第104話 北海道です! その五
「ピピピピッ、ピピピピッ」
早朝メル子の口からアラーム音が鳴り響いた。メル子はパチリと目を開けると勢いよくベッドから飛び起きた。メイド服に着替えカーテンを開ける。すると光り輝く海が目に飛び込んできた。
「いいお天気です。今日もがんばりますよー!」
その声に黒乃も目を覚まし、伸びをしながらベッドから起き上がった。
「元気だねえ。昨日メソメソしていたとは思えないよ」
「何のことですか! メル子はいつだって元気ですよ!」
「ふふ、そうだね」
本日もメイドとして忙しい朝が始まる。外の仕事はアンテロッテと交代制で行うのでメル子は朝食の準備だ。
厨房に入り挨拶をする。「おはようございます!」
「メル子ちゃん、おはよう」オーナー夫婦が笑顔で出迎えてくれた。
作業は一通り覚えたのでメル子とアンテロッテの二人で大部分を担当する事になった。メル子が作るのはもちろん南米料理だ。
トウモロコシから作ったトルティーヤの生地をオーブンでこんがりと焼く。トルティーヤに挟む具材の下拵えも同時に行う。パプリカ、トマト、アボカド、玉ねぎをスライスする。ひき肉は軽く味をつけてさっと炒める。
途中からアンテロッテも加わり朝食の準備は完了した。
昨日と同じように朝食の合図であるベルを鳴らそうとしてまたもアンテロッテと揉めた。結局平方採中法 (1946年にジョン・フォン・ノイマンが提案した最も古典的な疑似乱数生成法)による乱数でダイスを振り、またもやメル子が勝利をした。
「初期値が悪かったですわー!」アンテロッテは悔しがった。
メル子がベルを鳴らすと宿泊客が食堂へと集まった。
「おお、今日の朝食は昨日のバイキングと少し違うね」黒乃ものしのしと食堂にやってきた。
「はい! タコパです!」
「たこ焼きパーティ!?」
「タコスパーティです!」
タコスとはトルティーヤに具材を挟みソースをかけて食べるメキシコの伝統的な料理だ。
テーブルには肉、野菜などの具材がズラリと並べられている。これらを好きなように選んでタコスを作る。
「おっしゃっていただければオススメのタコスを作りますよ!」
「へぇ、じゃあお任せで頼むよ」
「はい!」
メル子は手際良くトルティーヤで具材を挟んで皿に乗せ黒乃に手渡した。
「おお、色鮮やか」
具材はトマト、玉ねぎ、合挽肉だ。ガブリと齧り付くと野菜の瑞々しさが口に迸った。
「うーん、北海道の新鮮な野菜の瑞々しさときたらたまらんね。味のついた天然水を飲んでいるかのような清涼感だ。そこに濃い目の味付けの肉が大自然の荒々しさを教えてくれる。むむっ!? この優しいとろみはチーズだ! なんだこのフレッシュなチーズは!?」
「それは昨日搾った生乳から作ったモッツァレラチーズです。お酢があれば簡単に作れるのです」
「ああ〜、このチーズとピリ辛サルサソースの相性は抜群だなあ」
他の宿泊客達も思い思いにタコパを楽しんでいるようだ。
朝食が終わると黒乃は小樽の町へ仕事に向かった。
——午後。
お昼を大きく回った頃に黒乃はようやくペンションへ帰ってきた。
「あ〜、会議が長引いた」
「お疲れ様です、ご主人様」
「今日は観光に行けそうにないね。ごめんねメル子」
「良いのですよ。ここにはお仕事に来たのですから」
二人はペンションがある山を散策する事にした。防寒着を着込み簡単なお弁当を持った。
「朝のタコパの残りを持ってきました」
「ナイス!」
薄らと雪が積もる道を歩き始めた。道は綺麗に舗装されているがエゾ松やトド松などの背の高い針葉樹に囲まれている為視界が悪い。あっという間にペンションがある集落は見えなくなった。
「なんか怖いな……迷子になったらどうしよう」
「ナビはGPS内臓の私にお任せください」
「おう、おう、頼むよ」
しばらく山の中を歩くと次第に気分がリラックスしてきた。木の間から差し込む光が心地よい。冷たい風が歩いて火照った体を冷ましてくれる。
「やっぱ大自然はいいね。世の中の色々な事が小さく思えてくるよ」
「人間もロボットも自然に比べたら小さいものですよ。あれ?」
「んん? どしたの?」
メル子は立ち止まり耳を澄ませた。黒乃はその様子を黙って見守った。
「今、赤ちゃんの鳴き声が聞こえたような……」
「こわっ! なにそれ」
メル子は目を閉じて気配を探った。あたりは
「いえ、違います。これは赤ちゃんの鳴き声ではありません。救難信号です!」
「ええ!?」
メル子は道路を外れて舗装されていない細い山道へと足を踏み入れた。
「ちょっとメル子。大丈夫なの!?」
「これは子供のロボットが出す救難信号です! 近いです!」
メル子は山道をぐんぐんと進んでいく。黒乃は慌ててそれを追いかけた。周囲を高い木に覆われ日の光もあまり届かない道だ。
「いました、アレです!」
何か黒いものが道の真ん中にうずくまっていた。二人が近づくと黒いものはピクンと体を震わせた。
「これ熊だ!」
「小熊ロボです!」
小熊ロボは泥にまみれていた。体長は六十センチ。つぶらな瞳の片方は閉じている。長い毛の上からでもプルプルと震えているのがわかった。
「かなり弱っています。助けないと!」
「おう、おう! メル子、助けるのはいいんだけど。これ何か危険な気配しない? こういうのって大抵近くに親熊がいたり……」
その時森の中から巨大な影が現れた。小熊ロボの後ろに来るとグウォーグウォーと唸り声をあげた。体長二メートルの巨大なヒグマだ。凄まじい迫力に二人は硬直した。
「ぎゃああああああ! 出ましたヒグマです! ぎゃあああああ! 助けて!」
「メメメメメ、メル子! 静かに」
メル子は絶叫をあげて小熊ロボを抱きかかえた。黒乃の後ろに隠れるとその背中をグイグイと押した。
「助けて! 私はロボットなので食べても美味しくありません! ご主人様を食べて! どうぞ召し上がれ! ぎゃああああああ!」
「メル子!?」
メル子は恐怖のあまり黒乃の白ティーを捲り上げて頭を突っ込んだ。
「メル子!? 白ティーが伸びるからやめて! ほら今こそアレだよ! 熊よけスプレー機能を使って!」
メル子は白ティーの襟から顔を出すと口から勢いよくブレスを吐いた。粒子が帯となってヒグマに向かう。
「すごい! 何十話ぶりかの伏線回収!」
しかしヒグマはフゥと息を吐くとスプレーは風圧であっさりと霧散してしまった。
「ぎゃああああああ! 効きません! もう終わりです! ご主人様今までありがとうございました! メル子は幸せでした! 来世でお会いしましょう!」
しかしヒグマは襲いかかってはこない。頭を地面まで下げた。すると首筋にIDが表示されているのに気が付いた。
「これ、
「え!?」
黒乃は恐る恐るヒグマロボに近寄るとその頭を撫でた。滑らかな毛皮の感触が少しの安心感を与えた。
「ハァハァ。こいつ、大人しいぞ!」
「本当ですか!?」
ヒグマロボは政府によって管理されている。その役割は森林の安全を守る事だ。生熊達を統率し人里に近づかないようにしたり、人間が危険な場所に入ってきたら追い払う。
するとヒグマロボはメル子に近寄ると抱きかかえている小熊ロボをペロペロと舐めた。グワォグワォと優しい声で鳴いた。
「なんでしょう、親子ロボなのでしょうか?」
「何かを伝えたいみたいだ。なになに?」
「ゴグァ、グウォワ、ゴガァ」
「ふんふん、なるほどなるほど。大体わかった。この小熊ロボはこの山のロボットではなくどこからか逃げてきたロボットらしい。衰弱しているので助けてあげて欲しい。だってさ」
「グワォ」
「なぜ動物ロボと会話ができるのですか!?」
小熊ロボをよく見るとIDが表示されていない。新ロボット法では全てのロボットにID表示の義務がある。つまりこの小熊ロボは非合法に作られたロボットである。
「非合法ロボでも助けてあげませんと」メル子は腕の中でプルプルと震えている小熊ロボを抱きしめた。
「……そうだね。ペンションに連れて帰ろうか」
「はい!」
「よし、この小熊ロボをワトニーと命名する!」
「火星でうろついていそうです!」
黒乃はタコス弁当をヒグマロボに食べさせた。すると手を振って二人を見送ってくれた。
メル子は小熊ロボのワトニーを抱えてペンションに戻った。既に日が落ちてきている。するとペンションからマリーが走って出てきた。
「そのクマのぬいぐるみどうしたんですのー!? 可愛いですわー!」
「マリーちゃん、静かにしてください」
「このぬいぐるみ動いてますの!」
黒乃はマリーの両肩を掴んで引き留めた。
「マリー、お願いがあるんだ。今からワトニーを風呂に入れるからバスタオル持ってきて。あとアン子に暖かいミルクを用意するように言ってくれるかい」
「マリーにお任せですわー!」
マリーは元気よく走り去っていった。黒乃とメル子はペンションの裏手に周り露天風呂に入った。
シャワーでワトニーの毛皮についた汚れを洗い流した。身体中から泥が溢れ出てくるようだ。洗いながら一通り見てみたが外傷は無いようだ。
体が綺麗になるとマリーが持ってきたバスタオルでよく拭き、体全体を包んだ。
食堂に行くとアン子がミルクを用意して待っていた。哺乳瓶に入れて口に咥えさせるとクピクピと飲みはじめた。
「可愛いですわー!」
「良かったー飲んでる」
ワトニーはミルクを飲むにつれ少しずつ動けるようになってきたようだ。
動物用のメンテナンスキットがない為、ワトニーの詳しい状態はわからない。ナノマシンが不足している事も考えられたのでいくつかの種類を皿に入れてワトニーに差し出してみた。するとワトニーは特定の種類のナノマシンをペロペロと舐め始めた。
「これで良くなるといいのですが……」
一通りの対処を終えるとワトニーは眠りに入ったようだ。いつまでも食堂に置いてはおけないので黒乃の部屋に持ち帰る事にした。
部屋に戻りバスタオルに包んだワトニーをベッドに寝かせるとメル子はその毛皮を優しく撫でた。
「ねえ、メル子」
「はい」
「ワトニーどうしようか」
「はい……」
こういった場合、動物ロボは警察などに届ければ適切に対処されるであろう。しかしワトニーはIDが無い非合法のロボットである。どのような処置が下されるのかはわからない。
「ご主人様……」
「ん? なあに?」
「ワトニーは私が育てます!」
「う、うーん」
「私がワトニーのママになります!」
「ええ!?」
メル子の目を見て黒乃はそれが冗談ではないことをすぐに理解した。
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