第103話 北海道です! その四
「ピピピピッ、ピピピピッ」
早朝、メル子の口からアラームが発せられた。メル子はベッドからむくりと起き上がると周囲を見渡した。
「あれ? ここどこです?」掛け布団を勢いよく跳ねのけるとベッドから飛び上がった。
「ぎゃあ! ここどこです! 知らない部屋にいます! ご主人様! ここどこ!?」
その騒ぎで黒乃は目を覚ました。
「ふぁ〜よく寝た」黒乃は伸びをしてベッドから起き上がると慌てるメル子の頭を撫でた。
「落ち着いて、北海道だよ。今日からこのペンションで働くんでしょ」
「ハァハァ、そうでした。知らない部屋にいるからびっくりしました」
黒乃に撫でられて我に返ったメル子は急いでメイド服に着替え始めた。部屋のカーテンを開けると強い日差しが差し込んできた。
「うわぁ! 見てください! 海がこんなに綺麗です!」
ペンションの窓からは小樽の町と石狩湾が一望できる。登り始めた太陽が水面に反射をして光の帯を作っていた。
「それに雪が! 雪が積もっていますよ!」
北海道は既に雪の季節へと入っている。うっすらとではあるが山が白く覆われている。夜のうちに少し降ったようだ。
「さあ! がんばって働きますよー!」
「うん、がんばってね」
メル子が部屋を飛び出していくのを見送ると黒乃は二度寝を始めた。
メイドさんの朝の最初の仕事は建物周囲の掃除だ。箒を使い落ち葉を集める。次にゴミ出しだ。付近のペンションとの共用のゴミ捨て場に袋を抱えて捨てにいく。
それが終わると朝食の準備が始まる。厨房に入るとオーナー夫婦とアンテロッテが既に作業をしていた。
「メル子さん、おはようございますわー!」
「アン子さん、おはようございます」
オーナーがメル子に指示を出してきた。「おはよう。メル子ちゃんにはマッシュポテトと卵焼きとあと何か一品作ってもらおうかな」
「お任せください!」
「わたくしはデザートのプディングを作っていますのよー!」
朝食の準備が整うとベルを鳴らして宿泊客に集まってもらう。メル子とアンテロッテはどちらがベルを鳴らすかで揉めたが、メルセンヌツイスタ法による乱数生成でダイスを振り、見事メル子が勝利をした。
「SEEDが悪かったですわー!」アンテロッテは悔しがった。
メル子がドヤ顔でベルを鳴らすと宿泊客がゾロゾロと食堂に集まってきた。
「おお、朝食はバイキング形式なのね」
黒乃は白米、味噌汁、塩ジャケ、ほうれん草のおひたしをトレイに乗せた。
「何故私が作った料理を一つも取らないのですか!?」
「ええ?」
朝食が終わると今度は建物内の掃除が始まる。ロビー、食堂、厨房を綺麗にした後は客室の掃除だ。
「そんじゃあ、お仕事行ってくるよ。昼過ぎに戻るからそしたらロボ牧場に行こう」
「お待ちしています! お気をつけて!」
黒乃は小樽駅付近の会社でまたも打ち合わせである。ロボタクシーを呼び寄せ山を降りていった。
宿泊客が部屋を開けると順次部屋の清掃に入る。ゴミを捨て掃除機をかけベッドメイクをする。
アンテロッテと手分けして行った為、昼前には全てが片付いた。
「お二人に手伝って貰えたから私達楽できるわ」オーナー夫婦も喜んでいるようだ。
「何でもお任せください!」
「チョロいもんですわー!」
本日のディナーの食材の仕入れは既に済んでいる為、夜まではメイドの出番はない。そうこうしているうちに黒乃がロボタクシーでペンションに戻ってきた。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
「ただいまっと。じゃあメル子、ロボ牧場行こうか」
「はい!」
黒乃が乗ってきたロボタクシーにそのまま乗り込み出発した。
——小樽ロボ牧場。
小樽市の山中にある広大な牧場である。ロボット
「ご主人様! 見てください! 牛さんです!」
メル子はロボタクシーから降りると牧場の柵に走り寄った。柵の向こうで草をモリモリと食べているロボット牛をキラキラとした目で見つめている。
「お馬さんもいますのよー!」
「お嬢様はおフランスでお乗馬を学んでいたのですわー!」
お嬢様たちも
「って、どうしてマリーちゃん達がロボ牧場にいるのですか!」
「行き先が被ったから一緒のロボタクシーに乗ってきたでしょ」
「そうでした!」
「ロボタクシー代は経費で落ちるから一緒に乗った方がお得だしね」
黒乃達は入場料を支払い牧場へと入った。マリーは一直線にロボット馬に走り寄るとその背中によじ登った。
「うおっ、すげえ。お嬢様は乗馬もお手のものか」
「ご主人様! 牛さんに餌をあげましょう!」
メル子は草が大量に詰まったバケツを片手に放牧エリアへ走り出した。ロボット牛の背中を撫で、草を取り出すとロボット牛はメル子の手からモリモリと食べた。
「食べています! 可愛いです!」
「おお……いやでかいな!」
「たくさん食べていいお乳を出すのですよ」
「ロボット牛って乳出すんだ」
新ロボット法により乳牛の幾パーセントかはロボット牛に置き換えられている。ロボット牛の方がエネルギー効率が高く環境に優しいからである。
ロボット牛は体内に取り入れたエネルギーを牛乳に変換する機構を備えている。
「あれ……靴にうんこされたな」
体内で牛乳に変換されなかったものは圧縮して黒乃の足にまとめて排出される仕組みだ。
「あれ? メル子。このデカい足跡みたいなの何?」
地面を見ると長さ2.5メートルの窪みがズラリと牧場を横断している。
「ご主人様! 乳搾りに行きますよ!」
「ええ? ああ、うん」
四人は厩舎に入ると乳搾り体験を始めた。
「やりました! 乳搾りです! これを楽しみにしていました!」
「わたくし初めてですわー!」
「わたくしもですわー!」
金髪の三人は大喜びをしている。
「ご主人様はロボット牛よりメイドロボの乳を絞りたいなあ、ぐふふ」
「まず乳頭を殺菌します!」
メル子は消毒液が入った容器にロボット牛の乳頭を差し込んでいく。
「次に検乳です!」
乳をいくらか検乳カップの中に入れるだけで成分を分析してくれる。
「異常がないので搾乳に入ります。本来はミルカーで搾るのですが、今日は体験ですので手で搾ります」
メル子は生乳を入れるタンクをずらりと並べた。
「こんなに搾るの!? 多すぎない!?」
「ペンションでお料理に使いますから、頑張って搾ってください!」
四人はそれぞれロボット牛の下に潜り込むと乳を搾り始めた。
「凄いたくさん出ますわー!」
「グニグニしてて不思議な感触ですわー!」
「濃厚なミルクです! いい香りです!」
黒乃も真似をして乳を搾るが全然出てこない。ロボット牛が怒って黒乃のおさげを齧り始めた。
「いてててて! こら! やめろ! なんで私だけ!?」
「ご主人様は邪念があるからです」
タンクが一杯になったところで加工場に移動した。乳製品の加工体験だ。生で飲む用の生乳には加熱殺菌処理を行う。
加工場の隣ではバター作りやアイスクリーム作りを体験できる。
「どれ、私はバターでも作ってみようかな」
「わたくしはアイスクリームにしますわー!」
黒乃は蓋付きのボトルに搾りたての生乳を入れた。そこに塩を少々加える。後はひたすらボトルを振るだけだ。
「ハァハァ、これ振るの結構しんどいな。どのくらい振ればいいの?」
「三十分振ってください」
「嘘でしょ!?」
マリーは小さなボトルの中に生乳を入れた。次に大きなボトルの中に氷と塩をたっぷりと詰め込む。そこに生乳の入ったボトルを入れる。後はひたすらボトルを振るだけだ。
「ハァハァ、これ疲れますわー! いつまで振ればいいんですの?」
「三十分振ってください」
「ピュータン!」
——三十分後。
「ハァハァ、できた……ボトルの底にバターが少しできてる……」
「ハァハァ、わたくしのアイスクリームもできましたわ……めちゃ疲れましたの」
「私もバターとアイスクリームと生クリーム、ついでにマヨネーズができました」
メル子は机に完成した品々の山をドカッと置いた。
「いつの間にそんなに作ったの!?」
「
「ずるいですわー!」
その時アンテロッテが鍋を抱えてやってきた。
「牧場で今朝採れたおジャガですのよー! 蒸してきましたわー!」
アンテロッテが鍋の蓋を開けるともうもうと湯気が立ち昇った。中には黄金色に輝くおジャガが積まれている。
「うひょー! うまそう!」
「さあ! 皆さんでいただきましょう!」
黒乃はおジャガに自分が作ったバターを塗りたくり齧り付いた。
「ぐわわ!」
濃厚なバターの香りが脳天を突き抜けた。
「なんだこれは!? じゃがバター、あまりにシンプルな料理。しかし北海道の大自然が育んだものが合わさるとこれ程までに鮮烈な美味さになるのか!」
マリーはマヨネーズをおジャガにかけた。
「おジャガのほくほくな甘さとマネヨーズの酸味の調和がたまりませんわー!」
四人はバクバクとおジャガに齧りつき、鍋はあっという間に空になってしまった。
「食後のアイスクリームも召し上がれ〜!」
皆それぞれハチミツやキャラメルソース、ジャムなどをかけてアイスクリームを堪能した。
「うぃっぷ。食べすぎたでしゅ。ぷしゅー」黒乃は満足げに白ティーからはみ出たお腹をさすった。
「ふふふ。おジャガには勝てませんね」
マリーは立ち上がると再び厩舎の方へ駆けていった。「もう一度お馬さんに乗ってきますわー!」
「元気すぎるな」黒乃は呆れた。
一行は日が暮れる前にペンションに戻ってきた。黒乃はそのまま部屋に入ってダウンしたがメイドロボ達はこれから一仕事である。ディナーの準備を手伝わなくてはならない。
二人は気合を入れ直して厨房に向かった。
——深夜。
メル子は窓の外を眺めていた。後ろで黒乃がベッドに横たわってぐったりとしている。
窓に手を当てると外の冷気と共に静寂が伝わってくる。しばらく光り輝く小樽の町を眺めているとふと声が聞こえる事に気がついた。赤ん坊の鳴き声だ。
このペンションには赤ちゃん連れの宿泊客はいない。隣のペンションだろうか? もう一度耳を澄ませたが既に声は止んでいた。
メル子はベッドにどさっと腰を下ろした。
「メル子、もう寝ようか?」
「はい! 明日も朝早いですからね」
電気を消すと再び静寂がやってきた。その時、今度は啜り泣く声が聞こえてきた。メル子はその声の正体はすぐわかった。
黒乃は起き上がりメル子のベッドに座ると頭を撫でた。
「メル子、どうしたの?」
「……わかりません」
「何か悲しいことでもあったの?」
「いえ……」
黒乃はメル子の金髪をさわさわと撫でた。メル子の目からは涙がこぼれている。
「お家に帰りたいです……」
「ええ?」
「ボロアパートに帰りたいです」
「ひょっとしてホームシックかな?」
黒乃はふふっと笑った。
「わかりません……」
メル子は黒乃の手を掴むとそのまま眠りに入っていった。
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