第189話 月は無慈悲なロボの女王 その十二

 戦いは終わった。


 マヒナのメイドロボMHN29は全員黒乃の『愛』を受け更生を果たした。

 シャフニートメタシンを投与され社会不適合ロボにジョブチェンジしてしまった大勢のロボット達も回復に向かっているようだ。シャフニートメタシン工場が潰され薬の供給が絶たれた今、彼らの復帰もそう遠くはないだろう。

 今回の首謀者であるMHN29の長姉ラニは月の自治政府による取り調べを受けている。シャフニートメタシンを大量に生産し、大量の社会不適合ロボを生み出し、宇宙エレベーターの事業を停止させ、クーデターを企てた罪は重い。

 しかしそもそもの元凶は悪の変態科学者ニコラ・テス乱太郎である。彼がシャフニートメタシンを開発し、真っ先にラニを社会不適合ロボにジョブチェンジさせてしまったのだ。つまりラニは彼にいいように操られていただけなのだ。


 今回の事件を受けて地球の政府は各月面基地の扱いについて揉めに揉めている。基地の自治性を弱めるべきであるという声が多いが、一部で独立性を高めるべきであるという声もある。

 月は地球のどの国家にも、所属しないことになっている。しかし実際は基地ごとに盟主たる国家が存在するのだ。

 月と地球はあまりに遠く異質だ。それゆえ月の民は苦しんできたのだ。彼らの声は地球までは届かない。

 この問題を解決するための方法は一つだ。月が独立をすること。月が地球のどこの国のものでもないのであれば、月が月自身を支配するしかないのだ。月は無慈悲な女王ミストレスとして君臨しなくてはならない。

 マヒナはハワイ基地の代表として月連邦国家樹立へ向けて動き出した。


 月の戦いは始まったばかりだ。



 ——ハワイ基地、ワイキキビーチ。


 水平線に向けて沈んでいく太陽の光を浴びて黒乃達はこの旅最大級のリラックス状態にあった。もっともその太陽は巨大なコンクリート製の箱の壁に投影されたものではあるが。

 ビーチチェアを並べてマンゴーラッシーを浴びるように飲む。


「いかがでしょうか、黒乃様」


 褐色肌にキャビンアテンダントの制服をアレンジしたメイド服を着たメイドロボがカットフルーツの器をテーブルに置いた。


「やあ、ロコ。最高だよ、ガハハ」

「ご主人様、何かお肌がツヤツヤですが。サンオイルを塗りましたか?」

「塗ってないよ。メイドロボ達からエキスを頂戴したから絶好調なんだよ」


 黒乃はMHN29達にさば折りを決めて体から活力がみなぎっている。ロコはそれを思い出し頬を染めた。


「先輩、かっこよかったですよ」


 桃ノ木はカットフルーツの山からパインを串に刺すと黒乃の口元へ差し出した。黒乃はそれを一口で頬張った。


「もぐもぐ、そうかね。桃ノ木さん達もよく社会不適合ロボ軍団を足止めしてくれたよ」


 桃ノ木とフォトンには地下坑道の採掘場で社会不適合ロボ軍団を足止めする役目があった。MHN29の一人であるナルによって仕掛けられたギミックを使い、あたかもミトラーニャンボット軍団が攻めてきているかのように演出をしていたのだ。


「……った」

「なんて?」

「……逃げ惑う社会不適合ロボ達が面白かった。うふふ」

「ドS!」


 フォトンの青いロングヘアが太陽の光を吸い込んだかのように金色に輝いた。


「マリーちゃん達も助けにきてくれてありがとうございます!」


 メル子はカットフルーツを持ってマリーとアンテロッテのテーブルに置いた。


「オーホホホホ! わたくし達がいればこその勝利でしたわねー!」

「オーホホホホ! お嬢様の手にかかればちょろいもんですわいなー!」

「「オーホホホホ!」」


 お嬢様たちは最終決戦の場に大型ロボットで駆けつけてくれたのだ。絶体絶命のピンチを切り抜けられたのは彼女達の活躍のお陰だ。


「いやー、ほんとだよね。感謝してるよ。でもお嬢様ロボットの中に二人は乗っていなかったって聞いて驚いたよ」


 実は宮殿に突入してきたお嬢様ロボットは無人の遠隔操縦型だったのだ。


「パリ基地でアンシブル通信機を借りてノーラグ遠隔操作をしていたのですわー!」

「触覚フィードバックがあったから結構痛かったでございますわよー!」


 お嬢様たちは決戦の前にパリ基地まで赴いていた。そこでマリー家特注の月面開発ロボット『お嬢様三式』を手に入れたのだ。

 しかしロボットに乗ってパリ基地からハワイ基地に戻るのは時間がかかりすぎるので、ロボットだけカタパルトで発射してしまったのだ。

 アンシブル通信による遠隔操作がそれを可能にした。


「そういえば蘭丸君はどこにいきましたか?」

「んん? 言われてみればいないな」


 黒乃とメル子はビーチを見渡した。すると波打ち際でポツンと座っているFORT蘭丸を見つけた。


「蘭丸君、一人でどうしましたか?」

「なにを黄昏ているんだい」


 FORT蘭丸は遥か沖を見つめている。箱の壁面に投影された水平線に太陽が触れた。


「シャチョー……」

「FORT蘭丸よ。今回はお手柄だったな。お前の働きで月は救われたようなもんだよ」

「蘭丸君! お見事でしたよ!」

「女将サン……」


 FORT蘭丸の頭部の発光素子は全て消灯している。彼はぽつりと言葉を吐き出した。


「シャチョー、ボク月が好きになりまシタ」

「ほう」

「月はナンていうか、自由なんデス」

「自由ですか?」


 FORT蘭丸は海水で湿った土を握った。


「月の歴史は奴隷の歴史と言われていマス」

「あー、誰かがそんなこと言ってたな。でもそれって自由とは正反対じゃないのかい」

「奴隷だカラ自由なんデス。彼らの歴史は自由にナルための歴史なんデス」

「自由ねえ」


 黒乃とメル子はFORT蘭丸を挟むように座った。


「ボクは月の民のために働きたいと思ったんデス」

「FORT蘭丸、まさかお前……」


 彼の目はまっすぐと夕陽を見つめていた。何かを決意した表情だ。


「ハイ、シャチョー。ボクは月に残りマス」

「蘭丸くん!?」

「ボクは月にボーンを埋めたいと思いマス!」


 FORT蘭丸はキラキラと目を輝かせて立ち上がった。夕陽に照らされた丸い頭を二人は眩しそうに見つめた。

 黒乃はFORT蘭丸を背後から抱きしめた。そしてそのままバックドロップを炸裂させた。


「グェエエエ!?」

「なにをほざいとるんじゃ貴様ーッ!」

「蘭丸君! 逃げようとしてもそうはいきませんよ!」


 メル子はFORT蘭丸を砂浜に押しつけた。


「お前はこれからうちで死ぬまで働くと決まってるんじゃい! 絶対に逃がさんからな!」


 黒乃はFORT蘭丸の頭に巨大な尻を乗せた。


「イダダダダ! ブラック企業!」


 ワイキキビーチに絶叫がこだました。



 ——ハワイ基地、宇宙港。

 黒乃達は四角い箱に乗っていた。月に来る時に乗っていたロケット型の宇宙船とは違い、コンテナと表現していい四角い箱だ。

 そのコンテナの小さな窓から黒乃は外を見た。向かいの建物の中からMHN29のメイドロボ達が手を振っている。黒乃は彼女達に手を振りかえした。


「ねえ、メル子。ここロケット乗り場だよね? なんでうちらコンテナに乗ってるの?」

「マヒナさんが長旅は辛いだろうと特急便を用意してくださったのですよ」


 月に来る時にロケットが着陸したのは真空の月面だった。しかし今はその地下にいる。


「特急便ってなんじゃい?」

「よくわかりません」


 黒乃達は狭い室内の椅子に座っている。ゲームスタジオ・クロノスの面々、お嬢様たち以外には乗客はいないようだ。

 部屋は殺風景で長旅を目的とした乗り物のようには見えない。


 するとスタッフがゾロゾロと扉から入り込んできた。座席に据え付けられている十六本のベルトで次々に体を縛り付けていく。最後にスタッフは黒乃の鼻の穴にチューブを差し込んだ。


「ほげほげ! なにこれ!?」


 するとチューブから粘度の高い液体が注ぎ込まれてきた。


「これは耐G緩衝液です」スタッフはそれだけ説明すると速やかに部屋から出ていった。周りを見ると皆同じ状態だ。

 そしてカウントダウンが始まった。窓の外ではMHN29が激しく手を振っている。


「ご主人様! なんですかこれは!?」

「わからん!」


 カウントがゼロを告げると同時に猛烈なGが黒乃達を襲った。


「ぐぎぃぃぃぃい!」


 黒乃は座席に押しつけられた。次の瞬間にはもう星空の中にいた。地下から一瞬で宇宙空間に飛び出したのだ。

 ほんの数秒で加速は終わっていた。窓の外を見るとみるみるうちに月が離れていくのがわかった。


「お嬢様が失神しましたわー!」

「シャチョー! 吐きそうデス!」


 黒乃達の特急便はカタパルトによって射出されたのであった。月面の地下から伸びるレールの上を電磁加速によって滑走し射出される。

 通常月面から地球へ帰るにはロケットによる打ち上げの後、月の軌道を抜け地球の軌道へと入る。そのまま軌道上の宇宙エレベーターに入港し、そしてエレベーターで地上まで降りる。

 ところがこのコンテナは宇宙エレベーターを経由せずに直接地上に降りるのだ。いや落ちるのだ。まさに特急便である。


「ご主人様! このコンテナは東京湾に落ちるそうです!」

「浅草まですぐじゃん!」


 コンテナは宇宙エレベーター経由に比べて圧倒的な日程の短縮が可能だ。地上までほんの数日である。

 黒乃達は狭いコンテナの中でしばしの退屈な旅を楽しんだ。



 ——地球の軌道上。

 いよいよ地球への帰還だ。これよりコンテナは大気圏へと突入する。


「ねえ、大気圏突入って怖いイメージあるけど大丈夫だよね!?」

「わかりません!」


 スタッフが扉から現れベルトで体を縛り始めた。再び鼻にチューブを差し込まれた。


「グッドラック」スタッフはそれだけ言うと部屋から去っていった。


 眼下には青い地球が広がっている。しかし窓の外は徐々に赤くなっていった。


「うごごごごご! 燃えてる! コンテナが燃えてる!」


 物体が大気圏に突入する際には高温が発生する。物体に押されて圧縮された空気分子が激しく動き熱エネルギーとなるのだ。


「ご主人様! 熱いです! いや熱くはないのですけどそんな気がします!」

「地球は青かったあぁぁぁぁ!」


 そしてパラシュートが開いた。その瞬間この旅一番の衝撃が黒乃達を襲った。全員ぐったりとした状態で東京湾に着水した。


「お嬢様がまた失神しましたわー!」


 そのまま無言で十分間うなだれているとスタッフが現れベルトを解いていった。コンテナの梯子を必死に登って外に出ると衝撃的な匂いに襲われた。


「くさっ!」

「臭いです!」


 海の匂いだ。月面基地は無菌状態で微生物なども少ないため、匂いを出すものが極度に少ない。それに鼻が慣れてしまったので、地上の匂いに耐性がなくなっていたのだ。

 そのままコンテナから隅田川を行き来する水上バスに乗り換えた。


「どうして隅田川の水上バスが迎えに来てるの……」


 川を遡ること三十分、あっという間に浅草に到着した。一行は水上バスを降りると地面にへたり込んだ。


「体が重い!」

「動けません!」


 月の重力は地球の六分の一しかない。短い期間とはいえそれに慣れてしまったので地球の重力が重く感じるのだ。


「ロボットは筋肉衰えないでしょ」

「ロボットにも人工筋肉があります!」


 加えて月用のナノマシンが体内に残っているため、完全に地球用のナノマシンに置き換わるまでは百パーセントの力は発揮できないのだ。

 一行はロボタクシーを呼んだ。水上バス乗り場からボロアパートまではタクシーを使うのは馬鹿らしくなる距離だが、とても歩く気分にはなれない。

 それぞれタクシーに乗ってそれぞれの家に帰っていった。


「ご主人様、帰ってきました! ボロアパートです!」

「なんなんだこの旅は! 現実なのかこれは!?」


 二人は階段の手すりにしがみつきながら必死に階段を登り、とうとう小汚い部屋の中へ転がり込んだ。


「帰ってきた! やった! 帰ってきたぞ!」

「帰ってきました! くさっ!」


 部屋の匂いに辟易しながら床に寝転んだ。じわじわと達成感で満たされていった。

 月での現実離れした体験が怒濤のように頭に押し寄せた。あまりの出来事の数々に思考が追いつかないが、一つだけ確かなことがあった。

 それはこの部屋が世界で一番安心できる場所であることだ。

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