第135話 チャーリー死す その一

 夕方。ボロアパートの小汚い部屋の扉が無造作にノックされた。黒乃は一瞬間を置いて腰を上げた。本日メル子はメンテナンスのために浅草工場へ出掛けているのであった。


「はいはい、どなたさまでしょうか」黒乃は扉を開けた。するとそこにいたのは体長八十センチの小さなメイドさんだった。

「んん!? ミニメル子じゃん!? どしたの!?」


 三頭身の青いメイド服を纏ったミニメル子は黒乃の足の横をすり抜けて部屋に入り込んだ。


「こらこらこら! 靴を脱ぎなさいよ」


 黒乃はミニメル子を抱え上げると左腕でしっかりと胴を支えて右手で靴を脱がせた。


「なんでミニボディになってるの?」


 両手でミニメル子の脇を持って掲げ、まじまじと見つめた。

 顔は丸く、その大きさに対して目の比率が高い。その為アニメチックな印象を持つ。肘や膝などの関節部分はメカっぽさを残しておりおもちゃのような雰囲気もある。


「ミニボティで戻ってくるって事はビッグボディの方は思ったより状態が良くなかったのかな」


 ロボット購入時には緊急用の代替ボディを選択する事になっている。もっとも高価なものは本ボディと同一のボディで、最も安価なものはボール状のボディだ。ミニボディは安価な部類に入る。


「いや〜、しっかしミニボディも可愛いな」


 黒乃はミニボディを抱きしめると顔に頬擦りをした。するとミニメル子は黒乃の首筋に手刀を見舞った。


「ぐげえええええ!」


 黒乃は仰向けにひっくり返った。ミニメル子は空中でひらりと体を回転させ着地すると部屋の真ん中でうつ伏せに寝そべった。


「いきなりなにすんの! ロボチョップやめて!?」


 黒乃も床に這いつくばってミニメル子を観察した。何かがおかしい。


「ねえメル子。元の体はどうしたのよ? 故障したの? さっきから喋らないけど音声機能付いてるよねそのボディ」


 黒乃は床を這いずってミニメル子に近づいた。どこからどうみてもミニメル子だ。間違いない。再び抱き上げるとそのほっぺに頬擦りをした。


「いや〜可愛い可愛い。可愛いな〜。ごげえええええ!」


 またもやロボチョップを喉に食らいもんどり打った。

 するとミニメル子はキッチンに走り冷蔵庫を開けた。中から黒乃お気に入りの高級スモークサーモンを取り出した。


「ゴホッゴホッ。お、なになに? サーモン食べさせてくれるの? 嬉しいね。炙りがいいかな? マリネがいいかな? そのままでも充分美味しいけどね」


 しかしミニメル子はバクバクとスモークサーモンを素手で貪り食った。


「メル子ォオオオオオ! なにしてんのォオオオオ!?」


 黒乃は再びミニメル子を抱きしめた。ロボチョップを連打されたがお構いなしにしがみついた。


「メル子ォォォオ! どうしちゃったのさァァア! メル子ォォォオ!」


 その時、階段を駆け上がる音が聞こえてきた。ノックもせずに扉が勢いよく開かれた。そこに立っていたのはビッグボディのメル子であった。


「あれ? メル子?」

「ご主人様……」


 ビッグメル子は肩で息をしている。顔は涙と鼻水でぐちょぐちょだ。その胸には大きなグレーの塊を抱いていた。


「ご主人様……」


 ビッグメル子はよろけながら部屋に入るとそのまま崩れ落ちた。


「チャーリーが……チャーリーが死んでしまいました! チャーーーーリーーーー!! ウワァァァァ!!」


 メル子が抱えていたものは灰色のロボット猫であった。動かなくなったチャーリーに覆い被さり号泣するメル子。

 黒乃は全てを察した。


「ああ、メル子……」

「ご主人様ァァ! チャーリーがァァァ!」


 ミニメル子はビッグメル子に走り寄ると頬をペロペロと舐め始めた。ビクンと震えて顔を上げるメル子。


「あれ? どうしてミニメル子がここにいるのですか?」

「なんでかはさっぱりわからないけど、こいつの中身、チャーリーなんじゃないの……?」


 二人は呆然と顔を見合わせた。



 浅草工場のアイザック・アシモ風太郎に連絡を取りようやく事態が判明した。ミニメル子の多次元虚像電子頭脳ホログラフィックブレインにインストールされているのはチャーリーのAIで間違いないようだ。


「え? なになに? ソラリス事件の影響でたくさんのロボットがメンテナンスにやってきた? そんでインストールするAIとボディがごちゃごちゃになってチャーリーのAIがミニメル子に入ってしまった? チャーリーのボディはゴミかと思ってゴミ捨て場に捨てた? お前をプレス工場送りにしてやろうか!!!」


 黒乃は肩を激しく上下させながらデバイスの通話を切った。

 ミニメル子はビッグメル子にしがみついてゴロゴロしている。


「そういう事でしたか。取り敢えずチャーリーが無事という事で安心しました」

「まったくあのポンコツ職人どうしてくれようか」


 ビッグメル子はミニメル子の頭を撫でた。目を細めて気持ちよさそうにしている。


「明日チャーリーを工場に連れていって元のボディにAIを戻してもらおう」

「そうですね。今晩はうちで面倒をみるしかないですね」


 ボロアパートはペット禁止だが、まさか幼女を外に放り出すわけにもいくまい。一晩黒乃の部屋に泊める事にした。


「ところでメル子の方はどうだったの? メンテナンスは問題なかったの?」


 メル子は寝息を立て始めたチャーリーを黒乃に抱かせると立ち上がった。夕食の準備をするようだ。


「はい。大きな問題はなかったのですが、やはり一晩のメンテナンスが必要なようです。悪性ナノマシンの海に落ちてしまいましたので。ですので明日また浅草工場に行きましてミニボディに入ります」


 黒乃は寝ているチャーリーをお腹の上に乗せて仰向けになった。


「そうかそうか。まったくロボットも大変だね。メンテナンスメンテナンスってさ」

「人間だって同じようなものですよ。病気になれば入院して手術もしますし」

「なるほどね。そりゃそうか」


 黒乃は寝ているチャーリーのほっぺを指でつついた。


「ほれほれ。プニプニで可愛いなあ」

「ご主人様! 私のボディで遊ばないでください」


 黒乃はチャーリーのぷにぷにほっぺに吸いついた。


「ん〜〜〜〜ちゅっ!」

「ぎゃあ! 何をしていますか!」



 本日の夕食はブラジルの煮込み料理ハバーダだ。牛テール、じゃがいも、タマネギをトマトソースで煮込む。


「さあいただきましょう!」

「うひょー、今日も美味しそうだ。いただきます」


 黒乃はスプーンを牛テールに突き刺した。


「おお。全く抵抗がなくスプーンで肉をすくえる。はむはむ、ほふほふ。うまい! トロトロに煮込まれた牛テールにしっかりとトマトソースが染み込んでいる。牛テールから滲み出た脂がトマトソースに移り、それが野菜達と出会う事で牧場を丸ごと食らっているかのような大胆さが口の中に広がるよ」

「はい、チャーリー。よく噛んで食べてくださいね」


 メル子もスプーンを使いハバーダをチャーリーの口に運んでいた。チャーリーは必死になってそれを食べた。

 黒乃はその様子を目を細めて眺めた。メル子はその視線に気がついた。


「どうかしましたか?」

「ふふふ、親子みたいだなって思ってね。メル子ママ」

「ではご主人様がパパですか?」

「そうそう」


 黒乃はハバーダをすくってチャーリーの前に差し出した。


「ほら、パパのハバーダもお食べ。パパーダだよ」


 しかしチャーリーは微動だにしない。


「なんで私にはまったく懐かないの!?」

「敵だと認識されているのではないでしょうか?」

「どうして!?」

「にゃー」

「喋ったァァァァァ! うちの子が初めて喋ったのォォォォ!」

「うるさいです!」

「チャリ子ちゃんはママにそっくりでちゅねェェェェ!」

「うるさいです!」


 賑やかな一家団欒は冬の寒さに負けぬ暖かさで夜空を照らした。

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