第110話 北海道です! その十一
北海道旅行最終日の前日。今日もメル子は忙しく働いていた。ペンションは小樽の観光客で満員。しかも六組の宿泊客のうち黒乃とマリーを除く四組全てが子連れになった為、モーターから火花が飛び散るような忙しさと騒がしさだ。
メル子とアンテロッテはベビーシッターの資格を持っているので子供達の世話までする事になった。子供達にもメイドロボは大人気で朝から晩までまとわりついてくる。
しかしその忙しさも今日で終わりだ。明日には北海道を発ち浅草に帰らなくてはならない。立つロボ跡を濁さず。今日は念入りにペンション内の掃除をした。
夕方には黒乃が仕事から戻り夕食となった。この日は最後のディナーという事でメル子とアンテロッテは手伝わず、オーナー夫婦のフルコースをいただいた。フルコースとはいえ黒乃の要望で和食にしてもらった。
北海道の郷土料理の数々。石狩鍋、松前漬け、シャケのルイベ、イカソーメン、イクラ丼。夫妻にとって当たり前の品々は黒乃達の舌と心に深く刻み込まれた。
全ての仕事が終わり二人は最後の露天風呂を堪能していた。白く輝く月が藍色の空にのっぺりと張り付いている。その光がメル子の大理石のように艶やかな濡れた肌に反射して複雑な光る曲線を描き出した。
メル子は惚けたように月を眺めた。
「やっと元気が出てきたと思ったらどしたの」
「いえ、月を見ていたらワトニーを思い出してしまいまして」
小樽天狗ロボスキー場での戦いの後、トーマス・エジ宗次郎博士は
ワトニーは今、月にいる。
「私達は北海道旅行だけど、ワトニーは月旅行か」
「贅沢ですね」
二十二世紀現在、宇宙旅行は珍しいものではなくなっている。毎日のように宇宙船が打ち上げられているし、月には巨大な基地がいくつもある。
彼らはほとぼりが冷めるまで月に潜む事にしたのだろう。ご丁寧に黒乃の『ご主人様チャンネル』宛てに宇宙服を着て月面で遊ぶワトニーの写真を送ってきた。
「まあでも、そのうち地球に戻ってくるでしょ。そしたらまたワトニーを取り返しにいこうよ」
「……そうですね」
メル子は月に向かって手を伸ばした。ワトニーが飛び立つ時に残したメッセージ。あれは何を意味していたのだろうか。
「今度会ったら直接聞いてみます」
「ん? 何をさ」
「なんでもありません」
翌朝。黒乃達四人はペンションを発った。オーナー夫婦からメル子のお賃金代わりに大量のお土産を貰った。それらをロボタクシーに積み込むとメル子は夫婦に抱きついて別れを告げた。また来年来ることを約束し、ロボタクシーは小樽市街へと走り出した。メル子はロボタクシーの窓を開け、夫婦が見えなくなるまで手を振り続けた。
一行は札幌行きのエアポートに乗った。小樽の町がどんどんと遠ざかっていく。来る時には気が付かなかったが、車内から小樽天狗ロボスキー場が見えた。あの日の戦いを思い出し、ワトニーの事を思い出すとまだ胸が苦しい。しかし次第に別の感情がそれを覆い隠すようになってきた。
札幌に到着すると黒乃とメル子は列車を降りた。マリーとアンテロッテはそのまま新千歳空港へと向かう。ここでしばしのお別れだ。次はボロアパートで会うことになるだろう。
札幌で降りたのは黒乃の仕事があるからだ。市内のビルで北海道最後の打ち合わせだ。それが終わればランチと洒落込もうではないか。北海道最後の食事は何が良いであろうか。札幌ラーメン、カニ、じゃがバター、イクラ丼。食べたいものは大体食べた気がする。
結局メル子が選んだのは『スープカレー』であった。
「わざわざ北海道でカレー!?」
黒乃は不満そうだったがメル子が押し切った。スープカレーは札幌が発祥であり、歴とした郷土料理である。
黒乃達が入った店は『ロボンタ薬膳カリィ店』だ。スープカレー発祥の店とも言われている。
スープカレーはその名の通り、ドロドロのルーではなくシャバシャバのスープ状のカレーである。スパイスが効いたスープの中に様々な大きな具が浮いている。ライスとスープは別の皿で提供され、ライスをスープに浸しながらいただく。
「あ〜、なんだろう。滋味深い」
「辛いけどホッとするようなカレーですね。体が温まりますし、なぜか故郷を思い出します」
黒乃はメル子を見た。メル子はスプーンにすくったカレーをじっと見ている。
「カレー食べると実家を思い出すからね」
「実家……ですか。私の実家はあのボロアパートになるのでしょうか」
「もちろんそうだよ。他にないでしょ」
食事を終えると再びエアポートに乗り新千歳空港へと向かう。札幌の町がぐんぐんと遠ざかり、もはや北海道らしさは消え失せた。
空港は人で溢れていた。大勢の利用客の間をゴロゴロとスーツケースを引きずりながら縫うようにしてロビーを進む。しかしメル子はなぜか黒乃の背後を距離をおいて歩いている。
「メル子、どしたの。なんでそんなに離れているのさ」
メル子は腰を落としていつでも動ける体勢をとっている。
「お構いなく」
「いや、お構いなくじゃないよ。人が多くて迷子になったら困るから手を繋いで歩こうよ」
「お構いなく!!」
「うるさっ」
二人はカウンターでチェックインを済ませると保安検査場に進んだ。メル子はますます距離をとり、もはや壁に背中を張り付けている。
「メル子? どしたの!?」
「また貨物室ではないですよね!?」
北海道に来る時に羽田空港で強制的にシャットダウンさせられて貨物として輸送された事に腹をたてていたのだ。
「二度と貨物室は御免です!」
「なんだそんな事か。大丈夫だよ。ほら見てごらん。二人分の搭乗券があるでしょ? 座席も指定してあるよ。はい受け取って」
メル子は恐る恐る黒乃に近づいて搭乗券を受け取ろうとした。黒乃がメル子の頭を撫でようと手を伸ばした瞬間、メル子は凄い勢いで地面を転がって再び壁に張り付いた。
「今! シャットダウンしようとしましたよね!?」
「してないから」
「しましたよ!!」
一通り大騒ぎした後、二人はようやく飛行機に乗ることができた。窓際の座席に座りシートベルトを締め、いざ離陸だ。機体がゆっくりと加速を始めた。
その時メル子がふと滑走路を見ると一匹の大きな猫が植え込みからこっちを見ていることに気がついた。
「え? あれは? チャーリー!?」
「嘘でしょ、チャーリーじゃん。すっかり忘れてた!」
チャーリーは飛行機に向けて手を振っている。
「チャーリーが北海道に置いてけぼりにされてしまいます! 止めて! 飛行機を止めてください!」
「メル子! もう無理だから!」
飛行機はどんどんと加速をし、やがて大空へ向けて飛び立った。チャーリーの姿はあっという間に点となり見えなくなった。
「チャーーーリーーー!!!」
「チャーーーリーーー!!!」
——浅草。
黒乃とメル子は大きな荷物を引きずって浅草の町を歩いている。黒乃は既に疲労困憊で死んだ魚のような目をして我が家を目指している。逆にメル子の目は輝き今にも走り出しそうだ。
「ご主人様! 早く! 何をしていますか!」
「待って……もう疲れた。休みたい」
「何を言っていますか。そこを曲がった所がボロアパートですよ! 早く!」
メル子はたまらず走り出した。ガラガラとスーツケースが派手な音をたてて弾む。角を曲がりボロアパートが見えるとメル子の目にじわりと涙が溜まった。
「お家です! 我が家です! 帰ってきました! わーーー! ご主人様早く!」
メル子は階段を駆け上がり扉の鍵を開けると部屋に飛び込んだ。ゴロリと床にうつ伏せに転がって大の字になる。
「この薄汚れた部屋! 古い木材の匂い! 何もかもが懐かしいです!」
「ハァハァ、やっと帰ってきた……疲れた。メル子?」
メル子は床で寝息をたてていた。涙が滴り埃が溜まった床を濡らす。黒乃は押し入れから布団と取り出すとメル子の上に掛けた。
「結局旅行ってこの瞬間が一番楽しいよな」
こうして二週間にわたる北海道旅行は幕を閉じた。メイドロボの夢の中ではまだ大自然の中を走り回っているのだろう。しかし目を覚ませば彼女は世界で最も安心できる場所にいるのだ。
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