第184話 月は無慈悲なロボの女王 その七

 その晩、マヒナのメイドロボ達MHN29の一員であり、ノエノエの姉妹でもあるナルは工場の休憩室の床に寝かされていた。

 白衣をベースにしたメイド服の胸の部分が細かく上下している。熱でうなされているようだ。


「ねえノエノエ。これ大丈夫なの?」

「今ナルの体内のナノマシンがシャフニートメタシンを排除しようと戦っているのです。ナノマシンが活発に動いているので高温が発生します」


 悪の科学者ニコラ・テス乱太郎によって作られた成分シャフニートメタシンはロボットを社会不適合ロボにジョブチェンジさせてしまう効果がある。ノエノエを除くMHN29のメンバーは皆この成分により社会不適合ロボになってしまっていると思われる。

 それ故MHN29達は彼女らを『更生』させにきたマヒナを監禁してしまったのだ。


「それにしても不思議です。なぜナルは突然『更生』したのでしょうか?」

「ご主人様がさば折りで締めすぎたのが原因でしょうか?」


 メル子は濡れタオルをフリージングブレスで冷やしてからナルのおでこに乗せた。


「マヒナだって顔面に拳をめり込ませて更生させるじゃん。あれが起きたんじゃないの?」

「まさかです!」


 ノエノエは激しく首を左右に振った。


「マヒナ様の鉄拳制裁は長年の修行により会得したマヒナ様のオリジナル技。簡単に真似できるはずがありません」

「答えは簡単ですわよ!」


 突然マリーが休憩室に入ってきた。その後ろにいるアンテロッテが手にしたお盆の上には砂糖とミルクたっぷりのカフェオレが乗っていた。


「答えってなによ」黒乃はカップを手に取り一口啜った。「うまい!」


「大相撲パワーですわ」

「大相撲パワー?」

「黒乃さんが身につけた大相撲の力によりジャガ祓われたのですわ」

「おジャガですわ」

「古来より相撲は神聖な儀式としておジャガを祓うために行われていたのですわ」

「さすがお嬢様ですの。博識ですわ」

「「オーホホホホ!」」


 黒乃はカフェオレを一気に飲み干した。


「なるほどなぁ。すごく納得がいった」

「そんなわけがないです!」


 ノエノエは神妙な面持ちでその話を聞いていた。

 その晩は交代で見張りをしながら夜を過ごした。



 朝、黒乃は眠い目を擦りながら作業室を出た。昨晩うなされていたナルは既に寝床にいなかった。


「うー、高級コテージのふかふかベッドが恋しい」


 黒乃は腰をさすった。床にペラペラのマットを敷いただけの寝床は寝心地最悪である。

 工場の作業室には既に他の面々がナルを取り囲むようにして椅子に座っていた。


「ご主人様、遅いですよ」

「え〜、いつものおはようのチューがないから起きれなかったよ」

「いつもしていませんよ!」

「していないんですの?」マリーはぽかんとした。

「していないのですか」ノエノエはぽかんとした。


「ナル、具合はどうですか?」

「もう大丈夫です。ノエノエ、心配をかけました」


 一同はほっと息をついた。ナルは暗い表情で俯いている。メル子はその背後に立ち、黒髪をそっと撫でた。


「では、聞かせてください。マヒナ様はどこにいるのですか?」


 ナルは視線を上げて語り出した。


「マヒナ様は今、宮殿にいます」

「宮殿!? なんか囚われのお姫様みたいだな」

「……宮殿ですか。あそこはもう長いこと使われていないはずですが」


 宮殿とは月面開発初期に掘削された炭鉱内部に作られた建築物のことである。時の権力者達が居住していたが、コンクリート製の箱による基地の建築が進むと自然と廃れていった。


「宮殿はエリート社会不適合ロボ達の住処にもなっています。彼らは社会不適合ロボの中から選び抜かれた上位種。正面から乗り込むのは無理でしょう」

「社会不適合ロボにも格差があるのか……無常だなあ」

「加えてマヒナ様のすぐそばにはMHN29の姉妹達が数人常に控えています」

「なるほど。正攻法でどうにかなる状況ではなさそうですね」


 ノエノエはため息をついた。一同は黒乃を見た。黒乃は腕を組み目を瞑って俯いていた。


「……クロ社長、寝てる?」フォトンは黒乃の頬をペチペチと叩いた。

「起きとるわ! 正攻法が無理なら外法でいくしかあるまいよ」

「出ました! ご主人様の得意技ですね!」

「しかし外法を行うにはどうしても必要なロボットがいる!」



 ——夜。再び黒乃達はシャフニートメタシン工場に戻ってきた。

 アジトから見える距離の何の変哲もない工場だ。ナルの話では昼間は一般的な薬品を製造しているが、夜になるとシャフニートメタシンの製造を行うのだ。


「私が更生したことはまだ誰にも知られていないはずです。工場に入ることは簡単でしょう」


 物陰から工場の様子を伺いながらナルは言った。工場に潜入するのは黒乃、メル子、ナルだ。

 ノエノエの戦力が欲しいところではあるが、社会不適合ロボの敵対者であるため見つかれば即戦いになってしまう。


「工場の中に入れたとしても、彼を連れ出すのは簡単ではありません」


 ナルの案内で黒乃達は工場に潜入した。ナルの付き添いということで特に疑われることはなかった。

 工場はフル稼働しており、機械から次々と錠剤やナノマシンのカプセルが飛び出てきている。これらは全てシャフニートメタシンだ。

 社会不適合ロボ達が薬の入った段ボール箱を忙しなくキャリアーに積んでいた。


「すごい量ですね」


 メル子は冷や汗をかいた。これ程の薬が使われたら月はどうなってしまうのだろうか。


「ラニお姉様は月の全てのロボットを社会不適合ロボにするつもりですので」


 ラニというのが現在MHN29を率いているメイドロボらしい。彼女は一番最初に社会不適合ロボになった姉妹で、その他の姉妹全員をあっという間に社会不適合ロボへと変えてしまったのだ。

 工場の奥へ進むと警備ロボが立っている扉の前にやってきた。


「これはこれはナル様。どういったご用件ですロボか?」

「視察です。例の物質の取れ具合をね」

「後ろのお二人はどなたですロボか?」


 黒乃とメル子は四方八方に視線を走らせた。


「地球から来られたニコラ・テス乱太郎博士のお知り合いの方です。丁重に扱うように」

「わかりましたロボ!」


 三人は扉の奥へ通された。

 薄暗い通路を歩くと再び厳重な扉が現れた。ナルが認証を行うとアラームの大きな音と共に扉が左右に開いた。

 その奥に待ち構えていた光景に黒乃とメル子は言葉を失った。


「なんだこれ!?」

「怖いです!」


 その部屋の中央には巨大な円筒形の機械があり、その周囲にはものものしい形の椅子が並べられていた。その椅子の下にはロボット達が転がっていた。

 その中にたった一つだけロボットが座っている椅子があった。


「ご主人様、いました!」

FORT蘭丸ふぉーとらんまる!」


 その椅子に繋がれていたのはFORT蘭丸であった。メカメカしい見た目のボディからいくつもチューブが伸びていた。恍惚の表情を浮かべながらなにやらぶつぶつと呟いている。


「やあ! ナル! 昨日はどこにいってたんです?」


 突然声をかけられた。巨大な装置の前に設置されているコンソールを忙しそうに操作しているのはメイドロボであった。こちらに背を向けている。


「やあ、ウルヴェヒ。急なお客様を迎えにいっていたのですよ」


 ウルヴェヒと呼ばれたメイドロボはその声に振り返った。ショートの黒髪、艶やかな褐色肌、ナルと同じく白衣をベースにしたメイド服をだらしなく着込んでいる。どうみてもMHN29の一員だ。


「おお! 博士のお友達ですか! よろしく!」

「えへへ、えへ、よろしく」

「君達どこかで見たことありますね!」

「いえいえ、気のせいです。うふふ」


 それだけ言うとウルヴェヒはこちらに背を向けてコンソールに集中した。


「いやー見てくださいよ、ナル。この子すごい逸材ですよ」

「この前連れてきたFORT蘭丸ですね。成分は取れましたか?」

「取れるのなんの! 他の子達はもういらないですね!」


 黒乃は恐る恐る聞いてみた。


「これはなにをしてるの?」


 ウルヴェヒはハイテンションで答えた。


「シャフドロゲンニートキサイドの抽出ですよ! シャフニートメタシンの核となる物質です! こんなに大量に取れるロボットは初めてです!」


 どうやらFORT蘭丸は何かの成分を抽出するために囚われていたようだ。ナルの話ではワイキキビーチの沖の岩場で一人で泣いていたところを甘い言葉で誘って連れてきたらしい。


 黒乃とメル子は椅子に繋がれたFORT蘭丸の前に進み出た。彼は二人に気がついた。その途端恍惚とした表情が一瞬にして恐怖の表情へと変化した。


「イヤァー! 黒ノ木シャチョーがいマス! ドウシテ!? ナンデ!?」

「落ち着いてください、蘭丸君!」

「助けに来たぞ!」

「イヤァー!」


 そのやりとりにウルヴェヒは不審な視線を向けた。


「んん? 君達知り合いですか? なにかおかしいな? あれ? ナル!? なにをします!」

「黒乃様、今です!」


 ナルはウルヴェヒを床に組み伏せた。背中に膝を押しつけ腕を捻り上げた。


「FORT蘭丸! 逃げよう! こんなところにいたくないだろ!」

「イヤァー! ボクはココでいいんデス! 放っておいてくだサイ!」

「蘭丸君! あなたの力が必要なのです! ここから逃げましょう!」

「女将サン! ボクはもう二度と働きたくありまセン! 帰りまセン!」


 黒乃はFORT蘭丸を無理矢理椅子から引きずり下ろした。繋がれたチューブが弾けて床に垂れ下がった。


「FORT蘭丸、忘れたのか? 労働の喜びを! 残業の愛しさを! 締切のスリルを!」

「地獄の一言デス!」


 メル子は床にFORT蘭丸を押しつけた。黒乃はビカビカと明滅する頭に巨大なケツを乗せた。


「イダダダダダ!」

「思い出せ! プログラマーの矜持を!」

「割れマス! 中身が出ちゃいマス!」


 FORT蘭丸の動きが止まった。床は彼が流した涙でびしょびしょだ。


「ウウウ、シャチョー……ドウシテボクを海にほったらかしにして帰ってしまったんデスか……」

「それはほんとすまん!」

「蘭丸君! 忘れていたわけではないのですよ! 私達も薬にやられていてすっかり忘れていただけなのです!」

「ウウウ……」


 大人しくなった蘭丸を担いで黒乃達は部屋を出て通路に入った。椅子に縄で縛り付けられたウルヴェヒは返せ返せと大騒ぎをしている。

 その時無線から桃ノ木の声が聞こえた。


『先輩、そちらに複数人のメイドロボが向かっています。潜入がバレてしまったようです』

「わかった。急いで逃げ出すから桃ノ木さん達はアジトで車を用意して待ってて!」

『了解です』


 黒乃はFORT蘭丸を床に下ろした。


「ほれ! お前の出番だぞ! これお前のデバイス。持ってきてやったぞ!」

「ボクのぉぉ!」


 FORT蘭丸は差し出されたデバイスを大事に胸に抱えた。

 通路を進み入口の扉を開けるとそこで待ち構えていた警備ロボをナルが一瞬で吹っ飛ばした。

 FORT蘭丸は製造機械の端子に自らのデバイスを接続した。


「早くしろ!」

「今やってマス!」


 工場の中にメイドロボが三人飛び込んできた。三人とも軍隊の制服をモチーフにしたメイド服を着込んでいた。


「ご主人様! 来ましたよ!」


 その時突然照明が落ちた。メイドロボ達の動きが止まった。


「こっちデス!」


 一行は明滅するFORT蘭丸の頭を頼りに進んだ。隣の部屋に逃げ込むとメイドロボ達が扉をバンバンと叩いた。


「開けろ!」

「ロックしまシタ! このまま裏口から逃げマス!」


 黒乃達はなんとか工場を脱出した。メイドロボ達は工場の中に閉じ込められているようだ。

 裏口にはノエノエが待ち構えていた。


「黒乃山! 成功ですね!」

「お待たせ!」


 そのままアジトまで走り車に乗って現場を離れた。もうここに戻ってくることはできない。

 こうしてFORT蘭丸救出作戦は完了した。

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