第127話 初仕事です!
夕方。黒乃が玄関を開けて帰宅した。
「ただいま〜」
「お帰りなさいませご主人様」
メル子はペコリと頭を下げて出迎えた。黒乃は床に寝転がると大きく伸びをした。
「あ〜疲れた」
メル子はいつものように紅茶を淹れながら尋ねた。
「今日はどのような塩梅でしたか?」
「うーん」
本日の黒乃の作業は事務所の整理だ。個人事業主として仕事を受注するにあたって事務所があると都合が良い。黒乃はメイドロボルベールのご主人が所有する古民家を格安で借りて事務所としているのだ。
古民家の一室にテーブルと椅子を四組並べただけの簡素な作業場だ。そこにゲーム制作に必要な機材を設置した。
「まあモニタとコンピュータを二台ずつ搬入しただけなんだけどね」
事務所の整理をした後はいつものように営業だ。前の会社で取引があった会社を回って仕事の催促をする。
「メル子の方はどうだったの?」
「もちろん売り切れ御免でしたよ!」
メル子の仲見世通りの南米料理店『メル・コモ・エスタス』は連日盛況である。元々週に数回のみの営業だったのだが、現在黒乃が無職の為稼働日を増やして対応している。それに対抗して向かいのフランス料理店『アン・ココット』も連日の営業だ。
二人の金髪メイドロボの出店は話題になり取材が来ることも珍しくない。売り上げは鰻登りだ。
「ごめんねえ、ご主人様が不甲斐ないばっかりに。メル子に苦労かけるねえ」
「何を言っていますか! どうってことないですよ! ご主人様を支えるのがメイドロボのお仕事ですよ!」
メル子は弾けるような笑顔を炸裂させた。黒乃はそれを眩しそうな表情で眺めた。
その時、黒乃のデバイスに着信が入った。慌てて通話をオンにする。狭い部屋をフラフラと歩きながら誰かと会話をしている。黒乃が話し込んでいる間、メル子はその様子を黙って見守った。しばらくして通話を切ると黒乃は呆然とした表情でメル子を見た。
「お仕事もらえた……」
メル子の目が輝いた。走り寄って首に腕を回した。
「おめでとうございます! 無職卒業ですね!」
「おう、おう」
黒乃は複雑な表情でメル子を抱きしめた。
「お仕事もらえたのは嬉しいけど、結構ハードな案件だぞこれ」
——翌日。黒乃は事務所にいた。
請け負った仕事はゲームのイベント制作だ。既にメインのシナリオは完成しているようだ。しかしサブシナリオがほとんど手付かずの状態なのだ。そのため制作会社はいくつかの会社に分割してイベント制作を発注した。そのうちの一つが黒乃に回ってきたのだ。
「さてさて、始めますか」
黒乃は机の上のモニタのスイッチを入れた。サーバ上のリポジトリからゲームプロジェクト一式をダウンロードする。制作ツールはロボリアルエンジンだ。プロ用途では世界シェアナンバーワンのゲームエンジンで黒乃も使い慣れている。
プロジェクトをロボリアルエンジンに読み込ませ実行すると美麗なグラフィックの画面が現れた。いわゆるオープンワールドのゲームでこの手のものは広いマップの各地に大量のサブシナリオが用意されているのだ。
「まずはメインシナリオを遊んでみて内容を把握しないとな」
プレイヤーはロボット学校の学生になって学園生活を自由に楽しむという内容のようだ。機械仕掛けの学園で仲間を作り、学園に襲いかかってくる敵を倒す。無事卒業できたらゲームクリアだ。
「なるほどなるほど。子供でも楽しめるライトな作りになっているんだな。だったらサブシナリオもあんまりダークな感じにしない方がいいな」
プロジェクトに含まれているサブシナリオ統括ファイルを開くと各イベントのプロットがずらりと並んでいた。数百のイベントが各会社に割り振られている。その中から黒乃に割り振られたイベントを検索した。
ファイルに書かれている概要を元にシナリオを制作する。シナリオの全体像が決定したら一度本社に送りチェックをしてもらわなくてはならない。
シナリオが確定したら実装作業だ。ロボリアルエンジンのエディタを使ってイベントを作成していく。会話シーンやフラグ管理、イベントトリガーなどはノードと呼ばれる機能単位に分けられている。そのノードを接続していくことで複雑なイベントシーンをプログラマーの助け無しに作成する事ができる。
エディタを使いキャラクターなどのオブジェクトをマップ上に配置する。それらと会話シーンを繋ぎ合わせる。このようにして一つのイベントを作成していくのだ。
「ふんふん、やっぱりこの手のゲームの作りはどの会社も大して変わらんな。てか知ってる人がメインのプログラマーだわ。やっぱりこの業界の世間は狭い」
作成したイベントはこまめにサーバにプッシュをする。すると本社でチェックが入る。細かい指示がくるのでそれに対応したらまたプッシュをする。するとチェックが入る。この繰り返しで品質を向上させていく。
「いやしかし、イベントの数が多すぎるな。どうしたもんか」
黒乃はぶつくさ言いながら夜遅くまで作業に没頭した。
——翌日の夕方。
メル子は出店の営業を終えると黒乃の事務所に向かった。出店のある仲見世通りから数本外れた静かな路地にそれはある。ルベールの紅茶店『みどるずぶら』のすぐ隣だ。
茶葉の手入れをしているルベールを横目で見ながら事務所の扉を開けた。
「ご主人様! お仕事の具合はいかがですか!」
扉を開けるとそこに立っていたのは赤みがかったショートヘアの女性であった。必要以上にテカテカとした真っ赤な厚めの唇が艶かしく動いた。
「あら。いらっしゃい」
「桃ノ木さん!?」
黒乃の前の会社の後輩
「どうして桃ノ木さんがここに!?」
「おチビちゃんお久しぶり」
「おチビじゃないですー、メル子ですー」
メル子は唇を尖らせて抗議をした。
「おお、メル子。来たのね」黒乃が部屋からひょいと顔を出した。「さあさあ上がんなよ」
メル子が部屋に入ると黒乃は一心不乱に作業に没頭していた。黒乃の正面の席には桃ノ木が座って作業をしている。メル子は黒乃の隣に座った。
「……あの、これ差し入れです」
メル子は机に紙の包みを二つ置いた。中身はブラジルのホットサンド『バウルー』だ。フランスパンを横に切り、チーズ、ローストビーフ、トマト、ピクルス、オレガノを挟む。
「ありがとう、モグモグ」
メル子は作業に集中する黒乃を横からじっと見つめた。
しばらくすると桃ノ木が席を立った。
「黒ノ木先輩、上野区役所に書類を出してきますね」
「おう! お願いね」
そう告げると桃ノ木は事務所から出ていった。それを確認するとメル子は勢いよく黒乃に掴みかかった。
「どうして桃ノ木さんがいるのですか!?」
「わあ!? なんだなんだ?」
メル子は白ティーを掴んでガクガクと黒乃を揺らした。
「ああ、桃ノ木さんうちで雇う事にしたんだよ」
「雇う!?」
個人事業主でも従業員を雇用することは可能だ。その場合、労働保険や社会保険、税務署への届出など様々な手続きが必要となる。
「なんかね、桃ノ木さんも前の会社辞めちゃったんだって。なんでだろうね?」
「ええ!?」
「そんでうちに来たいっていうから雇ったよ。人が足りないしね」
「来たいから雇った!?」
メル子は口をパクパクと動かした。何を言うべきか彼女の高性能AIをもってしても言葉が出てこない。
「事務処理は全部桃ノ木さんに任せられるしゲーム制作もできるしね。いやー助かるよ。あ、メル子。ホットサンド美味かったよ。ごっそさん」
それだけ言うと黒乃は作業に戻った。
日もすっかり暮れた頃桃ノ木が戻ってきた。椅子に座りイベント作成の作業に加わった。時折二人であれこれとやり取りをしながら順調に業務をこなしていく。メル子はその様子を無言で眺めた。
「ふ〜! 今日はこの辺にしようか!」
黒乃は椅子の背もたれに寄りかかって大きく伸びをした。
「はい、先輩」
桃ノ木は立ち上がると帰り支度を始めた。黒乃も事務所の戸締りを始めた。
「あ、しまった。進捗報告しないと」
黒乃は再びモニタの前に座った。
「先輩。ではお先に失礼しますね」
「うん。明日もよろしくね」
桃ノ木は事務所を後にした。黒乃はキーボードを叩いている。メル子は窓からキョロキョロと辺りを見渡すと慌てた様子で外に飛び出していった。
「待ってください! 桃ノ木さん!」
メル子は桃ノ木を追いかけて声をかけた。桃ノ木は意外そうな顔で振り向いた。
「どうしたのかしら、おチビちゃん」
「あの……これをどうぞ」
メル子は紙の包みを手渡した。バウルーである。
「あら、ありがと」
「あの……桃ノ木さん」
メル子は何かを言おうとするが中々言葉が出てこない。桃ノ木はそれをしぶとく待った。
「どうして前の会社を辞めてしまったのですか?」
「……うーん」
桃ノ木は顎に人差し指をあてて少し考えた。
「黒ノ木先輩がいないところにいてもしょうがないし」
「でも、きっとお賃金お安いですよ?」
「ふふっ、別にいい部屋に住んでいるわけじゃないもの。どうって事ないわよ」
メル子は手をわたわたと動かして何かを言おうとするが言葉が出てこない。桃ノ木はそれを見ると背中を見せて歩き出した。
「じゃあお休みなさい、おチビちゃん」
メル子はその背中を追いかけようとしたが足を動かすのをやめた。その代わりに頭を下げた。
「あの! ご主人様を! よろしくお願いします……」
その言葉に桃ノ木は振り返らずに立ち止まった。
「ご主人様はあんなのですけど、きっとやってくれると思います。会社を作って会社を大きくして、それでみんなを笑顔にできるゲームを作ってくれると思います。それを助けてあげてください」
少しの間沈黙が流れた。
「知っているわよ。先輩は絶対やる人だって。知っているから来たんですもん。だから安心して任せてね、メル子ちゃん」
桃ノ木は結局一度も振り返らず去っていった。
メル子はとぼとぼと事務所へ向かって歩き始めた。路地で黒乃と鉢合わせをした。
「お、メル子。急に飛び出してどこいってたの」
「いえ、なんでもないですよ」
二人は街灯に照らされた人気のない路地を歩き始めた。
「ん? どしたメル子? なんで真後ろにいるのよ」
メル子は黒乃の背後を歩いている。
「三歩下がって歩くなんて、急にご主人様を尊びたくなったのかな」
「そんなんじゃないです」
「ないんかい」
メル子はどうしても黒乃の背中を見て歩きたくなったのだった。メル子はその背中を見ながら二人の未来を想像した。
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