第172話 大雪です! その一

 仕事帰りの浅草の路地。黒乃は寒さで震えていた。

 空を見上げれば星一つ見えない分厚い雲。まるで雪の塊が空に浮いているかのようだ。


「こりゃ、天気予報通り大雪になるな」


 黒乃がボロアパートの小汚い部屋の扉を開けるとメル子が温かい笑顔で出迎えてくれた。


「お帰りなさいませ、ご主人様」

「うう、寒い寒い」


 メル子は上着を受け取りハンガーにかけると早速夕飯の準備に取り掛かった。すぐにホカホカの白飯と熱々のスープがテーブルに並んだ。


「あ〜、冷えた体にピリ辛スパイスが沁みる〜」

「本当に冷えますね」


 食事が終わり紅茶で寛いでいるとふと窓の外に目が行った。黒乃は立ち上がり窓の外を眺めた。


「いつの間にか雪が降ってる」


 メル子も窓に駆け寄ってきた。露で覆われた窓を手で拭った。


「大降りですね。クリスマス以来です」


 既に道路のアスファルトは雪に覆われ見えなくなっていた。向かいの家の屋根にも積もり始めている。


「ご主人様! ボロアパートは雪で潰れないでしょうか?」

「わからん」


 その晩、時折屋根の雪が地面に落ちる音に怯えながら二人は眠りについた。



 朝、窓を開けると真っ白な世界が目に飛び込んできた。


「ひょー! 近年稀に見る大雪だあ〜!」

「相当積もっていますね」


 雪は既に止んでおり、空を見上げれば薄い雲から太陽が透けて見えていた。

 ニュースによると交通機関は軒並み運転を見合わせているようだ。デバイスを見るとFORT蘭丸ふぉーとらんまるがしつこく「休みですか?」とメッセージを送ってきていた。黒乃は社員達に休業の通知を送った。

 新ロボット法により積雪対応の処理が施されていないロボットの労働は免除される。


「駐車場のプランター畑は大丈夫なのかな」

「最近の作物は寒さに強いですし、雪が降った方がより美味しくなりますよ」


 熱々のホワイトシチューとパンで朝食を済ませる頃にはボロアパートの外が賑やかになっていた。近隣住民の雪かきが始まったのだ。

 黒乃達も長靴を履き雪かきに参戦した。


「お、マリー達も雪かきかい。偉いね〜」


 お嬢様たちはドレスの上からダウンジャケット、ニット帽、分厚い手袋を身につけ、手にはスコップを持っていた。


「おはようございますわー! 今日は雪で学校がお休みですので、雪遊びしますわよー!」

「おフランスの雪かきを見せて差し上げますわー!」

「「オーホホホホ!」」


 黒乃達は手分けをして道路の雪を脇に寄せていった。


「ハァハァ、腰が痛い。雪って重いんだな」

「ご主人様! 浅草の積雪は三十センチらしいですよ。記録的な積雪です!」

「確かに浅草でも尼崎でもこんな雪は見たことがないな」


 日本は世界最大の豪雪国である。降雪量、積雪量ともに世界一の記録を持っている。世界一の積雪記録は滋賀県の伊吹山で1972年の十一メートルだ。


「あ、ご主人様。お疲れ様です」

「うわっ! 黒メル子!?」


 黒いメイド服の上から黒いケープを羽織ったメイドロボがボロアパートの駐車場をスコップで除雪をしていた。


「黒メル子も雪かきするんだ……」

「もちろんです。住人の義務ですよ」

「そうなんだ……滑って転ばないように気をつけてね」

「はい!」


 黒メル子はせっせと駐車場を片付けると一階の角部屋へと消えていった。黒乃とメル子は呆然とそれを見送った。


「オーホホホホ! 雪だるまを作りますわよー!」

「お嬢様には負けませんわよー!」


 一通りの作業を終えたお嬢様たちは雪で遊び始めたようだ。


「ほんならうちらはかまくらを作ろうか」

「いいですね!」


 黒乃達はボロアパートの駐車場の隅にかまくらを作り始めた。まず大きな山を作り、その中をくり抜いて部屋にする。黒乃はひたすら雪を積んだ。


「ご主人様、大き過ぎませんか?」

「みんなで入りたいじゃない。どんと行こうよ」


 かまくらのコツは最初の山をいかに強固に作るかだ。黒乃は山を踏み固めるために上によじ登った。


「ご主人様! 危ないですよ!」

「平気平気、イデッ!」


 案の定黒乃は足を滑らせて山から滑走した。


「なにを作っていますのー!」


 お嬢様たちが走り寄ってきた。山の上に登り滑り降りる。


「こらこら、滑り台じゃないんだから」

「じゃあなんなんですのこれは?」

「かまくらだよ。フランスで作ったことないの?」

「ございませんわ」


 フランスは日本と同様積雪が多い国である。主に北部の山岳地帯に降るが、地中海沿岸のマルセイユが雪に覆われることもある。


 二メートルの高さに雪を積み上げたら今度は中に部屋を作る。スコップで少しずつ雪を削り取っていった。

 お嬢様たちと一緒に作業したため、あっという間に部屋が完成した。メル子はしきりに壁に向かって息を吹きかけている。


「メル子、それなにしてるの?」

「大きめのかまくらですので、崩れないように壁を補強しています」


 壁にヒートブレスを吹きかけ溶けたところをすかさずフリージングブレスで凍らせる。このようにして壁全体を氷結させ、強度を向上させるのだ。


「わたくし、お昼の準備をしてまいりますわー!」


 アンテロッテは部屋に戻っていった。


「お? いつの間にか雪だるまができているな」


 黒乃はマリーが作った可愛らしい雪だるまを撫でた。腰の高さ程度の小さなものだが形はしっかりと整えられ、有り合わせのもので顔が作られている。

 隣を見るとそこに立っていたのは雪像だった。


「こっちはアン子が作ったマリーの雪像ね。クオリティが高すぎる……」

「アン子さん、器用なんですね……」


 表情までしっかりと彫られたリアルな雪像に二人は震えた。


 かまくらの中にベンチと机を作り終えた頃にアンテロッテが鍋を持ってやってきた。


「さあ、お昼にいたしますわよー!」


 アンテロッテはかまくらのテーブルにガスコンロ、鍋、食材を並べた。四人はかまくらの中に入り込み鍋を囲んだ。


「おお! チーズフォンデュね!」

「そうでございますわー!」

「大好物ですわー!」

「でもこの鍋、中が二つに分かれていますね」


 鍋は真ん中で仕切られており、片方にはトロトロのチーズが、もう片方にはオリーブオイルが煮えていた。


「チーズフォンデュとアヒージョが同時に楽しめるハイブリッド鍋でござしゃんすよー!」

「なにそれすげえ!」


 黒乃は早速アスパラガスを串に刺し、チーズの中に投入した。軽く熱が通るのを待ってから引き上げる。するとチーズが尾を引いて伸びた。串をくるくると回してチーズを絡め取り齧り付いた。


「オホッ! トロトロのチーズと新鮮な野菜の相性は最高だね」


 メル子はエビを串に刺した。


「私はエビをアヒージョでいきます!」


 オリーブオイルの中でエビから細かい泡が無数に溢れ出てきた。


「身がプリプリです! ニンニクも一緒に串に刺したのでイタリアンテイストです!」


 マリーは大きなウィンナーを串に刺してオリーブオイルにぶっ込んだ。バチバチと油が跳ねる。その後さらにチーズの中に差し込んだ。


「ウィンナーさん、うまうまですわー!」


 マリーはウィンナーを齧ると半分になったものをまたチーズの中へ投入した。


「こら、マリー! 二度漬けするなあ!」

「どうしてですの?」

「どうしてって汚いだろが!」

「お嬢様が汚いわけないですの」

「言っている意味がわかりませんの」


 アンテロッテはニンジンスティックをチーズの中に投入した。ポリポリと齧る。


「ウサギになった気分ですのー!」


 アンテロッテは齧りかけのニンジンをもう一度チーズに入れた。


「これ、アンテロッテ」

「どうかしましたの、お嬢様?」

「チーズの二度漬けは禁止でございますのよ」

「忘れていましたわ」

「……」

「どうして黒乃さんは注意しないんですの?」

「いや、メイドロボは汚くないし」

「汚いですわよ!」

「お嬢様!?」


 四人は鍋を囲んでいるうちに汗をかいてきた。


「ハァハァ、暑いですわ」

「かまくらの中って意外に温かいからね」


 雪は間に大量の空気を含むので断熱効果があり外の冷気を遮断する。その上、中で火を焚くことで熱された空気の対流が起こり内部はどんどん暖まるのだ。


 満腹になった四人はうとうととし始めた。鍋を片付け終わった頃にはマリーはベンチで寝息を立てていた。


「雪かきで肉体労働したし、眠くなっちゃったね」

「ふぁー、確かにそうですね」


 空を覆っていた雲に切れ間が走り光が差し込んできた。かまくらの中はますます暖かくなり四人はいつの間にか眠り込んでしまっていた。


 そして四人は真っ暗闇の中で目を覚ました。


「ご主人様、これはどういう状況でしょうか」

「うーん、潰れたね。かまくらが。みんな無事?」

「無事ですの」

「動けませんの」


 どうやら午後からの日差しとコンロの熱でかまくらが溶けて入り口が塞がれてしまったようだ。天井も下がってきており頭がつかえている。雪国育ちでもなんでもない四人のかまくら作りは設計に問題があったようだ。


「ご主人様、どうしましょう」

「どうしようか」

「どうしますの」

「どうしやしゃんすの」


 黒乃は名案を思いついた。


「メル子のファイアブレスで天井を溶かすってのはどう?」

「そんなに火力がないですから、じわじわと溶けて天井が崩れて生き埋めになりますよ」


 マリーは名案を思いついた。


「アンテロッテのクサカリブレードでかまくらを真っ二つにするというのはいかがですの」

「お嬢様、身動きが取れない状態でブレードを使ったら全員体が真っ二つになりますの」


 かまくらの中に静寂が訪れた。


「困ったね」

「困りましたね」

「困りましたの」

「困りまくりまくりすてぃですの」


「お困りですか?」


 突然かまくらの外から声が聞こえた。馴染みのある声だ。


「メル子!? いや黒メル子か!」

「はい、そうですよ」

「良かった! かまくらの中に生き埋めにされてたんだよ。助けて!」

「はいはい、お安い御用ですよ」


 するとザクザクと雪を削る音が聞こえてきた。しばらくすると壁に穴が空き黒メル子の覗き込む顔が見えた。


「お疲れ様です、ご主人様」

「お疲れ、黒メル子! もうちょい穴広げて!」


 穴が開通し一人ずつ這い出てきた。最後に黒乃が穴を潜り抜けた瞬間にかまくらは崩壊した。


「ハァハァ、助かった」

「ハァハァ、ど素人がかまくらを大きく作り過ぎたのですよ!」

「ごめんごめん」


 黒メル子は全員無事なのを確認すると一階の角部屋に戻ろうとした。


「待って、黒メル子」

「はい」

「助けてくれてありがとう」

「ご主人様を助けるのはメイドロボとして当たり前のことです」

「うん」


 黒乃は黒メル子の手を取った。


「折角雪が降ったんだからさ、午後も雪で遊ぼうと思うんだよ。隅田公園行ってさ、一緒に雪合戦しようよ」


 黒メル子はクスクス笑った。


「ご主人様、子供みたいですね」

「ええ? ああ、うん。そうかも」

「わかりました。でも容赦はしませんよ」

「のぞむところだ! でもフリージングブレスで雪玉を固めるのはやめてね」


 雪の日のお楽しみはまだ始まったばかりである。

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