第180話 月は無慈悲なロボの女王 その三

 黒乃達を乗せた宇宙船は今、月の軌道を飛んでいた。ミサイルのような見た目の宇宙船の先端部分に黒乃達は乗っている。その窓から月を見下ろしていた。


「いつも見上げていた小さなお月様が! 目の前にある!」


 黒乃は子供のようにはしゃいで窓に張り付いた。灰色の無機質な大地が悠然と広がりを見せていた。


「ご主人様! 私にも見せてください!」


 メル子は隣の座席から身を乗り出して黒乃に覆い被さって外を眺めた。そのお乳がむにりと黒乃の頭の上に乗った。


「まんまるお月様が頭の上にも!」


 すると宇宙船のスタッフがカップに入ったドリンクを配り始めた。


「あれ? なんでメル子だけドリンク貰えるの? ご主人様も欲しいんだけど」

「これは月用のナノマシン入りドリンクですので人間は飲めませんよ。ロボットだけです」


 メル子は密封されたカップを手に取るとストローを咥えてちゅーちゅーと吸い込んだ。


「シャチョー! これ美味しいですよ!」

「……ボク、ナノマシン入りドリンク嫌い」


 フォトンは渋い顔でストローを咥えた。


「ロボットなのに!?」

「大変ですわー! お嬢様が間違えてわたくしのドリンクを飲んでしまいましたわー!」

「ぐぇーですのー!」


 月と地球では環境が大きく異なる。一日二日なら問題はないが、それ以上月に滞在する場合は体内のナノマシンを月用のものへと入れ替えなくてはならない。重力や大気の組成の違いがナノマシンの動作に影響を与えてしまうのだ。


「なるほどねえ。まあ人間も似たようなもんだけどね」


 人間の場合、月環境が一番大きく影響を与えるのは重力だ。月の重力は地球の六分の一しかない。長期間滞在すれば、筋肉や骨が弱っていってしまう。

 また大気が存在しない真空に近い状態なので、地球の二百倍の宇宙放射線が降り注いでいる。月面基地による防御が必須である。


「見てくださいましー! あれはなんですのー!?」


 マリーは月面に浮かぶ塔を指差した。


「マリー様、あれは月の宇宙エレベーターでございますわ」

「月にも宇宙エレベーターあったんだ!?」


 宇宙船はその宇宙エレベーターの横を通り過ぎていった。月の宇宙エレベーターは現在建築中であり、まだ使用できない。完成すれば地球と月の往来がさらに容易くなるはずだが、現在進行が滞っているようだ。


 宇宙船はいよいよ、着陸の体勢に入った。月面に対して垂直になって降下していく。二十世紀から変わらない伝統的な月面着陸である。

 眼下には巨大な月面基地が広がっていた。その異様な景色に黒乃達は心奪われた。


 人類が月へ進出して以降、最初に建てられた月面基地はドーム型であった。空気を注入して膨らむドーム状の風船が基地となったのだ。

 もちろんこれは本格的な基地を作るための足掛かりでしかない。このドームを起点に月面でコンクリート作りが始まった。コンクリートの材料となる石材は月面で大量に確保できる。地球から運ばなくてはならないのは主に『水』である。水は生活に欠かせないものであると同時にコンクリート作りにも必要なのだ。

 そのため、基地作りには人間より少ない水分で活動可能なロボットが活躍した。


 大量生産の準備が整うとロボット達は一辺が五十メートルの巨大なコンクリート製の箱を作った。箱が基地の基本単位となる。この箱を縦横に並べて拡張していったのだ。重力が地球の六分の一しかないため、このような構造でも充分な強度を得られる。

 各箱はそれぞれが独立した気密構造になっていて、一つの箱から空気が漏れても周囲の箱を閉鎖状態にすることで連鎖的な崩壊を防ぐことができるのだ。初期のドーム型の基地は一箇所に穴が開くと即全体が崩壊するという危険なものであった。


 黒乃達が目を奪われたのはこの巨大な箱がいくつも連なっていたからであった。どこまで続いているのか端が見えない。

 丸い月に大量の四角い箱。圧倒的な自然と無造作な人工物の対比に頭が混乱した。


「これが月面基地なのか……」


 黒乃は宇宙船の降下と共に徐々に迫ってくる巨大な塊に見惚れた。

 無事宇宙港に着陸を終えた宇宙船に向けてブリッジが伸びてきた。ブリッジが船体に接続されると独特な匂いの空気が流れ込んできた。気圧の調節を終え一同はブリッジの通路を歩いた。


「ご主人様! 見てください! 体がぴょんぴょん跳ねます!」

「重力が弱いから歩くのが難しい!」


 一歩足を踏みしめる毎に体が浮き上がるので狭いブリッジの天井に頭をぶつけそうになった。四苦八苦しながら数百メートル進むとようやく基地の内部に到着した。


「着いた……みんな! 月に着いたよ!」

「おめでとうございます、ご主人様!」

「先輩、おめでとうございます!」


 マリーとフォトンは飛び跳ねて喜んだ。FORT蘭丸は頭をビカビカと光らせながら万歳をした。


「いやー、長かった。いくら月旅行が一般的になったとはいえ、電車乗って、飛行機乗って、宇宙エレベーター登って、宇宙船で飛んでようやくだよ」

「無事に辿り着けたことを感謝しましょう!」

「そうだね」


 一行は宇宙港で入場検査を済ませた。中でも厳重に行われたのは検疫だ。月には自然の動植物はいないため無菌に近い。地球から病気や害虫を持ち込むのは御法度なのだ。

 長い検査から解放された時には夕暮れになっていた。月なのに夕暮れというのはおかしいが確かに夕暮れである。基地内の照明は地球時間に合わせて点灯するようになっている。


「マヒナさんが用意してくれた宿はワイキキビーチのコテージです。向かいましょう」

「ワイキキビーチ!?」


 黒乃は度肝を抜かれた。


「なんで月にワイキキビーチがあるの!?」

「この基地はハワイからの移民によって作られたからですね」


 月面開発が活発に行われ始めたのは二十一世紀後半だ。大量の人員が必要になった時、政府に目をつけられたのが当時人口過密状態にあったハワイ諸島だ。長い年月をかけて数十万人が月へと移住した。

 このような基地が月面にはいくつも存在する。ここハワイ基地ベースはその中でも最も古い基地の一つだ。


「あれ? 私達ハワイ旅行に来たんだっけ?」


 黒乃がそう呟くのも無理はない。この月面基地はハワイの人々によってハワイをモチーフに作られている。箱をいくつも並べて海を作り、魚の養殖を行っている。海の横には浜辺が作られ、高級ホテルやコテージが立ち並んでいる。


 低重力に体が慣れ始めた頃にワイキキビーチに到着した。浜辺には当たり前のように水着で寛ぐ人々が大勢いた。


「ご主人様! どうしましょう! 水着を持ってきていないですよ!」

「ええ? ああ、荷物の重量は厳しく制限されているからそりゃ持ってこれないよね。店で売ってるでしょ」

「シャチョー! 泳ぎまショウよ!」

「今から!?」

「……塩水は苦手」

「ロボットだもんね!」


 マリーは元気よく浜辺に走り波打ち際にいた魚を手掴みで捕らえた。


「とりましたのー!」

「さすがお嬢様ですのー!」

「こらこら!」


 一行はコテージにチェックインするとベッドに身を投げ出した。さすがの長旅で疲労困憊である。


「ああ、ああ、もう疲れた」

「ご主人様、何を言っていますか。これから合宿が始まるのですよ?」


 その時コテージに一人のメイドロボがやってきた。ショートの黒髪に褐色の肌。キャビンアテンダントの制服をアレンジしたセクシーなメイド服を纏っている。


「ノエ子!? 今度こそノエ子だよね!?」


 メイドロボは丁寧にお辞儀をした。


「いえ、私マヒナ様のメイドロボでノエノエの姉妹であるロコと申します。マヒナ様より基地での皆様のサポートをするよう申しつかりました。よろしくお願いいたします」

「何人メイドロボいるの!? 羨ましい!」

「ご主人様!?」


 長旅の末、ついに月合宿の幕が開けた。

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