第105話 北海道です! その六

 早朝、メル子は哺乳瓶を片手に小熊ロボのワトニーにミルクを与えていた。メル子に抱きかかえられたワトニーは両手で哺乳瓶を握りチュパチュパと吸い付いている。


「おお、飲んでる飲んでる」黒乃はその様子を着替えながら見守った。

 ワトニーは体長六十センチの小熊ロボだ。茶の毛並みはシルクのような滑らかさがある。手足は短く、つぶらな瞳が愛らしい。


「可愛いです」メル子は愛おしそうな眼差しでワトニーを見つめた。頭を優しく撫でる。

「ご主人様も撫でてみてください」

「どれどれ」


 黒乃はメル子の頭をナデナデした。


「こちらではありません! ワトニーです!」

「ははは、あんまり可愛かったもんだからつい」


 メル子はワトニーを布団の上にバスタオルで作った寝床の中に置き、立ち上がった。身支度をして部屋を出る準備をする。


「それでは朝のお仕事をしてまいりますので、ワトニーをよろしくお願いします」

「オーケー。ちゃんと見ておくよ。メル子も頑張ってね」

「はい!」


 黒乃はベッドに腰掛けるとワトニーをじっと見た。スースーと安らかな寝息をたてている。指を口元に持っていくとちゅぱちゅぱとしゃぶった。


「お前、どっかで見た事があるんだよなあ。どこだっけ?」


 

 午後、黒乃は小樽市街から帰ってきた。ペンションの部屋の扉を開けるとメル子、マリー、アンテロッテが勢揃いしていた。皆で寝ているワトニーを観察していたようだ。


「ふーい。今日はさくっと会議終わって良かったぜ」

「お疲れ様です、ご主人様」

「お帰りですわー!」

「どうしてペンションに来てまで働いているのかさっぱりわからないザンスわー!」

「「オーホホホホ!」」

「ザンスはもうお嬢様でもなんでもないんだよなあ」


 黒乃は手に持っていた紙袋から四角いケースを取り出した。


「ほらメル子。動物用のメンテナンスキットをレンタルしてきたよ」

「ありがとうございます!」


 このメンテナンスキットは八又はちまた産業、クサカリ・インダストリアル、イズモ研究所などの主だった企業のロボットを全て網羅した汎用型である。

 メル子はメンテナンスキットからプラグを引き伸ばすとワトニーの首の後ろに差し込んだ。するとメンテナンスキットのディスプレイに『分析不可』と表示された。


「あれ? ダメだね」

「ダメですね」

「ダメですわ」


 さらにディスプレイを良く見ると『該当する型番がデータベースに存在しません』と表示されている。


「うーん、やっぱりそこらの工場で作られたロボットじゃないね」

「一体どこで作られたのでしょうか」


 ワトニーは表示を義務付けられているIDが存在しない非合法の小熊ロボだ。個人で作られたものなのだとしたらメンテナンスのしようがない。警察や保健所、どこかの工場に持ち込んだとしても非合法ロボは処分されてしまう可能性がある。


「困ったね」

「困りました」

「困りましたわ」


 アンテロッテが提案をした。「ワトニーを発見した場所にヒントがあるかもしれませんわ」


 それを受けて四人は現場を調査する事にした。メル子とアンテロッテはそれぞれお弁当を作った。

 


 ペンション近くの道路を四人は歩いていた。マリーはワトニーを抱きかかえている。


「モフモフですわー!」

「お嬢様、わたくしにもモフモフさせてくださいましー!」


 お嬢様たちはきゃっきゃと騒ぎながら歩いている。


「まったくピクニック気分だな」

「まあでもワトニーはマリーちゃんによく懐いていますよ」


 ワトニーはマリーを不思議そうな目で見つめている。

 しばらく歩くと昨日ワトニーを発見した山道の入り口までやってきた。ここから先の道は舗装されておらず薄暗い。

 四人は恐る恐る山道に足を踏み入れた。


「何か怖いですわー」マリーはワトニーをギュッと抱きしめた。

「きゅいー」とワトニーが鳴いた。


 道は狭く背の高い木々に遮られ日の光も届かない。一行は茂みから何かが飛び出してくるのではという幻想に怯えた。

 森の中からは物音一つ聞こえず自分が落ち葉を踏みしめる音だけが耳に響いた。


「この辺です」メル子は立ち止まると周囲を見渡した。昨日ワトニーが倒れていた場所だ。

「何もありませんわ」


 その時茂みから突然巨大な影が現れた。ヒグマロボである。


「出ましたわー!」

「お嬢様ー!」


 お嬢様たちは絶叫して黒乃の後ろに隠れた。


「お、ヒグマロボ」黒乃はヒグマロボに近寄ると頭を撫でた。

「ヒグマロボ! 昨日はありがとうございました」メル子もヒグマロボの頭を撫でた。


「知り合いなんですの?」マリーはそれを唖然とした表情で見つめた。


「グァウ、ガワァガ、バゥバオ」

「何か言っていますわよ」

「ふんふん、なになに。ちょっと困った事が起きた。付いてきてくれ。ここから十分だから。だって」

「バゥ」

「なんで熊と喋れますの……」


 ヒグマロボの先導で一行は森の中へと入っていった。獣道をグイグイと進んでいく。


「ご主人様、大丈夫でしょうか」メル子は黒乃の背中にピタリと張り付いた。

「へーきへーき、ヒグマロボを信じて〜」


 しばらく歩くと森の中にぽっかりと空いた空間が現れた。そこで黒乃はありえない光景を見た。


 生ヒグマに女性が襲われていたのだ。いや違う。女性が生ヒグマと戦っていたのだ。


「ええ? 嘘でしょ? マヒナじゃん!」


 生ヒグマと戦っていたのは褐色肌の女性だ。すらりと背が高くスポブラとスパッツから覗く美しい筋肉が汗で光り輝いている。ベリーショートの黒髪が動くたびにふわりと膨らみ汗を飛ばした。ハワイからやってきた格闘家のマヒナである。


「ノエ子さんもいます!」


 横に目をやるとぐったりと地面に倒れた生ヒグマ達の上に女性が座っていた。こちらも背が高く褐色肌だ。ベリーショートの黒髪で左目が隠されている。ナース服をベースにしたメイド服を着ており、上から黒いエプロンをかけている。同じくハワイからやってきたマヒナのメイドロボ、ノエノエである。


「何してるの!?」


 マヒナは生ヒグマの一撃をかわし宙に舞い上がると顔面に蹴りを喰らわせた。その一撃で生ヒグマは恍惚の表情を浮かべてズズンと地面に倒れた。


「お見事です、マヒナ様」ノエノエはマヒナに近寄るとその体をタオルで拭き始めた。


「やあ、黒乃山じゃないか。君こそこんなところで何をしているんだい」

「マヒナ様決まっています。黒乃山も山に修行に来たのです」

「そんなわけあるかい」


 黒乃達とマヒナ達は弁当を広げて食べながら話す事にした。メル子はワトニーにミルクを与えている。

 マヒナの話によると彼女達は北海道に修行をしに来たらしい。生ヒグマが暴れているという情報を聞きつけてこの山にやってきたのだ。本来はヒグマロボが生ヒグマ達を統率して人に被害が及ばないようにしているのだが、ここ数日何かが原因で生ヒグマ達が凶暴化しているのだ。


「それをマヒナ様がぶちのめして大人しくさせているのです」

「人間がヒグマをぶちのめすとかリアリティ無さすぎじゃろ……」


 ヒグマロボは生ヒグマ達が全員倒されてしまうのではないかと心配していたらしい。


「生ヒグマ達が暴れている原因はわかったのですか?」メル子がマヒナに聞いた。

「いや、わからない。が、いくつか怪しい情報をキャッチした」

「これをご覧ください」


 ノエノエがデバイスを皆に見せた。ディスプレイには地図が表示されており、その地図には赤い円がいくつか印されている。


「この赤いのはなんですの?」

「ここ数日で揺れが観測された場所です」

「地震ですの?」

「いえ、地震の揺れではない事はわかっています。震源は地表付近です」


 その赤い印のいくつかが先日黒乃達が遊びに行った小樽ロボ牧場に集中している事に気がついた。


「我々はこれらの地点を調べてみるつもりです」

「なるほどねえ」

「ところで黒乃山、その小熊ロボはどうしたんだい?」


 メル子はさっとワトニーをマヒナの視界から隠した。


「ああ、いや。ペットだよ。ペンションで飼ってるペット」

「ふうん……まあ君達はあまりこの件に首を突っ込まない方がいいかもね」

「ええ? ああ、うん。そうするよ」


 マヒナ達に別れを告げて黒乃達はペンションへ帰ってきた。部屋に入るとメル子はワトニーを思い切り抱きしめた。ワトニーがきゅいきゅい鳴いている。


「ああ、メル子。あまり思い詰めないでね」

「はい……」

「いざとなったらボロアパートに連れて帰ってこっそり飼おうよ。ああ、飛行機に乗せられないか」


 ワトニーをどうするべきか黒乃は悩んだ。ワトニーとこの近辺で起きている出来事に関係があるのかもしれない。しかしマヒナの言う通り首を突っ込むべきではないのかもしれない。


「メル子、明日は気分を変えてスキーでもしに行こうか」

「はい……」


 その晩、メル子はワトニーを抱きしめながら眠った。

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