第121話 帰郷します! その二

『まもなく新大阪行き、ひかり6410号が到着致します』


 冬の早朝、黒乃達は震えながら東京駅のホームにいた。早朝だというのに旅行客やビジネスマンが乗り込み口にズラリと列を作っている。

 彼女らは朝一番の新幹線に乗り尼崎の実家へ帰るのだ。黒ノ木家四女の鏡乃みらのが突如家出。浅草の黒乃の元へ一人でやってきてしまったのだった。その理由はメル子をお嫁さんにして連れ帰るためだ。

 どうやら鏡乃は学校の友達にメイドロボと結婚をするから尼崎の実家に連れてくると言ってしまったらしい。

 とんでもないでまかせではあるが、中学生の女の子を一人で追い返すのも忍びない。せめて実家にメイドロボを連れていくくらいはしてやろうという事になったのだった。


「ご主人様! 鏡乃ちゃん! こちらですよ!」


 メル子はスーツケースをガラガラと引いて二人を先導した。黒乃はリュックサック一つ、鏡乃は手ぶらだ。

 黒乃達が並んだのは先頭車両のロボット車の乗り込み口だ。二十二世紀の新幹線には普通車、グリーン車の他にロボット車が追加されている。ロボットとその一味だけが乗ることができる専用車両で、ロボット用充電設備やメンテナンスシートが常設されている。

 車両がホームに進入してきた。停車をすると扉がモーター音を立てて開く。始発のため誰も降りてこない。黒乃は暖房が効いた空の車両に足を踏み入れた。


「おお、ロボット車初めて乗ったな」

「私もです!」

「鏡乃も!」


 三列シートにメル子を真ん中にして座った。その後、何人かのロボットがロボット車に乗り込んできたがほとんど貸切状態だ。

 間もなくして新幹線は新大阪に向けて走り出した。


「あ〜、座席が広くてゆったりだ〜」

「リクライニングマックスまで倒しても怒られないよ〜」


 メル子は肘掛けからプラグを伸ばすと自身の首の後ろの差し込み口に刺した。すると恍惚の表情で座席に全身を預けた。


「あ〜、いい電気です。ボロアパートの安い電気とは違ってバッテリーに優しく電気が染み渡っていきます」

「電気にも優劣あったんか……」

「電力会社によって味付けが違います。あ〜、そこのキミィ」


 メル子はワゴンを引いてやってきた車内販売ロボを呼び止めた。


「ロボコーヒーを三杯くれたまえ。一つは砂糖とミルクをたっぷりとね」

「なんでそんな偉そうなんじゃ……」

「メル子〜鏡乃はブラックでいいんだよ〜」


 二時間で新幹線は新大阪に到着した。電気が余程美味しかったのかメル子はシートにもたれかかって熟睡していた。その膝に鏡乃が頭を乗せて寝ている。


「お〜久しぶりの大阪。森林率全国最下位の大都会」


 窓から見えるのはどこまでも続く人工物。東京とさほど変わらぬ街並みながら黒乃は懐かしさを感じていた。

 新大阪到着の車内アナウンスがあり、車両は緩やかに減速を始めた。黒乃はメル子の肩を揺すって起こした。


「ふあーよく寝ました。もう新大阪に着いたのですか。ちょっとご主人様、いつの間に膝枕を……って、ぎゃあ! これご主人様ではないです! 誰ですか!」

「うーん、むにゃむにゃ。メル子おはよう」

「なんだ、鏡乃ちゃんですか。びっくりしました」


 新幹線を降りるとすぐに乗り換えだ。エスカレーターを下り在来線のホームへと降りる。既に朝の通勤ラッシュが始まっておりホームは通勤客でいっぱいだ。黒乃と鏡乃はげっそりしながらホームを進んだ。

 神戸線に乗り込み梅田で阪神本線に乗り換えだ。しかし黒乃は梅田駅で列車を降りると駅の構外へと出てしまった。


「クロちゃん、おうちはまだ先だよ。どこ行くの?」

「満員電車で具合が悪くなりましたか?」


 黒乃はスタスタと歩き梅田の町へと入っていく。自転車に乗った人々が凄い速さで黒乃達の横を走り抜けていく。


「いやそうじゃないよ。朝ご飯にしようかと思ってね」


 始発の新幹線に乗るために起きてすぐに家を出た。車両の中で何か食べようと思ったのだがメル子と鏡乃は早々に寝てしまったのだ。


「そういえばお腹がすきましたね。まだ九時前ですし梅田で朝食もいいですね」

「でもクロちゃん、まだ早いし店やってないよ。ロボドメカドでバーガーでも食べるの?」


 すると黒乃は立ち止まった。目の前にあるのは小汚いうどん屋だ。


「ここだよ。『ロボわ家』ね」

「何か……小さくて、その、汚いですね。この時間でもやっているのですか?」メル子は疑わしげに店を眺めた。

「もちろん。二十四時間営業だからね」


 黒乃は入口のビニールシートを手で押しのけて中に入った。鏡乃は黒乃の白ティーを掴んで後に続いた。

 店の中は外見とは裏腹に落ち着いた清潔さを感じる佇まいだ。カウンターが五席に二人がけのテーブル席が三つ。先客がいたが運よくカウンターに並んで座る事ができた。


「ご主人様! 何を頼んだらいいのかわかりません!」

「クロちゃん、ここ美味しいの?」

「ふふふ、ここは私が大阪に来た時には必ず寄る店なのだよ。私に任せなさい」


 黒乃は背後にある券売機で食券を買い、奥のカウンターにいるうどんロボに渡した。ほんの数分でうどんが完成した。


「さあ食べようか!」


 小ぶりの丼の中になみなみとうどんが盛られている。出汁は透き通るように美しく、麺は純白の太麺だ。その上に何かの欠片が散りばめられている。


「クロちゃん、この上に乗ってるの何?」

「ふふふ、それは『油かす』ね。これは『かすうどん』だよ」

「油かす!? 揚げ玉が乗ったうどんって事ですか? いや、これは揚げ玉には見えませんが」


 メル子は油かすと呼ばれた欠片を箸で摘むと恐る恐る口に運んだ。


「美味しい! 香ばしくて歯応えがあって独特の香りがします!」

「美味しい〜。油かすってなんなの〜?」

「油かすは牛の小腸を揚げたものだよ」


 油かすはぶつ切りにした小腸をカリカリになるまで鍋で炒って作る。それを細かく刻んでまぶしたのがかすうどんである。南大阪で生まれた郷土料理だ。


「油かすから滲み出た甘い油が関西のスッキリとしたお出汁だしにコクを与えています! 食感もいいですし、これは関東では食べられない味ですね!」

「やっぱりうどんは関西出汁だよね〜」


 三人はうどんをズルズルと啜った。うどんという庶民の食べ物が油かすによってゴージャスさを与えられ満足感がいや増している。


「うーむ、関西出汁か」黒乃は丼に目を落とした。

「どうしました、ご主人様?」

「ご主人様は関西出汁について言いたいことがある」

「どしたの、クロちゃん」


 黒乃は神妙な面持ちで語り出した。二人はそれをずるずると音をたてながら聞いた。


「百年以上前は東京でうどんと言えば真っ黒い出汁の関東出汁だったんだよね。鰹節のパンチのある風味を活かすために醤油も力強いものが選ばれたんだ。それに対して関西出汁は昆布、煮干し、鰹節をメインにして醤油は風味付け程度の透明な出汁なんだよ」

「まあそうですね」

「それが現在の東京では関東出汁は姿を眩ませて関西出汁が主流になってしまっているんだよ。それが寂しいのさ」

「でもご主人様は関西人なのですから関西出汁の方が好みなのでは?」


 黒乃は丼を両手で持つと出汁をグビグビと飲み始めた。


「ふー、美味い。まあ確かに関西出汁の方が好みではあるんだよ。でも東京では関東出汁でうどんを食べたいんだよね」

「そういうものですか」

「何故かというと東京の関西出汁は味が薄いんだよ」

「味が薄い? でも関西出汁なのですから薄味が当たり前なのでは?」


 メル子も黒乃に習い丼を持ち上げて出汁を飲み込んだ。


「あれ? ご主人様、これ関西出汁ですよね。色が薄くて透き通っていますもの」

「うむ」

「でも味が濃い! 全然薄くないです!」

「その通り。大阪の出汁は薄くない。むしろ濃い。しかし東京で広まっている関西出汁は薄味なんだよね。東京の人もそれが当たり前だと思っている。でもご主人様は子供の頃から濃い関西出汁に慣れ親しんでいるから、東京の薄い関西出汁は物足りないのさ」

「なるほどですねえ」メル子は感心したが鏡乃は全く話を聞いていなかった。


 すると黒乃は席を立ち券売機に小銭を入れた。


「ご主人様、何をしていますか?」

「かすうどんをおかわりするんだよ」

「かすうどんのおかわり!? うどん屋でうどんのおかわりをしている人を初めて見ましたよ!」


 黒乃は再び出されたかすうどんをズルズルと啜り始めた。メル子と鏡乃はそれをみてたまらず食券機に飛びついた。結局三人は二杯のかすうどんを平らげて店を出た。


「なんだか無性に癖になる味でしたね」

「美味しかった!」

「大阪に来たら必ずかすうどんを食べて欲しい。まあ観光客は粉もんに行きがちだけどね」

「また食べにきましょう!」


 三人は並んで歩き始めた。鏡乃はメル子の肩に手を回すとグイッと引き寄せた。


「ぎゃあ! 何をしますか! 町中ですよ!」

「メル子は鏡乃のお嫁さんになるんだからこのくらい普通だよ」

「こら! まだお嫁さんになるって決まってないんだからメル子はクロちゃんのものでしょ!」


 黒乃はメル子を奪い取ると抱き寄せた。


「二人ともどさくさに紛れておっぱい触りましたね!」


 朝から賑やかな三人は尼崎へ向けて出発した。

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