第130話 ローションです!

 ボロアパートの小汚い部屋の扉が無造作に開いた。部屋の外から冬の夜の冷えた風が室内に吹き込んだ。


「ただいま……」

「お帰りなさいませ、ご主人様……どうしましたその格好は!?」


 黒乃は玄関でガタガタと震えている。全身が濡れているようだ。メル子は慌てて風呂場へ行くとバスタオルをありったけ持ってきた。


「一体なにがあったのですか!? 滝に打たれたのですか!?」


 黒乃の頭にバスタオルを被せた。その時違和感に気がついた。黒乃の全身が何やらヌルヌルとしている。


「ぎゃあ! なんですかこれは!? 水ではないです!」

「帰り道のゴミ捨て場の前を通りかかったら滑ってすっ転んでこの有様……」


 よく見ると黒乃の全身がヌルヌルテカテカとしている。匂いは無いようだ。


「これロボローションです! どうしてロボローションまみれで帰ってくるのですか!」

「わからん……」


 とにかくロボローションを洗い流さなくてはならない。たっぷりとロボローションを吸い込んで重くなった衣類をヌルッと脱がせた。まとめて風呂場に放り込む。給湯のスイッチを入れて湯を張る。

 黒乃は玄関で素っ裸で震えていた。バスタオルを被せて風呂場まで手を引いて歩かせようとしたがヌルッと滑って二人まとめてすっ転んだ。


「ぎゃあ! 床がヌルヌルします!」

「いたたた」


 二人は生まれたての子鹿のように四つん這いになってプルプルと震えた。


「このままお風呂まで移動してください!」

「寒い! 早く温まらないと死ぬ!」


 風呂場にハイハイをしながら侵入するとメル子は黒乃にシャワーを浴びせかけた。頭からシャワーを被りあらかたロボローションが落ちるとそのままバスタブへヌルリと入った。まだお湯が溜まっていないが寒くて仕方がないのでしょうがない。

 メル子は黒乃の白ティーを洗い始めた。ロボローションまみれの衣類を洗濯機で洗うのは危険だ。壊れかねない。風呂場で綺麗にしなくてはならない。


「災難でしたね」

「ほんとだよ。なんでこんな目に遭わないといけないの。誰? ゴミ捨て場にロボローション捨てた人」

「ロボローションはロボットゴミの日でないと捨ててはいけないはずなのですが」


 するとメル子は自分のメイド服も脱ぎ始めた。


「うひょー!」

「私のメイド服までヌルヌルになってしまったではないですか。一度洗わないと無理です」


 メル子もすっぽんぽんになるとヌルリとバスタブに滑り込んできた。


「うひょー!」

「もっとそちらにいってください!」



 ——翌朝。


「いや〜、昨日は酷い目にあったね」


 黒乃は朝食のフリホーレス(インゲン豆)のスープを啜りながらため息を漏らした。


「本当ですよ。なぜいつも部屋に厄介ごとを持って帰ってくるのですか」

「わからん」

「まあ今日はお休みですのでゆっくりとしてください」


 するといつものように階下から元気な声が響いてきた。


 オーホホホホ……オーホホホホ……。


「お嬢様たちはいつも変わらないねえ」

「お嬢様の心配より自分の心配をしてください」


『ぎゃーですのー!』

『お嬢様ー! なんですのこれー!』


 黒乃とメル子は顔を見合わせた。


『助けて欲しいですのー!』

『ヌルヌルテカテカですのー!』


 二人はガタンと音をたてて立ち上がった。部屋の扉を開けて外に飛び出した。階段を下りマリー達の部屋の前までくるとすぐに異変を発見した。


「なんか出てる!」

「扉の隙間から何か出てます!」


 入り口の扉の隙間から何かが溢れ出ている。恐る恐る近づいて見てみるとどう見てもロボローションであった。


「マリーちゃん! どうしました!?」メル子は部屋の外から声をかけた。

「メル子ですのー? 助けて欲しいですわー!」


 メル子はドアノブを捻ったが開かない。鍵がかかっているようだ。すると黒乃がボロアパートの大家から鍵を借りてきた。それを使い鍵を開けてドアノブを捻った瞬間、黒乃は扉に吹っ飛ばされて地面に転がった。


「いでえ!」

「ご主人様!」


 扉の中から洪水のようにロボローションが溢れ出してきた。粘性が強い為地面に広がらず入り口付近に留まっている。


「うわわわわ! 部屋の中がロボローションでいっぱいだ!」

「マリーちゃん! アン子さん!」


 部屋の中を見るとロボローションにすっぽりと包まれたマリーとアンテロッテが見えた。二人ともなんとか顔だけ外に出ている状態だ。しかし今にも沈み込みそうである。


「待ってろ! 今助けにいくぞ!」そう言うと黒乃はボロアパートの倉庫に引っ込みロープを持って出てきた。それを自分の腰に巻き付ける。


「私が中に入るからメル子は外でロープ持ってて!」

「はい!」


 黒乃はザブザブとロボローションの海の中へと足を踏み入れた。その瞬間ロボローションが何故か黒乃を避けるように動いた。


「よしよし! なんか知らんけどいける!」


 黒乃はロボローションに包まれているマリーのところまでやってきた。手を突っ込みマリーのドレスをしっかりと掴む。


「ご主人様! どうですか!?」

「いいよ! 引っ張って!」


 メル子がロープを引っ張るとマリーがスポンと粘液の塊から抜け出した。そのままつるると床を滑って部屋の外へ転がり出た。


「ゴホッゴホッ! なんなんですのー!?」

「マリーちゃん、大丈夫ですか!」


 メル子はマリーを抱きしめて体にまとわりついたロボローションを落としていく。


「アンテロッテも助けて欲しいですのー!」

「よし! もういっちょいくよ」

「はい!」


 再び黒乃は部屋の中に侵入した。粘液に包まれてぷかりと浮いているアンテロッテを発見した。白目を剥いてぐったりとしている。

 黒乃は粘液に手を突っ込みアンテロッテの腰に腕を回した。


「今だ!」

「引っ張ります!」


 メル子とマリーが力を合わせてロープを引っ張った。すぽんと粘液から飛び出したアンテロッテと黒乃はその勢いでつるりと部屋の外へ滑り出てきた。


「アンテロッテー! しっかりして欲しいですのー!」


 しかしアンテロッテは動かない。メル子はアンテロッテの口を開かせて中を観察した。


「食道にロボローションが詰まっています。吸い出さなければいけません!」

「おお、おお! 掃除機? 掃除機持ってこようか!?」

「いえ! 八又はちまた産業製のロボットには吸引機能が標準搭載されています!」


 するとメル子はアンテロッテの口に吸い付いた。


「うひょー! メイドロボのベロチューだ!」


 大きく呼吸をして自分の口の中にロボローションを吸い出す。それを数回繰り返した。


「吸い出せました!」


 しかしアンテロッテは動かない。どうやらシャットダウン状態になっているようだ。


「アンテロッテー! しっかりするんですのー!」

「落ち着いてください。自己防衛機能が働いて自らシャットダウンしたようです」

「そうか、良かった。マリー! 歌って! 歌って再起動して!」

「歌うってなんですの?」


 マリーはアンテロッテの耳の穴に指を突っ込んだ。ロボローションまみれの為、スムーズに入った。するとすぐにアンテロッテは再起動を開始した。


「ああ、そうか。クサカリ・インダストリアル製のロボットは『Get Wild』を歌わなくても再起動できるのか」


 むくりと起き上がったアンテロッテは周囲を見渡した。マリーを発見すると力一杯抱きしめた。


「お嬢様ー!」

「アンテロッテー!」


 騒ぎを聞きつけたボロアパートの住人達が集まってきた。誰かが通報をしたようで消防車のサイレンの音が近づいてくる。住人達は手分けをしてロボローションを部屋から掻き出していった。


「うう! 寒い! このままだと凍える!」

「マリーちゃん、アン子さん。ご主人様の部屋に来てください。お風呂で温まりましょう」



 黒乃とマリーとアンテロッテの三人は湯船に浸かっていた。


「うひょー! 昨日と今日とメイドロボと一緒にお風呂に入れるなんて最高ー!」

「黒乃様狭いですの。もっと詰めてくださいまし」

「頭がゴリゴリして痛いですわー!」


 三人はマリーを挟んで一つのバスタブにぎゅうぎゅう詰めになっている。風呂の扉が開き赤ジャージに着替えたメル子が姿を見せた。


「メル子、何かわかった?」

「はい。消防の人達のお話では悪性ナノマシンが混入したロボローションの暴走という事でした。どうやら水道管に侵入したロボローションが水道水を吸い込んで増殖したようです」

「一体どこからロボローションが部屋に入り込んだんですのー?」


 黒乃とメル子の顔が青くなった。


「これから消防の人達が悪性ナノマシンを退治する為にハンターナノマシンを全部屋に散布します。今日いっぱいはその作業が続くそうなので、我々はご主人様の事務所に避難をしましょう」


 

 一行はぞろぞろと黒乃の事務所へ向けて歩き出した。お嬢様たちの衣装は替えを含めてロボローションまみれになってしまったため黒乃の白ティーを着せた。


「ダボダボですの」

「独特な匂いがしますの」

「こらこら、文句を言うな」

「似合っていますよ!」

「あれ? メル子。そのティーポット持ってきたんだ?」

「高価なティーポットですから消防の人達に壊されたらかないません。セット丸ごと持ってきました」


 事務所に着いたが食べるものが何もない。事件の後だけに食事の用意をする気力も無い。昼食も夕食もルベールに頼る事にした。


「お隣がルベールさんだからホント助かるわ〜」

「イギリスのお料理も捨てたもんじゃございませんのねー!」

「でもスターゲイジーパイだけは勘弁してくださいましねー!」

「「オーホホホホ!」」


 その晩、四人は夜遅くまで事務所で楽しく過ごした。昼間の恐怖体験を忘れられるように。

 その四人の影で何かが怪しく揺らめいた。メル子のティーポットの中でそれはひっそりと時を待っていた。

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