第120話 帰郷します! その一

「ああ、腰痛い」


 黒乃はボロアパートの窓の桟に腰掛けて通りを眺めていた。腰をさすりながら息を漏らす。

 今日はルベールの紅茶店『みどるずぶら』の横のオフィスに荷物を運び入れていたのだ。そのオフィスはルベールのご主人である奥様の所有する古民家で、黒乃は故あって格安で借りる事になったのだ。

 荷物といっても机と椅子を四組設置しただけだ。数は取り敢えずこれで事足りる。


「まだかなまだかな〜。可愛いメイドさんはまだかな〜」


 本日メル子は仲見世通りの南米料理店『メル・コモ・エスタス』の営業に行っている。間もなく帰ってくるはずである。

 すると下の通りを凄い勢いで走ってくる和風メイド服の金髪メイドロボが見えた。バタバタとボロアパートの階段を駆け上り勢いよく扉をあけた。


「ご主人様、大変です!」

「ん? どした?」

「川沿いにご主人様が倒れています!」

「はいはい、またいつものパターンね。ん?」


 黒乃はきょとんとした顔でメル子を見つめた。しばらくの沈黙の後、息を吸い直して言った。


「私が!?」


 二人は大慌てて隅田川へと向かった。



 夕暮れの赤い陽射しが反射する隅田川。その透き通った水面を水上バスがひっきりなしに往来する。そのほとりに黒乃とメル子はやってきた。


「アレ?」

「アレです!」


 川沿いの歩道の目立たない場所に何かが倒れている。二人は駆け寄った。


「コレ!?」

「コレです!」


 それは白ティー丸メガネ黒髪おさげの少女であった。


鏡乃みらのじゃん!」

鏡乃みらのちゃんです!」


 黒ノ木四姉妹の末妹、鏡乃であった。鏡乃はその声で目を覚まし、ゆっくりと上体を起こした。


「ふあ〜よく寝た〜」

「とうとうロボットだけじゃなくて普通の人間も川辺で寝るようになったか……」


 鏡乃はスッと立ち上がった。中学生ながらメル子よりもかなり背が高い。


「クロちゃん!」叫ぶやいなや黒乃に抱きついた。

「鏡乃、なんでこんな所にいるの!?」


 鏡乃は黒乃の胸にゴリゴリと顔を擦り付けている。黒乃はその背中をさすって落ち着かせた。


「鏡乃ちゃん! どうしてこんな所で寝ていたのですか!?」


 鏡乃はメル子に向き直ると思い切り抱き寄せた。今度はメル子の顔が鏡乃の胸にゴリゴリと擦り付けられる事になった。


「メル子〜会いたかったよ〜」

「顔が痛いです! 鏡乃ちゃん、お一人ですか? 他のお姉さん達はどうしました?」


 鏡乃は急に大人しくなった。二人に背を向け川沿いの手摺りに両腕をついた。


「……鏡乃は一人で来たんだよ」

「まさか、家出ですか?」


 メル子は心配そうに聞いた。鏡乃の背中を西陽が照らしその寂しさを際立たせている。


「家出じゃないよ……」

「じゃあ何しに浅草まで来たのさ」


 鏡乃は振り向きメル子を見つめた。メル子はその視線を受け止めごくりと喉を鳴らした。


「それは……メル子をお嫁さんにする為にやって来たんだよ!」


 黒乃とメル子は固まったまま動けなくなった。三人の横を水上バスが呑気に通り過ぎていった。



 ——ボロアパートの小汚い部屋。

 メル子は夕飯の準備をしていた。黒乃はデバイスを使いどこかに電話をしているようだ。それを鏡乃は床にあぐらをかいて眺めていた。


「うん、うん、そう。鏡乃はうちにいるから。心配しないで。うん。父ちゃんと母ちゃんによろしく言っておいて。うん。じゃあまた明日ね」


 黒乃はデバイスを切ると大きくため息をついた。やはり尼崎の実家では大騒ぎになっていたらしい。家族には黙って一人で浅草に来てしまったのだ。


「きーちゃんなんだって?」鏡乃は恐る恐る聞いた。

黄乃きのめちゃくちゃ怒ってたよ。鏡乃の丸メガネを叩き割るってさ」

「ひぃ〜」鏡乃は床にうずくまって怯えた。


 メル子が大きな鍋をテーブルに置いた。手にはめたミトンを外して鏡乃の腕を掴み引っ張り上げる。


「さあ! ご飯ができましたよ! 何はともあれ食べてからにしましょう!」


 鏡乃はメル子に引っ張られて椅子に座った。テーブルにはずらりとメル子自慢の料理が並べられている。


「美味しそう……」

「さあ食べよ食べよ! メル子、これなあに?」

「カウカウです!」


 大きな鍋に入っているのはペルー料理のカウカウである。ジャガイモや野菜を牛のホルモンと共に煮込んだものだ。唐辛子、クミン、ミントなどの香辛料を使う。

 メル子がお玉で取り皿にカウカウを盛ると鏡乃達はそれを勢いよく食べ始めた。二人の丸メガネが湯気で白く曇った。


「美味しい。これ肉じゃがっぽい」

「はい! ペルーの肉じゃがと呼ばれています」

「このハチノス、しっかり煮込まれて味がしゅんでる。柔らかいのに歯切れがいいから噛んでて楽しくなるなあ」


 二人ともカウカウをがっついた。気がつけば鍋の中は空である。二人は椅子の背もたれによりかかってお腹を撫でた。


「どうでしたか? 鏡乃ちゃん用に唐辛子は抑えめにしておきましたよ」

「もう! 鏡乃は子供じゃないから唐辛子平気だし。でも美味しかった。ありがとうメル子」

「どういたしまして」


 食事が終わるとメル子は紅茶を淹れた。隠していた最後の高級茶葉を惜しげもなく使った。鏡乃用にミルクと蜂蜜を入れて飲みやすくした。


「ミルクティーうま〜」


 紅茶の香りと共に落ち着いた時間が部屋に流れた。しかしそろそろ本題に入らなくてはならない。黒乃は隣の椅子に座っている鏡乃に向き直った。


「鏡乃」

「なあに、クロちゃん」

「浅草へ何しに来たの?」


 中学生が兵庫県から一人で浅草までやってくるとは余程の事があったのだろう。隅田川沿いでメル子を嫁にする為に来たなどと言っていたが、黒乃とメル子は何かの聞き違いだと思っていた。


「メル子を鏡乃のお嫁さんにする為に来たんだよ」

「聞き間違いじゃなかった!」


 二人は衝撃の余りプルプルと震え出した。


「あの、鏡乃ちゃん」

「なあに、メル子」

「法律的に人間とロボットは結婚はできないのですよ」


 新ロボット法では人間とロボット、またはロボット同士の婚姻は認められていない。人間とロボットの間で認められている関係性は『マスターとロボット』だけである。


「そんな事ないもん!」鏡乃は椅子から立ち上がった。

「国会でロボットにも婚姻を認めるべきだって政治家ロボが言ってたもん。きっとすぐそういう法律ができるよ」


 黒乃とメル子は目を閉じてうなだれてしまった。実際ロボットの婚姻について世間的にそのような機運の高まりは見受けられる。しかし実際法案が通るような事があるとしても十年は先の事であろう。


「鏡乃。お嫁さんにするならメル子じゃなくて自分のメイドロボにしなさい」

「そうですよ。私にはご主人様がいるのですから」

「お金が無いよ〜」


 鏡乃は黒乃の肩を掴んで揺さぶった。「いやだ〜メル子がいい〜。クロちゃん〜メル子ちょうだい〜」

「無茶言うな!」


 鏡乃はメル子の背後へ走り寄ると抱きかかえて持ち上げようとした。


「ぎゃあ! 何をしますか!」

「このままうちに連れて帰る〜重い〜」


 黒乃は慌てて鏡乃とメル子を引き剥がすと両手で鏡乃の顔を挟み込んだ。顔を寄せて目を覗き込む。丸メガネと丸メガネがコツンと当たった。


「鏡乃〜いい加減にしないとクロちゃん怒るぞ」

「ほにょにょ」

「ご主人様! どさくさに紛れておっぱいを揉まれました! 叱ってください!」


 すると鏡乃の目からポロリと涙がこぼれ落ちた。肩を震わせて黒乃を見つめる。


「だって、もう学校の友達にメイドロボと結婚するって言っちゃったんだもん……」

「ええ?」

「明日家に連れてくるって言っちゃったんだもん……」


 ボロボロと涙が止まらなくなってしまった。メル子が慌ててタオルを持ってきた。黒乃はタオルでデロデロになった顔を拭った。

 黒乃とメル子は顔を見合わせて呆然としてしまった。実に子供らしい理由ではあるが気持ちは理解できる。このまま無下に追い返すのはあまりに忍びない。


「ご主人様……」

「うーむ」


 黒乃は鏡乃の肩に手を置いた。鏡乃が顔を上げると黒乃は笑顔を見せた。


「じゃあみんなで実家に行こうか」

「ええ!?」メル子は驚きの声をあげた。

「ほんと?」鏡乃はおずおずと聞いた。


 黒乃は腰に手を当て平らな胸を張った。


「本当だとも。一度メル子を父ちゃんと母ちゃんに会わせないといけないって思ってたしね」

「クロちゃん!」


 鏡乃の顔も明るく輝いた。


「そんで誰のお嫁さんになるのかメル子に決めてもらおう!」

「なんですかそのイベントは!?」


 突然の成り行きにメル子はぷるぷると震えるしかなかった。

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