第148話 ろぼキャン! その一

 薄らと雲がかかった12月30日の早朝。まだ薄暗い中、赤い壁の工場の前に一行は並んでいた。全員動きやすいジャージ姿だ。


「貴様らーッ! 準備はできたかーッ!」


 黒いジャージの鬼教官黒乃が声を張り上げた。


「……眠い」


 青いロングヘアの小柄なロボット、影山かげやまフォトンは青いジャージを着込み目を擦っている。


「黒ノ木シャチョー! ナンデ合宿をしないといけないンですか!?」


 メカメカしい見た目のロボットはFORT蘭丸ふぉーとらんまるだ。困惑のあまり頭のネジが緩んでいる。


「新しい企画を捻り出す為じゃい! 狭い部屋の中でキーボードこねくり回していても新しいアイディアは生まれんのじゃい!」

「超インドア派のご主人様のセリフとは思えません……」


 赤いジャージの金髪メイドロボ、メル子は呆れ顔で主人を見据えた。


「黒ノ木先輩、レンタルしてきました」


 キャリアーに乗って現れたのはピンクのジャージの桃ノ木桃智もものきももちだ。キャリアーには自転車が積まれている。


「マサカ、自転車でいくんデスか!?」

「車で行ったら単なるレジャーじゃろがい」


 FORT蘭丸とフォトンは頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。


「いいかよく聞け!」

「はい! よく話を聞いてください!」メル子は二人を立ち上がらせた。


「スケジュールは二泊三日! 場所は富士五湖の一つである山中湖やまなかこ。そこでキャンプを行う!」

「この寒い中、キャンプをするんデスか!?」

「……キャンプ道具なんてないけど」


 一同は周囲をキョロキョロと見渡した。あるのは自転車だけだ。


「みんなキャンプ初心者という事だから、サービスでキャンプ道具だけは現地に郵送しておいた! 安心しろ!」

「安心してください! ちなみに自転車とキャンプ道具は八又はちまた産業の提供でお送りします!」


 普段なにかとやらかしている、という理由で職人ロボのアイザック・アシモ風太郎に脅しをかけて無理矢理貸し出しをさせたのだ。


「黒ノ木シャチョー! 山中湖までの距離はどうなっていマスか!?」

「いい質問だ。距離は百三十キロメートル。時間にして十時間だ!」

「十時間!?」


 FORT蘭丸は後ろにひっくり返った。頭の発光素子を明滅させてプルプルと震えている。フォトンの青いロングヘアが真っ白になってしまった。偏光素材で作られた特殊な毛髪だ。感情により色が勝手に変化する。


「現在朝の四時だから、頑張れば夕方には着く」

「シャチョー! 無理ですヨ!」

「皆さん、心配しないでください!」メル子が説明を始めた。

「レンタルしたのは電動アシスト自転車です。流石に初心者に百三十キロメートルはキツいという事で、ご主人様が配慮をしてくださいました!」


 黒乃はキャリアーから自転車を下ろすとそれに跨った。「さあ、みんな覚悟を決めるんだ」


 それぞれヘルメットを被り、自分の自転車に跨った。ヘルメットにはインカムが付属しているので走りながら会話が可能だ。

 黒乃を先頭にして一行は走り出した。


「……電動自転車初めて乗った」

「ボクもデス!」


 モーターの振動が微かにペダルを通して足に伝わってきた。軽い力でペダルを踏み込むだけで車体がグンと加速をする。


「ご主人様! これ楽でいいですねえ!」

「黒ノ木先輩、バッテリーは山中湖までもつんですか?」

「一回の充電で千キロメートル走るから大丈夫」

「科学ってスゴイデス!」


 一行は浅草を南下し、東京駅に向かった。


「いいか? 法令遵守で走るんだぞ。自転車は一番左側の車線の左端を走る! 逆走禁止! 歩道を走るのは極力避け、どうしても走らなくてはならない場合は自転車通行可の標識を確認し、車道寄りを最徐行の歩行者優先で走る。横に並ばずに縦に並ぶこと! 並走は違法! 歩行者用の信号ではなく車両用の信号に従うこと! 原付と違い自転車はどの場合でも二段階右折必須! 方向指示器をしっかりと出すように!」

「「はい!」」


 二十二世紀では自転車に方向指示器を取り付けることが義務付けられている。さらに二十一世紀では努力義務だったヘルメットの着用も罰則が付くようになっている。

 また二十二世紀では車の絶対数が減り、自転車の利用者が増えたためほとんどの道路には自転車専用レーンが設けられている。


「シャチョー! 電動自転車気持ちいいデスねえ! コレ速度いくつ出ますカ!?」

「電動自転車のアシストは法律で時速二十四キロメートルまでと定められている。それ以上速度を出したければ自力でペダルを漕ぐしかない」

「二十四キロで充分デス!」


 東京駅を抜けたらひたすら西へと進む。皇居、迎賓館、明治神宮、新宿御苑を次々と通り過ぎた。徐々に雲が流れて温かい日差しが一行を照らした。


 順調に二時間走ったところで左手に多摩川たまがわが見えてきた。山梨県から東京湾へと流れる全長百三十八キロメートルの一級河川だ。


「うわあ、ご主人様! 見てください! 多摩川大きいですねえ! 川幅四百メートルはありますよ!」

「ああ、うん」

「皆さん! 具合はいかがでしょうか? 気分が優れない場合は早めに言ってくださいね!」

「大丈夫デス!」

「……平気」

「いい気分だわ」

「……」


 黒乃は速度を緩めると自転車を降りて多摩川の河川敷へと押して歩いた。みなそれに習い自転車を押して黒乃の後を追う。


「ご主人様? どうしました?」

「……ケツが」

「おケツがどうかしましたか?」

「……ケツが死ぬほど痛い」


 黒乃はボロボロと涙を流して河川敷の芝生に寝転んだ。


「ケツがめっちゃ痛い!」


 一行はうつ伏せに寝転がる黒乃を呆然と見つめた。


「ご主人様……大丈夫でしょうか」

「痛い! ケツが痛い! ケツが痛い以外の事を考えられない! ケツが擦りおろされた!」

「まあ、ご主人様は長身でおケツが必要以上にデカいですからね。びっくりする大きさと重さですから。こうなってもおかしくはないです」


 本日の教訓一『ケツは擦りおろされる』


 自転車の長距離走行はびっくりするくらいケツが痛くなるのだ。特にスポーツタイプの細いサドルはケツを攻撃する目的で作られたのではないかと疑いたくなるほど痛い。


「ううう、もう走れない」黒乃の涙が止まらない。

 あまりに不憫なのでメル子は秘密兵器を出すことにした。


「ママチャリのサドル〜!」メル子は幅広のサドルを高々と掲げた。

「メル子、それは!?」

「はい、こうなる事を見越してクッション厚めの幅広サドルを持ってきていました。これに取り替えましょう」


 メル子は手早くサドルを差し替えた。黒乃は恐る恐る巨大なケツを乗せてみた。


「痛くなーい」黒乃の目が輝いた。

「はい! それと走る姿勢ですが体を前傾させると腕に体重がかかるのでおケツへの負担が減ります。ペダルに力が入りやすくなり、風圧も減るのでやってみてください」


 黒乃はメル子にしがみついた。「さすが私のメイドロボ」ボロボロと涙を流して喜んだ。

 河川敷に来たついでに休憩を取ることにした。軽食でエネルギーを補給し、ケツを休める。


「ハァハァ先輩、おケツマッサージしましょうか?」

「お願い」

「ダメに決まっています! 私がします!」


 再び走り出した時には雲は全て消え失せ抜けるような青空が一行を待っていた。


 多摩川を越えると神奈川県に入る。街並みにも変化が訪れ、開けた空間が多く見られるようになる。南西に下り厚木まで到着した。相模川さがみがわを越えるとさらに景色は一変して山が多く見られるようになる。


「ご主人様! おケツの残量はどうですか!」

「大丈夫! だいぶケツ残ってる! さっきの休憩でケツの充電できた!」


 本日の教訓二『ケツは充電できる』


 一行は順調に走り足柄上郡あしがらかみぐん松田まで辿り着いた。ここまでの走行時間は六時間。少し早い昼食にする事にした。手っ取り早く駅前でうどん屋に入った。五人はテーブル席に腰を下ろした。


「ハァハァ、疲れた。みんなは大丈夫?」

「意外と大丈夫デス!」

「……天気が良くて気持ちいい」

「先輩のおケツの方が心配です」


 メル子はとろろうどんを五人前オーダーした。料理が届くと皆勢いよくうどんを啜った。


「あ〜、体が温まる〜」

「とろろが胃に優しいデス!」

「……白くて綺麗」

「先輩、あーん」

「あーん」

「何をしていますか! いいですか、うどんの糖質は素早くエネルギーに変換されます! とろろの消化酵素は疲れた胃にとても優しく消化を助けてくれます! しかしトロトロだからと言って飲み込まずにしっかりと噛んで召し上がってください!」


 うどん屋でゆっくりと食事を摂り、充分に体を回復させたら出発である。再び西に向けて走り出す。残りの走行時間は四時間だ。


「ご主人様! 正面に富士山ですよ! あんなに大きく見えます!」

「ハァハァ、正直富士山にはそんないい思い出ない。ハァハァ」


 いくら電動自転車とはいえ百キロメートルも走れば全身くたくただ。ここからは根性の時間となる。次第に勾配が激しくなってきた。上り坂こそ電動アシストの真骨頂ではあるが速度はグンと落ちる。中々前へ進まぬ車体にイライラが積もっていく。


「先輩、電動自転車で立ち漕ぎは危ないですよ」

「ケツの残量が切れかかってるから! 節約しないと!」


 本日の教訓三『ケツは節約すべし』


 それでも一行は富士山へ向けてひた走り、その山肌が赤く染まる頃に富士五湖の一つ、山中湖へと辿り着いた。

 既に黒乃以外の四人はその湖畔に到着していた。黒乃が坂を登ってくるのを見守っている。

 するとよろめきながら自転車を漕ぐ丸メガネが見えてきた。


「ご主人様ー! 負けないでください!」

「先輩! もう少しです!」

「シャチョー! 最後まで走り抜けて!」

「クロ社長……そんなあなたが好き」


 皆の声に励まされ、黒乃はとうとう山中湖に到達した。走行時間ジャスト十時間。ケツの残量ゼロ。黒乃は自転車から転げ落ちて地面に転がった。

 メル子は黒乃に駆け寄り抱き起こした。


「ご主人様、お疲れ様です」

「メル子、ご主人様のケツ、半分に割れちゃったかも」

「最初から割れています」


 ギリギリケツの原型を保ったまま山中湖というゴールを迎えた五人。しかし地獄の合宿はまだ始まったばかりなのだ。


 本日の教訓四『ケツは割れている』

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