第118話 無職です! その二

「ただいまー」

「お帰りなさいませ、ご主人様」


 黒乃は夕日に照らされたボロアパートの扉を開けるとフラフラと部屋に滑り込んできた。そのまま床に寝転ぶと大きなため息をついた。


「どこに行ってきたのですか?」

「マリーのところだよ」


 メル子は高価なティーポットにお湯を注いだ。しばらくすると小汚い部屋に紅茶の爽やかな香りが漂い始めた。


「何をしに行ったのでしょう」

「お金を借りに行ったんだよ」

「え!?」


 メル子は衝撃の余り持っていたティーカップをテーブルに落としそうになってしまった。


「なにゆえマリーちゃんのところに!?」

「いや、マリー家ってお金持ちだからさ。会社の開業資金を融資してくれるかと思ってさ」


 メル子はぷるぷると震えながら大声を出した。


「中学生にお金をたかるのはお辞めください!」

「ええ? なんでよ。起業するにはお金が必要でしょ」

「借りる相手を選んでください!」


 メル子が紅茶をカップに注ぐと黒乃はテーブルへ着いた。カップを手に取ると香りを楽しみ、そして口に含んだ。目を閉じスリランカの情景を思い浮かべる。


「んー、ウバのメントール系の爽やかな香りが疲れた体に染み渡るね」

「それはリプトンです」

「知ってた」


 黒乃は構わず紅茶をがぶ飲みした。空になったカップをメル子の前に差し出すとなみなみと注いでくれた。


「もう高級茶葉を常飲できる経済状況ではないのですよ……」

「安くてもリプトンは美味い」


 メル子はやれやれといった具合に自身も紅茶を飲み込んだ。


「それでお金は借りられたのですか?」

「貸してくれなかったよ」

「でしょうね」

「金持ちのくせにケチだわー。なんか事業計画書を持ってこいとか言われたし。なんのこっちゃ」

「ちゃんとアドバイスをしてくれています!」


 メル子は紅茶のカップをテーブルに置くとキリリとした目つきで黒乃を見た。


「ご主人様!」

「はいはい」

「起業をする際、国からの助成金を得られる場合があります。それを利用するのはいかがでしょうか」

「助成金?」


 助成金や補助金は起業する際の資金調達方法の一つで、日本には数千種類もの助成金があると言われている。銀行などからの融資と違うのは、助成金は原則返済不要であるという点だ。


「へー、いいじゃん。どんなのがあるの?」

「中小企業を応援するファンドや研究開発を支援してくれるものがあります。ゲーム開発ファンドもありますよ」

「おー、いいね」


 黒乃はメル子の話に食いついてきた。少し目の輝きが戻ってきた。


「変わりどころですと、貧乳の女性を助成してくれる貧乳ファンド、丸メガネの女性を助成してくれる丸メガネファンド、白ティーの女性を助成してくれる白ティーファンドなどもあります」

「なんかどれも当てはまらないなあ」

「全部当てはまりますよ!」


 メル子は机をバシンと叩いた。その剣幕に黒乃は一瞬怯えた。


「しかし現状ではどの助成金も融資も受けられないでしょう」

「なんでよ?」

「事業計画が無いからですよ。ビジネスプランです!」


 事業計画とはその事業の目標とその目標達成の為の計画や戦略の事だ。それらを誰にでもわかりやすく記したものが事業計画書である。


「事業計画って面白いゲームを作るってだけじゃダメなの?」

「ダメに決まっているでしょ!!!」

「うるさっ」


 メル子はハァハァと肩で息を切らせた。額に浮き出た汗をメイド服の袖で拭うと続けた。


「どのような面白いゲームなのか。そのゲームを作る為の資金、期間、人員、設備。ターゲット層はどこなのか。どのくらいの売り上げを目標とするのか。それらが社会に与える影響は何か。全部考える必要があります」

「ああ、それなら前の会社で書いてたからできるよ。なんだ簡単じゃん」


 黒乃はケラケラと笑った。メル子はそれを見てふぅと息を漏らした。


「ご主人様はロボハザードを作っていますし、それなりに実績がありますのでいくつかのファンドは資金を出してくれるかと思います」

「やったぜ」

「しかし今の段階でそれらに頼るのは反対です」

「ええ!? 話が違うじゃん!」


 メル子は椅子から立ち上がり、黒乃の後ろまでやってきた。ガシッと腕を組み仁王立ちをした。メル子の背後の窓から差し込む光に黒乃は目を細めた。


「ご主人様は起業をするよりも、まずは生活基盤を整えるべきなのです!」

「おお、おお」

「今、ご主人様は無職! 私のヒモ。つまりご主人紐です!」

「でたご主人紐」

「こんなヒモに誰が投資をしてくれましょうぞ!」

「ええ!?」

「まずは自立をするべきなのです。つまり法人ではなく個人事業主になりましょう!」


 メル子は片膝を曲げ、両腕を胸元から横に一閃させた。バサバサとメイド服の袖がひらめく。


「個人事業主であれば取り敢えず資金無しに独立ができます。そこで業務を行いある程度の資金を貯めるのです! 会社の設立はその後でよろしいかと!」


 メル子がポーズを決めて姿勢を変えたので、その背後の光が直接黒乃の目に入った。手でその光を遮る。


「おお、おお。なんかよくわからんけど、少しやる事が見えてきたよ。確かに一文無しでその日の生活もままならない輩には誰もお金なんて貸さんわな」


 メル子はうんうんと頷いた。


「じゃあさ、やっぱり私はさ、ゲーム作る事しかできないから。まずゲーム制作の一部を受託するお仕事を始めようかな」

「フリーランスというやつですね。良いかと思います」

「基本的にゲーム業界って常に人手不足なのよ。だからチームに外部の人間がいるのは当たり前なの。んでよくフリーランスの人とか別の会社の人に委託してたよ」


 黒乃はガタンと椅子から立ち上がった。


「業務は受託元の会社で行う事もあるし、自宅で行う事もあるんだよ」

「となるとこの部屋で業務を行う事もあるわけですか。手狭ですね」

「そうそう。だからどっかにお仕事用の部屋を借りようよ」


 黒乃は玄関に行き靴を履いた。


「どちらへ?」

「マリーのところ。オフィスの家賃を融資してもらってくる」

「え!?」


 黒乃はメル子が止める間もなく扉を開けて出て行ってしまった。

 しばらくすると再びフラフラしながら部屋に滑り込んできた。


「ただいま」

「お帰りなさいませ……で、どうでしたか?」

「貸せないって」

「でしょうね」


 再び床にごろりと横になると愚痴を言い出した。


「なんだろうなあ。金持ちって結構ケチくさいよね。人が困ってるんだからポンとお金貸してくれてもいいのにさ。露天風呂で体を洗ってあげた恩を忘れたのかな」


 メル子は顔を真っ青にして言った。


「ご主人様……」

「なんだい?」

「お嬢様は銀行ではありませんよ!」

「そんな事いってもさあ」


 するとメル子は押し入れをゴソゴソと漁り出した。一番奥のダンボール箱の中から小さな木箱を引っ張り出す。

 その中からメル子が取り出したのは通帳であった。


「これをどうぞ」

「なにこれ?」


 黒乃は通帳を受け取ると、そこに書かれた額を見て驚いた。


「いつの間にこんなに!?」

「それは私が出店で稼いだお金を全日本メイドロボ連合協会、通称『全メロ連』に積み立てていたものです」

「全ろめめん!?」

「全メロ連はメイドロボだけが会員になれる組織で、メイドロボの相互扶助を役割としています」

「じぇんメロロン!?」

「その積立はメイドロボのご主人様に何かあった時に給付されるものです」

「全メロンパン!?」

「聞いていますか!」


 メル子は机をバシンと叩いた。


「ああ、ごめんごめん。でもメル子いいの? これ使っちゃって」

「もちろんです。こういう時の為のものですので。これを使えば当面のオフィスの家賃にはなるはずです」

「メル子……」

「ご主人様……」


 黒乃は感極まりメル子を抱きしめようと腕を伸ばした。しかしメル子はそれをするりとかわすと黒乃の背後に回り込み首に腕を回した。


「ぐえええ!? メル子!?」


 メル子は黒乃を床に引きずり倒し首を締め上げた。黒乃は足をジタバタさせた。


「いいですかご主人様。このお金はオフィス用に使ってください。しかし他の事には絶対に使わないでください! あとマリーちゃんにお金をせびりにいくのも禁止です! わかりましたね!?」

「ごえええ!」


 黒乃はメル子の腕をパンパンと叩いて同意を告げた。

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