第119話 帰ってきたチャーリー
「このお部屋などはいかがでしょうか」
小綺麗なスーツ姿の不動産ロボがニコニコと微笑みながら黒乃達を室内へと案内した。浅草駅前のオフィスビルの四階。日当たりの良い部屋でトイレ付き。三十平米。
「綺麗だけど広すぎるかな。当面は従業員を何人も増やすつもりは無いし持て余すかも。光熱費もばかにならんしね」
「駅の真ん前ですし、お家賃もお高めですね。でもセキュリティはしっかりとしていますよ。どうですか、ご主人様?」
「うーん……保留で」
黒乃とメル子は仕事用のオフィスを探していた。起業する前段階として個人自業主としてゲーム制作を手伝う業務を行うのだ。
業務を受注した際、発注元の会社に出向いて業務を行う事もあるが、自前のオフィスで行う事もある。複数人のチームで行う場合、ボロアパートの小汚い部屋での業務は無理であろう。ある程度の大きさのオフィスが必要なのだ。
「中々いい所がないねえ」
「ですね」
「ゲームスタジオクロノスの設立は遠いなぁ」
昼を大きく過ぎるまで浅草の物件を巡り歩いていた。二十二世紀の東京は地方分散化が進み、全盛期の頃から比べると大きく人口を減らしている。空き物件が多く、家賃も安定している。
「物件探しもいいのですが、お仕事の方はどのような感じなのでしょうか」
「ああ、そっちもやってるよ」
黒乃は物件探しと並行してゲーム会社をあちこちと回っていた。前の会社で取引があった企業を中心に挨拶回りをして、業務を発注できないか聞いて回っているのだ。いわゆる営業活動だ。
「やっぱりどの会社も人手不足でね。常に人を探している状況なんだよ。だからお仕事は割とあるっぽい」
「素晴らしいです」
その時、黒乃のお腹が鳴った。お昼を抜いて飛び回っていたので胃の中は空っぽだ。
「丁度、ルベールさんの店の近くだし休んでいこうか」
「はい!」
二人が向かったのは紅茶店『みどるずぶら』だ。浅草寺からいくつか通りを外れた場所にその店はある。人気のない石畳の路地を靴の音を立てながら歩くと心が静まってくる。すると間もなく落ち着いたモダンな店構えが見えてきた。
「あれ? ルベールさんがいるな」
店の前にいるのはヴィクトリア朝のクラシックなメイド服を纏ったメイドロボ、ルベールだ。彼女は店の前でしゃがみこんでいる。
「ルベールさん、こんにちは! 何をしていますか?」
ルベールはメル子の声に気が付き立ち上がった。優雅な動作でお辞儀をして二人を出迎えた。しかしその胸に何やら巨大なグレーの塊を抱えていた。
「お二人ともいらっしゃいませ」
「ルベールさん、何かお腹に入るものを……って、ええ!?」
「ルベールさん! その子どうしたのですか!?」
二人はルベールが抱えているものを見て仰天した。
「チャーリー!?」
「チャーリー!?」
それはロボット猫のチャーリーであった。大きな体に青みがかったグレーの毛並み。その自慢の毛並みが今は汚れたい放題だ。
「チャーリー! どうしてここにいるのですか!」
「ニャー」
「チャーリーお前、どうやって北海道から帰ってきた!?」
黒乃が駆け寄り、ルベールの腕から抱き上げようと手を伸ばした。するとチャーリーは爪を出して黒乃の手を引っ掻いた。
「痛え! チャーリーなにすんの!?」
「ニャー」
「このロボット猫ちゃんはチャーリーというのですか。お二人のお知り合いでしたか」
チャーリーは黒乃達から顔を背けてルベールの胸元に顔を埋めた。
「あの、ルベールさん。そいつだいぶ汚れてるので離さないとメイド服が汚れますよ」
「ふふふ、構いませんよ」
ルベールは笑顔で汚れたチャーリーの頭を撫でた。チャーリーはゴロゴロと鳴き声を出した。
「この子、うちの前で倒れていたんです。取り敢えずお水とナノマシンをあげたところでして」
チャーリーは北海道にいたはずである。先日の北海道旅行の際、ニコラ・テス乱太郎が作成したジャイアントモンゲッタと戦うハメになった。それに対抗する為、トーマス・エジ宗次郎博士が作成したギガントニャンボットのパイロットとしてチャーリーは選ばれたのだ。たまたま浅草の町をうろついていたチャーリーは博士によって無理矢理北海道まで連れ去られてしまったのだ。
「あの、チャーリー。北海道に置き去りにしたのは本当に悪かったと思っている」
「チャーリーごめんなさい! 忘れていたわけではないのです。ちょっと失念していただけなのです。そのうち迎えに行こうと思っていましたよ!」
チャーリーは両手を耳に当てて話を全く聞こうとしない。
「いや、てか博士が連れてきたんだから博士が連れて帰るべきだったんだよ。なんでほったらかしにしてんの!?」
ルベールはクスクスと笑った。「トーマスお兄様も相変わらずですね」
黒乃とメル子の顔が青くなった。トーマス・エジ宗次郎、ニコラ・テス乱太郎、ルベールは兄妹なのだ。ロボットなので血が繋がっているわけではないが、ある一人の科学者によって作られているのだ。
ボロボロのチャーリーを放置してはおけないので、店のすぐ横にある家屋で風呂に入れる事にした。この家屋はルベールのマスターである奥様が所有しているもので、現在は使われていないらしい。
ルベールとメル子でチャーリーを洗っている間、黒乃はみどるずぶらの店内でチビチビと紅茶を飲みながら待った。
しばらくすると絹のような艶やかさを取り戻したチャーリーが店内に走り込んできた。すごい勢いでカウンターの上に飛び乗ったので、上に置かれていた紅茶の瓶がガタガタと揺れた。
「こら、チャーリー! 危ないだろうが!」黒乃は慌てて瓶を支えた。
チャーリーに続いてルベールとメル子も店に戻ってきた。
「ルベールさん、こいつ店の中に入れて大丈夫なんですか? 衛生的に」
「ご主人様、大丈夫ですよ。完璧に洗いましたし、メンテナンスキットでの検査でも異常無しです」
ルベールはカウンターの中に入ると調理の準備を始めた。
「では、何かお作りしますね。チャーリーにもご飯をあげないといけませんし」
「えへえへ、お願いします」
黒乃はカウンターの上にいるチャーリーを掴んで持ち上げた。ジタバタと暴れるロボット猫を窓際にあるテーブルに乗せた。黒乃とメル子はチャーリーを挟むように椅子に座った。
「チャーリー、機嫌直してくれよ」
「チャーリー、どうやって浅草に戻ってきたのですか?」
「ガニメアンのワープ装置でも使ったか?」
「ニャー」
するとチャーリーは手と尻尾をパタパタと動かし始めた。
「ふんふん、なになに」
「ご主人様の謎翻訳が始まります!」
「最初は飛行機に乗ろうと新千歳空港の搭乗ゲートまで行ったが、保安検査の金属探知機に引っかかって摘み出された。
ふんふん。その後、
十八時間後、
なになに? ここで乗り換えが面倒臭くなったので北千住駅でロボタクシーを呼んで浅草まで寝ながら直行。そして店の前でダウン。だってさ」
「わかりすぎです!」
黒乃は腕を組んで唸った。
「まるで無駄の無い移動で帰ってきてるな。ん? なになに? ロボタクシー代を代わりに払え? 貴様ーッ!」
「ご主人様、払ってあげましょう!」
「てか今の話のどこにボロボロになって店の前で倒れる要素があったんだよ」
チャーリーは片手を頭に乗せてペロっと舌を出した。
「てへっ、じゃないわ!」
「お待たせいたしました。お召し上がりください」
ルベールがトレイを持ってテーブルまでやってきた。トレイの上には皿が三枚乗っている。ルベールが持ってきたのは焼きたてのパイだ。
「おお、イギリスといえばパイだよね」
「美味しそうです!」
黒乃に出されたのは『コテージパイ』だ。味をつけた牛挽肉の上にマッシュポテトを敷いてオーブンで焼いたシンプルな料理である。
メル子に出されたのは『シェパーズパイ』だ。これはコテージパイの派生で牛ではなく羊を使う。
チャーリーに出されたのは『スターゲイジーパイ』だ。パイ生地の中からイワシの頭が何個も飛び出ている。
「チャーリー良かったな! どんどん食え!」
「チャーリー食べてください! イギリスの伝統料理ですよ!」
チャーリーはイワシの頭をツンツンとつついている。黒乃とメル子はそれを見て見ぬふりをしながら自分の皿にスプーンを差し込んだ。
「マッシュポテトがホクホクのサクサクだ! 上に乗った濃厚なチーズ、ポテトの甘味、肉と野菜の旨みの三層構造だ!」
「こちらの羊肉はミンチにして念入りに水分を抜いてあります! そのお陰で臭みがなく代わりに練り込まれている香草で豊かなジューシーさを演出しています!」
チャーリーはスターゲイジーパイのイワシの頭に齧り付いた。「ニャー」と鳴くと真顔で黒乃の顔を見た。
「なになに? 『スターゲイジーパイはコーンウォールのマウゼル村を発祥として伝統的に作られており、嵐で風吹き荒れる冬に一人漁に出て魚を獲ったトム・バーコックの英雄的な行為をたたえて、トム・バーコックス・イヴ祭が開催される12月23日に食べることとなっている』(ウィキペディアから引用)だって?」
「味の感想を全く述べていません!」
ルベールの料理を全て胃袋に収め、食後の紅茶をまったりと楽しむ時間になると黒乃の独立の話になった。
「そうでしたか。大変でしたのね」
「そうなんですよ。なんで私がクビにならないといけないのって話ですよ。えへえへ」
「そういう事でしたら隣の部屋をお貸ししますよ」
「え!?」
黒乃とメル子は顔を見合わせて驚いた。
「いいんですか!?」
先ほどチャーリーを洗う為に使った家屋だ。そうとう昔に建てられた古民家であるがルベールが完璧に整備をしている。今すぐにでも使える状態である。
「はい。オフィス用ではないですし古いので格安でお貸ししますよ」ルベールの優しい笑顔に二人の心はじんわりと温まった。
黒乃はチャーリーを両手で掴んで上に掲げた。チャーリーはジタバタと手足を動かして暴れた。
「チャーリー、これはお前のお陰かもなあ」
「チャーリーが取り持ってくれた縁ですね!」
チャーリーが黒乃の手を爪で引っ掻いたが構わず抱きしめた。すると珍しくロボット猫はおとなしくなった。メル子が艶やかな毛並みを撫でる。
ルベールはその様子を紅茶を注ぎ直しながら見守った。
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