第179話 月は無慈悲なロボの女王 その二

「ご主人様! 見てください! 浮いていますよ!」


 黒乃達が乗る高級ケーブルカーは大気圏を遥か超えて静止軌道ステーションがある上空3万6千キロメートルへと迫りつつあった。

 窓の外の景色は煌めく星空。足元を見れば深淵の中に我らが地球が浮かんでいた。

 ここまで来ると重力は弱くなり無重力状態を楽しむことができる。


「おお、おお、浮いてる!」

「見て欲しいですのー!」


 マリーは早速無重力状態というじゃじゃ馬を乗りこなしているようだ。壁から壁にロビーを縦横無尽に飛び回っている。


「うおっ、すげぇ」

「さすがお嬢様ですのー!」


 黒乃とメル子は手足をバタバタと動かして必死に姿勢を整えようとするが、もがけばもがくほどその場で回転をしてしまう。

 黒乃はメル子のお尻に顔面から突っ込んだ。


「ぎゃあ! なにをしますか!」

「悪い悪い」


 メル子が黒乃を突き飛ばしたのでそれぞれ反対方向へ吹っ飛び、黒乃はアンテロッテのお尻に、メル子はマリーのお尻に顔面から突っ込んだ。


「「なにをしますのー!」」


 四人はしばらく無重力状態を堪能した。

 車内にアナウンスが入り、いよいよ静止軌道ステーションに到着する旨が伝えられた。充分な加速を得たケーブルカーが今度は減速に入る。

 黒乃達はマイナスの加速度を得てケーブルカーの天井へと着地した。到着まではこの緩やかなGが続く。それぞれの個室へ戻り荷物を取り出した。


「うおお、でっけえ」


 足元に広がっているのは巨大な静止軌道ステーションだ。円筒形をしており、外周部が回転しているのがわかる。

 その円筒の中心部にケーブルカーは滑り込んでいった。停止と同時に再び無重力状態が復活した。

 四人はフワフワと浮かびながら手すりを頼りに通路を進んでいった。


 静止軌道ステーションは内周と外周の二つのエリアに分かれている。円筒の内周部分は無重力エリアだ。ここは主にケーブルカーの発着ポートになっていて、多くのコンテナがワイヤーに引っ張られケーブルカーに収められていく。

 円筒の外周部は重力エリアだ。外周部分が丸ごと宇宙エレベーターを軸にして回転をすることで、遠心力による人工重力を生み出している。このエリアは主に居住スペースとなっていて、数万人の人間とロボットが生活をしている。


「先輩、お待ちしておりました」


 発着ポートで黒乃達を出迎えたのは社員の面々であった。


「……クロ社長たちだけ良い車両でずるい」

「ガハハ! 社長なんだから当然じゃろ!」

「アレ!? マリーチャン!? マリーチャンがいマス!? ドウシテ!?」

「オーホホホホ! 月にバカンスに来ただけですわー!」


 一同は無事の再会を喜んだ。メル子は周囲を見渡した。


「マヒナさんとノエ子さんはどうしました?」

「お二人は先にケーブルカーで上に向かったわよ」

「そうなんですか」


 数日ぶりに合流できたが旅はまだ終わらない。ここ静止軌道ステーションから月へと旅立たなくてはならないのだ。そのためにはここからさらに宇宙側に登り『軌道カタパルト』へと辿り着かなくてはならない。

 軌道カタパルトへのケーブルカーの発車までには数時間の空きがある。その間居住エリアを散策することにした。居住エリア行きのモノレールに乗り込み、窓から街を眺めた。


「ここが居住エリアか」

「シャチョー! アニメで見たスペースコロニーにそっくりデス!」

「……堕ちそう」


 居住エリアはステーションの円筒の内壁に張り付くような形で作られている。建物は整然と並んでおり、どれも似たような質素な外見である。碁盤目状に道路が走り、人々は小型の四輪カートで移動をしているようだ。

 ところどころに真っ黒な四角い穴が空いているのに驚いたが、どうやらそれは太陽光を取り入れるための窓らしい。小さく見えるが一辺は百メートルある。

 モノレールは円筒の中心から下っていき、内壁まで走った。


「すげぇ、公園もあるしほんとに街なんだな」

「ご主人様! ロボットもたくさんいますよ!」


 一行はモノレールを降りて街を歩いた。ここでは地球と同等の重力が働いているので、上さえ見なければ地球にいるのかと錯覚してしまう。上を見れば遥か頭上にも街が広がっているという非日常の光景を堪能できる。

 ここ居住エリアには住宅、商業施設、工場、政府機関が立ち並び、一つの国家とも呼べる機能を備えている。


 一行は大通りを外れて寂れた路地を歩いた。目の前の地面には百メートル四方の巨大な明かり取り用の窓があり、そこから光り輝く星々が見えた。


「ご主人様、なぜわざわざこんな人気のない路地に来たのですか?」

「観光客向けの商業施設もいいけどさ、せっかくだし地元の店でなんか食べたいじゃない」

「……あの店良さそう」


 フォトンが指を差したのは小さなうどん屋であった。


「シャチョー! うどんいいデスね! うどん食べまショウよ!」

「お前、ほんとにうどん好きだな」


 外見は蒲田の商店街によくあるうどん屋のようだ。開けっ放しの扉を潜り抜けて中に入る。


「らっしゃいー!」


 威勢の良い声が店に響いた。一行はテーブル席についた。隣のテーブルでは一人のメイドロボがうどんを啜っていた。


「あれ!? ノエ子!? ノエ子じゃん!」


 黒乃はそのメイドロボを見て叫んだ。彼女は顔を上げて黒乃をみた。黒いショートヘアに褐色の肌。前髪の隙間から覗く瞳は美しい光を放っている。警察官の制服をベースにしたセクシーなメイド服を纏っている。


「どうしてノエ子がここにいるの? マヒナと上に登っていったんだよね!?」

「マヒナ様のお知り合いの方ですか」


 メイドロボは立ち上がりメイドらしく丁寧にお辞儀をした。


「私はマヒナ様のメイドロボであり、ノエノエの姉妹であるナウルと申します」

「別人なの!?」


 黒乃達のテーブルにずらりとうどんが並んだ。静止軌道ステーション名物『地球見うどん』だ。玉子が入った月見うどんならぬ、謎の青い球が入ったうどんだ。


「……この青いのなに?」フォトンは球を箸でつついた。

「シャチョー! 美味しそうデスね!」

「しかし、ノエノエさんにそっくりね。同じ人に作られたメイドロボなのかしら?」


 一行はうどんを啜りながらナウルを眺めた。


「仰る通り我々姉妹は同じ科学者によって作られました」

「ほえ〜」


 その言葉に黒乃はルベールを思い出した。ルベール、トーマス・エジ宗次郎、ニコラ・テス乱太郎は同じ科学者に作られたいわば兄弟のようなものだ。


「ナウルさんはマヒナさんのメイドロボなのですか?」

「はい、その通りです」

「でも……」


 メル子は口から出そうになった疑問を飲み込んだ。


「皆様は月へ行かれるのですね」

「そうそう」


 黒乃はマヒナに招待されて月に行くことになった経緯を説明した。ナウルはそれを聞くと丼を手で持ち上げてうどんの汁を飲み干した。


「なるほど、マヒナ様が……それはなんというか。ふふふ」

「なになに、なにかあるの?」


 ナウルは席を立った。一同は彼女を見上げた。


「月というのは地球とは全く違う世界です。地球の常識に縛られぬようお気をつけください」


 再びナウルはお辞儀をして店を出て行った。黒乃達は言葉もなく彼女を見送った。


「いや〜それにしても可愛かったな〜」

「ご主人様!」



 黒乃達は再びケーブルカーに乗っていた。静止軌道ステーションからさらに上に登るのだ。月への旅は『軌道カタパルト』から出発する。

 軌道カタパルトとは高度3万6千キロメートルにある静止軌道ステーションよりさらに上空、高度4万7千キロメートルにある設備のことだ。投石器カタパルトという名がつけられている通り、まさに宇宙船を石のようにぶん投げる装置なのだ。

 ハンマー投げを思い浮かべるとわかりやすい。先端に砲丸がついたワイヤーを手に持ち体ごとぐるぐると回転させる。充分に勢いがついた瞬間にハンマーを離すと遠くまで飛ばすことができる。

 軌道カタパルトの場合、砲丸が宇宙船、ワイヤーが宇宙エレベーターなのだ。宇宙エレベーターは地球の自転と同じ周期で公転をしている。つまりハンマーをぐるぐる回転させているのと同じ状態になっているのだ。

 あとはただ軌道カタパルトから分離すればいいだけである。それだけで宇宙船は第二宇宙速度を得られ、地球の重力を振り切って月の軌道に乗ることができる。


「あ〜、いよいよだ。とうとう月に飛び立てる」


 黒乃達は長い旅の末の最後の乗り物、つまり宇宙船に乗っていた。その形はまさにミサイル。円筒に小さな羽が生えただけのシンプルな形だ。

 一行は座席に座り発射を待ち侘びていた。シートベルトを締めてはいるものの、発射の瞬間は軽い振動が起こるだけである。加速は宇宙ステーション自体が受け持っているためGを感じることはない。


 そしていよいよ宇宙船が軌道カタパルトから分離した。窓の外の星が動いたのを見てようやく飛び立ったのがわかるくらい静かな発射だった。


「ご主人様! もう明日には月ですね!」

「おお、おお! 我々も来るところまで来たな! 今宇宙を飛んでいるぞ!」


 黒乃とメル子は手を握り合って流れる星々を眺めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る