニッカポッカから乾いてこびりついたペンキの欠片が床に飛び散った。


「フォト子ちゃん! お掃除をしたばかりですよ!」


 メル子は踊るフォトンの腰に背後から腕を回し、無理矢理持ち上げて椅子に座らせた。


「メル子ちゃんごめん〜」


 フォトンは渋々モニタの前で作業を開始した。

 黒乃の前の座席には桃ノ木、左にはフォトンが座っている。左前の座席は空いたままだ。


「こんな時にFORT蘭丸ふぉーとらんまるはどうしたの!?」

「……今日はまだ見てない」

「あいつ、いきなりサボりやがったのか!?」


 向かいの桃ノ木からフォローが入った。


「FORT蘭丸君から連絡が来ていました。どうも彼のマスターが病気で倒れて看病をしているそうです」

「なぬ!?」

「あらら」

「……蘭丸にマスターっていたんだ」


 新ロボット法により全てのロボットには一人のマスターが存在することになっている。マスターの存在しないロボットは非合法である。


「そういえばFORT蘭丸のマスターってどんな人だっけ? 会ったことある?」

「ご主人様、忘れたのですか? ROBOSUKEロボスケに蘭丸君と一緒に出場していたではありませんか」


 黒乃は頭をひねった。ROBOSUKEではとんでもない事件が起きたので細かいことは記憶から飛んでしまっているようだ。


「銀髪の女性の方ですよ」

「ああ! なんとなく思い出した! ちょっとヤバそうな人だ!」


 夕方、黒乃とメル子はFORT蘭丸の自宅に見舞いに向かうことにした。



 ——東京湾に面した倉庫街の一角。

 そこにFORT蘭丸のハウスはあった。積まれたコンテナを改造したサイバーパンクな自宅だ。コンテナ間に張り巡らされたコード。屋根から伸びる巨大なアンテナ。ビカビカと明滅するランプ。黒乃とメル子は恐る恐るコンテナの前に立った。


「あいつ、こんな所に住んでいるのか。結構遠いな」


 黒乃達は水上バスで隅田川を下ってここまでやってきた。


「オフィスまで自転車で三十分かかります。いつも必死にママチャリを漕いで出社してきていますよ」


 コンテナの入り口の表札には『ルビー・アーラン・ハスケル&&FORT蘭丸』と書かれている。

 火花を散らす千切れたコードに怯えながらコンテナハウスのドアベルを押した。


「ハイ、どなたでショウ」


 すぐに聞き馴染みのある声が聞こえて扉が開いた。ピカピカ頭のロボットが扉から出てきた瞬間仰向けにひっくり返ってピクピクと震えだした。


「シャチョー!? イヤァー! なんでシャチョーがいるのォォォ!?」

「落ち着け、FORT蘭丸」

「蘭丸君! お見舞いにきただけですよ!」


 FORT蘭丸の頭の発光素子が激しく明滅した。

 落ち着きを取り戻した彼は二人を部屋に案内した。予想通りなんだかわからない機械が山積みになっていた。その全てからコードが伸びており、蜘蛛の巣のように張り巡らされていた。部屋の電灯は消えており、モニターの光と機械のランプで照らされているだけだ。

 その部屋のリクライニングチェアに女性が寝かされていた。


「シャチョー、この人がボクのマスターのルビー・アーラン・ハスケルデス」


 二人は椅子に座り、目の前で寝息を立てている女性を眺めた。


「おお、おお……」

「あらー……」


 長い銀髪がリクライニングチェアから垂れて床まで届いていた。ひどい癖っ毛で全ての箇所で不規則にウェーブがかかり、爆発したような広がりをみせていた。

 体は大きめで肉付きがよい。破れた黒いタンクトップから白い素肌が存分に見えている。これでもかと言わんばかりの短いショートパンツからごんぶと太ももがあらわになっていた。

 顔にはそばかすが残り、一目で黒乃とは違う人種なのがわかった。


「外人さんだったのか」

「すごいボリュームの方ですね」

「ふむ、Hカップはある……」

「ご主人様!」


 するとFORT蘭丸がステンレスのボトルに謎のドリンクを入れて持ってきた。


「シャチョー、女将サン、ドウゾ!」

「おお、ありがとう」

「蘭丸君、これお見舞いです」


 メル子は最高級バナナの房を差し出した。三人は早速バナナを齧りながらルビーを眺めた。


「まさかFORT蘭丸のマスターがこんなムチムチお姉さんだったとはなあ」

「羨ましいですねえ!」

「エヘヘ、エヘヘ」


 FORT蘭丸は頭を光らせて照れた。そして顔を曇らせて言った。


「シャチョー、ごめんなサイ。忙しいのにお仕事休んでしまッテ」

「マスターのピンチなんだからしょうがないさ」


 この時代怪我や病気、その看護で業務が行えない場合の保障は手厚い。有給なのはもちろん、個人にも会社にも手当金が支払われる。


「まあでも大したことなくてよかった」

「お熱はまだありますが、市販のお薬も飲みましたし脈拍も安定しています。すぐによくなりますよ」


 メル子は早速看病を始めている。濡れタオルをフリージングブレスで冷やし額に乗せた。胸に耳を当てて心音を聞き脈拍を測った。

 念の為メル子の指をルビーにしゃぶらせてウイルスの分析を行い、浅草一の名医と名高いブラックジャッ栗太郎の元へデータを送信した。


「ピー、ピロロロロ、ピロン。診断結果が返ってきました。やはり単なる風邪のようです」

「女将サン! ありがとうございマス!」

「いえいえ、どういたしまして。診察代はお賃金から引いておきます」


 しばらくすると当のルビーが目を覚ました。周りを見渡すと黒乃とメル子がいるのに気がついた。


「ほわっつ……?」


 黒乃とメル子は顔を見合わせた。


「今、ほわっつって言った!」

「ベタな外国人キャラです!」

「わーお」


 二人はケタケタと笑った。ルビーは肉感的な体を起こそうとしている。FORT蘭丸はそれを慌てて止めようとした。


「ルビー! マダ寝ていてくだサイ!」

「だーりん……」


 黒乃とメル子は度肝を抜かれた。口を開けたまま再び顔を見合わせた。


「ダダダ、ダーリン!?」

「ダーリンって言っています! 蘭丸君がダーリン!」


 目を覚ましてわかったがルビーは死んだ魚のような目をしている気だるい感じのお姉さんだった。具合が悪いからそうなのではなく元々こういう目つきのようだ。


「だれぇ?」

「あ、どうも。FORT蘭丸君の勤め先の社長の黒ノ木です」

「メル子です」

「おーぅ、シャチョサン。お会いできてこーうぇいデス」


 見た目に似合わない、か細く甲高い声で喋るルビーは黒乃を抱き寄せると頬を合わせた。


「あの、ルビーさん。風邪がうつるから触らないで」


 お構いなしにルビーはメル子を抱き寄せると頬擦りした。


「アメリカっぽい匂いがします!」


 メル子はドギマギした。

 FORT蘭丸はルビーを椅子に押し戻した。デバイスを手渡すと彼女はそれを弄りはじめて大人しくなった。


「ルビーさんもコンピュータ得意なのかな」

「もちろんデスよ! ボクのプログラミングスキルはルビーに教わりまシタ!」

「へー、すごいです」


 するとルビーは自分のデバイスを指でつついて何かをアピールしているようだ。


「ひあ、へーい、ひーあ」

「どうしまシタ、ルビー?」


 FORT蘭丸は彼女のデバイスを覗き込んだ。すると壁にかけられているモニターに彼女のデバイスの画面がミラーリングされた。


「ココに不具合があるって言っていマス。ボク達が受注シテいるゲームのコア部分のようデス」

「なんでルビーさんがうちの仕事の不具合がわかるのよ」


 するとモニターに不具合報告のレポートが表示された。


「ひーあ、ここに書いてありマス」

「いやこれ私のデバイスの中身じゃんか!」


 どうやらルビーは黒乃のデバイスをハッキングして不具合レポートを読み、現在問題となっている部分のソースコードを漁り、いとも簡単にバグを発見してしまったようだ。


「ボクも確認しまシタけど、確かにココにバグがありマス! 報告しまショウ!」


 ルビーは黒乃を手招きしている。「シャチョサン、でぃすうぇーい」

「んん? なになに?」


 黒乃はルビーに顔を寄せた。デバイスに何かあるのかと思ったらそうではなく、頬にキスをされた。


「だーりんがお世話になっているお礼デース」

「だから風邪がうつるからやめて!?」



 黒乃とメル子はコンテナハウスを出た。すっかり日は落ちており星空が見えた。東京湾からやってくる二月の寒風が突き刺すように二人を煽った。


「寒いです!」

「ええ? そう?」


 二人は惚けたように隅田川を遡り始めた。近くの水上バス乗り場まで寒い中を歩かなくてはならない。


「ルビーさんすごい人でしたね」

「確かに。ムチムチだしアメリカンだし。なんかすごかったな。FORT蘭丸のマスターとは思えないよ」


 メル子は黒乃の顔を見た。夢現のような表情をしながら歩いている。


「私はルビーさんと蘭丸君は似ていると思いましたよ」

「そうか〜?」

「そうですよ」


 メル子は寒さで震えた。黒乃に腕を絡めて暖まろうとした。


「ご主人様と私は似ていますかね?」

「おっぱいが〜?」

「もう!」


 二人の横を爛々と光を放つ水上バスが幾度も横切っていった。



 その晩、普通に黒乃は風邪をひいた。

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